60 / 94
2つの戦場
偽り
しおりを挟む玉座の間は、濃密な闇と静寂に支配されていた。
つい先日まで、口の減らない胡散臭い商人が立っていた空間には、今はただ冷たい風が吹き抜けている。
炎。そして土。
盤上に配置したはずの二つの強大な駒が、何の前触れもなく完全に消失した。
討ち取られたという報告すらない。
ただ、存在そのものが因果の果てに削り取られたかのような、絶対的な断絶。
「……」
巨躯を玉座に沈めたブラックドラゴン王の赤い双眸が、虚空を睨む。
這いつくばる配下の者たちは、王から発せられる底知れぬ怒気とプレッシャーに、息をすることすら忘れて硬直していた。
「儂が出向くしかないようだな…」
玉座の闇の底から響いた重低音が、空間そのものを震わせた。
***
ジリ、ジリジリジリ……。
窓の外から聞こえる油蝉の鳴き声が、蒸し暑い空気をさらに粘り気のあるものに変えていた。
都立高校の二年生の教室。
天井の扇風機がぬるい風をかき混ぜる中、窓際の席で大西シンジは机に突っ伏し、微かな寝息を立てていた。
「……また寝てる」
斜め前の席から、大西綾が呆れたような視線を送る。
「大西さん、これ後ろに回して」
前の席からプリントを差し出してきたのは、クラス委員長の天童だった。
綾がプリントを受け取ると、天童はクスリと笑って、シンジの方へ視線をやった。
「シンジのやつ、また豪快に寝てるね」
そう口にした瞬間だった。
天童の視線が、無防備に丸まったシンジの背中を捉えた刹那。
――ゾワリ。
天童の背筋を、巨大な氷の柱を突き立てられたような悪寒が駆け上がった。
脳裏に唐突にフラッシュバックする、緑色の残像。
そして、自分がまるでちっぽけな虫けらにでもなったかのような、絶対的な死の恐怖。
(……なんだ、今の)
天童は微かに頭を振り、無意識に浅くなった呼吸を整えた。
錯覚だ。あの大西シンジは、怒りもしない、戦いもしない、ただの無気力で人のいい居候に過ぎない。
間違いなく「いいやつ」だ。
自分に対する脅威など、一ミリも存在しない。
天童は、自らの内に生じた原因不明の恐怖を、理性の力で強引に押さえ込んだ。
それよりも今、完璧な優等生であるはずの天童の胸の奥をどす黒く焦がしているのは、校内でまことしやかに囁かれている一つの噂だった。
『大西とあの居候、最近一緒に住み始めたらしいぜ』
あの大西道場から離れ、一人暮らしをしていたはずのシンジが、再び綾と同棲状態にあるという噂。
綾の隣に立つのは、大西道場の真の後継者としてふさわしい自分であるはずなのに。
(綾さんが、あんな男と……)
天童の端正な顔立ちが、一瞬だけ醜く歪んだ。
***
昼休み。一階の購買部は、腹を空かせた生徒たちでごった返していた。
最後尾に並んでいたシンジの背後から、ドン、と強く肩が押される。
「おい、どけよ邪魔だ」
見上げると、体格のいい三年生のグループが割り込んできたところだった。
「あ、すんません」
シンジはヘラヘラと笑い、抵抗することなく横にずれて列を譲る。
「先輩、横入りは感心しませんね」
ふいに、声が響いた。天童だった。
彼は爽やかな笑顔を崩さないまま、上級生とシンジの間にスッと立ち塞がった。
「あ……天童」
上級生の男が、怯んだように言葉を濁す。
以前の天童であれば、ここで「順番は守りましょうよ」と正論を口にしていただろう。
だが、今日の天童の口から出た言葉は、少し違っていた。
「大西さんの『身内』に、あまり乱暴しないでくれませんか。大西さんが、悲しむので」
それは正義感からの注意ではない。
綾とシンジの関係に対する苛立ちと、シンジを「守られる側の弱者」として明確に見下す、歪んだ所有欲の表れだった。
天童の瞳の奥に宿る暗い光に当てられ、上級生は「チッ」と舌打ちをして列の後ろへ退いていった。
「大丈夫だった? シンジ」
「あー、助かったよ。サンキュ」
シンジは頭を掻きながら礼を言い、のろのろと惣菜パンを購入して去っていく。
天童はその気弱な背中を見送りながら、再び胸の奥で蠢く「得体の知れない恐怖」と「強烈な優越感」の狭間で、静かに目を細めた。
――――――――――
映像化前提で解像度を重視しています。
完全世界観準拠のAIイラスト付き版はこちら
→ エブリスタ
https://estar.jp/novels/26538031
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
