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荒船貴大くん
しおりを挟む椅子に座った二人だったがしばらく貴大は膝の上で手を組むと下を向いたまま黙っていた。
これでは時間だけがいたずらに過ぎて行く。外も暗くなり始めている。由美はためらいながら話し始めた。
「こうして二人で話すのは初めてだね?いつも部の他のメンバーも一緒だし。・・・だから手紙をもらった時は正直言ってビックリした」
「そうだな、あいつらうるさいし。。。。芳樹なんていつもいつも。。。。」あっ、やっと目線があった。
「ふふっ、そうだね確かに芳樹くんはうるさい・・・・それより貴大くんはいつも凄いね。練習辛くない?いつも軽々練習しててすごいなって思ってた。私なんて練習が辛くて苦しくてたまらない時があるよ」自分で言ってて思わず目を伏せる。
「いや俺は前から由美の方が凄いと思ってたよ。お前確か泳ぎ始めてたった二年だろ?今日もベスト更新してただろ?」貴大はそう言うとやばっと言いながら由美から目を逸らし手で口を覆った。
「えっ!何で知ってるの?今日の練習って男子と別だったよね?」思わず由美がそう尋ねると貴大は俯きながら「・・・・いつも見てたから由美の事。ごめん気持ち悪いよな?」
「・・・・うっ、ううん。そんな事ない」思わず由美も俯いてしまった。ときどき男子の方から視線は感じていたが気のせいだと思ってた。本人に自覚はあまり無いようだがマネージャーの葵をはじめ女子水泳部の先輩にも美形が多いのだ。
「っ、西川由美さん!前から好きでした。付き合って下さい。もちろん大事な試合前だし今すぐに返事が欲しいとは言いません。今度の大会が終わったら返事をもらえませんか?」
色素の薄い貴大の目が真っ直ぐに由美を見つめている。こうしてみると薄茶のサラサラの髪の毛に筋の通った鼻、きゅっと一文字に結ばれた薄い口びる。ちょっと目尻が下がった下り目だが『贔屓目に見ても整ったハーフ顔』である。
由美は貴大と同じ水泳部の人間という事もあって貴大本人の噂話はあまり聞かないが、同じクラスの友人たちの中には「水泳部の荒船貴大くんって今付き合ってる人いるのかな?由美悪いけど聞いてくれない?実は〇〇ちゃんが彼の事が気になっているみたいでさ~」と何度か頼まれることがあった。
「・・・ごめん私そこまで彼と仲良くないんだ」と断っていたがこうなってくると女子の闇が怖い。
入学当時から荒船貴大の事は気になっていた。
見た目の良さはもちろんの事、競泳会では名前が通っているし彼のストイックな練習態度には尊敬すらしている。由美も何とか練習について行ってるが水泳部の他の選手にはあまりの練習の厳しさに泣きながら逃げ出した男子もいた。
『私なんかが相手にされる訳ない』アウトオブ眼中、そう思っていたのが実情ってところだ。彼って確か入学してすぐモデルにスカウトされたって話も聞いたことあったな。
ぐるぐる色々考えてしまったが何とか彼に「・・・・うん分かった」と喉から絞るように返事を捻り出した。
帰り道の事ははっきり言って記憶にない。長かったような短かったような。「もう遅いし家の近くまで送ってく」と貴大が送ってくれた事だけ覚えてる。
家に入って母親に色々言われながら夕食と入浴を済ませ自分の部屋のベッドにごろりと横になるとじわじわしてきた。激しい練習の後で疲れているはずなのに今日はなかなか睡魔がやって来ない。
「・・・・・告白、されたんだよね私」ポスッと枕に顔を埋めると小さく呟いた。人生初の告白イベントに遭遇したばかりか、彼に抱き締められた時の肩幅の広さやがっちりした胸元の思い出し急に恥ずかしくなってきた。
「・・・・・男の子じゃなくって一人の男の人だった」体の向きをかえ天井を向くと自分の手のひらを見つめた。同級生の男子たちにも小柄で幼くてまだまだ子供っぽい子はいるけど彼は違ってた。
もともと由美は水泳に関しては経験者だったが本格的に取り組みはじめたのは高校に入学してからだった。中学校でもやってたダンス部を見に行こうとした所をたまたま会った葵にひっぱり込まれたのだ。
何度か由美の泳ぎとタイムを見た顧問が「おい!西川。お前は器用だな?個人メドレーに行け!幼稚園以来という割には自由形のタイムもいいし、何より体の柔軟性も良い。平泳ぎの足は近藤に教えてもらえ。」と近くにいた上級生の平泳ぎの近藤先輩に指示を出していた。
近藤先輩は初めは厳しかったが時間が経つにつれ真面目に練習に励む由美を可愛がってくれるようになっていた。
女性ながら百七十CMを超える身長。
ぱっと見は濡れる様な黒髪の猫目でキツく見えるが、お家が日本舞踊の大家らしく顔立ちだけでなくその所作が大変美しい先輩だった。
葵や他の水泳部の友人たちと偶然先輩の家の前を通った事があったが、大きなお家に納得したのが昨日のように思い出された。今では由美の中では憧れ尊敬し部活以外でも一番好きな先輩だ。
ーーーー近藤先輩に認めてもらうためにも今度の大会で結果を出したいなぁ。今の状態なら手応えもあるし練習中のタイムは標準記録を突破した事もある。後は実戦で結果を出すだけなんだけどなぁ~
「・・・・・彼のことは後から考えよう。私のメンタルは強くないから今は試合に集中しなくちゃ」そう心に決めた所で由美の意識が睡眠の世界へと旅立って行った。
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