後宮なりきり夫婦録

石田空

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夜の館で待ち合わせ

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 月鈴が館に戻ると、浩宇が数人ばかりの宮女たちと一緒に寝所を整えてくれていた。
 彼女が方服を着て棒を携えていたのにいささか驚いたようだったが、すぐに気を取り直してお辞儀する。

「既に陛下がお忍びでいらっしゃっていますので」
「わかった。皆はここで控えて」
「はっ」

 宮女たちは桃の木を焚き込めた匂いに嫌そうな顔をしていたものの、妃らしき者の手前なにも言わなかった。

(そこまで嫌か……香油は静芳に渡してしまったし、またもらいに行くか)

 後宮の女性の考えることがいまいちわからないと、生まれたときから寺院暮らしの月鈴は思いつつ、寝所に入っていった。
 既に寝台には、あぐらをかいて空燕が座っていた。

「よう。久し振り」
「久し振り……でいいのか? こっちは大変だったんだが」
「はははは、ご苦労さん。ずいぶんと派手に暴れたみたいじゃないか」

 空燕は皇帝の格好をしていても、相変わらずいつもの知っている空燕そのままの口振りなため、月鈴は呆れた顔をしながら、どっかりと空燕の隣に座った。

「案の定というべきか、屍兵が現れた。宮女をひとり助けてきたが……」
「ほう……?」

 口調こそ軽薄なものの、空燕もその歪さがすぐにわかったようだ。月鈴は頷く。

「ああ、誰かが意図的に魂を抜いている。一応知り合った宮女の仕える妃の元に、桃の香油を焚き込めるように伝えてきたが……既にここで働いている宮女が幾人かやられているらしい。術者を探し出さないことには、こちらもせいぜい桃の香油を広めるくらいしか対処方が見当たらないし、品切れになったらこちらが見つけ次第に術式を上書きする以外にない。で、あなたは陛下のふりをしてなにか掴めたのか?」
「それだがな、どうも妃の記帳に改竄の跡が見つかった」
「……それは、大事じゃないか」

 妃は基本的に試験を受けて合格した者を召し上げるか、一芸を見出されて召し上げられるかのどちらかになる。
 一芸はなにも美貌だけではなく、歌、舞、楽器などを差し、後宮に定期的に公演を行う楽団の中から選ばれることもある。
 当然ながら妃として後宮に入れる以上、不審な点はないかと調査を行うのだが。そこに改竄があったとなったら、妃たち全員が信用ならなくなる。

「いつからだ?」
「わからん。ひとまず先に俺も後宮の人材に関する資料閲覧を頼んだところで発覚した。当然ながら兄上の部下は、今にも責任問題として首を落とす落とさないで揉めそうだったから、兄上に采配を任せろ、今は調査に協力しろと取り付けてきた」
「なるほどなあ……」

 月鈴は唸り声を上げた。
 少し歩いただけでよくわかったが、後宮は思っている以上に広い。妖怪の仕業であったなら、それを殺せば終わる話だったが、結界がきちんと作用している以上、外法の方士が混ざり込んでいると考えたほうが早い。

「身元がはっきりしている妃は一旦除外して、一芸特化の妃から捜査に当たる。あなたは引き続き改竄の詳細を追ってくれ」
「了解した……で、一応尋ねるが」

 空燕がひょいと月鈴の顎を掴む。
 侍女の格好をしたり、元の方士に戻ったりとで、彼女は馬車で乗り付けてきたときのような妃の気品も化粧もしてはいない。つるりとなにもしていない顔だった。
 それを見ながら空燕は自身の唇をペロリと舐める。

「仮に兄上の魂が尽きるまでに間に合わなかった場合、俺はここで引き続き兄上の影武者として皇帝を続けなけりゃならんのだが、お前さんはこのまんま妃として滞在する気はないかい?」

 ここで他の妃に夢見る娘であったら、美丈夫からの誘いに頬を染めていただろうが。残念ながら月鈴はそういうのからは、とことんずれた娘であった。
 パシンと顎を掴んだ手をはたいて、ぷいっとそっぽを向く。

「ふざけるな。私が安請け合いで後宮に入って捜査をするとでも思っているのか? ここで本気で泰然様を待っている妃様だっておられるのに、そんな不義理できる訳ないだろ。それに、私を誰だと思っている」

 皇帝陛下の影武者ではあるが、月鈴からしてみれば空燕は弟弟子である。年の上では彼のほうが上なのだが、生まれてからずっと寺院で修行をしていた身であったら、彼は弟弟子と呼びたくて仕方がないのだ。

「私はあなたの姉弟子だ。弟弟子から受けた頼みを、そう易々踏みつけられると思うなよ。あなただって、私をわざわざここに連れてきた以上、早めに終わらせて帰りたい、そうじゃないのか?」
「……ははははははははは」

 月鈴の言葉に、とうとつ空燕は、寝台に横たわって笑い転げはじめた。それに月鈴がむっとした顔をする。

「なにか間違っていることでも言ったか?」
「いーや、言ってない。お前さんは相変わらずお前さんだと思ったまでだ。それに、明日もそれぞれ皇帝ごっこに妃ごっこだ。一旦休んでから、それぞれの持ち場に戻ろうや」
「……寝台、これを取られたらあとは宮女たちのものしかないんだが」
「一緒に寝ればいいだろ。なにもしやしないさ。どうせ俺たちは未だに還俗もしてない身だしな」

 そう空燕に言われて、月鈴はなんとも言えない顔になった。
 思えば寺院で硬い寝台で寝るとき、寺院に入れられたばかりで泣いている彼の傍で、子守歌を歌っていたような気がする。
 あの頃は弟弟子ができたと張り切っていたが、今や背丈はすっかりと抜かされてしまった。おまけに体術では彼に勝てない。方術でのほうが、まだ勝つ見込みがある。
 月鈴は空燕と一緒に目を閉じた。
 寺院の寝台よりも、ここのもののほうがよっぽど心地いい。そのまどろみに身を任せたのだった。

****

 翌朝、月鈴と空燕は宮女たちから運ばれた食事をいただく。
 浩宇がふたりが方士で還俗してないことに気を回してくれたのは、出された料理はどれもこれも肉は入っていない。
 きのこの吸い物に、大豆の揚げ物。吸い物にはとろみがある上に旨味も強く、普段食べている料理よりも味が濃い気がする。そして大豆の揚げ物。肉ではないはずなのに、噛めば噛むほど不思議と肉に近い食感になり、衣のサクサクとした食感と合わさって口の中からいくらでも唾液が出た。

「これだけ贅沢を覚えたら、なかなか帰れなくならないか?」
「たしかにおいしいけど。私は果物が一番好きだ」
「食後に甘露煮があるが、どうする?」
「……この季節に、果物が食べられるのか」

 ふたりで他愛もない会話をしながら食事をしている中。
 浩宇が顔を青褪めさせて走ってきた。

「申し訳ございません、陛下、妃殿下……!」
「どうかしたかい?」
「それが……花妃様たちが、陛下が起きたことで面会したいと言い張って……!」
「花妃……たしか兄上が倒れたときにその場にいた妃だったか?」
「はい! どうなさいますか?」

 空燕は月鈴に「どうする?」という顔をしてくる。
 月鈴からしてみれば、静芳のこともあるし、花妃は白だと考えている。その上、泰然が倒れたときの様子を知っているようだし、他の妃たちの情報を抜ける機会かと判断した。

「たしか、花妃様は西方諸侯の姫君でしたね?」
「はい……!」
「……陛下、彼女は試験を受けて合格した妃のはずです。一旦お会いして、情報を抜くのはいかがでしょうか?」
「そうだなあ……あと浩宇」
「はい」

 空燕は浩宇をじぃーっと見た。浩宇は相変わらず美しいかんばせながら、空燕の視線の意味がわからず、困った少女のように首を傾げた。

「なんでしょう……?」
「花妃は本気で兄上に惚れているらしいが、俺は兄上に似ているか?」
「ええ。それは間違いありません。誰が見ても、一発で見分けが付かないかと思います。それでも見分けが付くのならば、泰然様を本気で愛してらっしゃるか……」
「……黒幕、という訳だな。わかった。会おう。服の用意を」

 ふたりはもう少しだけ食べたそうな顔をしていたのに、浩宇は「また新しいのを差し上げますから」と言ってから、それぞれを宮女に預けて着付けさせた。
 月鈴は相変わらず重くて身動きが取れない中、どうにか棒を折り畳んで袖に閉じ込めてから、出かけていった。
 ふわり……と桃の匂いが漂う。月鈴が渡した桃の香油を早速焚き込めてくれたのだろうとほっとする。

(この匂いの前では、屍兵は太刀打ちできない。だとしたら、やはり彼女たちは白か)

 そう思いながら会いに行く。
 やがて出てきたのは、愛らしいというのを形作ったような女性であった。帯留めや髪飾りに花をあしらい、口元や頬には愛らしい桃色で染めている。あまりにも年若い娘のための化粧ではあるが、彼女だと不思議と嫌みにはならない。
 凜としている静芳を侍らせている彼女こそが、花妃であろう。

「お初にお目に掛けます。わたくしは花妃、明林と申します。先日は私の次女、静芳様を助けていただきありがとうございました。あと……」

 先に月鈴に挨拶とお礼を言ってから、彼女は空燕のほうに振り返った。
 空燕は泰然に似ている。既に秋華からお墨付きをもらうほどに、彼の仕草や立ち振る舞いは皇帝然としているものだ。

(さあ……彼女は気付くのか、どうか……)

 月鈴が花妃を眺めていると。
 その大きな双眸から彼女は、ポロリポロリと真珠のような涙を溢しはじめたのだった。それに静芳は慌てた様子で「花妃様……!?」と布を差し出して拭おうとするが、それにプルプルと首を振るわせた。

「陛下……大変に会いとうございましたが……不思議ですわね……数日離れただけで、どこか顔つきが変わりましたか……? まるで……別人のようで……」

 それには静芳だけでなく、浩宇も驚いたように目を見張った。
 月鈴は彼女をつぶさに観察する。

(方術の気配はないし、彼女は本当に空燕と泰然様が別人だと見破った……?)

 ここで諸手を挙げて「はい、偽者です」と伝えるべきか、ここはひとつ泳がせておくべきか。しばし判断を考えあぐねていたら。
 空燕のほうから動いた。

「陛下……」
「……残念ながら、あなたの陛下はまだ助かってはいない。ただ、今ならまだ、助けることはできる。どうか、兄上のために協力してはいただけないだろうか?」

 それに花妃は、目が溢れそうなほど大きく見開いてから、座り込んでしまった。静芳は「花妃様……!?」と悲鳴を上げて彼女を立たせてから、助けを求めるように月鈴のほうを見てきた。
 それに月鈴は、大きく頷いた。

「私と花妃様で、泰然陛下を助けるべく、協定を結べないだろうか?」

 外から来たため、未だに後宮内の事情に疎いのだ。味方はひとりでも多いほうがいい。
 空燕の言葉を汲み取って、月鈴はそう花妃・静芳主従に持ちかけたのだ。
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