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第四章 高濱弥生
第三十七話
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わたしは田島くんの話にじっと耳を傾けた。話したことなんてほとんどないのに、教室で笑顔になる富田くんの表情が浮かんでくる。
わたしはこういう話に感情移入してしまう性格だ。インターネットの記事でも、テレビで紹介される芸能人の生い立ちでも、教科書に載っている話でも。
それでもこのときは、もう一人の自分がこみ上げる涙を冷笑した。可哀そうだって思うことが失礼だよ。自惚れるな。田島くんや栢原さんの淡々とした様子を見たまえ。本当に友人を想っているなら、馬鹿みたいに泣いたりしない。こうやって行動して、解決策を探るんだよ。
「だから、お願いっていうのはさ」
田島くんが一通り話し終えてから、一呼吸おいて、栢原さんが決然と言った。
「祐斗のために寄付金を集めたいってこと。クラスで一人一万円弱。出せるでしょ?」
そう、栢原さんは言った。出せるでしょ?
「一万円? 高校生がぱっと出せる金額じゃないよ」
わたしは助けを期待して、田島くんを見上げる。田島くんは半ば恐れるようにして栢原さんへと視線を泳がせたけれど、栢原さんは冷然と田島くんを睨み返すだけだった。
「おれは出せるけど。お年玉貯めてるし」
卑怯な田島くんに、わたしは失望した。
「高濱さんは出せるの?」
「出せるけど」
「じゃあ、出しなよ」
「でも、わたしたちだけじゃなくて、みんなが払えるかどうかが問題じゃん」
「払える人が払えるだけ払ったらいいよ」
「そんなの不公平だよ」
「一番不公平なのは祐斗が修学旅行に行けないことでしょ?」
わたしは目と耳を同時に疑った。栢原さんはもっと大人しくて、こんなことを言う人じゃない。
「払うよ。一万円。明日でいい?」
わたしは折れた。わたし自身が寄附をすることに異存はない。でも、全体として、もっと平等で、公平な方法があるんじゃないかと思うとき、わたしは胸がむずむずする。
「よかった。でも、この調子でみんなから集めるの?」
田島くんが淡々と栢原さんに尋ねて、栢原さんは失望を前面に押し出して眉を歪ませる。
「そんなわけないじゃん。それじゃあ、今日、高濱さんを呼び出した意味がない」
栢原さんがわたしの瞳を横目で覗く。正門の方から、先生が叫んでいる声が聞こえてきた。早くしろー。遅刻しそうな生徒を呼ぶ、ちょっと間抜けな声。
「わたし、なんで呼び出されたの?」
「これからクラスのみんなに寄附をお願いする。高濱さんも一緒に、こっち側でやって欲しい」
栢原さんの声は、中庭の新緑よりも澄んでいるように感じられた。
小学生のわたしならば、栢原さんが言う前にこの提案をしただろう。「富田くんが修学旅行に行けない? じゃあ、みんなからお金を集めよう」そんな思想をおくびもなく振りかざす委員長だった。
そして中学生の、浅間くんと出会う前のわたしだったら、栢原さんの提案を二つ返事で応諾していただろう。様子見をしつつも、でも、心ではたわいない正義のための行動に憧れていて、同志が見つかれば瞳を輝かせたに違いない。
けれども、いまではもう一人の自分がわたしを止める。これはヤバい案件だぞ。ひんしゅくを買う程度では済まされない。
確かに、ここまでは教室が魔法にでもかかったのかというくらい上手くやれてきた。体育祭では応援団の一年生代表だったし。遠足は実行委員だったし、文化祭だって自分の提案を通して仕切ってきた。合唱大会も、自分では指導できないけど、衣装や髪形を揃えたのはわたしだという自負がある。弱小だけど熱血な女子ソフトボール部もお気に入りだ。練習熱心でも、自分を押し殺すことが必要なら、それは青春じゃないと思う。中学校のソフトボール部で、ただ機械的に身体を動かしていた練習とは違う。
「高濱さん」
田島くんが不安そうな顔でわたしに語りかける。栢原さんの頼みを承諾して欲しいのか、拒絶して欲しいのか、高濱さん、のあとにはどんな言葉を続けようとしたのか、田島くんの顔からは判別できない。
橋本くんと富田くん、それに田島くんは、三人で早朝に特訓をしているらしい。わたしはその姿を見たことがないけれど、初夏の陽光を浴びた田島くんからは、ほのかに男子の汗の匂いが漂っていた。わたしは実のところ、この匂いがあんまり好きじゃない。多分、わがままなんだと思う。何事も、綺麗で清潔感があった方がいい。
「でも」
わたしは拒絶しかけた。そうだ。ここまで上手くやってきた、この立場を失いたくない。いつもクラスを仕切っている人間が突然前に立って、「かわいそうな富田くんのために寄附しましょー」なんて言いだしたら。
もちろん、そんな露骨な方法は執らない。富田くんに気づかれないように、こそこそとやるのだろう。でも、実質は一緒だ。正義感を振りかざして、リーダーを気取って、一万円を貪ろうとにやつく学級副委員長。最悪だ。この案件はいままでとは明らかに違う。クラスのみんなで利益を分かち合えるものじゃない。文化祭でも合唱大会でも、みんなの本当の気持ちを考えながら、参加するコストやハードルが低くて、成功の喜びや一体感みたいなリターンが大きくなるように考えてきた。
でも、この案件はそもそもが真逆なのだ。誰にとっても、コストが高くてリターンはないに等しい。やめておこう、やめておこう。
「でも?」
栢原さんが聞き返す。栢原さんの瞳には迷いがない。
この頼みを断るなんて、そっちの方が馬鹿らしいよ。
いつのまにか、三人目の自分が心に現れる。ランドセルを背負った、小学生の自分。ここであたしの言うことを聞けなかったら、もう二度とあたしは現れない。だから、ここで一歩を踏み出せなかったら、あなたはもう二度と踏み出せない。
わたしはこういう話に感情移入してしまう性格だ。インターネットの記事でも、テレビで紹介される芸能人の生い立ちでも、教科書に載っている話でも。
それでもこのときは、もう一人の自分がこみ上げる涙を冷笑した。可哀そうだって思うことが失礼だよ。自惚れるな。田島くんや栢原さんの淡々とした様子を見たまえ。本当に友人を想っているなら、馬鹿みたいに泣いたりしない。こうやって行動して、解決策を探るんだよ。
「だから、お願いっていうのはさ」
田島くんが一通り話し終えてから、一呼吸おいて、栢原さんが決然と言った。
「祐斗のために寄付金を集めたいってこと。クラスで一人一万円弱。出せるでしょ?」
そう、栢原さんは言った。出せるでしょ?
「一万円? 高校生がぱっと出せる金額じゃないよ」
わたしは助けを期待して、田島くんを見上げる。田島くんは半ば恐れるようにして栢原さんへと視線を泳がせたけれど、栢原さんは冷然と田島くんを睨み返すだけだった。
「おれは出せるけど。お年玉貯めてるし」
卑怯な田島くんに、わたしは失望した。
「高濱さんは出せるの?」
「出せるけど」
「じゃあ、出しなよ」
「でも、わたしたちだけじゃなくて、みんなが払えるかどうかが問題じゃん」
「払える人が払えるだけ払ったらいいよ」
「そんなの不公平だよ」
「一番不公平なのは祐斗が修学旅行に行けないことでしょ?」
わたしは目と耳を同時に疑った。栢原さんはもっと大人しくて、こんなことを言う人じゃない。
「払うよ。一万円。明日でいい?」
わたしは折れた。わたし自身が寄附をすることに異存はない。でも、全体として、もっと平等で、公平な方法があるんじゃないかと思うとき、わたしは胸がむずむずする。
「よかった。でも、この調子でみんなから集めるの?」
田島くんが淡々と栢原さんに尋ねて、栢原さんは失望を前面に押し出して眉を歪ませる。
「そんなわけないじゃん。それじゃあ、今日、高濱さんを呼び出した意味がない」
栢原さんがわたしの瞳を横目で覗く。正門の方から、先生が叫んでいる声が聞こえてきた。早くしろー。遅刻しそうな生徒を呼ぶ、ちょっと間抜けな声。
「わたし、なんで呼び出されたの?」
「これからクラスのみんなに寄附をお願いする。高濱さんも一緒に、こっち側でやって欲しい」
栢原さんの声は、中庭の新緑よりも澄んでいるように感じられた。
小学生のわたしならば、栢原さんが言う前にこの提案をしただろう。「富田くんが修学旅行に行けない? じゃあ、みんなからお金を集めよう」そんな思想をおくびもなく振りかざす委員長だった。
そして中学生の、浅間くんと出会う前のわたしだったら、栢原さんの提案を二つ返事で応諾していただろう。様子見をしつつも、でも、心ではたわいない正義のための行動に憧れていて、同志が見つかれば瞳を輝かせたに違いない。
けれども、いまではもう一人の自分がわたしを止める。これはヤバい案件だぞ。ひんしゅくを買う程度では済まされない。
確かに、ここまでは教室が魔法にでもかかったのかというくらい上手くやれてきた。体育祭では応援団の一年生代表だったし。遠足は実行委員だったし、文化祭だって自分の提案を通して仕切ってきた。合唱大会も、自分では指導できないけど、衣装や髪形を揃えたのはわたしだという自負がある。弱小だけど熱血な女子ソフトボール部もお気に入りだ。練習熱心でも、自分を押し殺すことが必要なら、それは青春じゃないと思う。中学校のソフトボール部で、ただ機械的に身体を動かしていた練習とは違う。
「高濱さん」
田島くんが不安そうな顔でわたしに語りかける。栢原さんの頼みを承諾して欲しいのか、拒絶して欲しいのか、高濱さん、のあとにはどんな言葉を続けようとしたのか、田島くんの顔からは判別できない。
橋本くんと富田くん、それに田島くんは、三人で早朝に特訓をしているらしい。わたしはその姿を見たことがないけれど、初夏の陽光を浴びた田島くんからは、ほのかに男子の汗の匂いが漂っていた。わたしは実のところ、この匂いがあんまり好きじゃない。多分、わがままなんだと思う。何事も、綺麗で清潔感があった方がいい。
「でも」
わたしは拒絶しかけた。そうだ。ここまで上手くやってきた、この立場を失いたくない。いつもクラスを仕切っている人間が突然前に立って、「かわいそうな富田くんのために寄附しましょー」なんて言いだしたら。
もちろん、そんな露骨な方法は執らない。富田くんに気づかれないように、こそこそとやるのだろう。でも、実質は一緒だ。正義感を振りかざして、リーダーを気取って、一万円を貪ろうとにやつく学級副委員長。最悪だ。この案件はいままでとは明らかに違う。クラスのみんなで利益を分かち合えるものじゃない。文化祭でも合唱大会でも、みんなの本当の気持ちを考えながら、参加するコストやハードルが低くて、成功の喜びや一体感みたいなリターンが大きくなるように考えてきた。
でも、この案件はそもそもが真逆なのだ。誰にとっても、コストが高くてリターンはないに等しい。やめておこう、やめておこう。
「でも?」
栢原さんが聞き返す。栢原さんの瞳には迷いがない。
この頼みを断るなんて、そっちの方が馬鹿らしいよ。
いつのまにか、三人目の自分が心に現れる。ランドセルを背負った、小学生の自分。ここであたしの言うことを聞けなかったら、もう二度とあたしは現れない。だから、ここで一歩を踏み出せなかったら、あなたはもう二度と踏み出せない。
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