上手なお口で結べたら

春待ち木陰

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「うーむむむ。生まれて初めて学校をサボってしまったなあ」などと思いながら俺はツリ目の後に続いてツリ目宅に入った。玄関の鍵はツリ目が開けて、締めた。家には本当に誰も居ないようだった。小学生時代には何度も遊びに来た事のあった場所ではあったが今の気分としてはどうも空き巣よろしく留守宅に忍び込んでいるようで居心地が悪いというか決まりが悪いというのか。そわそわしてしまう。

「お邪魔しゃーす」と俺は何となく小さめの声で囁きながら靴を脱いだ。

 ツリ目は「ただいま」も何も言わなかった。

 その後、二階にあったツリ目の自室に一歩足を踏み入れるなり、

「――ゴリ」

 くるりと振り返ったツリ目に俺は両頬を掴まれた。顔を固定される。

「おい。いきな――」

 俺の言葉は無視どころか最後まで言わせてももらえず、まさに問答無用でツリ目は俺の唇に唇を重ねてきた。

 押し付けられてから軽くねじられた。漫画やドラマで見るキスシーンみたいに鼻と鼻がぶつからないよう顔を傾けたのかと思ったら、そこから更に何度か唇を唇で擦りこねられた。ぐにぐに。ぐにぐに。

 乾いていた唇と唇が重なり擦れ合ったが想像と違って、かさかさとはしなかった。別に痛くはなかった。かといって「気持ち良い」という事でもなかった。唇で感じるその感触は柔らか過ぎて、相手の「唇」をイメージさせるものではなかった。

 俺が鈍感過ぎるだけなのか? とも思ったが頬に当たり続けるツリ目の荒い鼻息はかなりくすぐったかったから「鈍感」なわけでもないと思う。

 近過ぎてその姿は目に見えていなかったが……あのツリ目が鼻息を荒くしていると思うと笑ってしまいそうになる。俺の知っているツリ目は、冷静沈着というか「冷静沈着でいようとしている」ような奴だった。

 その実、全速力で突進する振りをしてみせれば「ちょちょちょちょちょ――轢かれるッ!?」とビビってくれたりなど密かにイジり甲斐はある奴なのだが、

「ん、ふぅ。ん……」

 こんなふうにツリ目の方から崩れてくれる姿は本当に新鮮だった。初めて見たかもしれない。こんなツリ目は短パンも前歯も知らないだろうな。リンゴなんかは言っても信じないかもしれない。

 などと考えていたところで「――んッ?」と俺まで声を漏らしてしまった。不意に唇を舐められたのだ。

 不思議なもので、唇に唇を押し当てられていたときは、押し当てられているものがツリ目の「唇」だという認識が出来なかったのに、唇を舐められた瞬間には「舐められた」と分かってしまった。

 事前に想像していたようなチュッチュという音は無く、ツリ目の荒い鼻息だけをBGMにして静かに、だが執拗に、ツリ目のぬめった舌先が俺の唇の表面を撫で回す。

「……しょうがねえな」と許可はしたものの当然あった緊張と不意に始まってしまった行為に驚いたせいだと思うが、自分でも気が付かないまま硬く結んでしまっていた俺の唇をツリ目が舌先でチョイチョイとノックする。

 そうだよな。そういう話だったもんな。

 俺は無意識ながら唇に込められていた力を意識して抜いた。自然と空いた上唇と下唇の間、ほんのわずかな隙間にぬるりとツリ目の舌がぬめり込む。

「んッ」と俺もまた声を上げてしまった。

 上唇でツリ目の舌の表側の硬さを、下唇にツリ目の舌の裏側の柔らかさを感じる。人間の舌は裏と表で感触が違うだなんて考えた事もなかった。知らなかった。

 横向きに差し入れられたツリ目の舌が縦向きに変わる。わずかだった俺の唇の隙間がもう少しだけこじ開けられる。

 その「もう少し」を「更にもっと」だと言わんばかりにツリ目の舌が蠢いていた。右向きの縦、左向きの縦、右向きの、左向きの。滑らかに。力強く。俺の唇の内側をツリ目は舌の側面を使って丹念にねぶる。

「ん。ん」「ふう」「ん」「んッ」「ふぅ」

 俺とツリ目の鼻息が交ざる。もうどちらがどちらの音なのかも分からない。

 俺の唇が他人の唾液でベタベタになる。これもまた不思議だった。自分のツバでは思わない不快感――「不快」というほど不快ではないから「違和感」の方が合ってるのか――をはっきりと感じられた。

「ふッ。んッ」

 ツリ目の舌は延々と動き続けていた。動かされ続けていた。

 例えばそれが指先であったとしても、これほどにずうっと無造作に無軌道に動かし続ける事は難しいのではないだろうか。

 ツリ目は器用だ。持久力もある。ほら見ろ。やっぱりだ。ツリ目にはキスの才能があった。これは立派な特技だ。取り柄だ。

 俺には真似も出来そうになかった。

 不意に、

「んん?」

 一際強く唇に圧力を感じた。続いてツリ目の舌が深く俺の口内に侵入したきたのを感じた。他人目線で見れば「遠慮がちに」引っ込めていた――正直に言えば「怯えるように」控えていた俺の舌にツリ目の舌先が触れる。

「ふンあッ」と反射的に俺は悲鳴みたいなものを上げてしまった。

 しかし。ツリ目には聞こえていなかったのか、ツリ目の舌は少しも一瞬も怯む事は無く、ぐにぐに、にちゃにちゃと俺の口内で蠢き続けていた。

 俺の悲鳴みたいなものが聞こえていながらもツリ目は無視をしたのか、それとも自分で思ったよりも俺の悲鳴みたいなもののボリュームは小さくてすぐ近くにあるはずのツリ目の耳には届いていなかったのか、もしくはツリ目はキスに夢中で俺の悲鳴みたいなものを聞いていなかったのか。わからない。しらない。でも止まらない。


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