会偶奇譚

空蝉廻

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天津風アンノウン

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「天女ってさぁ、本当に居ると思う?」

 彼女からの唐突な問い掛けに、僕は思わず「はぁ?」と間の抜けた声を返してしまった。不満げに頬を膨らませながら、回転椅子に腰かけた彼女がこちらを振り返る。

「だからぁ、ゆう君は天女って信じる?」

 ゆう君、これは彼女が勝手に付けた僕の渾名のようなものだ。
 彼女とは腐れ縁で、保育所で同じ組だった頃からなんだかんだ仲良くやっている。かといって恋心があるわけでもなく、彼女も僕を異性として見てはいないだろう。その証拠に、僕の部屋を占拠する彼女は回転椅子の上で胡坐をかき、網戸から吹き込む生暖かい風に髪を攫われるまま無防備な姿を晒している。
 そんな彼女に苛ついたわけではないが、梅雨特有のまとわりつくような暑さにうんざりしていた僕は、意図の読めないその問い掛けに溜息を零した。

「信じるわけないだろ、そんなの。サンタとか幽霊と同レベル」

 手をぱたつかせてその場しのぎの風を起こしながらそう言うと、彼女は悪戯っぽく笑った。その顔が何処か寂しそうに見えて、一瞬僕の心臓がどきりと跳ねる。

「ゆう君ならそう言うと思った」

 微笑みと共に告げられた言葉。僕がその真意を問いただす前に、申し訳程度にしか吹いていなかった風が突如ごうと吹き込む。
 カーテンや机の上に置かれたままだったプリントを巻き込んだ風に思わず目を閉じ、僕の世界に暗闇が訪れる。強風が治まったのを見計らってそろそろと目を開けた僕は驚愕した。

 その世界に彼女はいなかった。

 先程まで彼女が座っていた回転椅子は主を失ってからからと回り、半分ほどに減っていた麦茶は中に入っていた氷が解けて軽やかな音を立てるのみだった。

「……は、相変わらず身軽な奴。お前、またクローゼットに隠れてるなら今度こそ怒るからな」

 彼女お得意のかくれんぼだろうと声を掛けるも、それに応える声はない。誰かが身じろぐような気配もない。
 いくら彼女が素早くても、先の一瞬で僕の横をすり抜け雑多な物が詰まったクローゼットへ隠れる事など不可能だろう。では、彼女は一体どこへ消えたのか。その答えは思いの外早く見つかった。
 先程までぴったり閉まっていた筈の網戸が、手も触れていないのに全開になっていた。

「うそ、だろ……?」

 床に胡坐をかいていた僕はふらふらと立ち上がり、力の入らない足で窓へと向かう。相変わらず生暖かい風を取り込むそこは、それでも近付けば心地好く感じられた。──あいにく僕にそんなことを感じ取る余裕はなかったけれど。

「なぁ、冗談だよな?またそうやって僕をからかってるんだろう?もう充分驚いたから出てきてくれよ」

 部屋の中を振り返って言う顔を誰かが見ていたら、それはきっとさぞかし情けない引き攣った笑みだったことだろう。しかしいつもの豪快な笑い声が響くことはなく、蒸し暑い空気はただ蝉の声だけに侵されていた。
 白昼夢でも見せられているようなふわふわとした気分で、力が抜けるのに任せて膝をつく。硬い床がやけに冷たく感じられた。

「……なんで、今なんだよ……あと一日くらい、待ってくれたって良いだろ……?」

 自覚できるほど震えた声に、自分でも苦笑が浮かんだ。
 
 あと一日。あと一日で彼女の十八歳の誕生日だったのに。

 僕の頭はどうしてだか、この受け入れきれない現状に疑問を抱くより先に、そんな感情で支配された。今年くらいはしっかり祝ってやろうと思っていたからか、決めたことを達成できなかった不快感からか、不思議と僕の頭は冷静だった。

「いや、冷静とは言えないか」

 ぽそりと呟いて天井を仰ぐ。一人になった部屋で自嘲気味に笑えば、響く蝉の声が一層大きくなった気がした。

「……なんて答えるのが正解だったんだよ」

 信じていると、そう言えば良かったのかも知れない。そう言えば、彼女は満足していつものように笑ってくれたのかも知れない。でも僕は天女がいるなんて突拍子もない話を信じる気にはなれないし、仮に彼女がそうだと言われても受け入れられる自信はない。
 僕のそんな気持ちを知ってか知らずか、開け放たれた窓から爽やかな夏の風が入り込む。じめじめと蒸し暑かったくせに、慰めるように涼しくなるなんて反則だと思う。


 結局、僕には彼女の本心は分からなかったし、本物の天女だったのかも分からない。周りの人たちは彼女が居ない世界をいとも簡単に受け入れて、以前と何一つ変わらない生活を送っている。

 謎ばかりを残された僕は、今日も君を攫った風に君を感じる。

 案外、君は僕の事を気に入ってくれていたのかな。それとも、僕の方が君に惹かれていたのかな。

 今となっては真相を確かめる術はないけど、不思議と嫌な感じはしない。かえって満ち足りている気さえする。


 君の行方も、僕たちの関係も、僕の気持ちも
 すべては神のみぞ知る──


 なんてね。


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