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しばしの入れ替わり
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クリスティナの提案に、クラウディアは少しだけほっとした。
正直、クラウディアにとってセシリオはあまりいい婚約者ではなかった。
銀髪碧眼で物腰が柔らかな態度は王都的なのだろうが、その湾曲的な言動が彼女の性には合わなかった。だから、自分がクリスティナのふりをして、しばらく距離を置けるというのはありがたかった。
その上、どうにも態度の悪いエルベルトが本当にクリスティナの結婚相手にふさわしいのかを見極めなくてはいけなかった。いくら護衛術とは言えど、寝ているところを起こしただけで技をかけられたんじゃ、命がいくつあっても足りはしない。さすがにそんな野蛮な人物にクリスティナを嫁がせるのは嫌だった。
そんな訳で、ふたりは髪型を元に戻すことはなく、そのまま互いのクラスに戻ることになった。
幸か不幸か、ふたりと親しい人間がいないために、今まで入れ替わりがばれた試しがない。だから大人しく授業を受けながら、合同授業のたびに顔を合わせるエルベルトの観察をしようと思ったのだった。
中等部のときから、やけに令嬢たちから嫌われるものの、令息たちから評判の男であった。それが彼女には粗野に見え、大人しいクリスティナに合っていないのでは、とクラウディアは考えていた。
授業を受けに行く中、珍しくエルベルトの長身があることに気付く、クラウディアは「あ」と言いかけて口を噤む。クリスティナの性格上、苦手な人を見つけたら、黙り込んでやり過ごそうとするが、彼女は率直過ぎたのだ。
クラウディアが黙り込む中、エルベルトが振り返って彼女を見下ろした。
「なんだ」
鋭い眼光で睨まれ、一瞬怯みそうになるが、どうにかクリスティナの普段の言動を思いながら声を上げた。
「エルベルト様、今日はもう授業を休まないんですね」
「嫌みか。俺が授業を受けようが受けまいが、お前には関係ないだろ」
「……そんなことは、ないです。一緒に卒業したいですから」
「卒業ねえ……お前は俺との婚約には乗り気じゃないみたいだったが」
「それは……」
正直、クラウディアからしてみれば、可愛い妹をこの男に渡していいものかどうか、悩んでいるところだった。クリスティナは彼の言動にいちいち震えてノイローゼを起こすようであったら、なんとか婚約を破談に持ち込みたいところだが、彼女が行き遅れにならないよう他の相手を探さないことには、話にならない。
クラウディアが考え込んで、どうにかエルベルトに対してかける言葉を探していたが、やがてエルベルトが「はあ……」と大袈裟に溜息をついた。
「お前の妹大好きな姉にでも言っておけ。破談したいなら受けると」
「そ、そんな……困ります」
「あの姉のことだ。お前が言えば、なんとかして破談に持ち込もうとするだろうさ。あっちはあっちで、婚約者と揉めているみたいだがな」
それにクラウディアは少しだけ驚いて、エルベルトを見た。
そもそもクラウディアとセシリオはお茶会をしたりして、なんとか互いに交流を深めようとしては、上手くいっていなかったが。それを彼が見ていたとは思いもしなかったのだ。
社交的なセシリオだったらいざ知らず、学院内でつまはじき者になっているクラウディアの噂が出回るとは考えにくい。
「……どうしてお姉様とセシリオ様のことをご存じですか?」
「そりゃ知ってるさ。見えるからな」
「どうしてお姉様を見てらっしゃるんですか、困ります」
「なんだ、妹大好きなのは姉だけかと思っていたが、姉大好きは妹もそうか……いや、そりゃそうか。お前はいつだって姉の話しかしないからな」
言いたいことだけ言って、そのままエルベルトは歩いて行ってしまった。
クラウディアは意味がわからず、ポカンと彼の背中を見ていた。
(……普段からクリスは、エルベルトとどんな話をしているのかしら。それ以前に、エルベルトはどうして私とセシリオが上手くいっていないのを見ていたのかしら……)
考えてみたが、クラウディアには答えが見つからなかった。
****
共通授業である古典文芸。
詩や物語をそらんじて、それらの教訓を読み取るのが主な授業内容だったが、クラウディアにとっては退屈極まりないものだった。
(文章を分解して文法を覚えても、それがなんの訳に立つのかわからないし……教訓だって時代によって変わるのに、今の時代に合わせて考えても意味がないんじゃないかしら)
社交界では、教養のひとつとして、古典詩のひとつやふたつそらんじることが求められているが、パニアグア子爵領がそんなに何度も王都の社交界に顔を出すとは思えない。彼女が相手をしなければいけないのは領民や商家、技術者たちと平民ばかりであり、彼らが古典文芸を嗜むかがわからないのだ。
なんとかノートを書き取ろうとするものの、昼食後の授業は眠気を誘い、だんだん瞼が重たくなっていく。
他のクラスメイトたちは真面目な顔で、教師の話を聞いて筆記している。ペンを走らせる音が余計に眠気を誘う中。
階段テーブルの向こうにエルベルトが肘を突いて眠っているのが見えた。金色の眼光鋭い目が閉じられると、端正な顔つきなのがわかる。しかし教科書もノートも広げているが、取っているようには見えなかった。
(あんなに堂々と眠るのね……あの人も)
そう思ってクラウディアは、どうにか眠気を堪えて板書を移そうと試みるが、とうとう眠さに負けて、ノートはみみずを書き殴ったような惨事になってしまっていたが。
「パニアグアさん、この古典の解釈をお願いします」
「は、はい……!?」
意識が飛んでしまったために、どこまで授業が進んだかわからない。教師に指摘された場所がどこかもわからず、慌てて教科書を広げてページをめくる。
教室から嘲笑の声が密やかに響く。パニアグア姉妹は、なにを言ってもかまわないという風にされてしまったがために、授業で失敗をしたらこういう扱いになる。どうにかクラウディアは怒りを堪えてページをめくり、なんとか聞きかじった解釈を試みようとしたところで。
「──彼女には価値がわからなかった。不変的な価値があるものよりも、その場の享楽的なもののほうが価値があると見なした。だから物乞いに姿を変えた王子のことも、本当に物乞いにしか見えなかった。彼女の愚かさを見て、王子は残念に思って、彼女との婚約を破談で締めた」
その言葉で、クラウディアは驚いて顔を上げた。一行も筆記をしていなかったエルベルトが、淡々と教科書の古典物語の解釈を上げたのだ。
周りは若干驚いたようにエルベルトを見るが、彼は表情ひとつ変えず、既に眠そうに瞼を閉じそうになっている。
彼が解釈を唱えたことで、やっと彼女も教科書のページがわかった。それでおずおずと言う。
「ひ、姫は勉強よりも遊びが好きだったんだと思います。だから、親の決めた許嫁をつまらないものだと思い込んだからこそ、物乞いに化けた許嫁がわからなかったんだと思います。先入観はよくない、って話でしょう」
「はい、そうですね。この物語の解釈は数種類ありますが、その教訓のひとつとして、もっと視野を持ちましょう。もっと許容範囲を広げましょうというものが存在しています──……」
既に嘲笑の声は届かず、クラウディアは呆然とエルベルトを見ていた。彼はもう我関せずと再び眠ってしまった。
古典文学が終わったあと、あくびをして教室に戻ろうとするエルベルトを捕まえた。
「あのう……助けてくださりありがとうございます」
クリスティナらしく振る舞おうと、どうにかたどたどしくもお礼を言う。エルベルトはまじまじとクラウディアを見た。
「別に」
「で、ですけど……ノートも取らずによくわかりましたね」
「あれくらい、普通に寝物語で聞かされるだろ」
「……寝物語ですか? メイドの?」
「ああ、そうか……他はどうだか知らんが、俺の故郷では母親が子供を寝かしつける際に本を読んで聞かせている……あれくらいは内容覚えるまでさんざん読み聞かされているから、普通に知っている。それだけだ」
そのことに、クラウディアは意外に思った。
辺境伯は武芸ばかり重んじていると勘違いしていたし、実際にエルベルトも共通授業にあまり出たがらないから、優先順位が違うのかと考えていたが。
どうもこれは彼女の先入観だったらしい。
「そう……なんですね」
胸がポカポカする感触を覚えたが、すぐに気のせいということにした。
彼をいい人だとは、妹を娶る相手をそういう風に思うのは、彼女は嫌だったのだ。
正直、クラウディアにとってセシリオはあまりいい婚約者ではなかった。
銀髪碧眼で物腰が柔らかな態度は王都的なのだろうが、その湾曲的な言動が彼女の性には合わなかった。だから、自分がクリスティナのふりをして、しばらく距離を置けるというのはありがたかった。
その上、どうにも態度の悪いエルベルトが本当にクリスティナの結婚相手にふさわしいのかを見極めなくてはいけなかった。いくら護衛術とは言えど、寝ているところを起こしただけで技をかけられたんじゃ、命がいくつあっても足りはしない。さすがにそんな野蛮な人物にクリスティナを嫁がせるのは嫌だった。
そんな訳で、ふたりは髪型を元に戻すことはなく、そのまま互いのクラスに戻ることになった。
幸か不幸か、ふたりと親しい人間がいないために、今まで入れ替わりがばれた試しがない。だから大人しく授業を受けながら、合同授業のたびに顔を合わせるエルベルトの観察をしようと思ったのだった。
中等部のときから、やけに令嬢たちから嫌われるものの、令息たちから評判の男であった。それが彼女には粗野に見え、大人しいクリスティナに合っていないのでは、とクラウディアは考えていた。
授業を受けに行く中、珍しくエルベルトの長身があることに気付く、クラウディアは「あ」と言いかけて口を噤む。クリスティナの性格上、苦手な人を見つけたら、黙り込んでやり過ごそうとするが、彼女は率直過ぎたのだ。
クラウディアが黙り込む中、エルベルトが振り返って彼女を見下ろした。
「なんだ」
鋭い眼光で睨まれ、一瞬怯みそうになるが、どうにかクリスティナの普段の言動を思いながら声を上げた。
「エルベルト様、今日はもう授業を休まないんですね」
「嫌みか。俺が授業を受けようが受けまいが、お前には関係ないだろ」
「……そんなことは、ないです。一緒に卒業したいですから」
「卒業ねえ……お前は俺との婚約には乗り気じゃないみたいだったが」
「それは……」
正直、クラウディアからしてみれば、可愛い妹をこの男に渡していいものかどうか、悩んでいるところだった。クリスティナは彼の言動にいちいち震えてノイローゼを起こすようであったら、なんとか婚約を破談に持ち込みたいところだが、彼女が行き遅れにならないよう他の相手を探さないことには、話にならない。
クラウディアが考え込んで、どうにかエルベルトに対してかける言葉を探していたが、やがてエルベルトが「はあ……」と大袈裟に溜息をついた。
「お前の妹大好きな姉にでも言っておけ。破談したいなら受けると」
「そ、そんな……困ります」
「あの姉のことだ。お前が言えば、なんとかして破談に持ち込もうとするだろうさ。あっちはあっちで、婚約者と揉めているみたいだがな」
それにクラウディアは少しだけ驚いて、エルベルトを見た。
そもそもクラウディアとセシリオはお茶会をしたりして、なんとか互いに交流を深めようとしては、上手くいっていなかったが。それを彼が見ていたとは思いもしなかったのだ。
社交的なセシリオだったらいざ知らず、学院内でつまはじき者になっているクラウディアの噂が出回るとは考えにくい。
「……どうしてお姉様とセシリオ様のことをご存じですか?」
「そりゃ知ってるさ。見えるからな」
「どうしてお姉様を見てらっしゃるんですか、困ります」
「なんだ、妹大好きなのは姉だけかと思っていたが、姉大好きは妹もそうか……いや、そりゃそうか。お前はいつだって姉の話しかしないからな」
言いたいことだけ言って、そのままエルベルトは歩いて行ってしまった。
クラウディアは意味がわからず、ポカンと彼の背中を見ていた。
(……普段からクリスは、エルベルトとどんな話をしているのかしら。それ以前に、エルベルトはどうして私とセシリオが上手くいっていないのを見ていたのかしら……)
考えてみたが、クラウディアには答えが見つからなかった。
****
共通授業である古典文芸。
詩や物語をそらんじて、それらの教訓を読み取るのが主な授業内容だったが、クラウディアにとっては退屈極まりないものだった。
(文章を分解して文法を覚えても、それがなんの訳に立つのかわからないし……教訓だって時代によって変わるのに、今の時代に合わせて考えても意味がないんじゃないかしら)
社交界では、教養のひとつとして、古典詩のひとつやふたつそらんじることが求められているが、パニアグア子爵領がそんなに何度も王都の社交界に顔を出すとは思えない。彼女が相手をしなければいけないのは領民や商家、技術者たちと平民ばかりであり、彼らが古典文芸を嗜むかがわからないのだ。
なんとかノートを書き取ろうとするものの、昼食後の授業は眠気を誘い、だんだん瞼が重たくなっていく。
他のクラスメイトたちは真面目な顔で、教師の話を聞いて筆記している。ペンを走らせる音が余計に眠気を誘う中。
階段テーブルの向こうにエルベルトが肘を突いて眠っているのが見えた。金色の眼光鋭い目が閉じられると、端正な顔つきなのがわかる。しかし教科書もノートも広げているが、取っているようには見えなかった。
(あんなに堂々と眠るのね……あの人も)
そう思ってクラウディアは、どうにか眠気を堪えて板書を移そうと試みるが、とうとう眠さに負けて、ノートはみみずを書き殴ったような惨事になってしまっていたが。
「パニアグアさん、この古典の解釈をお願いします」
「は、はい……!?」
意識が飛んでしまったために、どこまで授業が進んだかわからない。教師に指摘された場所がどこかもわからず、慌てて教科書を広げてページをめくる。
教室から嘲笑の声が密やかに響く。パニアグア姉妹は、なにを言ってもかまわないという風にされてしまったがために、授業で失敗をしたらこういう扱いになる。どうにかクラウディアは怒りを堪えてページをめくり、なんとか聞きかじった解釈を試みようとしたところで。
「──彼女には価値がわからなかった。不変的な価値があるものよりも、その場の享楽的なもののほうが価値があると見なした。だから物乞いに姿を変えた王子のことも、本当に物乞いにしか見えなかった。彼女の愚かさを見て、王子は残念に思って、彼女との婚約を破談で締めた」
その言葉で、クラウディアは驚いて顔を上げた。一行も筆記をしていなかったエルベルトが、淡々と教科書の古典物語の解釈を上げたのだ。
周りは若干驚いたようにエルベルトを見るが、彼は表情ひとつ変えず、既に眠そうに瞼を閉じそうになっている。
彼が解釈を唱えたことで、やっと彼女も教科書のページがわかった。それでおずおずと言う。
「ひ、姫は勉強よりも遊びが好きだったんだと思います。だから、親の決めた許嫁をつまらないものだと思い込んだからこそ、物乞いに化けた許嫁がわからなかったんだと思います。先入観はよくない、って話でしょう」
「はい、そうですね。この物語の解釈は数種類ありますが、その教訓のひとつとして、もっと視野を持ちましょう。もっと許容範囲を広げましょうというものが存在しています──……」
既に嘲笑の声は届かず、クラウディアは呆然とエルベルトを見ていた。彼はもう我関せずと再び眠ってしまった。
古典文学が終わったあと、あくびをして教室に戻ろうとするエルベルトを捕まえた。
「あのう……助けてくださりありがとうございます」
クリスティナらしく振る舞おうと、どうにかたどたどしくもお礼を言う。エルベルトはまじまじとクラウディアを見た。
「別に」
「で、ですけど……ノートも取らずによくわかりましたね」
「あれくらい、普通に寝物語で聞かされるだろ」
「……寝物語ですか? メイドの?」
「ああ、そうか……他はどうだか知らんが、俺の故郷では母親が子供を寝かしつける際に本を読んで聞かせている……あれくらいは内容覚えるまでさんざん読み聞かされているから、普通に知っている。それだけだ」
そのことに、クラウディアは意外に思った。
辺境伯は武芸ばかり重んじていると勘違いしていたし、実際にエルベルトも共通授業にあまり出たがらないから、優先順位が違うのかと考えていたが。
どうもこれは彼女の先入観だったらしい。
「そう……なんですね」
胸がポカポカする感触を覚えたが、すぐに気のせいということにした。
彼をいい人だとは、妹を娶る相手をそういう風に思うのは、彼女は嫌だったのだ。
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