お隣のイケメンさんは、私を喰べたいほど愛してる(物理)九尾の狐様でした

うはっきゅう

文字の大きさ
2 / 4

第2話:残された痕跡と、夜中の囁き

しおりを挟む
 あの日の夜から、私の日常は少しだけ、いや、大きく変わってしまった。 アパートの自室に閉じこもってからも、心臓はまるでマラソンでもしたかのように暴れ続けていた。耳の奥では、彼の「食べたい」という言葉が、甘く、そして不気味な響きでこだまする。

(まさか、本当に変な人だったりして……?)

 ベッドに横になっても、一向に眠気が訪れない。昼間の彼の完璧な美貌と、一瞬だけ見せた獣のような瞳のギャップに、頭の中がぐるぐるしていた。 そして、あの甘くて、少し獣めいた香り。部屋にまで染み込んできそうなほど濃密で、抗いがたい魅力を放っていた。

 翌朝、重い瞼をこすりながら何とか会社に向かう。当然、隣の102号室からは何の気配も感じられなかった。

 (そりゃそうだよね、たまたま居合わせただけなんだから) 

そう自分に言い聞かせながら、私はどこか拍子抜けしている自分にも気づいていた。

 会社ではいつも通り、山積みの仕事に追われた。企画書作成、会議の議事録、来客対応。目の前のタスクを機械的にこなしていると、昨夜の出来事も、まるで夢のようだった。

 ところが。 会社から帰り、アパートの階段を上っていると、またしてもあの香りが、ほんのりと漂ってきたのだ。 

(え……?) 

まさか、隣の部屋から?  思わず102号室のドアを見つめる。ドアノブには、昨日にはなかった小さな飾りがかけられていた。和紙でできた、どこか古風な、きつねの形をしたオーナメント。

(ふふ、もしかして、お土産かな?  可愛い)

 そんなことを思いながら、自分の部屋の鍵を開けようとして――指が、ぴたりと止まった。 ドアノブに、うっすらと、何かが付着している。 それは、まるで粉雪のように白い、ふわふわとした毛だった。長さは二、三センチ。陽光に当たると、僅かに金色の光を放っている。

「……え?」

 思わず指でつまんでみる。柔らかく、シルクのような肌触り。 まさか、あの九条さんの髪の毛?  いや、でも、こんなにフワフワした髪の人なんて……

 突然、背筋に冷たいものが走った。 あの時、刹那さんの部屋から漂ってきた、獣めいた香り。 そして、この白い毛。

 まさか……本当に、「獣」?  そんな馬鹿な。私は思わず、ゾッとして後ずさった。

 夜が更け、電気を消してベッドに横になる。今日の出来事を反芻するうち、眠気は完全にどこかへ吹き飛んでいた。 あの白い毛は、いったい何の毛だったんだろう。 九条さんの、あの人間離れした美しさ。 そして、あの瞳の奥に宿っていた、得体のしれない光。

(考えすぎだよ、私。疲れてるんだ)

 そう言い聞かせた、その時だった。

 コンコンコン……

 かすかに、壁を叩くような音がした。 私の部屋と、九条さんの部屋を隔てる薄い壁。そこから聞こえる、ごく小さなノックのような音。 心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。

(まさか……)

 息を殺して耳を澄ます。 コンコンコン…… やはり、聞こえる。それはまるで、私の心臓の音に合わせて叩かれているかのようだった。

 次の瞬間。 「……美咲さん」

 壁の向こうから、甘く、低い声が響いてきた。 刹那さんの声だ。 私の名前を、呼んでいる。

 全身の毛穴がぶわっと開く。 (どうして……私の名前を……!?) 名乗った時に、苗字しか伝えていないはずだ。なのに、彼は私の下の名前を知っている。

「起きてますか?」 囁くような声は、壁一枚隔てているとは思えないほど、すぐそこで語りかけられているように聞こえる。 それはまるで、私だけに向けて、秘密を共有するかのような、甘い響きだった。

「どうかしましたか?」 返事をしない私を待つように、少し間が空く。 そして、彼の声は、さらに甘く、そして少しだけ、焦がれるような色を帯びて聞こえた。

「……貴女が、俺の部屋に、来てくれるのを待ってるんですよ」

 ―――その言葉は、私に選択を迫っていた。 このまま恐怖に震えながら朝を待つか。 それとも、この壁の向こうにいる、美しくも危険な謎の隣人の元へ、足を踏み入れるか。

 私の平凡な日常は、もうとっくに終わりを告げていた。 この壁の向こうには、甘い誘惑と、未知の危険が、口を開けて待っている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

私が……王太子……のはずだったのに??

#Daki-Makura
ファンタジー
最愛と朝を迎えたら……城下が騒がしい……?? 一体……何が起きているのか……??

ガーランド大陸魔物記  人類が手放した大陸の調査記録

#Daki-Makura
ファンタジー
※タイトルを変更しました。 人類が植物に敗北した大陸〝ガーランド大陸〟 200年が経ち、再び大陸に入植するためにガーランド大陸の生態系。特に魔物の調査が行われることになった。 これは調査隊として派遣されたモウナイ王国ファートン子爵家三男 アンネスト•ファートンが記した魔物に関する記録である。 ※昔に他サイトで掲載した物語に登場するものもあります。設定なども使用。 ※設定はゆるゆるです。ゆるくお読みください。 ※誤字脱字失礼します。 ※一部AIを使用。(AI校正、誤字検索、添削等) ※その都度、修正させてもらっています。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

【完結】勇者の息子

つくも茄子
ファンタジー
勇者一行によって滅ぼされた魔王。 勇者は王女であり聖女である女性と結婚し、王様になった。 他の勇者パーティーのメンバー達もまた、勇者の治める国で要職につき、世界は平和な時代が訪れたのである。 そんな誰もが知る勇者の物語。 御伽噺にはじかれた一人の女性がいたことを知る者は、ほとんどいない。 月日は流れ、最年少で最高ランク(S級)の冒険者が誕生した。 彼の名前はグレイ。 グレイは幼い頃から実父の話を母親から子守唄代わりに聞かされてきた。 「秘密よ、秘密――――」 母が何度も語る秘密の話。 何故、父の話が秘密なのか。 それは長じるにつれ、グレイは理解していく。 自分の父親が誰なのかを。 秘密にする必要が何なのかを。 グレイは父親に似ていた。 それが全ての答えだった。 魔王は滅びても残党の魔獣達はいる。 主を失ったからか、それとも魔王という楔を失ったからか。 魔獣達は勢力を伸ばし始めた。 繁殖力もあり、倒しても倒しても次々に現れる。 各国は魔獣退治に頭を悩ませた。 魔王ほど強力でなくとも数が多すぎた。そのうえ、魔獣は賢い。群れを形成、奇襲をかけようとするほどになった。 皮肉にも魔王という存在がいたゆえに、魔獣は大人しくしていたともいえた。 世界は再び窮地に立たされていた。 勇者一行は魔王討伐以降、全盛期の力は失われていた。 しかも勇者は数年前から病床に臥している。 今や、魔獣退治の英雄は冒険者だった。 そんな時だ。 勇者の国が極秘でとある人物を探しているという。 噂では「勇者の子供(隠し子)」だという。 勇者の子供の存在は国家機密。だから極秘捜査というのは当然だった。 もともと勇者は平民出身。 魔王を退治する以前に恋人がいても不思議ではない。 何故、今頃になってそんな捜査が行われているのか。 それには理由があった。 魔獣は勇者の国を集中的に襲っているからだ。 勇者の子供に魔獣退治をさせようという魂胆だろう。 極秘捜査も不自然ではなかった。 もっともその極秘捜査はうまくいっていない。 本物が名乗り出ることはない。

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

処理中です...