君と手を繋いで明日を生きたい

石田空

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余命ヒロインの妹

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 そうこうしている間に、姉は中学校に上がった。
 制服に袖を通した姉は申し訳なさそうな顔をしていた。サイズがどうにも合わなくて、一番小さいサイズのものを着ていた。
 それでもほとんどは保健室登校であり、週に三回ほどしか学校にはいけなかった。
 私はというと、学校で姉のために荷物を取りに行ったり、持って帰らなくて済むと一年くらいは平穏に暮らしていたものの、私が中学に上がる頃、お母さんが真剣な顔でお父さんと私に行ったのだ。

「お姉ちゃんの治療ができる病院が見つかったの。そこに入院させるために入院費がかかるから、私も働こうと思うのだけど」

 免疫不全は内科だと思っていたけれど、外科手術で細胞を移植すれば治るものらしい。ずっと海外で働いていた医師が日本に戻ってきたことで、それが可能になったとのこと。
 ただ、それは最新治療のために保険を使っても費用が馬鹿にならないため、どうしてもお金が必要とのことだった。
 正直、もうお父さんはこれ以上仕事を増やせないため、これ以上入院費は捻出できそうもなかった。お父さんはしばらく考えたあと、お母さんに同意したのだ。
 嫌な予感がする。そう思ったものの、私は黙り込んでいた。
 ここで「嫌だ、どうして私が」と言ったところで、私の意見が通らないことは、さすがに学んでいたからだ。

「蛍、あなたお母さんの代わりに家事をやってくれない? あなたは健康なんだから、なんでもできるわよね?」

 私は嫌な顔をしたものの、断り切れることもできないため、諦めて家事をこなすようになった。
 元々友達と公園でしか遊んでいなかったものの、小学校高学年ともなったら、恋の話やら学校の先生の悪口やら、これは外でおおっぴらにする話じゃないと判断して、誰かの家に集まってするようになる。そんな会話をするために人の家に遊びに行けない私は、家事を任されたと言い訳して早めに帰ったほうが、人間関係を気遣わなくてよかったのだ。
 毎日毎日、お母さんから渡された免疫回復にいい食材のメモを元に、献立を考える。そんな主婦じみてきた私を、とうとう姉は見かねて口を挟んだ。

「蛍、別にお母さんの言うとおりにしなくってもいいのよ? 遊びに行きたいんだったら遊びに行きなさい」

 両親に甘やかされた子はわがままになると言うが、姉を見ている限りそれは嘘だ。両親に甘やかされた子供は自己肯定感が増し、人に対しても気遣えるようになる。
 私みたいに親からなんでもかんでも任され過ぎていると、その重みで圧迫してときどき息ができなくなるのとは大違いだ。その卑屈になっていく気持ちをぎゅっと飲み込んだ。

「お母さんたちに、嫌われたくないから」
「それって、家事しないとお母さんとお父さんに嫌われるってこと?」
「うん……お父さんは仕事でクタクタだし、お母さんだってきっとクタクタになるのに……私だって、友達の家に遊びに行けないのに、ただ家に帰ってダラダラするだけって、できないもん」

 それに姉は絶句したように私を見ていた。そして、私の手を取った。その手に、私は「ヒュン」と息をした。
 ザラザラだ。乾燥して、皮膚全体がささくれ立っている。前々から手洗いうがいを徹底していたものの、免疫がなさ過ぎる姉はそのせいで手荒れがひどくなり過ぎていた。

「私は……蛍が幸せなほうがいいから」
「お姉ちゃん。私どうやったらいいのかわからないよ」
「もうちょっとしたら、蛍も中学生じゃない。中学生になったら、もっと分別のある子が増えて、手洗いだってうがいだってまともにできる人しかいなくなるから。そうなったら、遊びに来てもらってよ。私も蛍の友達が見たいなあ……」

 そう羨ましそうな声を上げる姉に、私ははっとした。
 ……私が不幸だ不幸だと言っていても、姉のほうがその上をいってしまっている。保健室と家を往復するばかりの姉に、果たして同い年の友達はいるんだろうか。
 私が姉の荷物を取りに行く中、一度だけ姉の担任から「これを持っていって欲しいの」と頼まれたものがある。缶いっぱいの手紙に、千羽鶴だった。それを姉に渡したら、姉は心底困った顔で「申し訳ないけれど、捨てておいて」と言ったのだ。

「どうして?」
「……本当に申し訳ないけどね、私、クラスメイトの名前も、担任の名前も覚えてない。覚えてない人から恩着せがましくそういうものもらって返事を書いたら、ずっとそういうの続いちゃうから。私、授業の材料じゃないのに」

 どこかの慰霊碑に飾るために、千羽鶴を折ったことはある。それと同じように、入退院を繰り返す姉も、命の授業の材料として使われてしまっているみたいだった。
 そんな姉が、家族以外の人間に対して不信感を抱くのも当然だと気付いた私は、姉に頷いた。

「わかった」

 私はまだ、考えが足りてないと気付いたのは、もうしばらくしてからだった。

****

 私が中学に入ったとき、姉よりも大きめの制服を着た。
 思春期に入った頃には、すっかりと私は姉よりも身長も伸び、体重も増えた。
 この頃には姉には滅多に会うことができなくなっていた。姉は長期休暇のたびに入院し、なにかの治療をしているのだ。
 手術。放射線。薬。いろんな治療を施しても、姉の寿命はなかなか伸びないようだった。それでも姉が綺麗だったのは、姉に近付いてくる死を認められないお母さんやおばあちゃん、おじいちゃんがなんとかしようと、姉にたくさんの服を与え、髪も院内理容室を使い、整え続けた成果である。
 病院と学校、そして温かい家族。
 気付けば姉はすっかりと浮世離れしてしまっていた。
 家族で長期休暇で病院に行くたびに、叔母さんは私を家まで呼んだ。もうその頃には、私は家事が上手くなっていたため、冷蔵庫の中身が少なくてもなんとかする術を覚えていたけれど、カウンセリングルームで働いたことのある叔母さんは、そういうのをよしとはしなかったのだ。
 満美ちゃんはふて腐れていた。

「いいなあ、ゆきちゃん。また新しい服買ってもらってたんだよ?」
「おい、満美。本当にそういうの言うの止めろよ」

 その辺りはいつも徹くんが止めてくれたものの、満美ちゃんは隙あればこっそりと姉のことを僻んだ。
 ……従兄弟たちにそう見られても仕方ないと私も思っている。
 お母さんが尋常じゃなく姉にのめり込んでいくのもそうだけれど、おじいちゃんおばあちゃんにとって、姉は初孫なのだ。その初孫が自分たちよりも早く亡くなりそうだということに耐えきれず、傍から見てもびっくりするほど、服やお菓子、入院費用を工面しているのだ。それ以外の孫のお年玉は年々渋くなっていくのを見ていたら、それはえこひいきだと思われても仕方がない。
 その辺りを見かねて、叔母さんは私を家に呼んでくれているのだろう。
 満美ちゃんは言う。

「だって、ほたちゃんはなんにももらってないんだよ? 家事ばっかり押しつけられて。実の親子なのに、どうしてほたちゃんは『シンデレラ』みたいになってるの?」
「……そんなことないよ。『シンデレラ』は姉妹仲あんまりよくないじゃない。私はお姉ちゃんのこと、好きだよ」

 そう言うと、満美ちゃんは目を剥いた。
 たしかに満美ちゃんは口が悪いけれど、私がいろんな流行に疎くなってしまっているのを気にしてか「これ面白いんだよ」「これ楽しいんだよ」「この音楽最高」と、世間一般の流行のマンガやゲーム、音楽を勧めてくれた。私が家と学校とスーパーを反復横跳びしているのを、気にしてくれていたらしい。
 満美ちゃんは私に噛み付く。

「それ、絶対に変だよ。なんというか、歪んでる」
「そんなこと……ないよ」
「あるよ。お母さんずっと心配してたもん。このまんまじゃほたちゃんおかしくなるって」
「はい、そこまで」

 とうとう見かねた徹くんが、教科書を丸めて棒にして、それでスパンと満美ちゃんを殴った。それに満美ちゃんは徹くんを睨み付ける。

「なにすんの!?」
「世の中、踏み込んでいいことと悪いことあるの。素直で実直なのと、口が悪くて人が嫌だって思っていることを口にするのは、全然違うから」

 徹くんはそうきっぱりと言い捨てた。
 私はなんだか気まずくなり、満美ちゃんの部屋を出て行ったら、徹くんがついてきた。

「蛍ちゃん、本当にごめんな。満美が本当に口が悪くて……」
「ううん。私こそごめん。心配かけてるんだなあと思って、申し訳なくなった」
「でも蛍ちゃん。俺も満美ちゃんと気持ちはおんなじだよ?」
「えっ?」

 徹くんは難しい顔をしていた。それに私は目をパチリとさせる。私と二歳違いの徹くんは、姉と同い年で、普段の小柄な姉を思えば、大柄に見えた。クラスの男子はまだ小学生とほとんど変わらない体長をしているからかもしれない。
 その中、徹くんはボソリと言う。

「伯母さん、蛍ちゃんのことないがしろにし過ぎてないか?」
「そんなこと……」
「あると思ってるから心配してんだよ。本当に無理って思ったら、相談に乗るから……」

 そう言われて、私は踵を返した。

「ありがとう」

 声に温度は篭もらなかった。
 きっと徹くんは、本気で心配してくれたんだろうけれど、私の脳裏で「余計なお世話だ」という罵倒が渦巻いてしまい、それを抑え込むのに必死だった。
 なにも知らない癖に。変わってもくれない癖に。上澄みの部分だけで可哀想がって、自分はいい人だと思うのはやめてよ。
 余計なお世話な善意は、悪気のある悪意よりもよっぽど鬱陶しいと、この頃初めて思い知ったんだ。
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