ホラー短編集

ショー・ケン

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行きずりの霊

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 物覚えが悪かった。それはもう壊滅的に。
家は厳しく、両親は教師をしていた。だから余計に自分の状況はわるくなっていった。
高校をでたらすぐに家に出る事にきめた。

 その頃から大女優Aの噂は聞いていた。容姿端麗で成績優秀で、秀才。人柄もよく悪いうわさなど一つも聞かない。それが、俺が高校を卒業する自分になって、地元に帰ってきて自死した。俺にはわからなかった。なぜそうしたのか。それが後になって反社会的な悪い大人にだまされたのだと知ったときには、やはり華やかな世界には裏があると思ったものだ。

 それから10数年、東京にでて、売れない役者をしてバイト生活。シェアハウスをしながら、同じような貧乏と夢を語る人間たちと生活した。自分は芽が出なくてもかまわないとおもっていた。だがある時もっとも馬が愛、親友とも呼べる存在Bとあった。彼はシェアハウスでは新人だったが、すぐにうちとけて、その場の雰囲気全てを変えてしまった。今までにないタイプだった。もめ事を即座に解決して、全てを自分の裁量で判断するにも関わらず、皆それを納得してしまう。まるで悲劇を喜劇に変えてしまうような。

 どうやら彼は、もともと劇作家志望だったらしい。しかしライバルに某文学賞を受賞した仲間がおり、もともと親友だったが不仲になった。その喧嘩をいつまでも引きづっているらしかった。それがなぜかという事も
深く掘り下げようとするといつも話をずらしてしまった。

 仲を深めてもその話を教えてくれなかったが、病床に入って初めて彼は教えてくれた。
「自分でもわからないんだ、彼に嫉妬して彼を傷つけてしまった、自分を恨めば恨むほど彼への恨みはつよくなった、だから俺が死んだら彼に知らせてくれないか、お前は悪くないんだって」
 俺は涙がボロボロとこぼれた。それからほどなくして俺にはいくつもの仕事がまいこみ、そこそこ売れる俳優になり、一本有名なドラマに出演した。右肩上がり、のはずだった。

 がたがたとした車体がきしむ音とバスの不規則な揺れに、ふと現実にひきもどされる。そうだ、酔い止めを飲まなければ。ある停留所に止まる。どこか懐かしい感じのする停留所だ。いつか、家出をしたときにつかったような。

 突然女性に話しかけられた。
「隣……いいですか?」
「ええ、かまいませんけど、って、え?」
 周囲をみる、がらがらに空きまくっているのだ。まるで空虚な俺の心のように。
「いい……です、けど……」
 しどろもどろになっていると、女性はわらった。
「諦めないでくださいね」
「?」
 そして、彼女がまた一言二言続ける。まさか、女性からこんなに親し気に話しかけられるなんて。それもとても美しい顏つきだった。ほとんど直視できなくてパーツをぼんやりとしかおぼえていないけれど、だからモンタージュにすれば、よくわからない芸術が生成されるかもしれない。
「私、ひさびさの帰郷で……東京で色々あって」
「え?そうなんですか、奇遇ですね、僕もそうで」
「ああ、やっぱり、私テレビでみたことある」
「ああ!そうなんですか!」
「失礼じゃなければ、お話きいても?私人の身の上話が大好きで」

 俺は彼女にこれまでのいきさつを話した。女性にこれほどまでに親身に自分の身の上話を聞いてもらったのは初めてだった。たしかに話をしたことはあったけれど、これだけあたたかなまなざしを感じたことはなかった。それでついつい話過ぎた。あいつの話も。
「あいつ、ガンで死んだんですよ、すい臓のやつ……そんな事おもわないじゃないですか、彼が立ち上げた劇団が名が売れて、そこそこ稼ぎがあがった、やつはキリストみたいなもんです、そこから皆夢が本当になったって、あいつに感謝して、裏切りものは俺が罰をくだして、役に立ってるつもりでいたんです、でもあいつ死に際になんて言ったと思います」
「なんて?」
「彼らを許してやれって、本当にキリストかよって、でも……本当ばかばかしいほど聖人だったんです、本当に、だから、どうして」
 情けなく涙愚mうと、女性は赤いハンカチをとりだしてくれた。ふとした記憶がよみがえる。この街の記憶はほとんどうろ覚えだ。なにせ忘れたい事ばかりだったから。

 大雨の降る夜だった。数奇な出来事とは縁遠い人種だった。人に誇れることも、人を引き立てることも、正しい行いをすることもなかったから。親にしかられて家をとびだして、近くのバス停留所にきた。日よけ雨よけの屋根がついた小屋に椅子があった。あえてそれを無視していた。雨に濡れて、ワイルド風を装って野犬に襲われたら武勇伝でもつくろうかと。
「ぼうや、どうしたの?」
「?どうしたのって……」
 未知との遭遇だった。女性は赤いボロボロのワンピース、そして顔は、幽霊だと思うほどに青ざめていた。
珍しく自分より人に気を使い、俺はその停留所で話をしようと指さした。
「そんなことより、お姉さんびちょびちょ」
「あれは……」
「ん?」
 それは自分のもちもので、この街から出たあの大女優Aの出演したミステリー映画のノベライズ作品だった。
「大事にしてくれたんだ」
「何が?」
「私も、その……本が好きだから」
 二人で腰掛けると、女性は本を読みだした。そしてなつかしそうにはにかむと、ひざに抱いてゆっくりと話し始めた。
「お姉さんはなんでぬれてるの?」
「ん?」
 文章を読みながら、時折音読してくれた。それにもかかわらず、自分は何度も女性に尋ねた。
「どうして?」
「何もわるくないこと、誰も悪くないことでも、つみかさなると息苦しくなることってある、本の中みたいになにもかもただしさが決まっていることばかりじゃないから、割り切れない事があるの」
「……難しい勉強の話?僕わからんよ」
「ふふ……違う、君はほかにどんな映画をみたの?」
「ああ、えっとね」
 それから自分が見た映画の話をした。映画について好き嫌いを考えたことはなかったけれど、唯一心の中にあったのは、やはりあの大女優が出演した映画だった。そして全てを語り終えた後に、余計な一言を言ってしまった。
「でもどこか演技っぽいんだよ、まるで全て作り物みたいな……みてよ、この大自然、今は曇ってるけど……どうしてのびのびとしたこの景色を忘れてしまったんだろう」
 女性はしゅんとした。その様子をみて、子供心にもうしわけなくなったあとに、ふと思い出した。自分が心惹かれた情景、美しいシーンを。
「デビュー作から3番目が一番よかったよ、青春映画で、相手の男は演技も、性格も最悪だったけどね、でも、あれがあの人の本心だと思う、あの人は心から親切な人だ、だけど自分と同じだけの親切さを持つ人にあわなかった、でもあの映画は、あの演技は、本当だった」
 女性はいたく感動したように、早口で語り始めた。
「私もあれが一番好きなの!まるで、大人の世界に一歩ふみだしたみたいな!あれ以降にた演技をしていたこともあったけれど、あれほど純粋で、優れたシーンはなかった、きっと彼女は自分を信じるべきだったわ、あなたもそう思う?!」
 ふと、景色がにじんだ。なぜかあの時も泣いていた。

 ガタンガタンと舗装の甘い道を通ると、運転手がしたうちをしていて、現実に引き戻された。
「???」
 なぜ、あの時の事を思い出したのだろう。あのあと女性は泣いて、そして濡れながら帰っていくのをよびとめた。その時に俺は、俺は赤いハンカチをポケットから取り出して……。

「お客さん」
「?」
「終点……」
 不愛想な運転手は、いらないことをべらべらと追加してしゃべていた。周囲を見渡すと、女性はすでにおりていたようだった。眠っていたらしい。
「今日でこの街ともおさらばだよ、別にうまくやれたとはおもっちゃいないが、最後の客が一人だなんて」
「一人?」
「ああ、あんた一人でなんか喋ってたな、へんな薬やってない?まあ、いいけどさ、人生なんて、つらいことだらけさ、でも自分は大事にしなよ」
「ぷっ」
「あんだよ」
「いや、不愛想なわりに人情深いんですね」
「くっ……まあ、よくいわれるよ」
 バス賃を払うと、扉を閉める前に、また不愛想に一瞥しながら声をかけられた。
「うまくやりなよ、よくわかんねえけど」
「はは!ありがとう」

 多分、そうだろう。そうだろうと思って、大女優の館、記念館を訪ねた。親類のおばあさんが経営をしているらしい。俺はおばあさんに尋ねて、学生時代の彼女の写真を見せてもらった。
「やっぱりだ……」
「え?」
「彼女にそっくりだ、雨の日と、それからバスの中と……」
「それはどういう?」
 俺はとっさにごまかした。
「学生時代にあっていたんですよ、ちょうど11年前くらいですか」
「はあ?その頃にはすでに亡くなっているはずですが」
「おっと……私が記憶を間違えてたんですかね、すみません、もっと前だったのかな、何しろこの街はひさしぶりでして、ちょっと東京で俳優をね」
「はあ、あなたも」
 それから、疑念を持たれながらも話をすると、どこか、彼女のまなざしや人柄の温かさを感じられた。きっとあの人も、もしかしたら彼女に影響をうけたのかもしれない。

 彼女には自分の絶望を教えなかった。実家に帰って、父親が始めたしがない塗装屋の仕事を手伝う。それからはもっと、マシな仕事につくだろうが、俺はひどく絶望していた。

 しかし、あの大女優Aの死に際は哀れなものだった。誰にも発見されず2週間、河底に沈んでいるのを発見された。

 俺は思った。はじめから何もなかった自分と、すべてを持っていたのに失った女優。
どちらがつらいだろうか。
外から見れば、俺に対する同情は熱いかもしれない。だが俺には、彼女のほうがもっとつらいと
思えるようなわずかな感性が残っていた。もしこれが残っているのなら、俺はどこででもやり直せるんじゃないだろうか。

 俺が不倫した相手は……ライバル事務所の女優、ハニートラップを仕掛けてきたのだ。まさかそんな事があるなんて思わないだろうが、俺は事務所に脅されたからそれを弁明するつもりもない。それに弁明しても、世間はこんなことを信じないから。それでもいいと思う。本当に才能がある人間が、報われない事なんてたくさんある。
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