春待ち木陰

春待ち木陰

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 それは、鈍い銀色をした金属性の板だった。大きさは、ちょうど紙幣と同じ程度。

 その板の表面には幾つもの細かな窪みが、まるで点字のように刻まれていた。

「コレ……じゃないや。コッチね」

 一緒は、一度、取り出したその板をポシェットの中に戻し、また同じような板を取り出した。……どうやら、ポシェットの中には複数枚の板が入れられてある上に、同じ物のように見えるその板の一枚一枚には何やら「違い」があるようであった。

「コレは久我山さんの依頼には無かったものですが。あたしの独断で、お聞き頂きます。こちらの彼――今西安孝さんの『特技』についての御説明と、この件のおおもとである久我山守義さんの人柄を紹介する意味も兼ねまして……今西さん」

 一緒は、その手に一枚の板を握ったまま、ふいと隣に座っていた今西に身体の正面を向けた。

「コチラをどうぞ」

 ……まるで、赤ん坊か、動物を相手にでもしているかのように。一緒は、右の手に板を握ったまま、空いていた左の手を伸ばし、今西の手を取った。今西に嫌がっているような様子は無かったが、一緒は半ば無理矢理に彼の五指を開き、その金属板を握らせる。

 すると。今西は、

「…………」

 無言のまま、すっくとその場に立ち上がった。

 そして。酷く丸まっていた背筋を、胸を張るみたいに強く伸ばした今西安孝は、大きく見開かれたその目で、前方のやや上空を見詰めたまま――はきはきと口を開いた。

「おいおい。お嬢さんまで『先生』は止してくれや。朔太の馬鹿だの、他の連中は、昔の癖が抜けねえで、俺の事をそんなふうに呼んじゃいるがな。今の俺は『先生』だなんて、若者に呼んでもらえるような人間じゃねえんだ。……『道標』ンにゃ、なれてねえ……」

 その声は妙にしゃがれていて、とてもではないが二十代半ばと思われる今西安孝の地声には聞こえなかった。

「今のは――」と、アクリル板越しの水谷鈴呼に向き直った一緒が説明を始める。

「つい先日の事でした。あたしと久我山さんのファーストコンタクト時の『録音』です。今西さんには、それを『再生』して頂きました。……今のが、彼の『特技』です。機械による録音と比べますと、多々、良し悪しはありますが……久我山さんは彼の『特技』を気に入っておりまして、このように度々と自身の言葉を『録音』させているのです。……久我山さんの雰囲気も、何となくは伝わりましたでしょう? このような御老人です」

 澄まし顔のまま、にっこりと微笑んだ一緒の隣では……「おいおい。お嬢さんまで」と今西が二度目の「再生」を始めてしまっていた。一緒は、

「おっとっと。今西さん、そちらはもう結構ですよ」

 おっとりと慌てながら、今西の手から無理矢理と金属板を取り上げた。

 途端。今西は、

「…………」

 糸の切れた操り人形よろしく、椅子の上に尻を落とし、背中を丸めたのだった。

「さて。これからお聞き頂くのは、水谷鈴呼さんに向けまして、わざわざと『録音』をしました久我山さんの言葉――の予定でしたが」

 一緒の言葉に、その隣に座っていた小糸朔太がピクリとわずかに反応を示した――が、小糸は主の言葉に従って「…………」と、春日一緒の遣り様に口を挟みはしなかった。

「一方的に語られる、手紙のような『台詞』よりかも、他者との間に生まれた自然な『会話』を聞いて頂いた方が、その印象に於いても、事の本質に触れ易いのではないかと思いまして。先程の続き……あたしと久我山さんの『ファーストコンタクト』をお聞き頂こうと思います。『録音』されているのは久我山さんの言葉だけとなっていますが、それだけでも充分に会話の意味は通じると思いますので」

 一緒はポシェットの中から数枚の金属板を取り出すと、それを「順番」に重ね、

「お願いしますね」

 と、今西に握らせた。

 すっくと立ち上がり、背筋を伸ばした今西が口を開く。

「いちおさんのような若者が現在ばかりに目を向けるんじゃなく、未来に対しても興味を抱いてくれているという事は、この日本にとって、非常に有益な事であると俺は考えるよ。……戦時みてえに『我が身を捨てて、お国の為に』とまでは言わねえが、今時の奴等にゃ、国を愛する心ってのはねえんだなあ……。……『エコ』だ何だも立派だがよ、『地球』の前に『日本』を考える奴はいねえのかね。……本来なら、俺みたいな老いぼれじゃあなく、いちおさんや『水谷鈴呼』のような若者こそが、この日本の行く末を憂いて然るべき……だと思うんだがなあ」

 一枚目の金属板に「録音」されてあった「言葉」は以上だった。続いて、二枚目。

「……政治は駄目だな。誰が総理になったところで……同じだ。今の日本人では、他国に対して、何も出来ん。与党となれば、利権に囚われ、野党となれば、相手を批判する事にのみ、熱を燃やす……今の政治家は誰も、この国の行く末なんぞ、考えちゃいねえ。……何が『世論』か。自分の考えをコロコロと変えやがって。『世論』に従うのが政治家じゃねえぞ。自分の信念を『世論』に認められた奴が、政治家になるだけだ。有権者に受けが良い公約なんぞに頭を働かせる『風見鶏』が政治家になっちまうから……党内幹部だの、有力支援者だのに媚を売った政治しか出来ねえんだ。政治家は『国民の代弁者』じゃねえ。『国家の指導者』たるべしだ。『風見鶏』なんぞを頭に据えた日本が、他国と渡り合えるはずもねえ」

 二枚目が終了。三枚目に続く。

「日本は、資源に乏しい、小さな島国だ。近年は変わりつつあるように言われているが、日本人は、その気質として……礼を尊び、相手の心情を察する事に長けて、また、謙遜を美徳とする……シャイな人間が多い。そんな日本、及びに日本人が、世界に先んじようとするならば……当然、駆使せにゃならねえのが『技術力』だ。昔っから、日本人は手先が器用だったからな。現在、日本に在る零細工場の幾つもが、世界的な企業の末端として、その『技術力』を提供していたりとする。それを誉れとみる者も居るがよ……俺にゃあ、歯痒くてしょうがねえ。どうして、その『世界的な企業』そのものに成れなかったのか。必要不可欠な『技術力』は持っていながら、これまでは、それを発揮する為の発想力で、他国に負けていたんだ。……だがな。これからは『先見人』の見た『未来』を手掛かりにすれば良い。俺等に足りねえ発想力は、それで補える……。世界に誇れる『技』をのみ、持っていた日本が、これからは『力』を手に入れるぞ。『未来』を起源に、先駆けて得る『権利』と、それが生み出す『カネ』だ。日本が、いつまでも『世界の指先』に甘んじている必要は無い。『力』を手に入れた日本は、これから『豊か』になる。『強く』なるぞ。……それを果たすのは、政治家じゃねえ。国内に数多と在る企業、そこに働く日本国民だ。国民全てが自らの手で、この日本という国を『豊か』にする。……素晴らしく思わねえか、いちおさん。…………。……その為には、少しでも、多くの『情報』が欲しいや。それが『未来』の『情報』なら、今は、何でも良い。その内容の良し悪しは問わねえし、出所も問わねえ」


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