雪解けの前に

FEEL

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雪月花

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 冬に入り本格的に寒さが押し寄せてくる12月。僕は一人で通学路を歩いていた。最後に奏と一緒に帰ってから二週間。あれ以来僕はずっと一人で学校に通っている。
 最初の一週間は奏の方から「今日は一緒に帰れないや」と言われていたが、今となってはその一言も無くなり、気が付いたら彼女は席を立ち、教室からいなくなっていた。行き先は件の先輩とやらのところだ。
 どうやら奏はあの日以降、先輩と一緒に通学するようにしたようで、時折学校内でも楽しそうに話している姿を目撃するようになった。
 もちろんその光景を見ているのは僕だけではなくクラスメイトからも見られていて、「離婚でもしたか?」と冷やかされたりもした。僕一人では上手く返すこともできず、そう言われる度に困ってしまっている。

「さむ……」

 肌を切り裂くような冷気が吹き付けて僕は羽織ったコートに身を隠すように丸める。まるで僕の心境を映しているような天候だ。
 幸い、奏が先輩とやらと付き合ったという噂は聞かないが、あの様子だと時間の問題だろう。いや、実際はもう既に……。

 何がどうなっていきなりこんなことになってしまったのか、考えても全く分からないし奏本人に聞くのも抵抗がある。そのせいで疑問がモンモンと心の中で燻り機嫌が悪くなる一方だった。

 奏も奏だ。どういうつもりか知らないが、急に先輩とやらと一緒に帰るようになるなんて。付き合いが長いのだからせめて一言くらい言ってくれてもいいのに。そもそも一緒に帰らなくなってからまともに会話すらしていない。

「何か嫌われることでもしたのかな……」

 付き合いが長ければ長い程、言い合いや喧嘩も増えていく。思い当たるところなんて山のようにある。その中から何が原因か探して歩いていると、目の前に見慣れた姿が見えた。

「奏?」
「やっ、なんか久しぶりだね」

 手を上げて挨拶をする奏に僕も手を上げて返す。奏は一人で、一緒にいるかと思っていた先輩は見当たらない。
 歩き始めた奏についていくように、奏の横を歩く。

「あの人は?」
「あの人……あぁ、先輩の事か。いないよ。今日は一人」
「そっか」

 相槌を返しながら僕は奏の事をじっと見つめていた。奏はこちらに視線を合わせずにどこかぎこちない。奏のこういう態度を僕は何度か見た事があった。何か嫌なことがあった時だ。

「先輩と喧嘩でもしたの?」
「ん、ん~。そんなことないよ。普段と同じ、平常運転です」

 おどけて返す奏は明らかに嘘を吐いていると思った。だけど僕は追及する事なく「そっか」と相槌を返す。
 嘘を吐くということはその話題に触れられたくないということだ。何があったか知らないが、話したくないのなら深掘りするのも野暮だと思った。

「あっ」

 奏が声を上げて指をさす。指の先には公園があった。奏の顔に傷をつけてしまった忌まわしき記憶のある公園だ。
 普段は気にも留めない癖に、いきなりどうしたんだろうか。

「ね、ちょっと寄っていかない?」
「え……別にいいけど」

 公園に入ると記憶よりも大分狭く感じた。雲梯等の遊具はなくなっていて、ブランコと滑り台。後は電話ボックスがあるくらいで、公園というよりは広場という感じだった。
 園内をぐるりと回るように歩く。奏は「へー。ふーん」と呟きながら顔をきょろきょろと動かしていた。

「雲梯。なくなったんだね」
「えっ」
「雲梯だよ雲梯。もしかして忘れちゃったの?」
「いやいや、ちゃんと覚えてるよっ」

 自分の顔に傷をつけたのを忘れたのか? と、問いただされている気がして僕は慌てて首を振った。その姿を見て奏は面白そうに笑みを作る。

「考えるまでもなく普通に危ないもんねぇ。私も事故ったし」
「……ごめん」
「なんであんたが謝るのよ。私が自分で遊んで、自分で落ちただけだよ」
「でも僕がやらなかったら奏もやらなかっただろうし……」
「面倒臭いなぁ。結局やったのは私なんだから、あんたが責任感じる必要なんてないよ。それに今では、少し誇らしい気持ちもある」
「誇らしい?」

 そう言って奏は上を向く。視線の先には病院があった。ただの住宅街には不釣り合いな巨大な病院だ。奏の顔を治療したのもこの病院で、最新の器具と処置が早かったのもあって奏の傷痕は予想よりも大分目立たなくしてくれた有難い存在だ。
 そんな立派な病院があるにも関わらず、完全に傷を消すのは難しくて顔には残ってしまっているわけど。それでもこの病院が近くになければ彼女の傷はもっと酷い状態だったのは間違いない。

「あの病院には入院施設もあるじゃない?」
「うん。奏も何日か入院したよね」
「その時感じたんだけど、あそこには意外と子供が多くてね。たまにこの公園に遊びに来る子もいたみたいなの。身体が弱い子が雲梯なんかで遊んだら、それこそ事故によっては死んじゃうかも知れないじゃない。そうなる前に私みたいなのが怪我して危険性を訴えれたのなら、怪我したのも悪い事じゃないかなって思うわけよ」
「なんだか場当たりというか、滅茶苦茶な理論だね……」
「そんなことないでしょ。実際に撤去されてるわけだし」

 不覚にも奏の言い分に僕は納得してしまった。
 奏を始め、遊具で怪我をする人がいなければ撤去する必要なんてないわけで、消えてしまったのはそれだけ危険性があると訴えられているということだ。そう考えれば奏の事故も危険性を訴える為の意味があるものだと言えないことはない。
 まさか自分の怪我をそんなポジティブに捉えているなんて僕は思いもしなくて、奏の後ろ姿が格好良く見えた。いつまでも彼女に責任を感じている僕とは大違いだ。

「凄いね奏は」
「でしょう? もっと褒め称えてくれてもいいんだよ」
「本当に凄い。格好いいと思う」
「えへへー。照れちゃうなぁもう」

 恥ずかしそうに笑みを作った奏はまんざらでもなさそうに頭を掻いた。

「あっ、流星見て見て!」

 陽が落ちて街灯の灯りが頼りになってきた辺りで、何かに気付いた奏は言いながら走り出す。追いかけると奏は広場の端にある目隠しのように設置された木の近くで止まった。

「まだ残ってたんだ」

 植えられた木々の中。特別大きな木の前で奏が言った。
 冬桜。正式な名称は木葉桜だった気がするが、僕たちを含めて地元の人間はそう呼んでいた。文字通り、冬に咲く桜だ。
 今は12月。本来ならば白い花弁に薄い朱が染み込んだ綺麗な花が見れるはずだが目の前の冬桜は一つも花を咲かせていない。他の枯れ木と同様、物寂しい姿を見せていた。

 花が咲いていないのは今回に限った話ではなく、もうずっと前からこの桜は花を咲かせていない。大分昔からここにあるようで、もう花を咲かせる元気がないのだろうと言われているのを聞いた事がある。

「やっぱり咲いてないかぁ。久しぶりに見に来たからワンチャンあると思ったんだけど」
「ずっと咲いてない桜の花がたまたま見に来たタイミングで咲いてるなんて、そんな劇的な事起きないでしょ」
「現実はドラマティックにいかないかぁ。ここで咲いてたらエモかったのに、空気読めよなー」

 唇を尖らせて奏が桜の幹に蹴りを入れる。元気がないおじいちゃんなのに理不尽な女子高生に絡まれてしまって可哀そうだと同情してしまう。

「もしかして、公園に寄ったのは桜を見たかったから?」
「……ま、ね」

 奏が桜に手を触れる。

「さっきは格好いいこと言ったけど、入院した時は後悔してたんだ。痛いし息苦しいし、何であんな事したんだろうってずっと考えてた。その上で傷が残るってお医者さんに説明されて、本当にきつかった。悲しくてもうずっと泣いてたもん」
「奏……」
「自分の顔が上等なものとは思ってなかったけど、消えない傷が外見に対して余計に卑屈にさせた。鏡を見る度にへこむし、顔に髪がかかってないと人と顔を合わせるのも億劫に感じた。その時、窓からこの桜を見つけたの。他の木と違って葉っぱすらついていない枯れ木だけど。綺麗だと思った。目を離せなかった。そう感じたら、そこまで顔の傷が気にならなくなった。枯れても目を奪われる木があるように、傷があっても人を惹きつける人間になればいいだけだって――でも」
「……でも?」
「…………私がそう思っても、大体の人は桜の木になんか興味がない。やっぱり桜の花が好きなんだよね」

 消えてしまいそうな小さい声で奏は言った。僕に向けた言葉なのか、それとも独り言なのかわからないくらい曖昧な調子で話してから、桜の幹に手を添えたまま動かなかった。
 木々に遮られて街灯が届かないこの場所では登り始めた月明かりだけが奏を照らしていて、その光景がとても儚げで、今にも消えてなくなってしまいそうなくらい脆い物に感じた。
 声をかけることすら躊躇われる光景に対して、僕はなんて答えればいいのかわからずただ黙る。だけど何か言わないといけない。声をかけてあげないといけないという焦燥感が胸を焦がし、必死に頭を働かせる。

「あ……あの、さ」
「――まぁ、中にはあんたみたいに木も花も同じものとして扱う奴もいるんだけどね」

 口ごもっていると奏が被せるように言ってきた。口調は明るいもので、さっきまで見えていた脆さは感じない。いつも見ている奏の姿と口調で笑顔を作った。

「どういう風に受け取ればいいのさ、それ」
「さぁ? 好きに受け取ったらいんじゃない。それより寒い。早く帰ろ」

 言うと同時に奏は公園の出口へと向かって歩く。
 奏の方から寄り道に誘った癖に、僕が引き留めているかのような自己中心的な物言いは間違いなくいつもの奏だ。さっきまでの物哀しい姿が幻だったかのように堂々と歩く彼女の後を、僕もいつものように追いかける。
 家までの帰り道、僕の頭の中には桜の木に手を添える弱々しい奏の姿が鮮明に焼き付いていた。
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