SECOND CRASH

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10・理久

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 その日は夜友人宅に集まる約束をしていてそれまでまだ間があったので、時間潰しにめったに寄らない本屋に足を向けた。本はほとんど買わない上に買うとしたら大学の生協で、駅前の便利な場所にあるとは言えここに来るのは多分2,3回目だ。

 どうしてもっと早くから来なかったんだろう、と足を踏み入れレジ横を通り抜け、いらっしゃいませの声を聞いたときに速攻で後悔した。



 レジにあの子が立っていたからだ。



 時間潰しに入っただけでもちろん本を買う気なんか全然なかったし、適当に立ち読みして早々に出ようと思っていた。

 しかし。あの子がそこにいる。



 年度が変わり、学部の講義が始まり、前期までのように一般の学部に行く機会もほぼなくなり他学部の学生を目にすることも少なくなっていた。元々何の接点もないあの子と再び出会う確率はほとんど無かった。

 それなのにあの子がそこにいる。



 髪を一つに縛り、ピンクのエプロン姿で中は白のパーカーにジーンズ。その姿が可愛い過ぎてありふれたシンプルな服装がまるで別物に見える。アイドルのコスチュームか?なんて思ってしまう。くるりとした大きな黒い目と小さい鼻と小さい口。大きめのパーカーのフードから見える首が細くて、相変わらず可愛くて何かよく分からないけど勝手に心配になる。

 スポーツ誌コーナーに立ちちらちらとその子を盗み見するが、相変わらず顔は上げてくれない。



 久しぶりにその姿を見て、心臓が速くなるし体温が上がる。興奮状態だなと分析する。医学部なので。

 適当に雑誌を手に取り適当に開いてそれには全く目もくれず、彼女を見続けた。集合時間ぎりぎりまで粘った。時間になり、今まで適当に開いて見てもいなかった欲しくもないスポーツ雑誌を閉じた。そしてそれを持ったままレジに向かう。

 声を掛けようとか何かしようとか、そんなことは何も考えてはいなかった。ただただ、あの子と一度対峙したいと思った。結局俺はあの半年間で彼女を近距離でも真っ正面からでも見ていない。

 それが、今すぐそこにチャンスがある。



 すぐそばで、あの子を正面から見たい。ただそれだけの気持ちで、読みたくもない雑誌をレジに持って行った。



 ところが彼女は相変わらず顔を上げない。このまま顔を見られないまま目も合わせないまま会計されて袋詰めされて渡されるのだろうか。渡されそうだ。まじか。と、焦りながらじっと見ていると、彼女がふと顔を上げた。

 焦っていた俺は顔を顰めていたので、もしかしたら睨まれたと思われたかも知れない。それなのに彼女は、ふわりと笑顔を見せた。

 うわ。めっちゃ可愛い。と内心感動していたが、その時自分がどんな表情をしていたのかはわからない。

 そして彼女は、少し頬を染めて上目遣いで俺を笑顔で見詰めたまま小さく一度頷いた。

 それは多分、顔見知りですよね?の意味で、俺も速攻頷いた。そうです、の応えのつもりで。

 その後、彼女が笑みを浮かべたまま、ありがとうございました、と礼を言ってまた俯いてしまった。



 俺のことを知っていたことがめちゃくちゃ嬉しくて自分自身挙動不審になりそうな気がして、誰かに怪しまれる前にとそのまま店を出た。



 それから一歩二歩と遠ざかる毎に、今遭遇した衝撃が頭の中でさらに膨らみ回り始める。



 二度と会えないと思っていた彼女と、アイコンタクトを取った。今まで考えてもいなかった。想像もしていなかった。想像もできなかった偶然か奇跡がついさっき起こった。

 これは、第一歩どころじゃない。見えない壁をうっかりぶち抜いたような奇跡。

 それ以上の奇跡は、彼女が俺のことを知っていたこと。覚えていたこと。

 そして微笑んでくれたこと。

 それがもう想像以上に可愛かったこと。



 この見えない壁をうっかり突破した奇跡か偶然を、放置していいものか。

 そう躊躇うのも、俺はもう都会の彼女に解放されて気楽な独り身だけど、彼女には彼がいるらしいから。



 俺自身が都会の彼女に男の影があるだけで不快だったのに、その俺が決まった相手のいる子に手を出すのは間違ってる。

 それでも。例えば俺のように、もしかしたら今は別れているかも知れないし。今じゃなくても今後別れるかも知れないし。



 チャンスぐらいはもらってもいいんじゃないだろうか?あの子に訊くぐらいは、してもいいんじゃないだろうか?彼女に彼がいても、俺にはいないんだから、訊くぐらいは許されるはず。



 そうだ!訊こう!

 と決心した時にはもう自転車で結構な距離を走ってきていて、速攻でUターンして戻ったが到着した頃には書店は閉まっていた。なんだよ閉店早過ぎるだろう!しかしだ、この時間に閉まるのだとしたら、明日この時間に来たらバイト終わりで話が出来るということだ。



 明日だな!明日だ!

 とまた自転車の方向を変えて友人宅に走った。約束の時間に大幅に遅れたのだが、その理由はごまかした。念のため。







 そして翌日同じ時間同じ書店。彼女がいなかった。

 そうか、毎日入るとは限らないか。しかも同じ時間に入るとも限らないか。一応客のいない時を見計らってレジに立っていた店員に、昨日のバイトさんは今度いつ入るか教えてくれと訊いてみたが、個人情報ですので!と切り捨てられた。

 こうなったら空いてる時間はここに通い詰めて自力でシフト解明してやる、と意気込み、次の日は朝から時間が空く毎にわざわざ大学から自転車で駆けつけて覗いた。

 そして夜6時に、二階事務所から降りてくる彼女をやっと見つけた。

 やっとだ、と彼女に声を掛けた。

 びっくりしたように彼女が俺の前で立ち止まり、俺を真っ直ぐ見上げた。



 それから、いい匂いがした。

 いつか友人が言っていたように人工的な香水や香料ではなく、例えようがないけれど、爽やかで優しい匂いがほのかに俺に入ってきた。



 その瞬間、絶対この子欲しいな、と思った。絶対この匂いが欲しい。絶対。

 そんな衝動も生まれて初めてだった。



 だからバイト終わりまで店の前で待つと彼女に宣言して、半ば強引に待ち伏せた。彼氏がいるとか構わない。そいつと対決してでも彼女が欲しい。

 そのつもりで、まず訊いた。彼氏がいるよね?と。

 彼女はすぐに頷いた。

 やっぱりか、とがっかりしつつ、それでもまずは友達としてでも、と申し出ようと思っていたら、彼女が顔を上げた。

 そしてびっくりするようなことを言い出した。





「別れる。それから、あなたと向き合いたい」





 実際びっくりした。告白もする前からいきなりそこまで話が進むとは思ってもいなかった。びっくりしたのでしばらく言葉を発せないでいるうちに、彼女が訥々と続けている。

 彼とは別れる、でもあなたには関係ない、私自身の問題で、彼と私の二人だけの問題だから、等。

 あなたに関係ない、と切り捨てられて、焦った。関係ないことないだろうと。もとい、これから関係していきたいと思っているんだ俺は。むしろ前からそう思っていた。そもそも一目惚れしていたのだ。と、被せるように言い張り、これから家に送って行くし携帯も教えるようにとまた強引に頼んだ。彼女は断りはしなかった。だからさらに図に乗って、手を繋ごうとした。



 ところがそれは断られた。彼女が小さく首を振った。

 断られたその瞬間は残念だったけれど、しかし同時に嬉しかった。

 別れていない別の男がいる以上、俺と始める訳にはいかないという綺麗な気持ちを持っているということだから。俺と真剣に向き合うつもりだということだから。

 今すぐ手に入れて抱きしめたいと言う気持ちは山々だったけれど、彼がいるのに軽く簡単に付き合う子だったらきっとがっかりしていた。それじゃ都会の元カノと同じだ。



 手は繋がないという彼女の気持ちを尊重しつつ、俺は彼女の肩に手を回した。一瞬だけど手を繋ぐよりも接近する形になり、彼女がぴくりと震えた。その様子が初々しくて、そして傍に立つと彼女の匂いも強くなり、それだけで欲情する自分に気付いて戸惑う。

 俺こんなに好き者だったか?違うよな?と自問自答しつつ、彼女を怖がらせないように距離を保ちつつ、歩くこと5分で彼女の住む学生寮に着いた。もちろん全然足りないのでそのまましばらく門の前で話し、それでも全然足りないから少し先の公園まで歩いて門限までそこで話した。



 小さなベンチに少し離れて並んで座り、互いに互いのことを色々と訊きだす。

 俺のことを、訛っているのが可笑しいと笑った。

「顔立ちが垢抜けてて服装もシンプルで口数も少ないし、都会的でクールなイメージだったのに」

「え?俺?本当に?ちょっと照れるっちゃ」

「照れるっちゃ」

 彼女が真似して笑う。

「だめかな?やっぱ田舎臭いとか思う?」

 そう訊くと、彼女は笑ったまま首を振った。



「そんなことない。可愛いっちゃ」

 彼女が俺の訛りを真似してそう応えた。それがめちゃくちゃ可愛い。なんだ俺の地元の方言ってめちゃくちゃ可愛いっちゃ、と初めて気付いた。



「可愛い。君が訛ってる方が可愛い」

「そう?じゃ、これから訛るっちゃ」

「うん。教えてあげるっちゃ」



 訛りを可愛いと肯定されるのは初めてだ。しかもこんな可愛い子に。

 見た目がこんなに可愛いのに中味もこんだけ可愛いなんてこれ現実か?

 そんな具合に彼女への情欲を抱えながら抑えながら続ける会話で、さらに彼女への恋慕が募るのが苦しい。



 彼女にはまだ触れられないから。





「明日、彼に別れるって言う。きっとすんなり終わらないと思うけど、……待ってて、くれる?」

 もちろん、と応えながら彼女の肩に手を伸ばしたけど、まだだめ、と押し戻された。

「きちんと別れるまで、会わない」

「……少しはいいんじゃない?」

 彼女の頑なさがいいと思ってたけど、頑なすぎるんじゃないかと唆してみる。

「だめ。きっと、甘えちゃうから」

「甘えてもいいっちゃ」

「だめ。ちゃんと自分で全部済ませないと」

 そう言って目を伏せ唇を噛む。





 全部自分で済ませる。

 俺としては甘えて欲しいけど、彼女がそう決意しているようなのでその意志は尊重しよう。





 とは思っていたのだが。
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