雪解けの前に

FEEL

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Missing you

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 夜も更けてきて人通りもめっきり少なくなった頃。泰三は病院を見上げていた。

「でっけぇなぁ」

 病院そのものが少ないこの時代。目の前に建っていた病院は一際大きく、まるでランドマークのように堂々とした姿をしていた。
 夜だというのに病院の窓からは少し灯りが漏れている。常勤している医者でもいるのだろうか。

「まぁ、どうでもいいか」

 泰三は病院を尻目に満足に街灯がない夜道を歩きだした。向かう先は住宅街の中で一番大きな屋敷。綾小路邸。
 病院のすぐ裏手にある屋敷の玄関口まで回り込んでくると、泰三は表札を確認してから屋敷をじっと見つめる。
 窓を覗くと灯りは点いていなかった。眠りに入るにはいい時間だから家の人間は既に眠っているのかも知れない。そういう時間を選んでやってきた泰三は予定通りと頷いた。

「少し高いが、問題ないな」

 2.5メートルほどの塀を駆け上がり、上に登る。身体がでかいだけでなく運動神経も良かった泰三にはこれくらいの塀はないのと一緒だった。
 塀に腰かけて辺りを窺う。屋敷の前には広い庭に花壇がいくつか並んでいる。植えられた花はどれも綺麗に手入れされていて、闇夜にうっすらと色とりどりの景色を映し出していた。
 花を見ていると咲季の顔が浮かんでくる。もしかしたらこの花は彼女が育てているものかも知れない。花に水をやる咲季を想像していると、泰三は何かに気付いて塀から屋敷の中へと飛び降りた。

「ほらみろ、やっぱりいた」

 塀のすぐそばに植えられた松の木に隠れて屋敷の入口を見ると黒いスーツに身を包んだ屈強な男が二人。花壇が並ぶ広場に場違いな男たちはその場に待機しながら辺りを確認していた。
 恐らく新薬の警備に割り振られた人間だ。体躯や眼光から察するに相当の手練で、泰三といえども見つかればただでは済まないだろう。
 幸いにも男たちがいるのは屋敷に入る門とその奥にある屋敷の入口。泰三は闇に紛れ、塀を伝って屋敷に近づいた。そしてそのまま裏口へと迂回する。
 見取り図では裏口には厨房へとつながる使用人たちの入口があり、ここの扉は内側から閂で止められていると見取り図に注意書きがあった。

「あった。これで間違いないはずだ」

 見取り図通りの場所にあった扉を確認すると、他の扉と違って木で出来た古い扉だった。ポケットからあらかじめ持ち込んだ針金を持ち込み扉の隙間に通して上にあげると、引っ掛かりに当たった。

「情報通りだな、これなら……」

 針金を一度取り出して釣り針の形に曲げる。そして再度隙間に曲げた方を扉に差し込んで上に持ち上げると、針金が引っ掛かる。今度はきにすることなく上に持ち上げた。

 ――ガコ。

 小さく異音が聞こえたのを確認してから、針金をそのまま固定して空いた手で扉を開ける。すると扉はゆっくりと開く。
 閂は釣り針の形に曲げた針金に上手く乗っかっていた。大きな音を立てないよう、閂をゆっくりと手に持ち、扉の中に入る。辺りを確認してもこちらにやってくる足音はもちろん、物音ひとつない。誰にも気づかれていないようで、泰三は息をゆっくり吐きだした。

とりあえず屋敷の中に入るのは成功した。

 泰三は窓から差し込む月明かりを頼りに見取り図を確認する。眩暈を起こしそうなほどの部屋数から比較的大きな部屋をいくつか見つけて移動を始めた。
 屋敷の中は音が無くなってしまったかと思えるくらに静かで、少しの布擦れの音ですらよく響く気がした。灯りは全くといっていいほど点いておらず。何より人の気配がない。
 こういう大きな屋敷には使用人が普段から詰めているのが常識だ。特にこの屋敷は特別大きいから、見回りをしている使用人の2~3人はいるものだと覚悟していたが、そんな気配はまるでない。

 廊下から玄関広間まで移動して階段を登る。階段を上ってからも空気は同じくしんとしており、使用人は見当たらない。ここまでくるとまるで廃墟だ。
 目星をつけた扉のドアノブを回す。ドアはなんの抵抗もなく開き、部屋の中は生活感のない光景が広がっていた。泰三はそれを確認するとすぐさま扉を閉じて同じ調子でいくつかの部屋を開けていく。すると、一つだけ鍵がかかった部屋があった。

「ちょっと失礼、しますよ……」

 再び針金を取り出した泰三は小さく折り曲げて鍵穴に通す。当時の鍵はシンプルなものが多く、ダイヤル錠でもなければこうやって適当に上下させると何かの間違いで素人でも開くことが出来た。

 ――ガチッ。

「おっ」

 金属が噛み合う音が鳴り、泰三はゆっくりと針金を回す。針金は遠慮がちにぐるりと回って、‘カチャン‘と扉が音を鳴らす。
 針金を引き抜いた泰三がドアノブを回すと、扉が開く。

「どなた?」

 聞き覚えのある声が室内から聞こえる。咲季の声だ。

「……俺だ」

 しかし泰三は慌てる様子もなく、声を出した。

「その声。泰三さん?」
「あぁ」
「どうしてこんなところに? ちょっとお待ちください」

 言われた通りに待っていると、部屋の奥からオレンジ色の光が仄かに灯った。咲季がランプに火を入れたようだ。
 ランプを手に持ちながら咲季は泰三に近づく。

「本当に泰三さん……こんな夜更けにいったい何を……」
「勝手に入ったことは謝る。少し、話をしないか?」
「話……?」
「大事な話なんだ。俺にとって」

 咲季は暫く黙り込むと、泰三の顔を見てから頷いた。

「わかりました。それではお茶を淹れてきます」
「いいよそんなの。すぐに終わる話だ」
「駄目です。こんな寒い日にお茶も飲まずにいたら身体を冷やしてしまいますから」

 強情な態度で咲季が言うと、泰三を通り抜けて廊下へと出る。

「あ、おい」
「すぐに戻りますので待っていてください」
「……たく」

 怪談を降りていく咲季を見送ってから、泰三は部屋に入って椅子に腰かける。咲季を一人にすれば人を呼ばれる可能性もあったのだが、不思議と泰三はそんなことにならないと安心していた。
 泰三は根拠のない安心感に鼻を鳴らす。これで裏切られたらどうするつもりなのだ。
 今まで人には散々裏切られてきた。泣いて謝る奴を許したら後ろからレンガで殴り掛かられたりもした。そういう経験を経て泰三は自然と人を信じられなくなっていった。
 だが、咲季と対している時はそんな自分を忘れていた。無垢な少年のように、彼女の前では素直でいられた。それが泰三には面白かった。

「お待たせしました」

 咲季が戻って来た。縁に装飾が施された盆の上にティーカップとお菓子が入った皿を乗せていた。咲季以外の人はいない。

「お紅茶を入れてみました。普段は人がやってくれるから味に自信はないのだけど」

 机の上に置かれたティーカップを覗くと暖かい湯気が顔に当たる。ここに来るまでに冷えてしまった体に熱気がとても心地いい。
 泰三はカップを掴むと紅茶をそのまま口に運ぶ。

「……渋いな」
「え」
「渋すぎる。歯が浮いてしまいそうだ」
「そんなはずは……うっ」

 咲季は匂いを嗅いでからティーカップを口に当てる。すると途端に目にシワを寄せた。

「……これは酷いですね」
「あぁ、とても飲めたもんじゃない」

 言いながらもう一度紅茶を口に含んだ。やはり苦い。わかっていると尚の事にがい。
 顔をしかめると咲季の笑い声が聞こえた。

「客に渋茶を出して笑うとは何事だ」
「ごめんなさい、だってお顔が面白くて」
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