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しおりを挟む徐々に、小糸は興奮の度合いを高めていった。
その隣で、春日一緒は涼しげな微笑みを浮かべる。
「気乗りしなければ『協力』なんかしなくて良いのよ。このヒト達は『情報』が欲しいだけだから。……あたしなんかは、むしろ、あなたの『動機』にこそ興味があるけれど」
「いちおさんッ! アナタ、何を……」
春日一緒の言葉に、小糸朔太は声を荒げたが、当の水谷鈴呼には、相変わらず、何の変化も認められなかった。……しかし。何の反応も示さなかったからと言って、その言葉が彼女の心に触れなかったとは限らない。
水谷鈴呼は耳が聞こえないわけではなく、日本語も通じる。一般的には……他に刺激の少ない拘置所で、面会時の言葉は案外と深く残るものだった。
「……世の中は、ギブ・アンド・テイク。水谷鈴呼さん。あなたに望むモノが無いならば、何も差し出す必要は無いわ。ただ……いつか、必要なモノが出来た時の為にも、その『記憶』は大切にするべきよ。或る意味、殺人と引き換えに得た、あなたの財産ですもの。無駄に忘却してしまうなんて、もったいないわ」
「ようやく見付けた『先見人』ですよ。是が非でも、久我山先生の……」
「小糸さん。少し、興奮が過ぎますよ」
隣で顔を真っ赤にしていた小糸朔太に、一緒は冷ややかな視線を投げた。
「むぐ……」と小糸はあごにしわを寄せて、口をつぐむ。
一緒は、冷ややかだった表情をにこやかに変えて、また水谷鈴呼の事を見た。
「……失礼しました、鈴呼さん。あなたの『記憶』ですが……今の内から、ノートにでも書き残しておいた方が良いと思います。それで、もし今後、何か欲しいモノでも出来たなら、その時はそのノートの数頁……もしくは、数行を差し出せば良い」
にこやかにそう言っておきながら一緒は「……ただし」と、その表情を引き締めた。
「世界中に『例外』はあなた一人だけ……というわけではないから。その『記憶』にいつまでも高い価値があるとは思わないでくださいね。……今はまだ居ませんが他に『協力者』が現れ、その方から得られてしまった『情報』を後になって差し出されても、その『御礼』は出来ません。……世の中、ギブ・アンド・テイクですからね。『御礼』を差し上げられるのは、こちらの望む『情報』に対してのみとなります。まあ……何事にも、賞味期限はあるという話です」
春日一緒はまるで挑むみたいな鋭い視線を鈴呼に向けていた。
「……ちなみに。鈴呼さん。今のあなたには何も欲しいモノはありませんか……? ……例えば、そんな、狭っ苦しい場所から外に出たいとは思いませんか……?」
「…………」
水谷鈴呼は、何も応えない。
春日一緒は「……ンふッ」と、笑みをこぼした。
「小糸さん。鈴呼さんに、ノートと筆記用具の差し入れをお願いします」
「はい……あ、いえ。それらは所内で購入が出来る為、差し入れは出来ません。代わりに、幾らかの現金を御用意させて頂きます」
以降――「自分の用件は全て済んだ」とばかりに、春日一緒は黙ってしまった。
広くない密室に男女が四人。一人は職務上、喋らず。一人は別の次元でも見えているかのように無反応。一人は、すっきりと満足そうに口を閉じた。
残された一人、小糸朔太は「いいですか、水谷鈴呼さん」と熱を込めて、語り始める。
「赤色の発光ダイオードが開発されたのは、六十年代のはじめです。程無くして、緑が誕生しました。後は青色の発光ダイオードさえ開発されれば、光の三原色が揃い、よって、全ての色を表す事が出来るようになります。……そして、実際に青色の発光ダイオードが誕生したのは、一九九三年。その開発期間は三十年以上です。三十年間、青色の光を求め、世界的に研究されてきた材料はセレン化亜鉛でした。しかし。実際に開発に成功をした、現在の青色発光ダイオードの材料は窒化ガリウムです。もし、予め、その窒化ガリウムを材料に研究が進められていたなら――『青色発光ダイオードの材料は、窒化ガリウム』と『知っていた』なら――人類は、その青い光を、もっと、早くに生み出せていたでしょう。光の三原色を揃えての大画面ディスプレイの登場をはじめ……青色発光ダイオード研究の副産物と言える、青色半導体レーザーの誕生も早まり、……結果、ブルーレイディスクが『ファミコン』よりも先に生まれた可能性すら、否定し切れないのです!」
この場にはもう、彼の言葉を止める人間は居なかった……が、彼の話をまともに聞いている人間もまた居ないという、哀しい現状を理解しているのか、いないのか。誰からの何の反応も受けずとも、小糸朔太は順調にその熱を高めていった。
「青色発光ダイオードで言うなら『窒化ガリウム』ですが。そういった、はっきりとした『答え』を知らなくても良いのです。ただ、現実に『青色発光ダイオードは存在し得る』という事を知ってさえいれば、それは大変な励みになります。基本的に研究とはゴールの存在を信じて走り続けなければ、成功には辿り着けないものですが、その途中でゴールの存在を疑い、走る事を諦めてしまう者も少なくはありません。そんな、研究者にとっても、その研究費用を提供している出資者にとっても、未来に『存在し得る』という『事実』は、大変に重要なのです。……更に言ってしまえば『その成果が大きな金を生む』と知る事で、その利権を得ようと目論み、我先にと研究に力を注ぐ企業も増えるでしょう。『未来』の『情報』――取り分け、正確な『情報』というものは、本当に価値の高いものなのです。……もちろん、その取り扱い方次第ではありますが。私の主であります、久我山の考えは、そのような『情報』を数多く手に入れ、それらを日本中の企業に流そうというものです。自身に利益の還元される身内の企業のみを選び、耳打ちをするのではありません。世界に先駆け、日本全土の企業らに新技術を開発させる事で、日本の産業を、その地力から……」
その後、面会の制限時間が過ぎるまで、小糸朔太の独演会は続けられた。
そして、別れ際。はじめにあった「澄まし顔」とは打って変わって、
「またね、鈴呼さん」
と人懐っこい笑顔を送った春日一緒に、水谷鈴呼は何を感じたのか、
「…………」
そっと、わずかに視線を逸らした。
敏感に、その事を察知した一緒は、また「……ンふッ」と小さな笑みをこぼした。
花村家の浴室にはテレビやラジオの類いは置いてなく、花村春生には入浴時に雑誌を持ち込むような習慣もなかった。
浴槽から立った白い湯気で、視界は不明瞭。基本的には静かだが、自分の立てた物音が全てエコー付きとなる、非現実感。湯船に浸かろうものなら、強制的な体温の上昇と、水中独特の微弱な抵抗感・浮遊感を味わえてしまう。
「……はふぅ~」
積極的に何かを考え込むには不適当な場所だが、ただぼんやりとその日の出来事を思い起こすには風呂場ほど相応しい場所は他に無いかもしれない。
「……にしても」と、湯船に浸かった春生は呟く。
(瀬尾美空には驚かされるな……。)
この日の放課後。昨日とは違って賑やかな校庭の、涼しげな端っこで、昨日と同じく、独り、黙々と彼女は棒高跳びの練習に没頭していた。
「瀬尾」
砂に薄く汚れた小さな背中に、春生は大きめの声を掛けた。この時の彼女は、正式なユニフォーム姿ではなく、普段通りの体操服を着ていた。
「ハイ……?」と振り返った瀬尾美空は、
「……ああ、ハルキ」
と、彼の姿を認めるなり、あっけらかんと花村春生のファーストネームを口にした。
その事に、春生は「ン……」と少しばかり戸惑ってしまうのだった。
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