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第三章 田島歩
第二十四話
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朝練は本当に毎日続いて、僕は最初、それが嫌で嫌でたまらなかった。
毎朝起きるのがつらくて仕方なく、何度だってやめたいと言おうと思った。でも、僕にそんな勇気はなかった。教室では僕と祐斗と橋本くんがお決まりの三人組で、もう戻れる場所はない。だから、惰性で猛特訓に参加していた。
梅雨になり、雨が降れば、祐斗は廊下を使ってフットワークの練習をしたり、筋トレをしたりした。夏が迫り、熱くなると、祐斗は第二グラウンドの隅にある水道に、どこからか持ってきたホースを差して水浴びをした。ランニングをして、水浴びをして、水泳の授業用に持ってきたタオルで身体を拭き、また別のトレーニングを始める。
普段は使っていない第二グラウンドとはいえ、最初は誰かに見つかるんじゃないかと思ったけれど、不思議と誰にも見つからなかった。でも、偶然そこを見回った校務員さんが謎の水たまりを発見して、それは学校中の噂になって、そこで僕たちは水浴びをやめた。
夏休みが始まると同時に、第二グラウンドでは新校舎の建築が始まり、一番古い校舎が取り壊されてそこが新しい第二グラウンドになると僕は初めて知った。
先生たちはそれを知っていて、だから使用しなかったのだ
「祐斗、知ってたの?」
「いや、知らなかった。でも、誰も使ってなかったからさ。注意されたらやめればいいと思って」
僕と橋本くんは顔を見合わせた。
一学期の期末テストが終わったあと、夏休みに入る前。
先生たちもどことなく適当に授業をやっているように思えるような、宙にぽっかりと浮いたような時間。
僕たちのあいだで、ある決定的な会話が交わされたのはそういう時期だった。
「夏休みだな」
昼休み、三人で弁当を食べていると、会話の途切れたタイミングで橋本くんがそう呟いた。
「そうだね、橋本くんはなにかするの?」
「一日一曲アップかな」
「本気で?」
「いや、やっぱ週一で」
真偽のほどは分からないが、橋本くんは自分の歌をネットの動画投稿サイトに上げているらしい。ちょっと痛いけど、橋本くんならやってそうではある。
「あとは原画展に行くとか、同人誌即売会に行くとか」
「このへんでやってるの?」
「東京だよ」
「お金は?」
「貯めた」
橋本くんは眉をぴくりと上げて少し自慢げだ。その様子を不服そうな顔で見つめていたのが祐斗である。
「部活はどうすんだよ?」
「まぁ、一日、二日は休むかも」
あっさりと言った橋本くんに、祐斗はじっとりとした視線を浴びせる。
「逆に祐斗は毎日部活行くの?」
「それしかやることないしな」
橋本くんは祐斗から僕へと視線を移す。
「田島は?」
「僕も部活メインかな」
二か月も特訓を続けていると成果が出てくるようで、卓球でも身体がすいすいと動くようになっていた。二人との差はまだまだ大きいから口には出さないけれど、僕は自分自身の成長を感じていて、部活に行くのが楽しくなってきていた。
「卓球部ってそんなに練習してるのか?」
「バド部と比べるとそうでもかな。練習も午前か午後だけだし。週一で休みあるし」
野球部とサッカー部、それにバスケ部がスポーツ推薦者で占められているので、普通科や特進科で運動ができる生徒はそれ以外の部活に流れる。
伝統あるぐうたら部であり、マンモス私立なのにコートが三面しかないテニス部も、練習場所がなかなか確保できずに廊下で練習している卓球部もそういう人たちに人気がない。
というか、卓球部も結構伝統あるぐうたら部だと思う。
そこで白羽の矢が立つのは陸上部、バレー部、そしてバドミントン部であり、徒手空拳なら陸上、球に触れたいならバレー、ラケット競技ならバドミントン部だ。
一学年十六クラスだからそれぞれの部員数も多く、大会でもいいところまで勝ち進んでいる。もちろん、練習はそのぶん厳しいらしい。
「じゃあ結構暇じゃん」
橋本くんは僕を指さしながら言う。
「いやいや、やることあるよ。ゲームとか」
僕は本音でそう答える。祐斗は何も言わないけれど、「ふぅん」という無関心が表情に書いてある。橋本くんはそんな祐斗の横顔を一瞥し、突然にやにやし始めた。
「夏休みだな」
「さっきも言ったじゃん」
「踊るか」
祐斗は無表情のまま橋本くんの顔をましまじと見つめた。僕も多分、同じような表情と視線だったと思う。
「『なに踊んの?』って聞いてくれよ」
橋本くんが手のひらを胸に当てて催促するが、祐斗は眉根を寄せ、問題を別の角度から追求し始めた。
「いつ、どこで、誰と踊るんだよ」
「難問だな」
橋本くんはわざとらしく顔をしかめて腕を組み、そして口角を爽やかな角度にすると、ゆっくりと口を開いた。
「文化祭のときに、ステージの上で、俺たちだけで踊るってのはどうだろう。文化祭はちょうど夏休み明けだしさ」
橋本くんはしっとりとした目つきで僕を見てきた。祐斗を乗せるために賛成しろということだろう。
でも、そんなわけにはいかない。橋本くんはともかく、僕はそういうタイプじゃないんだ。憧れはあるけれど、でも、舞台の上に立ったって、冷たい視線や気まずい空気を生むだけだ。
「いいんじゃない」
僕は思わず「えっ」と口に出してしまった。祐斗が真顔で賛意を表明したからである。自分で提案したくせに、橋本くんも呆然としている。
「いいのかよ、祐斗」
「楽しそうじゃん」
ちょっとだけ微笑む祐斗につられて、僕も思わずにやりとしてしまった。橋本くんも口元を綻ばせる。祐斗がこういうことに乗ってくるのは珍しい。
寡黙というほどではないが無口なほうであり、バドミントンに熱中しているので他のことには興味を示さない。そんな人物である祐斗が、余興のようなことに参加しようというのは本当に珍しい。
「田島もやるだろ?」
一応の確認、という口調で橋本くんは僕を誘う。
僕は苦笑いしながら、心臓の嫌な鼓動を感じながら、渋々うなずいた。
この二人に付き合わなければ教室に居場所はない。
それに、どうせ夏休みに予定なんてないから、こういう用事を作って外出できるのはありがたくもある。
友達と遊ぶ予定のない息子に語りかける母の声色には憐みがこもっていて、変に気遣われたりして、けっこう嫌だった。もちろん、予定のない僕が悪いのだけれど。
「じゃあ、部活が終わった後にでも練習するか。週二回くらいで」
橋本くんは手を後頭部で組み、背をのけぞらせながら言った。夏休みが来るのが楽しみでたまらないとでも言いたげな橋本くんの表情にげんなりしながら、まぁ、いざとなれば仮病使って本番を休めばいいやと僕は思っていた。
そしてこの頃から、僕は薄々感じ始めていた。踊るのにはお金がかからない。もしかしたら、祐斗が乗り気なのは、そういう理由もあるのかもしれない。
毎朝起きるのがつらくて仕方なく、何度だってやめたいと言おうと思った。でも、僕にそんな勇気はなかった。教室では僕と祐斗と橋本くんがお決まりの三人組で、もう戻れる場所はない。だから、惰性で猛特訓に参加していた。
梅雨になり、雨が降れば、祐斗は廊下を使ってフットワークの練習をしたり、筋トレをしたりした。夏が迫り、熱くなると、祐斗は第二グラウンドの隅にある水道に、どこからか持ってきたホースを差して水浴びをした。ランニングをして、水浴びをして、水泳の授業用に持ってきたタオルで身体を拭き、また別のトレーニングを始める。
普段は使っていない第二グラウンドとはいえ、最初は誰かに見つかるんじゃないかと思ったけれど、不思議と誰にも見つからなかった。でも、偶然そこを見回った校務員さんが謎の水たまりを発見して、それは学校中の噂になって、そこで僕たちは水浴びをやめた。
夏休みが始まると同時に、第二グラウンドでは新校舎の建築が始まり、一番古い校舎が取り壊されてそこが新しい第二グラウンドになると僕は初めて知った。
先生たちはそれを知っていて、だから使用しなかったのだ
「祐斗、知ってたの?」
「いや、知らなかった。でも、誰も使ってなかったからさ。注意されたらやめればいいと思って」
僕と橋本くんは顔を見合わせた。
一学期の期末テストが終わったあと、夏休みに入る前。
先生たちもどことなく適当に授業をやっているように思えるような、宙にぽっかりと浮いたような時間。
僕たちのあいだで、ある決定的な会話が交わされたのはそういう時期だった。
「夏休みだな」
昼休み、三人で弁当を食べていると、会話の途切れたタイミングで橋本くんがそう呟いた。
「そうだね、橋本くんはなにかするの?」
「一日一曲アップかな」
「本気で?」
「いや、やっぱ週一で」
真偽のほどは分からないが、橋本くんは自分の歌をネットの動画投稿サイトに上げているらしい。ちょっと痛いけど、橋本くんならやってそうではある。
「あとは原画展に行くとか、同人誌即売会に行くとか」
「このへんでやってるの?」
「東京だよ」
「お金は?」
「貯めた」
橋本くんは眉をぴくりと上げて少し自慢げだ。その様子を不服そうな顔で見つめていたのが祐斗である。
「部活はどうすんだよ?」
「まぁ、一日、二日は休むかも」
あっさりと言った橋本くんに、祐斗はじっとりとした視線を浴びせる。
「逆に祐斗は毎日部活行くの?」
「それしかやることないしな」
橋本くんは祐斗から僕へと視線を移す。
「田島は?」
「僕も部活メインかな」
二か月も特訓を続けていると成果が出てくるようで、卓球でも身体がすいすいと動くようになっていた。二人との差はまだまだ大きいから口には出さないけれど、僕は自分自身の成長を感じていて、部活に行くのが楽しくなってきていた。
「卓球部ってそんなに練習してるのか?」
「バド部と比べるとそうでもかな。練習も午前か午後だけだし。週一で休みあるし」
野球部とサッカー部、それにバスケ部がスポーツ推薦者で占められているので、普通科や特進科で運動ができる生徒はそれ以外の部活に流れる。
伝統あるぐうたら部であり、マンモス私立なのにコートが三面しかないテニス部も、練習場所がなかなか確保できずに廊下で練習している卓球部もそういう人たちに人気がない。
というか、卓球部も結構伝統あるぐうたら部だと思う。
そこで白羽の矢が立つのは陸上部、バレー部、そしてバドミントン部であり、徒手空拳なら陸上、球に触れたいならバレー、ラケット競技ならバドミントン部だ。
一学年十六クラスだからそれぞれの部員数も多く、大会でもいいところまで勝ち進んでいる。もちろん、練習はそのぶん厳しいらしい。
「じゃあ結構暇じゃん」
橋本くんは僕を指さしながら言う。
「いやいや、やることあるよ。ゲームとか」
僕は本音でそう答える。祐斗は何も言わないけれど、「ふぅん」という無関心が表情に書いてある。橋本くんはそんな祐斗の横顔を一瞥し、突然にやにやし始めた。
「夏休みだな」
「さっきも言ったじゃん」
「踊るか」
祐斗は無表情のまま橋本くんの顔をましまじと見つめた。僕も多分、同じような表情と視線だったと思う。
「『なに踊んの?』って聞いてくれよ」
橋本くんが手のひらを胸に当てて催促するが、祐斗は眉根を寄せ、問題を別の角度から追求し始めた。
「いつ、どこで、誰と踊るんだよ」
「難問だな」
橋本くんはわざとらしく顔をしかめて腕を組み、そして口角を爽やかな角度にすると、ゆっくりと口を開いた。
「文化祭のときに、ステージの上で、俺たちだけで踊るってのはどうだろう。文化祭はちょうど夏休み明けだしさ」
橋本くんはしっとりとした目つきで僕を見てきた。祐斗を乗せるために賛成しろということだろう。
でも、そんなわけにはいかない。橋本くんはともかく、僕はそういうタイプじゃないんだ。憧れはあるけれど、でも、舞台の上に立ったって、冷たい視線や気まずい空気を生むだけだ。
「いいんじゃない」
僕は思わず「えっ」と口に出してしまった。祐斗が真顔で賛意を表明したからである。自分で提案したくせに、橋本くんも呆然としている。
「いいのかよ、祐斗」
「楽しそうじゃん」
ちょっとだけ微笑む祐斗につられて、僕も思わずにやりとしてしまった。橋本くんも口元を綻ばせる。祐斗がこういうことに乗ってくるのは珍しい。
寡黙というほどではないが無口なほうであり、バドミントンに熱中しているので他のことには興味を示さない。そんな人物である祐斗が、余興のようなことに参加しようというのは本当に珍しい。
「田島もやるだろ?」
一応の確認、という口調で橋本くんは僕を誘う。
僕は苦笑いしながら、心臓の嫌な鼓動を感じながら、渋々うなずいた。
この二人に付き合わなければ教室に居場所はない。
それに、どうせ夏休みに予定なんてないから、こういう用事を作って外出できるのはありがたくもある。
友達と遊ぶ予定のない息子に語りかける母の声色には憐みがこもっていて、変に気遣われたりして、けっこう嫌だった。もちろん、予定のない僕が悪いのだけれど。
「じゃあ、部活が終わった後にでも練習するか。週二回くらいで」
橋本くんは手を後頭部で組み、背をのけぞらせながら言った。夏休みが来るのが楽しみでたまらないとでも言いたげな橋本くんの表情にげんなりしながら、まぁ、いざとなれば仮病使って本番を休めばいいやと僕は思っていた。
そしてこの頃から、僕は薄々感じ始めていた。踊るのにはお金がかからない。もしかしたら、祐斗が乗り気なのは、そういう理由もあるのかもしれない。
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