日蓮宗の女の子

浅野浩二

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日蓮宗の女の子

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日蓮宗の女の子
 以前こんなことがあった。今は、そのことを書ける気持ちがあるから書いてみよう。小説にせよ、エッセイにせよ、時間が作品を発酵させてくれるということはあるものだ。私は、医者になる試験のため、ファーストフードショップで勉強していた。血液のところだった。二つはなれた席の女の人が声をかけてきた。
「難しい本を読んでいるんですね。」
離れて、おしゃべりしている人もいた。私はあわてて、本を気まずくカバンにしまった。人に干渉されるのはイヤだった。回りの人も、多少さりげなく、興味をもったが、人間社会のマナーで、直視はしない。普通、見ず知らずの人間にいきなり声をかけるというとは、普通の人はしない。こういう場面はやりにくい。彼女はそこに、自然そうにしている。カバンに本をしまって、なにもしないでいるのも気まずいし、さりとて、あわてて去るのも気まずい。困っていると、彼女は、かるい微笑とともに、
「ごめんなさい。いきなり声をかけちゃって。おどろかしてしまって。難しそうな本を読んでいるので、つい何かな、と思って声をかけてしまいました。」
という。私は、ちょっと彼女の人格というか、性格にギモンをもった。で、興味をもった。ふつう、女は男にきやすく、声などかけない。男が、見ず知らずの女に声をかけることは、あろうが。彼女は、小さなイヤリングは、していたが、比較的じみなファッションである。こってりしたファッションではない。彼女は、とびぬけた美人、という形容詞は、当てはまらないが、少なくとも、間違いなく、きれいな顔立ちだった。ちょっと十%くらい、ボーイッシュな感じも含んでいて、髪型、顔の感じ、は、手塚治虫の、リボンの騎士的なカンジである。毛がちょっと天然パーマでカールしている。私が困っていると、
「ごめんなさい。どうぞ。いいですよ。気にしないで下さい。じゃましちゃってすみません。」
という。気にしないで、といわれて、気にしなくできれば、神経質な人間は苦労しない。同時に私は、別の、ある興味を彼女に対して起こって、私は彼女のとなりに移動して、
「医療関係の人ですか?」
と聞いた。それなら、つじつまが合うからだ。ナースか、検査技士か、医療関係の人なら、血液疾患の勉強も、医師国家試験受験生、ほどではないが、かなり、少なくとも、素人よりは、ずっと勉強しなくては、ならず、同じ方面の勉強をしている同志との親しみの感情がおこって、話しかけてもおかしくはない。それも、最も、見ず知らずの人にいきなり話しかけるのは、不自然だが。私は医学部を卒業したが、友達がいないため、みなが知ってる勉強法を知らなかったため、地獄の国家試験浪人生だった。私は医学知識は膨大にあるのに、医者になれないくやしさ、みじめさ、から、人に話してみせることで自分に自信をもちたかった。それで、当時話題になっていた医療問題を医学的見地から説明した。彼女は、おどろいたことに、医療とは、全く無関係の人だった。話しているうちに、彼女は何かの宗教の熱心な信者であることがわかってきた。だか宗教なら、私だって自信がある。私の宗教視点は、キリスト教が、ベースで、他に仏教諸派、も、少しは読んでいた。内向性、は、哲学や宗教、など、観念的、目に見えないことに関心が向いてしまうのである。キリスト教は十分読んで、ほとんど知っていた。仏教の勉強も本格的にしたかったが、地獄の国家試験受験生にとっては、あけても、くれても、医学、医学、である。いつのまにか、宗教論に話が変わっていたが、私には宗教論を戦わす自信が、あったので、彼女と話していた。いつしか彼女は、自分の宗教の道場に来るよう、強く催促していた。彼女は、宗教者が、そうであるように、自分の宗派こそは絶対というゆるぎない自信をもっていた。もちろん私は哲学者だから、すべてを疑い、いかなるものをも信じきるということができない。私は、宗教者ではなく、無神論者、である。無神論者でありながら、宗教に関心をもっているのは、哲学というナイフで、宗教の原理を解明したい、という欲求が起こるからである。
彼女は、私に、彼女の信じる宗教のご本尊のあるところへ連れて行こうとした。私は、ことわりたかったが、何事においても、ゴーインな勧誘にビシッとことわることができず、つい、彼女についていくことになった。ごみごみこみいった路地を、どこをどう回ったか、覚えてないが、彼女に、ついて行った。途中、ドキンとしたことがあったのだが、それは、ラブホテルのネオンがこうこうと、ともった下を通った。これは、彼女の意図的な、ためし、ではないかとも思った。私もつい、彼女を誘いたい誘惑が起こった。が、ことわられて、軽蔑の目でみられるのがイヤだったので、劣情をガマンした。彼女は、こってりしたファッションではないが、ジーパンがフィットしてて、女としての魅力があった。
「ここです。」
と言って、彼女は、あるビルの2階をさした。入ってしまったら、しつこく、つきまとわれる、と思ったので、ことわろうとしたが、彼女は新聞の押し売りなみにしつこい。何としても日蓮上人の教えに従って折伏しようとする。何が何でも自分の信じる宗教の正当性を主張してやまない。予言があたっただの、何だの。それは、それで正しいことは、みとめます、日蓮上人は、立派な人格者だったんでしょう。尊敬しますが、私には私の考えがありますので、と言っても彼女はガンとして聞かない。ご本尊を毎日、おがみ、経を毎日、繰り返して唱えると、救われる、ありがたい教えなのです。という。自分がいくら価値を認めているからって、自分の価値観こそ、すべて、というのは、どうかと思ったが、そもそも、それが宗教というものでもあろうが。ついに私は、話し途中で、振り切って歩き出した。しかし、彼女はダニのようについてくる。三回ふりきったが、ついてくる。ガンとして私を説き伏せようとする。こんなことなら、関わらなけりゃよかった、と思った。私は、さっきのラブホテルの下を通ったことを思い出して、
「あなた。男はみんなおおかみですよ。私はジェントルマンだからいいですけど。」
といった。彼女は、
「それをきいて、ますます気にいりました。」
なんていう。普通の男なら、彼女をナンパするだろう。わざわざ、自分の方から網にかかってきた獲物を逃がす漁師はいない。なぜ私が、ナンパしないか、というと、私の偏屈なプライドからである。人間なら、当てはまるであろうはずの法則も私にだけは、当てはまらない、という絶対の自信があるからである。人間性に対する強い反発が私にはある。感情の赴くまま、生きている人間は、感情の奴隷であり、感情の赴くままに生きない人間というのが、カント哲学で言う、自由な人間なのである。そして、ストイシズムの代償として、目に見えない硬派の紋章が、燦然と胸に輝くのである。また、宗教者は、真面目で、あり、そこにつけこんではならない、という気持ちもあった。彼女は、私との縁をきりたくないらしく、携帯電話、をカバンから取り出して、彼女の電話番号を、紙に書いて、私のポケットにいれた。携帯電話の電話番号を教えることは、かなり、勇気がいる。彼女もちょっとためらった。電話番号を教えたら、しつこくかけて、つきまとわれる可能性がでてくる。よほど私を人格的に信じてくれた、ようだが、私は、道徳心が、強いわけではなく、人間性にさからっている、ヘンクツな人間であるに過ぎない。私は電話番号の紙を捨ててしまったが、流行歌、に、
「ポケベルが、ならなくて、…。」
というのが、あったが、少しかわいそうなことをしてしまったと思い、一度くらいは電話してあげたほうがよかったと後悔した。
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