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【5】
幸せの種【前】
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窓から差す陽が真っ直ぐ床に落ちている。
北風が入らないように窓が閉められた室内は、暖炉で揺れている火と差し込む太陽の光で春先のように温かだった。
サイドテーブルの上に並んでいるのはお見舞いで貰ったプレゼント達。ベッドに腰を下ろすとそのひとつに手を伸ばし、小さな焼菓子を一つ取り出す。半分に割ると片方はポリポリと食べ、もう片方は大切にまた袋へと戻した。
口の中でじわりと滲む甘み。とても美味しい。魔法のアイテムがあるとしたらきっとこんな感じになるのかもしれない。
柔らかい風にも似た雰囲気に包まれる。しかし表情は何処か晴れない。
「また黄昏れてるのか?」
「!」
振り返るといつの間にか扉を開けていたフォルカーがリンゴを片手に立っていた。
「ほら、ご主人様からの差し入れだ」
軽く放られたそれを上手くキャッチする。良く熟した赤色は貴婦人のドレスのように艶やかだ。
「ありがとうございます。何かご用でも?あ、お茶のお代わり…」
「いんや、お前が何やってるのか見に来ただけ」
「そうですか」
「横に座っても?」
「あ…どうぞ」
慌てて立ち上がると布団を整える。主よりも先に小走りで近寄ってきた黒狼シーザーがポルトの指先を不思議そうに匂いを嗅ぐ。多分さっきの焼き菓子の匂いが残っているのだろう。
「机のそれ、喰いもんが入ってんだろ?まだ片づけてねえのか?」
「はい。やっぱり勢いで頂くのはちょっと勿体ないですから」
貰う時に『早めに食べてね』と言われたが、欲望の赴くまま勢いで食べて良い代物ではない。むしろ欲望の赴くまま超スローモードで大切に頂こうと思う。たとえ固くなってもカビても変色しても、食べきることを神様に証明してみせよう。
「ねずみにかじられるぞ」
「あ。それはダメです。あとで小箱を探しておきます。多分狼小屋の方に空いているのが……」
むむむ、と考え込む。隣で座っていたフォルカーが片膝に頬杖をついた。
「殿下?どうされました?」
「随分元気になったなーと思って。俺もお前に焼き菓子のひとつでもくれてやりゃ良かったのかな?」
「物で吊ればなんとでもなる奴みたいなこと言わないで下さい。それに……」
フォルカーの顔を見る。「なんだ?」と目配せをされ頬が淡く熱を持った。
「殿下が私に気を遣ってくれてることくらい、わかってますよ」
「………」
「最近……」
「?」
「あ…頭撫でないし……っ。それって私がしばらく人と距離を置いてたからでしょ……っ?」
どこかむず痒さがある気恥ずかしさに、お互い無言で顔を背ける。
ポルトの瞳にプレゼントの包みが再び映った。
「……ロイター様のこと、思っていたよりも大変でした。前は『自分のこと好きになってくれる人なら誰だって良い』って思ってたはずなのに。娼館の面接に行ったことだってあるのに……。変ですよね。なんだ、自分って結構我が侭だったんだなって…そんなこと考えてました」
「我が侭っつーか…普通のことだろ」
「……普通……。そう…ですね、きっとそれは『普通』のことで……」
そんなことを考えるようになった自分に少なからず驚きを感じる。
ベッドの縁にかかとを引っかけ、ぎゅっと膝を抱いた。
「エルゼ様にローガン様、それにメイドさん達や隊の皆、私の心配してくれて……すごく嬉しかった。本当に嬉しかったんです。でも……」
「でも?」
「軽蔑しないでくださいね」
「何だよ」
そこで逆説的な言葉が出ると思わなかったフォルカーが眉根を潜ませる。
ポルトの視線がどこか宙を見ながら胸の内をのぞかせるように口を開く。
「わからないんです。なんで皆がそんなことをしているのか……。心配してくれているのはわかっています。でも頭の中で理解しているだけで…うまく飲み込めない感じがずっとしています」
「納得いかねぇってことか?」
ポルトは沈黙でその問いに答える。
「だって……」
「?」
「……だって、こんなの意味ありますか?」
「はぁ?」
「声をかけて、物をあげて…それで治る確証なんてない。そもそも狼の世話以外に、私の体調で皆に影響することって無いと思うんです。だから……」
言葉が止まる。数度声もなくもどかしく動いた唇が胸の内の葛藤を物語る。
――――今更。
そうわかっていながらも状況を重ねてしまう記憶がある。
『あの時』も同じ場所で、きっと同じ人間がそこにいた。今とは比べもようもない程の枯れ果てた細木の心体を引きずり、城門をくぐった二年前。運良く死神の手から逃れてきた兵士達が『英雄』として地獄のような戦場から帰還したあの日。末端ではあれど確かに自分はその一員だった。
彼らを迎えるために飾られた花々は美しく咲き誇り、人々の歓声は年に一度のお祭りよりもずっと大きかった。まさにゴールに相応しい場所と言えただろう。
門をくぐり、そして現実を知った。
彼らの歓声は兵士というまとまりに向けられていただけで、慰労の声は自分の前で止まり、広げられた腕は横をすり抜け、笑顔は視界の外で大きな花を咲かせるということを。
ゴールだと思っていた場所にいたのは、こちらに意識すら向かない人々の塊。自分に声を掛ける者など一人も現れなかった。
迎えてくれる家族や友人がいたわけじゃない。彼らだって待ちに待った再会の時なのだ。仕方がないのはわかっている。
自分に残されているのは動く身体だけ。それを限界まで行使してもその結果。
思えば昔から誰かに認められたたことなんてろくに無かった。これが『自分の価値』なのだと自覚してしまう程に。
仕方ない。仕方ない。仕方ない。仕方ない。
いや、仕方がないと思うことすらきっと贅沢な話なのだと思っていた。
それがどうだろう。今、大きな傷ひとつない状況にもかかわらず、皆が声をかけてくる。心配そうな顔をして、この手を取り、優しい言葉をかけてくる。
その現実は嬉しくもあったが戸惑いを感じずにはいられなかった。
城で過ごした時間がそうさせたのかもしれない。でもわざわざ足を運んでまで励ますほどの存在なのか?
それほどの価値がこの身にあるとは……到底思えなかった。
故に戸惑うのだ。『何故?』と。
「皆さんにお裾分けの獲物を届けたところで、ここに住んで衣食住を保証されている皆からすればさほど大きな益にはなりません。私は暇を潰すネタにはなれど、わざわざ見舞いに来て再起を願うほどのものじゃない。それに殿下への取り次ぎも今は出来ませんし……。まだロイター様が私を襲った理由の方が腑に落ちます。身体だけは健康だしサイズも小さいし…。そういった目的には格好の獲物だったのでしょうね」
「そんなこと言われたら報われねぇな、お前も連中も」
その言葉に静かに頷いた。
「―――……。本当に申し訳ないと思っています」
「好意は素直に『ありがとう』って受け取っておけば済む話だろ」
「はい……。そうなんですけれど……」
今に始まったことじゃない。こういうとき、いつも気持ちに歯止めがかかってしまう。
光が強くなればなるほど影も濃く黒くなるように、嬉しいことが重なれば重なるほど疑念にも近い気持ちが胸の奥を占め、居座って離れなかった。
北風が入らないように窓が閉められた室内は、暖炉で揺れている火と差し込む太陽の光で春先のように温かだった。
サイドテーブルの上に並んでいるのはお見舞いで貰ったプレゼント達。ベッドに腰を下ろすとそのひとつに手を伸ばし、小さな焼菓子を一つ取り出す。半分に割ると片方はポリポリと食べ、もう片方は大切にまた袋へと戻した。
口の中でじわりと滲む甘み。とても美味しい。魔法のアイテムがあるとしたらきっとこんな感じになるのかもしれない。
柔らかい風にも似た雰囲気に包まれる。しかし表情は何処か晴れない。
「また黄昏れてるのか?」
「!」
振り返るといつの間にか扉を開けていたフォルカーがリンゴを片手に立っていた。
「ほら、ご主人様からの差し入れだ」
軽く放られたそれを上手くキャッチする。良く熟した赤色は貴婦人のドレスのように艶やかだ。
「ありがとうございます。何かご用でも?あ、お茶のお代わり…」
「いんや、お前が何やってるのか見に来ただけ」
「そうですか」
「横に座っても?」
「あ…どうぞ」
慌てて立ち上がると布団を整える。主よりも先に小走りで近寄ってきた黒狼シーザーがポルトの指先を不思議そうに匂いを嗅ぐ。多分さっきの焼き菓子の匂いが残っているのだろう。
「机のそれ、喰いもんが入ってんだろ?まだ片づけてねえのか?」
「はい。やっぱり勢いで頂くのはちょっと勿体ないですから」
貰う時に『早めに食べてね』と言われたが、欲望の赴くまま勢いで食べて良い代物ではない。むしろ欲望の赴くまま超スローモードで大切に頂こうと思う。たとえ固くなってもカビても変色しても、食べきることを神様に証明してみせよう。
「ねずみにかじられるぞ」
「あ。それはダメです。あとで小箱を探しておきます。多分狼小屋の方に空いているのが……」
むむむ、と考え込む。隣で座っていたフォルカーが片膝に頬杖をついた。
「殿下?どうされました?」
「随分元気になったなーと思って。俺もお前に焼き菓子のひとつでもくれてやりゃ良かったのかな?」
「物で吊ればなんとでもなる奴みたいなこと言わないで下さい。それに……」
フォルカーの顔を見る。「なんだ?」と目配せをされ頬が淡く熱を持った。
「殿下が私に気を遣ってくれてることくらい、わかってますよ」
「………」
「最近……」
「?」
「あ…頭撫でないし……っ。それって私がしばらく人と距離を置いてたからでしょ……っ?」
どこかむず痒さがある気恥ずかしさに、お互い無言で顔を背ける。
ポルトの瞳にプレゼントの包みが再び映った。
「……ロイター様のこと、思っていたよりも大変でした。前は『自分のこと好きになってくれる人なら誰だって良い』って思ってたはずなのに。娼館の面接に行ったことだってあるのに……。変ですよね。なんだ、自分って結構我が侭だったんだなって…そんなこと考えてました」
「我が侭っつーか…普通のことだろ」
「……普通……。そう…ですね、きっとそれは『普通』のことで……」
そんなことを考えるようになった自分に少なからず驚きを感じる。
ベッドの縁にかかとを引っかけ、ぎゅっと膝を抱いた。
「エルゼ様にローガン様、それにメイドさん達や隊の皆、私の心配してくれて……すごく嬉しかった。本当に嬉しかったんです。でも……」
「でも?」
「軽蔑しないでくださいね」
「何だよ」
そこで逆説的な言葉が出ると思わなかったフォルカーが眉根を潜ませる。
ポルトの視線がどこか宙を見ながら胸の内をのぞかせるように口を開く。
「わからないんです。なんで皆がそんなことをしているのか……。心配してくれているのはわかっています。でも頭の中で理解しているだけで…うまく飲み込めない感じがずっとしています」
「納得いかねぇってことか?」
ポルトは沈黙でその問いに答える。
「だって……」
「?」
「……だって、こんなの意味ありますか?」
「はぁ?」
「声をかけて、物をあげて…それで治る確証なんてない。そもそも狼の世話以外に、私の体調で皆に影響することって無いと思うんです。だから……」
言葉が止まる。数度声もなくもどかしく動いた唇が胸の内の葛藤を物語る。
――――今更。
そうわかっていながらも状況を重ねてしまう記憶がある。
『あの時』も同じ場所で、きっと同じ人間がそこにいた。今とは比べもようもない程の枯れ果てた細木の心体を引きずり、城門をくぐった二年前。運良く死神の手から逃れてきた兵士達が『英雄』として地獄のような戦場から帰還したあの日。末端ではあれど確かに自分はその一員だった。
彼らを迎えるために飾られた花々は美しく咲き誇り、人々の歓声は年に一度のお祭りよりもずっと大きかった。まさにゴールに相応しい場所と言えただろう。
門をくぐり、そして現実を知った。
彼らの歓声は兵士というまとまりに向けられていただけで、慰労の声は自分の前で止まり、広げられた腕は横をすり抜け、笑顔は視界の外で大きな花を咲かせるということを。
ゴールだと思っていた場所にいたのは、こちらに意識すら向かない人々の塊。自分に声を掛ける者など一人も現れなかった。
迎えてくれる家族や友人がいたわけじゃない。彼らだって待ちに待った再会の時なのだ。仕方がないのはわかっている。
自分に残されているのは動く身体だけ。それを限界まで行使してもその結果。
思えば昔から誰かに認められたたことなんてろくに無かった。これが『自分の価値』なのだと自覚してしまう程に。
仕方ない。仕方ない。仕方ない。仕方ない。
いや、仕方がないと思うことすらきっと贅沢な話なのだと思っていた。
それがどうだろう。今、大きな傷ひとつない状況にもかかわらず、皆が声をかけてくる。心配そうな顔をして、この手を取り、優しい言葉をかけてくる。
その現実は嬉しくもあったが戸惑いを感じずにはいられなかった。
城で過ごした時間がそうさせたのかもしれない。でもわざわざ足を運んでまで励ますほどの存在なのか?
それほどの価値がこの身にあるとは……到底思えなかった。
故に戸惑うのだ。『何故?』と。
「皆さんにお裾分けの獲物を届けたところで、ここに住んで衣食住を保証されている皆からすればさほど大きな益にはなりません。私は暇を潰すネタにはなれど、わざわざ見舞いに来て再起を願うほどのものじゃない。それに殿下への取り次ぎも今は出来ませんし……。まだロイター様が私を襲った理由の方が腑に落ちます。身体だけは健康だしサイズも小さいし…。そういった目的には格好の獲物だったのでしょうね」
「そんなこと言われたら報われねぇな、お前も連中も」
その言葉に静かに頷いた。
「―――……。本当に申し訳ないと思っています」
「好意は素直に『ありがとう』って受け取っておけば済む話だろ」
「はい……。そうなんですけれど……」
今に始まったことじゃない。こういうとき、いつも気持ちに歯止めがかかってしまう。
光が強くなればなるほど影も濃く黒くなるように、嬉しいことが重なれば重なるほど疑念にも近い気持ちが胸の奥を占め、居座って離れなかった。
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