ダブルソード 第二章 ~アドラ編~

磊蔵(らいぞう)

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第23話 今日から冒険者!

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和哉とギルランスは、ルーラの執務室と思われる部屋の応接セットに並んで座り、彼女を待っていた。

テーブルの上に置かれたティーカップから柔らかな湯気が上がっており、部屋の天窓から差し込む光は、室内を明るく照らしている。
どうにも落ち着かない気分の和哉は、ついキョロキョロと周囲を見回してしまう。

20畳程の広さがあそうな部屋の正面奥には大きめの執務机が置かれていて、その向こうの壁には大きな地図が貼られており、そこには沢山のバツ印やメモ書きのようなものが書かれているのが見える。
おそらくアレがこの世界での世界地図なのだろう。
両側の壁いちめんに備え付けられた本棚には、分厚い本や巻物がぎっしり詰められており、棚の前の床にも入りきらない本や資料などが積み上げられていた。

(うぉ~!なんだか凄い!まるでドラマとかに出てくる探偵事務所みたいだ!)

興奮気味に辺りを見回していた和哉だったが、ふと、隣に座っているギルランスに目を向けた。
ソワソワが止まらない和哉とは反対に、ギルランスは落ち着いた様子でソファーに深く腰掛け、足を組んでくつろいでいる。

(うわっ……なんか格好いいなぁ……)

まるで”大人と子供”のような差を見せつけられた気分になってしまった和哉が、少し凹みつつ取り敢えず落ち着こうとお茶を啜ったところで、ルーラが部屋に戻ってきた。

「お待たせしました」

そう言いながら向かいのソファーに腰をおろす彼女は、直径10センチほどの水晶玉と数枚の紙を手にしていた。
ルーラはそれらを机の上に置くと、和哉に顔を向け、姿勢を正す。

「まずは自己紹介をさせていただきます。私はこの”アドラ冒険者ギルド”のギルドマスターを務めております、ルーラと申します」

(えっ!この人ギルマスなの!?)

丁寧に頭を下げるルーラを前に和哉は目を丸くして驚いた。
”ギルドマスター”といえば、それはつまりこのギルドの責任者であり、最も偉い人物という事だ。
元の世界のゲームやアニメなどで見てきた経験上、てっきりゴリッゴリの強面なオジサマをイメージしていた和哉だったが、ルーラの容姿や物腰からはそんな雰囲気は一切感じられなかった。

とはいえ、彼女のりんとしたたたずまいや落ち着いた雰囲気からは、確かにギルドマスターの風格のようなものが感じられるのも確かだった。
驚きと納得が入り混じった複雑な面持ちのまま和哉はペコリと頭を下げた。

「は、初めまして!僕は和哉っていいます。よろしくお願いします!」

少し噛みながらも挨拶をする和哉に、ルーラは「ことらこそ」と優しく微笑み会釈を交わしてから、視線をギルランスに向け、「ではギルランス様――」と声を掛けた。

「本日はこちらのカズヤ様のご登録という事でよろしいですね?」

「ああ……こいつの冒険者登録をしたいんだが、訳あって書類が埋めらんねぇ――お前の権限でなんとかなんねぇかと思ってよ」

ギルランスの答えにルーラは「なるほど」と納得し、しばし和哉に目をやり見つめていたが……やがて、ニッコリと微笑んで頷いた。

「分かりました、そういう事でしたら私がお手伝いさせて頂きます」

わりいな……」

「いえ、これくらいお安い御用ですよ」

そう言うと、ルーラは机の上の書類を和哉の前に滑らせる――そしてその書類の上に重ねるように水晶玉をそっと置くと和哉に手を置くよう促した。

「それではカズヤ様、こちらの水晶玉に手を置いてください」

「あ、はい……」

これから何が行われるのか全く予想がつかない和哉は、戸惑いながらも言われた通りに水晶玉に手を置いた。
すると突然、水晶玉が光り出したかと思うと、そこから眩いばかりの光があふれ出した!

「うわっ!」

思わず驚きの声を上げた和哉だったが、それも一瞬のことだった。
放たれた光はあっと言う間に収束していき、やがて水晶玉の中に吸い込まれるようにして消えてしまった。
呆然とする和哉の前で、ルーラは小さく頷くと、静かに口を開いた。

「はい、ありがとうございます。これで登録完了となります」

(えっ!?もう?)

あまりにもあっけないルーラの登録終了宣言に、和哉は狐につままれたような思いだった。

「あ、あの……もう終わりなんですか?」

驚きつつ聞き返した和哉に、ルーラは微笑みを向けると頷いた。

「ええ、そうですよ?」

「……そう、ですか……」

どうやら本当に終わったようだが、どうにも実感が湧かない和哉はただただ呆然とするばかりだった。
そんな和哉にルーラはクスリと笑いを零すと、水晶玉の下から書類を引き抜き和哉に手渡した。

「こちらがカズヤ様のご登録情報になります、どうぞ、ご確認ください」

「は、はい……ありがとうございます」

ルーラに促されるまま、それを受け取り確認すると、なんといつの間にかそこには必要事項などが全て書き込まれていた。

(うっわ、いつの間に!)

和哉は驚きつつも書類に目を通す。

【名前】カズヤ【種族】人間【年齢】18歳【出身地】日本国(異世界)……と、そこまで読んだ和哉はサーッと血の気が引いていった。

(まずいっ!!出身地、日本になってる!……しかもご丁寧に”異世界”って書いてあるじゃん!?)

「……あ、あの……こ、これ」

動揺して声が上擦うわずってしまう。
今まで、和哉は自分が”異世界から転移した”など誰にも理解されないだろう――と思い、ひた隠しにしていたのだが……。
その事実がこうも簡単にバレてしまったことに動揺を隠せなかった。
そんな和哉の様子を見て、ルーラが心配げに声を掛ける。

「カズヤ様?どうかなさいましたか?何か問題でも?」

「え?……いや、その……」

なんと答えればいいのか分からず、和哉は言葉に詰まりながらも必死に考えを巡らす。

(どうしよう……絶対へんな奴だって思われるよ……どうやって誤魔化そう……)

和哉が冷や汗をダラダラ流しながら考えていると、今迄黙って事の成り行きを見守っていたギルランスが不意に口を開いた。

「おいルーラ、やっぱこいつはなのか?」

「はい、カズヤ様は異世界転移者でいらっしゃるようですね」

(きゃ~!バレた!!――って、ん?”やっぱり”って??)

妙に落ち着いた二人の様子と、ギルランスの『やっぱり』の一言に驚いた和哉が引きつった顔のまま振り向くと、ニヤリと笑ったギルランスと目が合った。

「まぁ、その手のもんじゃないかとは思ってたけどな」

「……え?……な、なんで分かったの?」

どこかで自分で無意識になにかしゃべってしまっていたのだろうか?――これまでの記憶を辿りながら和哉は恐る恐るギルランスに問い掛ける。
するとギルランスは事もなげに「なんでって、俺の勘だ」と言って、肩をすくめてみせた。

「か、勘って……」

(そんな適当な……)

心の中で突っ込みを入れつつも、和哉はギルランスの顔を窺うように覗き込む。

「お、驚かないの?”異世界”だとか”転移”だとか……」

「そりゃ、多少はな?でもまぁ、そんな事もあるんじゃねぇ?って感じだな。お前の髪や目の色も見た事もねぇ上に言動がいちいち妙だったしな――これで納得がいったってもんだ」

「そんなぁ……」

(そんなに分かりやすくボロが出ていたのか……)

自分は普通にしていたつもりが全てギルランスにバレていた事に、和哉はがっくりと項垂れるしかなかった。
だが、そんな和哉にギルランスは「それに」と言って言葉を続けた。

「お前が何者だろうが、俺にとっちゃたいした問題じゃねぇしな」

その言葉にガバッと頭を上げた和哉の頭に手を置きながらギルランスは優しく微笑んだ。

「お前は俺の相棒で、大切な仲間だ……そんだけで充分だろ?」

「ギル……」

(……そっか、そうだよな……ギルはこういう人だ……)

そう思うと和哉の心は一気に軽くなり、ギルランスの言葉に嬉しくなる。
これでやっとギルランスに隠し事をしなくて済む――肩の荷がおりたような気がした和哉は、思わず本音と一緒に安堵のため息を漏らす。

「よかった~……もしギルに知られたら”変な奴”だって思われて避けられるんじゃないかと思てたからさ、ちょっとホッとしちゃったよ」

安心した和哉がへにゃりと笑いながらホッと胸を撫で下ろすと、ギルランスは一瞬目を見開いたあと、すぐにフッと表情を崩して和哉の額に軽くデコピンをしながら「んなわけねぇだろ」と言って笑った。

「へへ……」

額をさすりながら照れ笑いを零す和哉に、ギルランスは笑い返すと少し真面目な顔になりルーラに向き直る。

「で、ルーラ、こいつの属性やステータスなんだが……」

「はい、承知しております」

ギルランスが言わんとしている事をあらかじめ分かっていたのか、ルーラはすぐに水晶玉の上に手をかざした。

「そちらの用紙の内容を表示します、ご覧ください」

ルーラの言葉に反応するように水晶玉は再び光りをおび始めた。
すると、今度はまるで透明なスクリーンに投影されるかのように、光の文字が水晶玉の上の空中に浮かび上がってきた。
そこには先程和哉が受け取った書類と同じ内容が映し出されていた。

「これがカズヤの全情報か……」

ギルランスが光の文字を目で追いながら呟くと、ルーラは「ええ」と頷く。

「では、スキルのほうを見てみましょう」

そう言って、ルーラが水晶玉にかざしている手を少し動かすと、光の文字がスクロールされてゆき、新しい項目が現れた。
ルーラはそれらの項目に目を走らせながら和哉に説明を始めた。

「……カズヤ様の属性は風と雷です。ヒーラーの資質もお持ちのようですしその他にも多数ございますね――」

(風と雷か……しかもヒーリング能力もあるなんて、なんか、僕って凄くない?)

ルーラの説明に気を良くした和哉は自分の能力にニヤけていたのだが……次なるルーラの言葉でいっきに現実に引き戻される事になった。

「これらの能力のレベルは、現在のところ全て1となっております」

(え、レ、レベル1!?……異世界転移ものの小説なら、もっとこう、いきなりチートな能力があるとかじゃないの!?)

和哉は、がっくりと肩を落とした。

「……そ、そうなんだ……」

そんな自分を相棒に選んでくれたギルランスに申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、和哉はギルランスの顔色をうかがいつつ、おずおずと口を開く。

「あの……もっとすごい能力を期待していたんだけど……なんか普通の人ですみません……」

すると、なぜかギルランスとルーラは驚いたような表情を見せた後、顔を見合わせて笑い出した。

「お前何言ってんだ?」

「えっ?」

「そんな訳ないでしょう?この情報を見て何も思わないのですか?」

二人に言われ、和哉は改めて光の文字に目を凝らして確認してみる。
攻撃力や防御力、そして魔力などの数値はそれなりにあるようだが、実際この数値がどのくらいのものなのかは、基準値が分からない和哉には皆目検討がつかなかい。
そのまま【スキル:(オール レベル1)】と記された欄に視線を移すと、そこには……。

雷魔法、風魔法、回復魔法、治癒魔法、気配察知、弓術、体術、調合、言語理解、調理、無詠唱、付与魔法などなど、数えきれないくらいのスキルが並んでおり、和哉はただただ呆然とするしかなかった。

「え……なにこれ?……」

(え?え?……これって??……なんだか色々スキルが山盛りなんですけど……?)

全く身に覚えのないスキルが幾つもあるうえに、あまりの情報量に口を開けたまま固まっている和哉の肩をギルランスが軽くポンと叩いた。

「どうだ、驚いたか?」

ニッと笑うギルランスの顔を、呆けた顔で見つめながら和哉はコクリと頷いた。

「……うん、驚いた……なんか凄いね」

「だろ?俺の見立てに間違いなかったな」

なぜかドヤ顔を決めるギルランスの言葉に、和哉はようやく落ち着きを取り戻すと改めて自分のステータスに目を落とした。

(そっかぁ~僕って結構凄いんだ!……とは言え、全部レベル1なんだけどね)

自分の能力の多さに心躍らせるいっぽうで、ゲームや小説で目にした最強キャラなどとは程遠い現実に和哉は苦笑いをするしかなかった。
すると、そんな和哉の心の内を見透かしたように「がっかりする事はありません」と言う声が聞こえた。
ルーラの声に顔を上げると、彼女は優しく微笑んでいた。

「カズヤ様は確かにこれらの資質をお持ちです。ですが、全てを完全に習得されるにはまだまだ経験が足りない、という事なんです――」

そう言いながらルーラが水晶玉にかざしていた手をそっと下ろすと、光の文字は消え元の状態へと戻った。

「経験……」

和哉の呟きにルーラは微笑みながら頷き、言葉を続けた。

「そうです。つまりはこれからのカズヤ様の努力と経験値次第で、これらのスキルが生かされるようになるという訳です。焦る気持ちは分かりますが、まずはしっかり力をつけてくださいね?」

(そっか……なんか自分のレベルが低い事にがっかりしていたけど、それは僕の努力次第って事でいいんだよな……)

ルーラの言葉に納得した和哉は、キュッと表情を引き締めると真っ直ぐルーラを見つめ返し、「はい!」と力強く返事をした。
その眼差しを受け、ルーラは満足そうな笑みを浮かべると、水晶の下から銀色のカードのようなものを取り出し和哉に手渡した。

「これは冒険者ギルドカードです、無くさないよう気を付けてくださいね?」

(これがギルドカード……)

手渡されたのは銀行のキャッシュカードくらいの大きさのプレートで、名前やランク、所属している支部名などが記されていた。
そして、その表面には小さな和哉の顔がホログラムのように浮かび上がっていた。
どうやらこのカードは魔道具の一種らしかった。

「このカードは冒険者である証であり身分証明書にもなります。これがあれば様々な場所で優遇されますよ」

そう言って微笑むルーラの言葉に、ギルランスも隣で頷いていた。

(うわぁ、これで僕も冒険者かぁ……)

ワクワクしながらカードを眺めていた和哉は、ふと、出身地の欄が『アドラ』と記載されている事に気が付いた。

「あの……この出身地は……?」

「はい、カズヤ様がこちらの世界で問題なく活動できるよう、私の権限に於いてそのように登録させて頂きました。なので、この件に関しましてはここにいる三人のみが知るところとなります」

そう言うとルーラはにっこりとほほ笑んだ。

「あ、ありがとうございます!」

このルーラの配慮には感謝しかなかった。
こうして、全ての手続きが済み、「それではこれで――」とルーラが席を立とうとした時、ギルランスがなにやら気まずそうに口を開き、彼女を呼び止めた。

「あー、ルーラ……悪いんだが、もう一つ頼みがある……」

(なんだろ……?)

和哉はギルランスの様子に首を捻りながらも、黙って二人の様子を見守る事にした。

「はい、なんでしょう?」と首を傾げるルーラに、ギルランスは頭を掻きながら少し言い辛そうに口を開いた。

「いや……そのな……ちょっと依頼の報酬を……前借りできねぇか?――頼む!」

ギルランスはパンッと両手を合わせて頭を下げている。
それを見て和哉は自分の治療費とその間の宿泊費でお金が無くなってしまっていた事を思い出し、慌てて声を上げた。

「あ、あの!ルーラさん、それはギルのせいじゃなくって、僕が――!」

言いかけた和哉の言葉は、横から制止するように伸びてきたギルランスの手に遮られた。

「だから、そりゃお前のせいじゃねぇって言ってるだろ――何度も言わせんな」

そう言って和哉の口を塞いだギルランスは、再度ルーラに向かって頭を下げた。

「すまん!この通りだ!」

(あ……)

頭を下げるギルランスを見て、和哉の胸はキュッと締め付けられたように痛くなる。
いつも不遜ふそんな態度で周りを威嚇いかくするかのようなオーラを放つギルランスが、人に頭を下げて頼みこんでいるのだ。

(それもこれも僕が怪我したせいだ)

申し訳ない気持ちでいっぱいになった和哉は、ギルランスと並んで頭を下げ、ルーラに頼み込む。

「……僕も……お願いします!」

そんな二人の様子に、しばし驚いたように目を見開いていたまま固まっていたルーラだったが、やがて小さく笑みを零した。

「分かりました。今回だけ特別ですよ?他ならないギルランス様の頼みですから」

「「!!」」

ルーラの快諾に和哉とギルランスは二人揃って顔を上げた。

「本当、ですか!ありがとうございます!!」

「おう、マジか!恩に着るぜルーラ!」

和哉とギルランスはルーラに礼を告げると、互いに顔を見合わせるとホッと胸を撫で下ろし笑みを交わした。
そんな二人の様子を微笑ましげに眺めていたルーラは「では少々お待ちください」と言って、一旦部屋を出ていった。

「ギル……ごめんね」

ルーラが出ていった後、和哉が改めて謝ると、呆れたような顔のギルランスに軽く頭を叩かれた。

「あだっ!」

「だから、何度も言わせんなっての――次、謝ったらいい加減怒るぞ」

「うっ……ごめん……」

言われたそばからまたも謝ってしまった和哉に、ギルランスは「――あ?」と眉をしかめながら横目で睨みをきかせる。

「じゃ、じゃなくて、ありがとっ!」

和哉が慌てて言い直すと、ギルランスはフッと笑い、「それでいい」と和哉の頭をクシャリと撫でた。

「ま、これで二人揃って借金持ちってことだ。これから冒険者としてバリバリ働いてもらうぜ、カズヤ」

そう言って、ニッと笑うギルランスに和哉は大きく頷いた。

「うん!頑張るよ!」

(よし!頑張って早く一人前にならなきゃな!)

ギルランスの言葉に気合を入れ直した和哉が拳を握りしめて意気込んでいると、「お待たせしました」という言葉と共にルーラが戻ってきた。
先程と同じ位置に腰を下ろしたルーラは、一冊の分厚い本とお金が入っていると思われる革袋を持っていた。

「お金のほうはこれで足りますでしょうか?」

彼女は重そうな袋をギルランスの前に置いた。
ジャラリと重みのある音が部屋に響く。

「ああ、大丈夫だ……恩に着る」

ギルランスはチラリと中身を確認しながら頷き、それを受け取った。
ルーラはギルランスがお金を収めたのを見届けた後、今度は手にしていた本を和哉に差し出した。

「あと、こちらの本は魔法書です。こちらはカズヤ様に進呈いたします」

その本の題名には『魔法大全』と書かれている。

「え!?いいんですか!?」

ずっしりとした重みのある本を受け取りながら、和哉はルーラの顔を見上げた。

「ええ、もちろんです。是非、こちらを活用されて鍛錬に励んでください」

「ありがとうございます!大切にします!」

和哉は満面の笑みでお礼を言うと、手元の本に目を落とし、そっと表紙を撫でた。
その表紙は渋みのある深紅しんくで、いかにも『魔法書』という感じがしてワクワクする。

(やった!念願の魔法だ!)

これで勉強すれば魔法に一歩近づけるかと思うと、嬉しくてつい和哉の顔は綻んでしまう。
そんな和哉を見てギルランスも満足そうに頷くと「さて、行くか」と言いながら立ち上がった。

「ルーラ、いろいろ世話になった」

「ルーラさん、ありがとうございました!!」

和哉もギルランスに続いて立ち上がり、貰った魔法書を両手で胸に抱えながらペコリとお辞儀をした。

「いえ、お気になさらないでください。これからのお二人の活躍を期待しております」

そう言って微笑むルーラに見送られて部屋を出ようとしたその時、背中に掛けられた声で二人は足を止めた。

「――ギルランス様」

振り向いた二人の視線の先には、先程とは打って変わって神妙な、そしてどこか物悲しい表情のルーラの姿があった。
ルーラは憂いを含んだ眼差しでギルランスを見つめながら、小さく、だが確実に届く声で静かに問う。

「……あなた様は……まだラグロス様を……?」

「――!?」

そのルーラの言葉を聞き、和哉はあまりの驚きに息が止まりそうになった。

(えっ!?今、『ラグロス』って……)

それは和哉がギルランスと出会ってからずっと、聞きたくても聞けなかった名前だった。
彼はずっとその名前を口にしないどころか、その存在すら匂わせないようにしていたからだ。
しかし今の彼女の言葉を聞いて和哉は確信した。

(やっぱり……小説の通り『ラグロス』はこの世界に存在してるんだ!しかもルーラさんとも知り合いなんだ!?)

その事実を知り、和哉は自分の心臓が高鳴るのがわかった。
だが、それと同時に疑問も湧いてくる。

(でも、なんで……?なんでギルはそれを僕に言わないんだろう……?)

和哉は隣に立っているギルランスにそっと目をやる。
その顔を見た瞬間、和哉の体はギクリと強張った。
そこには今まで見た事のない表情のギルランスがいたからだ。

ルーラの問い掛けにも答えず立つギルランスの表情は、憎しみと怒りと悲しみと後悔が入り混じったような複雑なものだった。
和哉にはギルランスがこんな表情を見せるのが信じられなかった。
出会ってからそれ程経ってはいないものの、和哉が知る限り、ギルランスはいつも自信に満ち溢れ、堂々としていて、常に前向きな姿勢を決して崩さない。
そんなギルランスがこんな表情をするとは……和哉は恐る恐る声をかけた。

「あ……あの……ギル……?」

するとその声に反応するように彼の瞳が和哉を捉えた。
その瞳を見た途端、和哉の背中をゾクッとした悪寒が走った――恐怖を感じた瞬間だった。
その琥珀色の瞳の奥にある深い闇に飲み込まれてしまいそうで怖かったのだ。

「あの……大丈夫……?」

震える声を絞り出して尋ねる和哉の声に、ギルランスはハッとしたように目を見開いて顔を逸らしたかと思うと、次の瞬間にはもういつもの彼に戻っていた。

「ああ……わりぃ、なんでもない」

誤魔化すように曖昧な苦笑いを浮かべるギルランスの様子に、ルーラは先程の質問に対する答えを悟ったようようだった。
ルーラは一度目を伏せると、再び顔を上げて真っ直ぐにギルランスを見つめた。

「……私はギルランス様の味方であり、尊敬もしております。あなた様には幸せになってもらいたいのです……ですから、もう……」

そう言って寂しそうに微笑むルーラの顔はとても悲し気でありながらも美しかった。
そんな彼女にギルランスは無言のまま背をむけると、そのまま部屋を出て行ってしまった。

「あ、ギル……」

和哉はルーラにペコリとお辞儀をすると慌ててギルランスの後を追って部屋を出た。
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