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お礼

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 上司からの愚痴も、親戚の圧力も、嫌なこと全部吹き飛ばす爽やかさ。私は一体この笑顔に、何度救われることだろう。

「ほ、本当ですか、よかったです」
「ほんとほんと! こんな美味しい食べ物初めてだよ!」
「そんな、大袈裟な」

 口では謙遜しながらも、素直に褒めてくれる猫宮さんに全身がぽかぽかする。
 猫宮さんの背後に左右に揺れる尻尾が二本。嬉しい気持ちがわかりやすくて感激する。
 そんなやり取りをしていると周りから「ずいぶんと反応が違うな」とか「千鶴さんだけずるい」とか、不満混じりの声が聞こえた。
 
「ちづちゃんも食べてみなよ、ほら」
「えっ? い、いや、私は……今日は猫宮さんをもてなす日なので」
「だからこそだよ」

 猫宮さんは椅子から立ち上がると、素手で摘んだ穴子のお寿司を私の口に突っ込んだ。

「一人で食べたってつまらない。美味しいものはみんなで分け合わなくちゃ」

 にっこり細まる蜂蜜色の瞳。
 ご飯に口を塞がれた私は、見開いた目に彼を映していた。
 ――そっか。猫宮さんはそういう人だ。
 妙に納得してしまった私は、笑った勢いでこぼれそうになったお寿司を急いで詰め込んだ。
 
「みなさんも、一緒に食べましょう。自由に、好きなものを。楽しい空間が僕への一番のプレゼントです」

 辺りに目を配りながら猫宮さんが言うと、遠くから眺めていた客も、近くで様子を窺っていた客も、みんな顔を見合わせ、うんうんと相槌を打った。
 そのまま席に着く者もいれば、猫宮さんが食べきれない料理を分けてもらってから戻る者もいた。
 各自、気兼ねなく、談笑する声が帰ってくる。
 猫宮さんにとっては、いつもと変わらないこの光景が、一番の宝物なのかもしれない。
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