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しおりを挟むいや、しかし。写真だ。三十七歳の男性が自分の息子でもない、親戚の子供でもない、赤の他人の少年の画像データをスマホに入れておくというのは。世間的に考えて異常な行為だろう。
だが……人間ならば誰しもだろうか、それとも虎呼郎個人の性質なのか、そもそも「撮らない」という我慢よりも、撮ってしまった写真を「破棄する」という決断の方が難しかった。……折角、撮ったのに。もったいない……と歯ぎしりをしてしまう。
そうだ。データは自宅のPCに移して、スマホの中の画像は全て消してしまおう。そうすれば撮った写真は残るし、データを入れっ放しにしたままのスマホを持ち歩くリスクも無くなる。スマホを何処かに置き忘れてしまった結果、誰かに見られるだのデータを盗まれて世間に流出だのといった事を心配しなくても済むようになる。
いやいや、しかし、しかしだ。少年との写真か。うーむむむ。児童ポルノの製造は犯罪だ。おい。どんな写真を撮る気だ。――鈴木虎呼郎の脳内会議は紛糾していた。
「どんな写真を撮る気だ」は先日の居酒屋で友人の濱田健太に言われた台詞だったが当時、呑み過ぎて――呑まされ過ぎて――しまっていた虎呼郎はその夜の記憶の全てではないが大部分を失っていた。忘れていた。記憶に無かった。
「顔写真はポルノじゃねえから。もしくは、どんな写真を撮る気だ」
語勢の強かった濱田のツッコミが今、虎呼郎の脳内で自動再生されたが、濱田との遣り取りを忘れてしまっていた虎呼郎は、その発言を自分発信だと誤認してしまっていた。他人からの言葉だと分かっていれば、もっときちんと吟味して場合によっては反論もしていたかもしれない。
……そうだよな。どんな写真を撮る気だったんだか。普通の、普通の写真を撮れば良いのだ。普通に少年とのツーショットを――と思っていたのだが。
「こっち向いてッ! 笑ってッ! カメラの方を見てッ! いいよッ、いいよッ! ――カッコ良いよ、おじさんッ!」
実際に撮られていたのは、ひたすらに虎呼郎のワンショットであった。恥ずかしい……。……いろいろな意味で恥ずかしい。虎呼郎は自戒の念というのか自罰的な思いから少年とのモデルごっこに付き合っていた。その辱めを受け入れていた。
カシャッ。カシャッ。カシャッとスマホのシャッター音は鳴らされ続ける。
「しょ、少年。おじさんばっかり撮っても……」
ついに羞恥の限界を迎えてしまった虎呼郎が音を上げる。
「えー。だって僕、おじさんの写真が欲しいから」と達矢は言ってくれたが、
「十歳の少年が、親でも親戚でもない隣の部屋に住んでるおじさんの写真を欲しがるとか。もしかしたらそれはホニャララの所持よりも犯罪臭が漂ってしまうかも……」
少なくとも「普通の」行動ではない。虎呼郎は「普通の」写真を求めて、
「少年。せめて一緒に撮らないかい?」
と提案してみた。すると、
「うん。いいよー」
少年はあっさりと了承してくれた。虎呼郎は拍子抜けしてしまいそうになる。
「そうだよねー。凪ちゃんは犬と一緒に写真に写るのは難しいなんて言ってたけど。おじさんと一緒は撮れるよねー。えへへ」
少年には「えっとー。じゃあスマホのカメラを自撮り用に変えてー」と若さ故かの覚えの早さを見せ付けられてしまった。先程、手渡した際に「はじめて触ったかも」と言っていたスマートフォンを少年は早速、使いこなし始めていた。
「これで大丈夫かなー」
スマホを片手に少年が近寄ってくる。身長差を考慮して虎呼郎は腰を屈めた。
少年は踵を浮かせて虎呼郎の頬に頬を寄せる。
「――うわッ!?」と虎呼郎は驚いてしまった。
「うん?」と達矢が不思議そうな顔を向ける。
「ち、近過ぎないかい?」
「えー? だって近くにしないと一緒に写れないよ?」
少年はスマートフォンの内側、液晶画面をこちらに向けていた。スマホ上部のインカメラで撮影されている左右反転のリアルタイム映像がその液晶画面には映し出されていた。……確かに。現状はスマホの画面一杯に虎呼郎の顔が半分と少年の片耳だけが映し出されていて、これでは先程、少年がしようとしたように頬と頬をぴったりとくっつけるくらいに近付かないとツーショットなどは撮れそうになかった。
スマホを持った手を遠くに伸ばした定番の自撮りスタイルではあったが如何せん、少年の腕は短くて、液晶画面に映し出されている映像は接写のようになってしまっていた。
「これは……ええと」
スマホのズーム機能を調整すれば良いのか、画角を変える事も出来るのか、インスタグラムにもツイッターにもフェイスブックにも画像を投稿した事が無い虎呼郎は普段、カメラの詳細な機能など触らない。精々がただただパシャリと画面に映っているものをそのまま保存するくらいなものだった。さっぱり、分からない。
QRコードを読み込むにもあたふたしてしまうような虎呼郎ではカメラ機能の設定をいじるよりも、
「……おじさんが撮ろうか。ちょっと貸してくれるかな」
カメラのレンズを「よ――ッと」とその長い腕で物理的に遠ざけてしまう方が早くて確実だった。
スマホを取り上げられて両手の空いてしまった達矢少年は何のつもりか「えぃッ」と虎呼郎の首に抱き着いてきた。
「ちか、近い……ッ」
と困り声を上げた虎呼郎に少年は、
「だからー。近付かないと一緒に写れないってー」
何処か楽しげに返してきた。
「いや。ほら。さっきよりはだいぶ」と虎呼郎は視線でスマホの画面を指し示すが、
「えー? 見えない。見づらい」
少年はぶつぶつと言いながら、ぎゅうぎゅうと虎呼郎の頬に頬を押し付けてきた。
……どんどんと状況が悪化している気がする。
「も、もういい。それでいいから。ちゃちゃっと写真を撮っちゃおうかッ!」
ヤケクソ気味に虎呼郎は叫んでしまった。少年は、
「はーいッ!」
と元気なお返事をくれた。
小一時間後、虎呼郎のスマホの保存画像一覧には「おじさんのワンショット」が多数と、その「おじさん」が「テーマパークの着ぐるみ」にでも見えているかのように抱き着いたりや頬を寄せたりや腕を組んだりとしている、笑顔の「少年とおじさんのツーショット」が何枚も並んでいた。
……そのどれもがプリントアウトなど出来そうにない画像だった。
「見せられない……」と虎呼郎は呟いた。
そのすぐ隣では少年が、
「どれにするー? 一枚だけなんだよねー、どれが良いかなー。あ、これは?」
楽しそうにスマホの画面を覗き込んでいた。
――結局、写真はきちんとしたものを撮り直す事となった。
少年を手頃な椅子に座らせて、虎呼郎はその斜め後ろに立った。
スマホを向こうの棚に置き、頑張って調べたセルフタイマー機能を使用して撮影をした。古い上流階級の家族写真のような一枚が出来上がった。
「これで良いかい?」
申し訳なさげに虎呼郎は聞いた。その画像は「無難」が前に出過ぎていて、被写体の表情が活き活きとしていた他のツーショット画像とは比べようのない出来となってしまっていた。少年は、
「この写真……なんだかおじさんが僕のお父さんみたいだね」
と呟いた。そして――「お父さん」という単語に虎呼郎が何かを思うよりも先に――少年は続けた。
「でも僕の『お父さん』はウチに居るから。おじさんは『パパ』かなあ」
「ぱ、ぱぱ――ッ!?」と虎呼郎は少年を見る。
「あはは」と少年は笑った。
「――パぁパ」と呟きながら少年はコツンと小さな頭を虎呼郎に預けてくる。
「パぁパ、ぱぁぱ、ぱーぱ、パァぱ、PaxAPa……」と深い深いエコーの掛かった少年の言葉が虎呼郎の脳内に響き渡る。これは……と虎呼郎は理解してしまった。
売春、援交、パパ活と時代と共に呼び名こそ変わろうともその実は変わらずに若い子が自分の事を商品に出来てしまうわけだ。若い子に買い手が付いてしまうわけだ。これは購買意欲が非常にそそられて―ーちがう、ちがう。そうじゃない。そういう話ではないぞ。これはマズい。これはヤバい。知らぬ内に虎呼郎の精神は広大な宇宙を漂ってしまっていた。下手をすれば帰ってこれなくなってしまう。
「……ぱッ、『パパ』呼びは禁止ッ!」
虎呼郎が吠える。
「えー」とは言いながら。少年もちょっと照れ臭そうな顔はしていた。
「何故ならばッ! おじさんはッ! 少年の『パパ』ではなくて『犬』だからッ!」
……何なのだろうか。新たな危険を回避しようとして、現在の深みに更にハマっていくこの感じ。何なのだろうか……。
所詮、おじさんと少年は相容れぬものだという事なのか。少年同士、おじさん同士のような同世代ならば、ぱぱっと簡単に済ませられたであろう写真の撮影程度でこの大騒ぎであった。
「ふぅ……」と溜め息を吐いてしまった虎呼郎の隣で少年は、
「あー、たのしかったーッ」
と無邪気に笑っていた。
その声に笑顔に、思わず「……ふッ」と虎呼郎の口元はまた綻んでしまっていた。
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