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ユミリー
しおりを挟むーーーー実は私には前世の記憶がある。
戦争もなく飢餓や飢饉もなく、人々がとても自由で精一杯人生を謳歌している世界。
男も女も関係なく平等で生活も豊かで友達もいてもちろん両親や兄弟もいた。
そう、あの事が自分の身に起こるまでは。
◇◇◇
「すごーい!!由美。またベストが出たんじゃない??」ストップウオッチ片手に上から私を覗き見ながらそう声をかけてきたのは幼馴染であり同じ水泳部のマネージャーを務める葵だ。
ストップウオッチを見ると確かに一秒ほどベストを更新していた。私はゴーグルをぐいっと引き上げ確認するため改めて目線を上げるとその目に初夏の陽差しが優しく包み込む。
「凄いじゃん由美、あんた確かこの前更新したばかりっしょ??」
「う~んそうだね。最近始めた筋トレが効いてきたのかな?」嬉しくて思わず笑みがこぼれる。
「もうすぐ春季大会だしこのまま行けたら県大会は余裕じゃない?いよいよ男子の貴大に続いて由美も指定強化選手いけるかもね~~」
葵の口から出た「貴大」の名前に思わず一瞬ドキッとしたが由美は目の前の葵に悟られないようきゅっと口元を引き締めた。
「よし!!最後は二十五Mダッシュ三十本。それが済んだらダウンだ。お前らふざけたタイム出したら一本ずつ追加してやるから覚悟しろよ!!」
まるで地獄の使者のような顧問のその声に男子たちの「・・・・やっちゃん、ゲェまじかよ~」の声が上がる。
あぁ、あの声は後輩の芳樹だな。あの子はバカなのよ。実力はあるのにちゃんと練習しないから。一番大きなぼやき声に思わず由美の目元が緩んだ。
由美たち選手がダウンを済ませてプールサイドに集合すると顧問が辺り一面に響く大声で話しはじめた。
「今日の練習で春季大会の練習のピークを終えた。明日から練習量を減らして筋肉の疲れを取っていく。体調管理はもちろんの事だが勉強もしっかりしとくんだぞ?春季大会は上の大会につながる大事な大会だ。もし上の大会の切符が手に入っても追試を喰らうような成績だったら試合には出さんからな?わかったか?」
本気か嘘か分からない表情で顧問が淡々と話す。
この話し方は本気モード。この人よく軽口も言うけどこんな時は絶対冗談言わないから・・・・
「そして次の試合には標準タイムの突破で指定強化選手の資格も関係してくる。うちはすでに貴大が指定強化選手だが他にも登録される可能性を秘めた選手が何名かいる」
「由美、そして芳樹。お前らは狙っていけよ?」顧問が人好きする笑顔でこちらを見てニヤリと笑った。
目が合った由美はスッと目を逸らせながら苦笑した。
『・・・みんな「やっちゃん」なんて軽々しくこの顧問の名前を口にするけどこの距離感。苦手だわ。でも練習の組み方は上手いし筋肉や呼吸器官についても一定の知識があるみたい。何よりこの男はなぜか生徒に絶大な人気があるんだよね?明るくてひょうきんだから?見た目は完全にガマガエルなのに・・・・』
練習後の女子の部室は熱気で空気がこもり、その空気にはこの夏の新製品の制汗デオドラントスプレーの香りが絡み合い複雑な空気になっていた。
先輩の中には「彼と今度映画見に行くんだけど・・・」と楽しげに話したり、今度の試合の合間に近くのたこ焼き屋さんでたこ焼き食べない?メチャクチャ安いんだって!と後輩たちがはしゃぐ声がしたりと厳しい練習が終わってホッとしたのかどこか皆々が楽しそうだ。
部のジャージから制服に着替えた葵が、着替え中の由美のほんのりした日焼けの跡を見ながら「由美ぃ。今日は帰りに龍りんの肉まん食べに行こうよ~。私、きのう臨時収入あったんだ!!ベストのお祝いに葵さまが奢っちゃる!!」と話しかけているが由美の頭の中は別の事で一杯だった。
「葵ごめん!今日はちょっと外せない用があってさ?明日じゃだめかな?」制服のブレザーのボタンを留め終えると由美は拝むように葵に言った。
「え~~、何なのヨォ~。私にも言えないこと?龍りんの肉まんだよ?由美大好物じゃん」
「ごめんごめん。また訳は話すね?それより私そろそろ帰るね?葵はどうするの?」よいしょ!と勉強道具の入ったリュックを背負い手に水着の入った袋を持ちながら、むくれている葵に明るく話しかけた。
「え~~。一人で行ったってつまんないじゃん。いいよ、私も一緒に帰るよ。」葵はしぶしぶ由美の後について部室を出た。
しばらく二人は次の大会の話や流行の映画の話をしていたがある場所にたどり着くと由美はピタッと足を止めた。そして何かを決心したように表情を変えると「・・・ごめん葵。私お母さんに買い物頼まれていたの忘れてた。だから今日はここで別れるわ。じゃあまた明日ね」と言って葵から離れた。
葵は一瞬きょとんとしたが「えっ、そうなの?分かったまた明日ね」じゃあね、ばいばい~と手を振りながら去ってゆく葵の後ろ姿を見送ると由美はくるりと向きを変え、とある方向へ歩き始めた。
由美がてくてくと向かったのはコンビニでもスーパーでもなく実は学校だった。そう、もう一度学校に戻ったのだ。
下駄箱で靴を履き替え階段を上がる。
鼓動が早いのは練習の後で疲れているからではない。ましてや階段を登っているからでもない。
「・・・・ふふっこんな気持ちでまさかここに入ることなんて今まで一度も無かったわ」由美はそう呟くと図書室の扉に手をかけた。この時間は人もいなくて一年生の女子の図書委員がコツコツ一人で書架を整頓していた。
由美は辺りに注意しながら立ち並ぶ本棚の間を抜け、ゆっくり第二図書室の奥へ進んで行った。
この学校は生徒数が多い事もあって県下最大の蔵書数を誇る。そのため第一図書室、第二図書室と図書室が二部屋あるほどだ。
『あぁ、けっこう紙って匂うのね』ぼんやりそんな事を考えた時だった。強い力で左手首を引っ張られたのは。
「あっ!!」思わず上体が力の方向へ傾くと爽やかな柑橘系のコロンの香りに抱き締められた。
「ご、ごめん」頭上から聞き慣れた声がする。
「・・・・・・貴大くん?」
「びっくりしたよな?痛かったか?」
もともと端正な顔立ちの彼だが由美から目を逸らしバツが悪そうにしているのは叱られた子犬のようで少し可愛いと思ってしまった。
「う、うん大丈夫。ちょっとびっくりしただけだよ。それより話したい事って何?」そう話しかけると貴大は由美から素早く体を離し、「こっちだ」と部屋の隅に置いてあった読書用の数脚の椅子の方へ座るように促した。
▲▲▲
来てくださり読んでくださり本当にありがとうございます。どうぞ楽しんで行ってくださいね~~。
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