蛇に祈りを捧げたら。

碧野葉菜

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仙界

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 いろりは翡翠の数珠を握りしめると、意を決したように立ち上がり、狐雲と鷹海を振り返ると深々と頭を下げた。

「狐雲様、鷹海様、この度は私のせいでお手を煩わせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「……礼儀正しい娘じゃの。蛇珀よりよほど神らしいわ」
「いろり、そなたは聡い故理解しておろうが、蛇珀を待つことがそなたの苦行となっておる。いかに過ごすか」
「はい。私……料理を覚えようと思います」

 料理? と、先ほどまでの辛辣だった雰囲気を覆す文字がいろりから述べられた。

「私、目が見えなかったので、料理をしたことがなかったんです。ですから、蛇珀様がいない間、母に色々教えてもらおうと思います。帰って来た蛇珀様に喜んで食べていただけるように……」

 少し恥じらいながらも心弾ませるように語るいろりに、二人の神は複雑な心境であった。

「鷹海、いろりを下界に連れ戻してやってくれ」
「はっ。来い、娘……いろり」
「はい」

 鷹海の腕に手を添え、いろりは仙界を後にした。

 誰もいなくなったその場所に立ち止まったまま、狐雲は独り言を連ねた。

「また百恋には難儀な任務となろう……さて、あのおなごはいかなる反応を示すか。華麗に切り抜けることができるかな。私の華乃かののように……」

 いろりに課せられた精神の苦行と試練。
 それがただ想い人を待つだけではないことは、六百年前、当事者であった狐雲が最もよく知っていた――。
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