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決意
そばにいろ
しおりを挟むおしんは、荷物を胸に抱き、出口へ向かっていた。
その背中は震えている。
「……来ないでください。源蔵様は、人間の世界で生きてください。私と関われば、あなたまで『闇』に飲み込まれてしまいます」
彼女は、源蔵を巻き込みたくない一心で、愛する男を拒絶しようとしていた。
だが、その手が戸に触れるより早く、ドンッ!と目の前の柱に何かが突き刺さった。
源蔵が投げた、手拭いだった。
布切れ一枚とは思えぬ鋭さで、堅い木に深々と食い込んでいる。
「……待て」
低い声が、おしんの足を縫い止めた。
源蔵は、胡座(あぐら)をかいたまま、静かに盃を傾けていた。
「一つ、勘違いをしておらんか」
「……え?」
「お前は、俺がその『ブラックドラゴン』とかいうトカゲ風情に負けるとでも思っているのか?」
おしんは振り返り、必死に首を振った。
「違います!でも、相手は魔獣です!空間を操り、重力をねじ曲げる悪魔です!人間の剣など、届くはずが……」
「届くさ」
源蔵は短く断言し、ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間、部屋の空気が張り詰めた。殺気ではない。もっと純粋な、研ぎ澄まされた「剣気」だ。
「俺はな、おしん。この刀一本で生きてきた。風も、水も、雷も斬ってきた。……この世に、俺に斬れぬものなどない」
彼は、呆然とするおしんの目の前まで歩み寄り、その震える肩を掴んだ。
「お前が背負っている『竜の宿命』だか『滅びの運命』だか知らんが……そんなものは、俺が代わりに斬り捨ててやる」
「源蔵様、それは……」
「賭けをしよう」
源蔵は、泣き出しそうな彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、不敵に笑った。
「俺がお前の敵を――その真っ黒な災厄を叩き斬れるかどうか。俺の命を賭けて証明してやる」
「な……なぜ、そこまで……」
おしんの声が震える。
ただの人間が、神話の戦いに身を投じる理由などないはずだ。
だが、源蔵は事もなげに言った。
「お前のその業(ごう)、儂(わし)が肩代わりすることにしよう」
そして、まるで「明日の天気の話」でもするかのように、しかし心臓を鷲掴みにするような熱さで続けた。
「それが、好いた女子(おなご)へ向けるべき行為であろう?」
時が止まった。
おしんの風呂敷包みが、手から滑り落ちた。
言葉も出なかった。
この男は、自分を守るために死ぬと言っているのではない。
**「お前の不幸ごと全部もらってやるから、黙って俺のそばにいろ」**と言っているのだ。
なんという傲慢。なんという強さ。
そして、なんという……愛。
「……う、うあぁぁぁ……!」
おしんは崩れ落ち、源蔵の胸に顔を埋めて泣き崩れた。
もう、突き放すことなどできなかった。
この不器用で最強の剣士に、魂ごと抱きすくめられてしまったのだから。
源蔵は、泣きじゃくる彼女の銀髪を、無骨な手で優しく撫でた。
その目は、すでに遠い空――二つの月が浮かぶ「戦場」を見据えていた。
(待っていろ、トカゲ野郎。……俺の女を泣かせた代償、高くつくぞ)
その夜、源蔵は負けを認めた。
刀を交えたわけではない。ただ、目の前の女が流した涙の重さに、彼の頑なな心が叩き斬られたのだ。
それは、彼が今までの人生で戦ってきたどの敵よりも強く、そして温かい敗北だった。
(……やれやれ。まさか俺が、こんな『賭け』に乗ることになるとはな)
源蔵は苦笑しながら、身支度を整えた。
と言っても、腰に差した二本の刀だけだ。
彼は振り返ることなく、長屋を後にした。
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