龍血の系譜

盤上の観察者

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2つの戦場

偽り

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 玉座の間は、濃密な闇と静寂に支配されていた。
 つい先日まで、口の減らない胡散臭い商人が立っていた空間には、今はただ冷たい風が吹き抜けている。

 炎。そして土。
 盤上に配置したはずの二つの強大な駒が、何の前触れもなく完全に消失した。
 討ち取られたという報告すらない。
 ただ、存在そのものが因果の果てに削り取られたかのような、絶対的な断絶。

「……」

 巨躯を玉座に沈めたブラックドラゴン王の赤い双眸が、虚空を睨む。
 這いつくばる配下の者たちは、王から発せられる底知れぬ怒気とプレッシャーに、息をすることすら忘れて硬直していた。

「儂が出向くしかないようだな…」

 玉座の闇の底から響いた重低音が、空間そのものを震わせた。

 ***

 ジリ、ジリジリジリ……。
 窓の外から聞こえる油蝉の鳴き声が、蒸し暑い空気をさらに粘り気のあるものに変えていた。

 都立高校の二年生の教室。
 天井の扇風機がぬるい風をかき混ぜる中、窓際の席で大西シンジは机に突っ伏し、微かな寝息を立てていた。

「……また寝てる」
 斜め前の席から、大西綾が呆れたような視線を送る。

「大西さん、これ後ろに回して」
 前の席からプリントを差し出してきたのは、クラス委員長の天童だった。
 綾がプリントを受け取ると、天童はクスリと笑って、シンジの方へ視線をやった。

「シンジのやつ、また豪快に寝てるね」

 そう口にした瞬間だった。
 天童の視線が、無防備に丸まったシンジの背中を捉えた刹那。

 ――ゾワリ。

 天童の背筋を、巨大な氷の柱を突き立てられたような悪寒が駆け上がった。
 脳裏に唐突にフラッシュバックする、緑色の残像。
 そして、自分がまるでちっぽけな虫けらにでもなったかのような、絶対的な死の恐怖。

(……なんだ、今の)
 天童は微かに頭を振り、無意識に浅くなった呼吸を整えた。
 錯覚だ。あの大西シンジは、怒りもしない、戦いもしない、ただの無気力で人のいい居候に過ぎない。
 間違いなく「いいやつ」だ。
 自分に対する脅威など、一ミリも存在しない。

 天童は、自らの内に生じた原因不明の恐怖を、理性の力で強引に押さえ込んだ。
 それよりも今、完璧な優等生であるはずの天童の胸の奥をどす黒く焦がしているのは、校内でまことしやかに囁かれている一つの噂だった。

『大西とあの居候、最近一緒に住み始めたらしいぜ』

 あの大西道場から離れ、一人暮らしをしていたはずのシンジが、再び綾と同棲状態にあるという噂。
 綾の隣に立つのは、大西道場の真の後継者としてふさわしい自分であるはずなのに。

(綾さんが、あんな男と……)

 天童の端正な顔立ちが、一瞬だけ醜く歪んだ。

 ***

 昼休み。一階の購買部は、腹を空かせた生徒たちでごった返していた。
 最後尾に並んでいたシンジの背後から、ドン、と強く肩が押される。

「おい、どけよ邪魔だ」
 見上げると、体格のいい三年生のグループが割り込んできたところだった。
「あ、すんません」
 シンジはヘラヘラと笑い、抵抗することなく横にずれて列を譲る。

「先輩、横入りは感心しませんね」

 ふいに、声が響いた。天童だった。
 彼は爽やかな笑顔を崩さないまま、上級生とシンジの間にスッと立ち塞がった。

「あ……天童」
 上級生の男が、怯んだように言葉を濁す。
 
 以前の天童であれば、ここで「順番は守りましょうよ」と正論を口にしていただろう。
 だが、今日の天童の口から出た言葉は、少し違っていた。

「大西さんの『身内』に、あまり乱暴しないでくれませんか。大西さんが、悲しむので」

 それは正義感からの注意ではない。
 綾とシンジの関係に対する苛立ちと、シンジを「守られる側の弱者」として明確に見下す、歪んだ所有欲の表れだった。
 天童の瞳の奥に宿る暗い光に当てられ、上級生は「チッ」と舌打ちをして列の後ろへ退いていった。

「大丈夫だった? シンジ」
「あー、助かったよ。サンキュ」

 シンジは頭を掻きながら礼を言い、のろのろと惣菜パンを購入して去っていく。
 天童はその気弱な背中を見送りながら、再び胸の奥で蠢く「得体の知れない恐怖」と「強烈な優越感」の狭間で、静かに目を細めた。

――――――――――

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