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しおりを挟む頭を振って、真直は床に涙を降らす。
「……こうやって、花村さんに――介抱してくださった恩があって、それに、共通の知り合いもいない、今後、話す事も無いかもしれない花村さんに告げるのが……精一杯です」
そう言うと真直は顔を上げ、弱々しい目で春生の事を見た。
「ボクは『オカマ』なんです。スイマセン。……こんな奴と一緒の部屋に寝てたなんて、気持ち悪いですよね。スイマセンでしたッ」
額を床に押し付けるみたいにして、また真直は謝る。
「折角の御厚意を……恩を仇で返すみたいな事になってしまい……ごめんなさい!」
春生は――「……ボク、帰りますから。本当に、お世話になってしまいました」と立ち上がった真直を、
「ちょっと待てって」
静かな声で呼び止めた。――静かではあったが決して冷たくは無い声で。
「なあ、蔵原――だっけか。お前が『オカマ』だってコトは、よぉ~く、解かったけどさ。オレは別に『オカマ』が『悪い』とは思わないよ。気持ち悪いとも思わない。……同じ部屋で一晩を過ごしたって、オレに『キケン』は無いんだろ? お前、さっき――オレが寝てる間に何かオレに変な事とかしたか? ……してないだろ。カミングアウトを済ましたからって、これからオレを襲うのか? ……襲わないだろ」
春生は「ハハッ」と軽く笑ってみせた。
「……いつだったか、どっかの『オカマ』に言われた事があるよ。『世の中の男は全員、レイプ魔かい。お前もそうなのか? 好みの女を前にしたら、お前は相手の「同意」も得ずに襲い掛かるのか。……しないだろ。俺だってそんな事はしないさ。「オカマ」の前だからって、そんな身構えるなよ。俺はお前を襲ったりなんかしない。……お前が「同意」してくれるまでは頑張って我慢するって。ハッハッハッ』ってさ」
下手なアメリカンジョークみたいな話だが、春生は「真直を慰める為」と嘘を言ったわけではなかった。……春生の記憶には実際にその言葉が眠っていたのである。ふと春生は、それを思い出しただけであった。しかし……「……オカシイな」と春生は心の中で首を傾げた。
(……映画とかドラマの中の台詞だったか……? オレの知り合いに「オカマ」なんて、目の前に居る蔵原が「はじめて」なハズなんだけどな……。)
そんな事を考えていたらまた不意に春生は――「思い出して」しまった。
「それに、蔵原。お前の顔は正直、美形だと思う。……『ジャニーズ』かと思い込んだくらいだしな。……性格が悪く聞こえそうな発言になるから、あんまり、声を大にしては言い辛いけど……『男』である事で世の女性を羨むんじゃなくて、その『美しい顔』を以って、世の中のブサイク共の『上』に立てよ。……まあ、要は『今の自分を受け入れた上で、前向きにモノを考えろ』って事だな」
春生には「オカマ」の知り合いなど居なかったはずなのだが。春生の記憶の奥底には「誰だか」の悲痛な「嘆き」が、しっかりと刻まれていた。
「……せめて、美しい顔に生まれていたら。また、俺の人生も違っていたかもしれない」
それは、誰が「嘆いた」言葉であったのか……春生の記憶の何処かには在るのであろうその「顔」が、今の春生には思い出せそうになかった。
真直は大きく目を見開いて、呟いた。
「……ウロコが落ちました」
春生はチラリと枕許の目覚し時計に目を遣った。愛用の――秒針が「カチ、コチ」と鳴らない、優れモノである。
「二時前か。朝までもう一眠り……しようや」
欠伸混じりに春生は囁く。……時計で「深夜」を認識してしまった途端、今の今迄、すっかりと鳴りを潜めていた眠気が猛烈な勢いで舞い戻ってきてしまったのだった。
しかし。真直の返答は「……いえ」だった。
「ボク……やっぱり、家に帰ります。このまま、ずっと逃げ続けられるわけでもないし。もっと……自分を受け入れられるように、考えてみます」
勢い強く立ち上がった真直は、また、深々と頭を下げてくれた。
「あの……次に塾で会えたら……声、掛けても良いですか……?」
……一瞬、真直が何を言っているのか、春生には解からなかった。
「ああ? ……当たり前だろ」
春生は「……ふはッ」と笑ってしまった。
「蔵原ぁ……もうちょっと、自分に自信を持てよ。自分を『肯定』してやれよ」
「あ……ハイッ」
苦笑いの春生に見送られ、真直は不器用そうな笑顔で、花村の家から出て行った。
「…………」と春生は不意に気が付いてしまった。
(……アレ? アイツの家、隣町とか言ってなかったか。この時間……電車なんて無いだろ。歩いて帰れる距離なのか? ……タクシーのカネなんて、中学生にはないだろ?)
眠たい頭を悩ませる事――数十秒。閉められたドアの向こうから「……足が無いんで、やっぱり、一晩だけ」と真直が戻ってくる様子も無く、春生は、
「まあ……良いか」
眠る真直を置きっ放し、二度目のコンビニへ向かった時と同じような気持ちで、睡魔にその身を従わせたのだった。
後日。春生が通う塾のクラスに蔵原真直の姿は無かった。講師に聞けば、彼は塾を辞めたそうであった。
(……逃げやがったか。)
寂しいような、悔しいような、そんな気持ちで春生は思った。
そして、半年後。彼が塾を去った事を春生に告げたこの講師から、真直の耳に春生の志望する高校名が伝わり、彼は春生と同じ高校を受験する事になる。二人は同校生となり、春生は、彼のお似合いなスカート姿に目を丸くする事となるのだが――それは少しだけ、先の話だった。
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