独裁者・武田信玄

いずもカリーシ

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【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす

第十三話 この世で最も醜悪なことは何か

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武田晴信と真田幸隆さなだゆきたかの会話に、舞台を戻そう。

「幸隆よ。
数年前……
そちや、そちの弟の矢沢頼綱やざわよりつなが村上家に仕えたとき。
当主の村上義清むらかみよしきよから何と誘われたのじゃ?」

義清よしきよ殿は直々に、こう申されました。
『村上軍の先鋒せんぽうを務める栄誉を与えよう。
真田軍の働きに期待している』
と」

「何が栄誉か!
笑わせるなっ!
要するに、真田軍を最も危険な最前線に送るのであろうが」

「……」
「ところで。
そちの弟の頼綱よりつなは……
村上家の領地である小県郡ちいさがたぐんの入口・砥石城といしじょう[現在の上田市]の一角を任されていたな?」

「その通りです」
「村上家を攻めるに当たり……
わしは、周辺の『地形』を徹底的に調べていた」

「……」
小県郡ちいさがたぐん[現在の上田市など]を攻めるには、平地続きの佐久郡さくぐん[現在の佐久市、小諸市など]から攻めるのが最も効率が良い。
千曲川ちくまがわを通る船を使えば十分な『補給』もできる」

「さすがは晴信様。
よくお調べになっておられます」

「当然じゃ。


「残念なことに……
『精神』が第一だと考える者が多いようですが」

「精神だと?
何を馬鹿なことを。
補給を断たれて負けた話こそ聞くが、強い精神で臨んで勝った話など聞いたことがないわ」

おっしゃる通りです」
「さて。
平地続きの佐久郡さくぐんから攻める場合、そちの弟がいる砥石城といしじょう小県郡ちいさがたぐんの入口に当たる。
この城を巡って壮絶な激戦が繰り広げられることになろう。
新入りの家臣を、最も『危険』な最前線に置いたということか」

「幸いにして……
砥石城といしじょうは山地の先端に位置しております。
三方を崖に囲まれた天然の要害で、難攻不落の地形に恵まれています。
最も危険な最前線ではありません。
むしろ『安全』な場所です」

「ん?
幸隆よ。
そちほどの者が、本気でそう思っているのか?
砥石城といしじょうは安全だと」

難攻不落な地形に恵まれている城ならば……
幸隆の言う通り、安全ではないだろうか?

晴信は何が言いたいのだろう?

 ◇

砥石城といしじょうは『死地』であると確信されておいでで?
晴信様」


その一方しかない補給線を断たれたらどうする?」

「籠城する兵たちは、たちまちえに苦しむでしょう。
地獄となるでしょうな……」

「それの、どこが安全な場所だと?
死地に決まっているではないか」

「……」
「そちほどの者が勘違いするとは、意外だな」

「お見事にございます。
おおせの通り……
砥石城といしじょうは死地です。
補給線が一方しかないことが災いし、いざとなれば味方から『切り捨て』られます」

「幸隆よ。
このわしを、試したのか?」

「申し訳ございません」
「まあ良い。
死地と分かっていながら……
なぜ、そちの弟は従ったのじゃ?」

「これが新入りの『外様とざま』家臣の宿命……
外様よりも、長年にわたって仕え続けた『譜代ふだい』家臣の安全を優先するのが常識なのです」

「だから外様は危険な場所に、譜代は安全な場所に置くのか。
要するに……
実力や実績ではなく、年功序列ねんこうじょれつで決まるのだな?」

「それが常識です」
「幸隆よ。
この世で最も『醜悪しゅうあく』なことは何か分かるか?」

「醜悪……?」
「実力なく、何の実績も上げない者が、利益をむさぼり続けることよ」

「……」
「それと比べれば……


「なるほど。
それがしは、こう考えたことがあります。
いくさや侵略は……
なぜ起こるのか?』
と」

「ふむ」
「この答えを知るために……
長い時間を費やして人の歴史を学びました」

「答えを得られたのか?」
「人の歴史は、いくさや侵略の歴史でもあります。
例えば……
あの有名な源平げんぺいの争乱。
平氏が地位や富を独占するのを見た源氏は、こう訴えて立ち上がりました」

「何と訴えた?」
「『実力なく、何の実績も上げない者が……
ただ平氏というだけで!
贅沢三昧の生活を送り、分不相応ぶんふそうおうな地位まで得て我らをあごで使っている!
一方で我ら源氏には……
いくら実力を磨いても、いくら実績を上げても、何の機会もやって来ない!』
と」

「平氏は、平清盛たいらのきよもりとその嫡男であった重盛しげもりを除けば……
他は凡人ぼんじん[普通の人という意味]ばかりであったとか。
そういう声が上がったとして何の不思議もないだろう」

年功序列ねんこうじょれつ、あるいは相続そうぞく[親から子へ受け継ぐこと]という制度が……
実力ある者から、実力を磨く努力を怠らない者から、権力や富をつかみ取る機会[チャンス]を『奪い取って』いるのでしょうか?」

「うむ。
年功序列も、相続も、世の中を腐らせる制度でしかない。
いくさや侵略は……


「……」
「幸隆。
そちは、今日この日よりわしに仕えよ。
真田が先祖代々にわたって治めていた土地は……
小県郡ちいさがたぐん真田郷さなだきょう[現在の上田市真田町]であったな?」

「晴信様!
ま、まさか……
それがしに故郷ふるさとの土地を?」

幸隆の目から涙がこぼれる。
故郷の奪還こそ、真田の悲願なのだ。

 ◇

「わしは……
そちのような実力ある者のために、村上から小県郡ちいさがたぐんを奪い取ってみせる。
そして、真田郷を必ず与えると約束しよう」

「真田郷は、広くて肥沃な土地です。
そんな土地を……
武田家に仕えたばかりの者に与えても大丈夫なのですか?
長く仕える家臣の方々から猛反発を食らうのでは?」

「……」
「もちろん、村上家とのいくさでは先鋒を務めます」

「それはいかん!
諏訪家や村上家、そして我が父が行った侵略によって……
真田は多くの者を失ったのであろう?
これ以上、真田の血を流させるわけにはいかない!」

「お優しい心遣い……
有難き幸せにございます」

幸隆は、また感激のあまりに涙を流した。

 ◇

「晴信様。
我ら真田は……
先鋒以外の方法で、誰もが納得するような『実績』を上げる必要があります」

「うむ」
砥石城といしじょうの一角を任せられている我が弟の頼綱よりつなを上手く利用したいと存じますが?」

「わしもそれは考えたが……
砥石城が落ちたところで、村上家は痛くもかゆくもない」

「なぜそう思われるのです?」
「砥石城の背後の山々には20もの城が待ち構えている。
牛伏城うしぶせじょう飯綱城いいつなじょう虚空蔵山城こくぞうさんじょう[全て現在の上田市]……
村上連珠砦群むらかみれんじゅとりでぐん』と呼ぶらしいがな。
これらは幾重いくえにも補給線が張り巡らされた安全な城じゃ。


「……」

 ◇

思案しあんにふける晴信に、一つの考えが閃く。

「幸隆よ。
わしは、ある『機会』を待っていた」

「機会とは?」
「武田家中かちゅう獅子身中しししんちゅうの虫を粛清しゅくせいする機会」

「それは誰です?」
「重臣の板垣信方いたがきのぶかた甘利虎泰あまりとらやす

「板垣殿と甘利殿……?
武田の双璧そうへきとも呼ばれる筆頭家臣ではありませんか!
2人を粛清せねばならない何らかの理由があると?」

「今川家や北条家と通じ、我が父の追放を主導したからじゃ。
わしは、この2人にまんまとめられた。
『信虎様は、国中の者から嫌われております。
このままでは……
武田家は内側から滅びますぞ』
とな」

「なるほど。
そのことで、ある話を聞いたことがあります」

「話?」
「お父上の信虎様を追放した、まことの理由です」

「理由?」


「ああ……
その話か」

「信虎様は甲府の山裾やますそ躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたを建て、その眼下に城下町を築きました。
家臣たちがおのれの領地に住むことを禁止し、妻子も含めて城下町に住むことを強要したと」

「『家臣集住かしんしゅうじゅう政策』よ。
妻子も含めた家臣たちの生殺与奪せいさつよだつを握り……
おのれに従わない者を、いつでも粛清できる状態にしておくためにな。
だからこそ家臣たちはこぞって猛反対した。
わしを操って、我が父を追放した」

「絶対的な権力者を目指す晴信様は……
殿殿?」

「その通りじゃ。
幸隆。
うまい筋書きを思い付いたぞ」

「お教えください」
「我が武田軍は板垣隊と甘利隊を先鋒とし、そちの道案内で砥石城といしじょうを攻めるが……
わざと『敗北』する」

「は、敗北!?」
「武田の双璧そうへきとも呼ばれる2人の筆頭家臣を敗北させた城となれば、砥石城の『価値』はいやおうでも上がるのではないか?」

「その状況で……
それがしが弟を使って砥石城を落とせば!」

「真田の功績は誰が見ても明らか。
わしは、堂々とそちに真田郷を褒美として与えることができる」

「何とお見事な!」


【次話予告 第十四話 上田原合戦】
攻める武田軍と守る村上軍は千曲川を挟んで対峙しました。
この上田原合戦で武田軍は……
外様家臣ではなく、何と譜代家臣の双璧・板垣信方と甘利虎泰が先鋒を務めたのです。
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