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【本編】
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しおりを挟む池田が近い。
誰よりも近い。
ゼロどころかマイナスに近い距離に他人を寄せるのは池田が初めてで、過去に例がない所為で一体どんな顔をしたらいいのかが分からない。
慣れきったはずの池田の体温が、遠く近く、ついては離れ快楽を煽る。
右手が頬を撫で、左手が脇腹を掠める。
反射的に押し留めようと勝手に伸びる手はゆるりと押し返されて、指と指が絡み合う。
二度三度と唇を啄ばめば、挨拶はしましたとばかりに口腔内に舌が割り込んでくる。
逃げる舌はすぐに捕らわれ、撫で上げられてひくりと震える。
重力に従って滑る落ちてくる唾液を、どう扱えば良いのか分からずに舌の根で喉に押し留めていれば、口角から溢れて頬を濡らした。
手の甲で拭う余裕は与えられない。
くちゅくちゅ舌を捏ね合わせ、酸欠に喘げば少しだけ唇が離れる。
「は、」
大きく息を吸い込んで、吐き出すよりも先にまた呼吸が塞がれる。
舌が甘い。
唾液が甘い。
涙や汗みたいに、人間の体液というのはしょっぱいものだと思っていたのに、とんだ勘違いだった。
舌を伝って流れ落ちてくる唾液は、流石に美味いとまではいえないけれど、ただただ甘い。
頭を抱え込んで逃げ道を塞ぐ腕を退けようと手を伸ばすけど、指先に力が入らずただ皮膚の表面を頼りなく爪先が引っ掻くだけだ。
頭の中がふわふわする。
窓から差し込む健全な光が、日中から絡み合うのを咎めてくるように見えて胸に罪悪感が募る。
せめて遮光カーテンを引ければ良いのに。
そう思うのに、ちらちら窓を気にする俺に、池田は全く気付かない。
好物に食い付く獣みたいに、吸い付いてきて離れようとしない。
頬を伝っていた唾液を耳の下からぬるりと舐め上げ、躊躇うことなく飲み下すとまた唇を寄せてくる。
一度だけでは足りないと堂々言ってのけた言葉を証明するみたいに、池田は繰り返し繰り返ししつこく唇に触れてくる。
初めてのキス二回目のキスと、夢見る乙女は手帳にわざわざそれを記したりするというけど、たった一日で数え切れないくらい触れ合ったときはどんな風に書き残すんだろうか。
教室の机の上で広げられる可愛らしいスケジュール帳の中身を思い出そうとするけど、まともな思考はすぐに形を潜めて巧くいかなかった。
「ッ、」
吐息が耳に触れて、肩が勝手に跳ねる。
逃げるように首を竦めるけど、ほんの少しの距離が開いたところで抱きすくめられるような格好じゃすぐに追いつかれる。
耳朶が食まれ、呼気が鼓膜を振るわせる。
ぞくぞく背筋が震え、それを堪えるようにぎゅっと眉間に力を込める。
耳が弱いのは、多分もうばれているんだろう。
半分投げやりな気分でそう考えるのと同時に、耳元で笑みが零れた。
「……やっぱここ、弱いな」
ひっそり笑みを刷く低い声に、ずきんと下腹部が鈍く痛む。
からかう言葉を横目で睨み、
「分かってんなら、あんま、触るなよ」
途切れ途切れ不満を口にすれば、池田は一瞬だけ目を丸くさせ、それからゆるりと微笑した。
欲情に濡れた池田の目は、強烈な色気がある。
その目が自分に向けられていると思うだけで、心臓が縮みそうな恐怖を覚え、同時にじわりと身体が疼く。
「冗談。弱点を攻めんのは攻略の基本だろ?」
掠れる声がわざとなら、池田は大した演技派だ。
どんな目を向ければ、どんな声で囁きかければ、俺がどんな反応を見せるかを完全に把握しているとしか思えない。
触ってくる掌で、囁きかける声で、真っ直ぐと向けてくる眼差しで、じわりじわりと周りを取り囲み逃げ道を塞いでくる。
優しく優しく、嬲り殺される。
「ん、」
ぴちゃりと濡れた音がして、ぶるりと身体が震えた。
首を竦める頭をやんわり掌が撫で、耳殻を舌が愛撫する。
「この前見つけたお前の弱いとこ、一つずつ教えてやろっか」
「んぅ、」
ねっとり舌を差し込まれて肌が粟立つ。
怖く無いように、を実践してくれているのか、頭からぱっくり食いついてくるような性急さはない。
ただただゆるゆると指先が肌の上を這い回り、舌が口腔内を弄び、腹の底から押し上げるみたいに体温を高めていく。
悪寒は末端まで連動して、指先が震える。
くらくらと眩暈がする。
残る理性がしきりに羞恥を訴えて、目を開けていられない。
それなのに、塞いだ瞼の奥、ゼロの視界に怯えて勝手に目玉が池田の顔を追いかける。
池田は、視線が絡むとゆるりと微笑み、頬に額に唇に、優しく舌を寄せてくる。
「……まずは、ここだろ?」
「ッ、」
擦り寄るように舌が首筋を辿る。
「それに、ここ」
鎖骨の窪みを舌先が突付き、浮き上がる骨に歯が立てられる。
掌が頬を撫で、肩から伝って指を掬い上げる。
引き寄せられた掌の窪みに息を吹きかけられて指が震えた。
「ここも弱い」
からかう声が羞恥を煽る。
居た堪れずに眉間に皺を寄せ、渾身の力を込めて池田を睨む。
「そんなの、いちいち言わなくていい……ッ、だまれよ馬鹿!」
痛くないようにと怖くないようにに加えて、恥ずかしく無いようにも条件に入れておけばよかった。
じろりと睨む視界が滲む。
池田は艶やかに微笑んで、舌先で軽く唇を舐めた。
「じゃ、オレが弱いとこ教えてやろっか」
言うなり、ゆるゆる肌の上を這い回る掌はそのままに、池田は上体を起こした。
見下ろしてくる目が顔から腹の位置までを一撫でする。
「オレは、お前のこの顔に弱い」
さらりと頬を撫でてくる掌は、池田の体温も上がっているのだと証明するみたいに、いっそ熱いくらいにあったかい。
「潤んだその目に弱い」
情けない涙目に、灰色の目をひっそりと細める。
「掠れた声がたまんない。理性が飛ぶ」
「……」
「お前の気配は心地好い」
うっとりと呟く声に、内臓が戦慄いた。
自己申告の弱点披露は、何でか自分の弱い場所を教えられるよりも気恥ずかしかった。
目を逸らしたいと思うのに、絡め取られたように眼球が動かせない。
ゆるく吐き出す息が熱いことすら居た堪れない。
真っ直ぐと向けられてくる好意に、どんな顔をしたら良いのかが分からない。
相手の顔に弱いのは、寧ろ俺の方だ。
艶やかに微笑まれれば心臓が痛くなる。
潤んだ目を向けられれば、欲望が目を覚まして身体が疼く。
掠れた声は鼓膜をくすぐり、恐怖心と羞恥心を無い混ぜにする。
全身で擦り寄ってくる池田の気配は心地好い。
怖いけど気持ちがいい。
逃げ出したいのに捕らわれる。
他の誰よりも特別だと、池田の気配がそう言っている。
この強烈な優越感をどうしたら良いだろう。
さくらよりも朝比奈さんよりも兄貴よりも……多分、ゆらゆら女よりも、池田を好きに出来るのはこの俺だ。
誰も寄せ付けない扉は、俺だけには当たり前のように開かれる。
理由なんて分からない。
けど、最初から躊躇いのようなものは一切なかった。
最初から全部解放されていた。
この綺麗な獣は、俺だけのものだ。
「なあ涼二」
ふと、池田が動いた。
ゆるりと近付く顔が、呼吸の触れる距離に迫る。
「入れろよ。お前ん中入りたい。駄目だなんて意地悪すんなよ」
なあ、と。
池田は、脅し上手の甘え上手だ。
耳元で囁く甘い声音に、また体温が上がったのが分かった。
けど、だからといって「いいよ」と頷けるわけがない。
痛いのは嫌だと何度も何度も主張していたはずだ。
俺はただ怖いのは嫌だと訴えているだけなのに、それを意地悪と認識する池田はどうかしている。
被害妄想の病気だ。
傲慢で尊大で被害妄想持ちなんて、厄介すぎて手に負えない。
「涼二」
「……絶対やだ、」
池田が主張を変えないように、俺だって主張は変えない。
けど、吐き出した拒否の言葉がどんな風に鼓膜に響いたのか、池田はまた緩やかに微笑した。
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