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千年戦争
神話級
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天童邸の日本庭園。
縁側の先には、整えられた枯山水と松の枝。
そこには目につくだけで十数羽の雀が羽を休めていた。
――ジークとシンジが庭の中央へ歩み出るまでは。
二人は数メートルの間合いを空け、互いに白樫の木刀をだらりと下げたまま静止する。
まだ動いていない。刃も交えてはいない。
ただ、二人の足元から、極度に圧縮された重い『殺気』が、波紋のように庭全体へと広がっていった。
バサバサバサッ!!
まず反応したのは、目に見える位置にいた雀たちだった。
彼らは一羽残らず弾かれたように恐慌状態に陥り、羽を撒き散らしながら空の彼方へと散っていく。
雀が消え、異様な静けさが落ちた直後。
「ピィッ……!!」
手入れの行き届いた深い植え込みの奥から、それまで姿すら見せていなかった鶯(うぐいす)が、悲鳴のような鳴き声を上げて矢のように飛び出してきた。
さらには、メジロやシジュウカラもすぐさま後に続く。
「え……?」
緊張しながら見守っていた綾が、思わず目を丸くする。
その隣で、おしんはすでに四つ目のどら焼きを半分以上平らげている。
だが、庭の生態系の崩壊はそれだけでは終わらなかった。
さらに濃密な殺気が空間を歪め始めた瞬間、今度は高い灯籠の影から、丸々と太ったハクビシンが「ギャッ!」と顔を出し、全身の毛を逆立てながら高い塀をよじ登って逃げ出したのだ。
「……ハクビシン?」
綾の声が微かに裏返る。
さらに次の瞬間、縁側の下という最も安全なはずの暗がりから、丸っこい毛玉がいくつも転がり出てきた。
タヌキ一家だった。
彼らは完全に正気を失ったように、数億円は下らない枯山水の砂紋を短い足で蹴散らしながら、一目散に目黒公園の方角へと命からがら駆け出していった。
広大な池でも、錦鯉たちが端に固まってパニックを起こし、数匹が陸に打ち上がって跳ねている。
突如として、すべての生き物が消え去った静寂が訪れる。
玉石が敷き詰められた中央で――ジークフリートが凶悪な笑みを浮かべた。
次の瞬間、爆発音が庭園を揺らした。
***
同じ頃、人形町の清寿軒の前には、黒塗りのリンカーンが停車していた。
駐停車禁止の道に田中が車を寄せると、急いで店員の女性が大量の紙袋を抱えて走ってくる。
「もうっ!田中さん、 駐停車禁止だって言ってるでしょ!」
「緊急事態なんだ……分かってくれ」
「んもう……知りませんよ」
まるで極秘任務の物資を受け取るかのように、ドライブスルー形式で用事を終えた田中は、漆黒のリンカーンを音もなく走らせていった。
***
――ズドォォォォンッ!!
踏み込みの反発だけで、数トンはあるはずの庭石が粉々に砕け散る。
二つの影が中央で激突し、交差した木刀から放たれた純粋な運動エネルギーの衝撃波が、池の水を一滴残らず空へと吹き飛ばした。
「ハッ……!」
木刀越しに伝わる規格外の重圧。それを受け止めたジークの口角が、さらに深く弧を描く。
四百年だ。
あの源蔵と刃を交えて以来、彼の血を本気で沸き立たせる者などこの世に存在しなかった。
終わらない虚無の時間を生きてきた不死の戦士の瞳に、狂喜の炎が灯る。
対するシンジの顔にも、今まで綾が見たこともないような『笑み』が浮かんでいた。
人と龍の狭間に生まれ、常に己の力を制御し、互いに孤独の中に生きてきた半竜の二人。
全力で振るった一撃を真正面から受け止めて嗤う存在など、二人にとっては源蔵以来。
超音速で幾度も衝突する木刀の響きが、互いの途方もない『孤独の穴』を埋め合わせる、純度百パーセントの魂の対話になっていた。
凄まじい突風が縁側を吹き抜け、綾の髪を激しく乱す。
彼女は、強大なエフェクトの光に包まれて空を舞うシンジの背中を、ただ茫然と見つめていた。
(……届かない)
理屈ではない。
彼は今、完全に『あちら側(神話)』の住人として輝いている。
自分の知る優しい幼馴染の顔ではなく、圧倒的な強者としての歓喜に満ちたその横顔が、綾の胸にどうしようもない距離感と冷たい喪失感を突きつけていた。
「大丈夫よ、綾さん」
ふと、隣から穏やかな声が落ちた。
見れば、すでに美代が音もなく空のお菓子籠を新しいものと入れ替えており、おしんが至福の表情で五つ目のどら焼きに手を伸ばしているところだった。
「あの子がそんな顔をするのは、戦いの中だけ。でもね、あの子はあなたを特別な目で見ているわ。本当に還りたい場所は、あなたの傍だけよ」
おしんの言葉に、綾がハッと息を呑む。
その背後の視界の端、吹き荒れる衝撃波の向こう側で、何事もなかったかのようにリンカーンの洗車作業に戻る田中の姿が一瞬だけ見え隠れして消えた。
「それよりも…ごめんなさい」
母が必死に謝る相手は天童だ。
続いて、綾も謝る。
「本当にごめんなさい」
天童理人は二人を手で制し、視線は激突の中心へと注ぎ続けている。
破壊されていく数億円の庭園にも必死に謝り続ける女性陣にも目もくれず、彼の頭脳は弾き出される異常なデータを高速で処理し続けていた。
(初速はすでに音速を超えている。だが、ジークフリートはまだ出力を調整している……シンジの『底』を測っているのか。いや、シンジもまだ龍のオーラを完全には解放していない)
三者三様の視線が交錯する中、一人だけ全く別の次元からジークを凝視している者がいた。
どら焼きを口に運びながらも、おしんの銀色の瞳は、木刀の激突から生じる衝撃波ではなく、ジークという肉体の奥底から滲み出る『波動』を捉えていた。
(この力……ただの人間のはずがない。この肌を刺すような、おぞましくも強大な魔力の残滓……)
激突のたびに、ジークの周囲の空間が微かに歪む。
四百年の時を生きる不死の肉体。その源泉。おしんの脳裏に、シルヴァードラゴンの古い文献に記された、ある『邪竜』の伝承がフラッシュバックする。
(まさか……ファフニール? ブラックドラゴンの血の系譜に連なる、あの呪われた竜の血を浴びたというの……!?)
神話の扉が、木刀の激突音と共にこじ開けられた。
「源蔵以来だ!」
「やりますね…父を思い出す」
二人の打ち合いは拮抗していた。
縁側の先には、整えられた枯山水と松の枝。
そこには目につくだけで十数羽の雀が羽を休めていた。
――ジークとシンジが庭の中央へ歩み出るまでは。
二人は数メートルの間合いを空け、互いに白樫の木刀をだらりと下げたまま静止する。
まだ動いていない。刃も交えてはいない。
ただ、二人の足元から、極度に圧縮された重い『殺気』が、波紋のように庭全体へと広がっていった。
バサバサバサッ!!
まず反応したのは、目に見える位置にいた雀たちだった。
彼らは一羽残らず弾かれたように恐慌状態に陥り、羽を撒き散らしながら空の彼方へと散っていく。
雀が消え、異様な静けさが落ちた直後。
「ピィッ……!!」
手入れの行き届いた深い植え込みの奥から、それまで姿すら見せていなかった鶯(うぐいす)が、悲鳴のような鳴き声を上げて矢のように飛び出してきた。
さらには、メジロやシジュウカラもすぐさま後に続く。
「え……?」
緊張しながら見守っていた綾が、思わず目を丸くする。
その隣で、おしんはすでに四つ目のどら焼きを半分以上平らげている。
だが、庭の生態系の崩壊はそれだけでは終わらなかった。
さらに濃密な殺気が空間を歪め始めた瞬間、今度は高い灯籠の影から、丸々と太ったハクビシンが「ギャッ!」と顔を出し、全身の毛を逆立てながら高い塀をよじ登って逃げ出したのだ。
「……ハクビシン?」
綾の声が微かに裏返る。
さらに次の瞬間、縁側の下という最も安全なはずの暗がりから、丸っこい毛玉がいくつも転がり出てきた。
タヌキ一家だった。
彼らは完全に正気を失ったように、数億円は下らない枯山水の砂紋を短い足で蹴散らしながら、一目散に目黒公園の方角へと命からがら駆け出していった。
広大な池でも、錦鯉たちが端に固まってパニックを起こし、数匹が陸に打ち上がって跳ねている。
突如として、すべての生き物が消え去った静寂が訪れる。
玉石が敷き詰められた中央で――ジークフリートが凶悪な笑みを浮かべた。
次の瞬間、爆発音が庭園を揺らした。
***
同じ頃、人形町の清寿軒の前には、黒塗りのリンカーンが停車していた。
駐停車禁止の道に田中が車を寄せると、急いで店員の女性が大量の紙袋を抱えて走ってくる。
「もうっ!田中さん、 駐停車禁止だって言ってるでしょ!」
「緊急事態なんだ……分かってくれ」
「んもう……知りませんよ」
まるで極秘任務の物資を受け取るかのように、ドライブスルー形式で用事を終えた田中は、漆黒のリンカーンを音もなく走らせていった。
***
――ズドォォォォンッ!!
踏み込みの反発だけで、数トンはあるはずの庭石が粉々に砕け散る。
二つの影が中央で激突し、交差した木刀から放たれた純粋な運動エネルギーの衝撃波が、池の水を一滴残らず空へと吹き飛ばした。
「ハッ……!」
木刀越しに伝わる規格外の重圧。それを受け止めたジークの口角が、さらに深く弧を描く。
四百年だ。
あの源蔵と刃を交えて以来、彼の血を本気で沸き立たせる者などこの世に存在しなかった。
終わらない虚無の時間を生きてきた不死の戦士の瞳に、狂喜の炎が灯る。
対するシンジの顔にも、今まで綾が見たこともないような『笑み』が浮かんでいた。
人と龍の狭間に生まれ、常に己の力を制御し、互いに孤独の中に生きてきた半竜の二人。
全力で振るった一撃を真正面から受け止めて嗤う存在など、二人にとっては源蔵以来。
超音速で幾度も衝突する木刀の響きが、互いの途方もない『孤独の穴』を埋め合わせる、純度百パーセントの魂の対話になっていた。
凄まじい突風が縁側を吹き抜け、綾の髪を激しく乱す。
彼女は、強大なエフェクトの光に包まれて空を舞うシンジの背中を、ただ茫然と見つめていた。
(……届かない)
理屈ではない。
彼は今、完全に『あちら側(神話)』の住人として輝いている。
自分の知る優しい幼馴染の顔ではなく、圧倒的な強者としての歓喜に満ちたその横顔が、綾の胸にどうしようもない距離感と冷たい喪失感を突きつけていた。
「大丈夫よ、綾さん」
ふと、隣から穏やかな声が落ちた。
見れば、すでに美代が音もなく空のお菓子籠を新しいものと入れ替えており、おしんが至福の表情で五つ目のどら焼きに手を伸ばしているところだった。
「あの子がそんな顔をするのは、戦いの中だけ。でもね、あの子はあなたを特別な目で見ているわ。本当に還りたい場所は、あなたの傍だけよ」
おしんの言葉に、綾がハッと息を呑む。
その背後の視界の端、吹き荒れる衝撃波の向こう側で、何事もなかったかのようにリンカーンの洗車作業に戻る田中の姿が一瞬だけ見え隠れして消えた。
「それよりも…ごめんなさい」
母が必死に謝る相手は天童だ。
続いて、綾も謝る。
「本当にごめんなさい」
天童理人は二人を手で制し、視線は激突の中心へと注ぎ続けている。
破壊されていく数億円の庭園にも必死に謝り続ける女性陣にも目もくれず、彼の頭脳は弾き出される異常なデータを高速で処理し続けていた。
(初速はすでに音速を超えている。だが、ジークフリートはまだ出力を調整している……シンジの『底』を測っているのか。いや、シンジもまだ龍のオーラを完全には解放していない)
三者三様の視線が交錯する中、一人だけ全く別の次元からジークを凝視している者がいた。
どら焼きを口に運びながらも、おしんの銀色の瞳は、木刀の激突から生じる衝撃波ではなく、ジークという肉体の奥底から滲み出る『波動』を捉えていた。
(この力……ただの人間のはずがない。この肌を刺すような、おぞましくも強大な魔力の残滓……)
激突のたびに、ジークの周囲の空間が微かに歪む。
四百年の時を生きる不死の肉体。その源泉。おしんの脳裏に、シルヴァードラゴンの古い文献に記された、ある『邪竜』の伝承がフラッシュバックする。
(まさか……ファフニール? ブラックドラゴンの血の系譜に連なる、あの呪われた竜の血を浴びたというの……!?)
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