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【本編】
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しおりを挟む朝比奈さんの部屋を出たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
早朝に起き出し、今日は遅くまで帰れないと言い置いて行った朝比奈さんに、せめてカレーでも作っておこうと準備している間にそんな時間になってしまった。
預かっていた合鍵でしっかり施錠して、キーホルダーも付いていないそれを失くしてしまわぬようポケットの中にしまい込む。
日中だから多少迷子になっても平気だと高を括って、大通りを目指してくてく歩き始める。
歩きながら、朝比奈さんに一通だけメールを打った。
『兄貴に会ってきます』
たった一言、それだけを送って電源を切る。
もし電話がかかってきても取らないで済むようにするためだ。
散々世話になったんだから、兄貴に会いに行くと報告くらいはしておきたい。
けど、止められたって止まる気はないから、もし電話がかかってきても取りたくはない。
自分勝手な仁義だとは思うけど、一応筋は通しておかないと堂々と兄貴に会える気がしない。
そんなことをつらつら考えていると、ふと昨夜の池田を思い出した。
池田が夜中に突然現れたことは、朝比奈さんには言っていない。
流石に言えなかった。
会うなと言われていたのに、結局会ったんだから。
向こうが勝手に来たんです、だから不可抗力なんですと、責任の全てを池田に押し付ける気にもなれない。
たとえそれが口から出任せのその場凌ぎであったとしても。
だって嬉しかった。
大分タイムラグがあったけど、呼んだ池田が本当に来て、俺は嬉しかった。
去っていく背中は名残惜しかった。
見えなくなるまで見送ってしまうくらいに。
そんな感情を自覚しているのに、全部を池田の責任にするなんて出来るわけがない。
かと言って、もし責められてもどう言い訳をしたら良いのかが分からない。
来たら良いのにと思っていたら、本当に来たから嬉しくてまんまと会いました……なんて、なんだか良からぬ誤解を呼びそうで口には出来ない。
だから言えなかった。
池田は不思議な存在だ。
近くに居るときは何度も逃げ出したいと思ったのに、いざ離れると会いたいとすら思う。
ちゃんとした友達になれれば、多分こんな風にはならないだろう。
容易く切れる脆い関係だからこそ、少し離れただけて心細いような落ち着かないような気分になるんだろう。
いっそ「友達になってください」と言ってみようか。
……いや、こういうものは手を差し出してお願いすることじゃない。
いつの間にか一緒に居るようになって、意識しない間にそうなっているべきものだ。
「……アホか」
中学生日記じゃあるまいし。
ぶるぶる頭を振って馬鹿な考えを追い払う。
と、目の前に商店街が見えてきた。
何となく人が多く向かう方向へと流れてきたのが良かったんだろうか?
賑わう場所に出てこられた事にほっと胸を撫で下ろし、足を速める。
こういう場所には大抵……あった。
地下へと続く入り口を見つけてまた安堵、足早にそこへ近付く。
入り口の表示の色は、家の最寄り駅のものと一緒だ。
これなら電車一本で家に行ける。
示されている駅名は、今まで降りたことのない名前だ……そりゃ景色に見覚えが無いのも頷ける。
地下へ降りて料金表を見上げてみれば、意外と家から近かった。
ポケットの小銭で切符を買って改札を抜け、電車に乗り込むとそのままドアに背を預ける。
これでもう後は迷うことなく家に帰れる。
そう思うとほっと一息、数日前の兄貴の背中が脳裏に浮かんだ。
そのうち会わせるよ。
今は駄目だ。
アイツが卒業してから。
ぼそぼそと電話に話しかけていた中で聞き取れたのは、この三つだけだ。
だけど、これだけでも十分だった。
このたった三つだけの言葉が、まるで示し合わせたように昨夜の池田の言葉と繋がる。
小学校を卒業したら、中学校を卒業するまで、高校を卒業してから……都度都度で引き伸ばされていくリミット。
俺が誰か相手を見つけるまで、兄貴が他所を向いても淋しいと思わなくなる年まで、兄貴はお前のものだと池田が言っていた。
五年も付き合っているのに一向に家族に会わせてももらえないことに対して、さくらはどんな風に思っているんだろう。
もう少し兄貴と一緒に居てやってと。
あの言葉を、どんな気持ちで吐いたんだろう。
想像すると胸が詰まる。
さくらは優しい人だ。
池田も優しい。
兄貴も。
周りの優しさの上で胡坐をかいて、それでも尚だだを捏ねる俺はどうしようもなく子供だ。
本当に、どうしようもない。
本音だけを前面に押し出して我儘を主張する本能と、それじゃ駄目だと諌める理性が頭の中で喧嘩する。
自分対自分の喧嘩にはやっぱり勝負がつかない。
「……」
疲れた気分で視線を落とし、目を閉じる。
さくらから池田と兄貴の話を聞いて、池田からさくらと兄貴の話を聞いた。
二人からの情報で、今まで見ていた兄貴の輪郭が僅かに滲む。
傍若無人で自由気侭で融通が利かなくて、筋の通らないことをすればブチ切れる。
俺のことなんか、猫じゃらしにじゃれ付く飼い猫くらいにしか思っていないような態度で接してくる。
せっせと話しかけても上の空、時にはしっしと追い払われたりもする。
そんな兄貴が、俺のためにさくらを隠していたなんて思いもしなかった。
あの夜、兄貴とさくらが一緒にいる姿を見かけたあの夜に考えたようなことを、考えさせないために兄貴はさくらを隠していたんだろう。
身体がじゃない、心が寄り添う二人を見て、俺がどんなことを考えるのか……兄貴には分かっていたんだろう。
ぞんざいに扱うくせに、そんなところだけ見透かすのはずるい。
格好良過ぎてずるい。
今頃兄貴は何をしているんだろう。
また一人になった家の中で、ぽつんと仕事をしているんだろうか。
俺を優先した所為で、兄貴が一人になった。
俺は、自分が放り込まれた新しい環境への不満ばかりで、家に一人になった兄貴のことなんて考えもしなかった。
したとしても、精々、悠々と一人暮らしを満喫しているんだろうな、程度だ。
そんな風に思っていた兄貴が部屋にさくらを招き、俺を迎えに行くからと追い出した。
そしてまた、一人になった。
たった一晩で俺が家出した所為だ。
腹が痛い。
漠然とした後ろめたさに、胸が焼ける。
単調な電車の揺れは心地好いどころかいっそ不快で、早く駅に着けば良いのにと願う。
電車が緩やかにホームに滑り込むと、まるで追っ手から逃げる蚊みたいにふらふらとそこから飛び出した。
早く家に帰りたい。
今、兄貴がどうしているのかを知りたい。
しょんぼりしていないかを確認したい。
足早に、最後は駆け足になりつつも家に向かう。
駅から家までは遠い。
自転車でも十分も二十分もかかるのに、無理して歩こうと思うと三十分も四十分もかかる。
バスは一時間に数本しか出ない。
金が足りないわけじゃなかったけど、バス停で延々と待ち続ける心のゆとりもなかったから、走った。
傾きかけた看板が見えてくる。
全開にされたシャッターの前に、売り物の中古車が何台も並べられている。
あれを毎日出したり入れたりしているんだから、兄貴が力持ちなのも当然だ。
改めてそんなことを考えながら走り――足が止まった。
店の中に見えた兄貴の背中に、誰かが並んでいる。
強烈な既視感に本能が怯えて足が勝手に止まった。
が。
兄貴が動くと、「誰か」も一緒に動く。
それを見ると同時に、
「玖朗ッ?」
我ながら素っ頓狂な声が上がった。
その声に、兄貴と池田が一緒になって振り向いた。
「涼ッ?」
吃驚眼の兄貴と、目が合った。
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