蛇に祈りを捧げたら。

碧野葉菜

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試練

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 突如、頬に強烈な痛みが走る。

 何が起こったかわからず、百恋は赤く腫れた頬に触れて、初めて自分がぶたれたという事実に気がついた。

 茫然としたまま、ゆっくりと振り向いた先にいたいろりは、息を乱し、普段優し気に下がっている眉と目尻を吊り上げ、百恋を睨みつけていた。
 いろりは激怒していた。恐らく生まれて一番の怒りであった。

「どうして、そんな嘘をつくんですか……? 蛇珀様は、そんなに弱い方ではありません! 自分で言われたことは、成し遂げられる方です! でも、もし……もしそれが本当だったとしても……あなたは、蛇珀様が大変な時に、一体何をしているんですか……? 見損ないました……! 私のすべては蛇珀様のものです! 触らないで、もう二度と、私の前に現れないでください……帰って!!!」

 百恋の恋の駆け引きは完璧であった。
 しかしいろりは、完璧を求めていない。
 いろりは常に、百恋の向こうに蛇珀を見ていた。学校にいても、二人で出かけても、蛇珀とまた逢えたら、こんなことがしたいと想像するのが楽しかった。
 蛇珀と人同士がするようなデートは、きっとスムーズにはいかないだろう。女性が好みそうな店も流行りも知らなければ、うまくエスコートする技術もなく、世辞も言えない。
 粗暴で不器用で愛想もない。
 しかし、いろりは蛇珀のそんな短所こそ愛していた。
 照れ隠しに目を逸らす仕草、なりふり構わず守ってくれる強さ、何よりあの、不意に見せる嘘のない愛に溢れた微笑みは、どんなに飾り立てた言葉よりもずっと尊く、いつも輝いていた。

「……ありがとう、いろりちゃん。蛇珀は幸せ者だね」
「――え……?」

 微かに寂しげに、しかしどこか清々しく微笑んで、百恋は忽然と姿を消した。
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