荷車尼僧の回顧録

石田空

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ぬっぺっぽう

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 荷車をカラカラと引いていく。
 ぽんを拾ったのは、ある意味幸運であった。
 最初は猫なのか狸なのかわからない妖怪に、小十郎は胡散臭く思っていたが。まず夜間になかなか夜目の利かない場所で、いきなり猪が走ってきた場合、ぽんが「みゃあ」と鳴いて雷を落としてくれる。
 畑は荒らされなくて済むし、百合はそれを捌いて干し、しばらくの食事にすることができた。小十郎はそれをありがたくいただく。傷むかもしれないと判断したら、それを近くの農家で物々交換もできたため、得であった。

「私が槍を使えるときでしたらいいですけど、坂道とかだと荷車から手を離せませんし、助かりますね。小十郎も夜だとなかなか夜目が利きませんし」
「まさかお前そこまで役に立つなんてなあ」

 小十郎がぽんの毛並みをふにふにと揉んでやると、ぽんは「みゃあ」と鳴いた。ピリピリすることもあるが、百合が辛抱強く「人にしてはいけません」と教え続けたおかげか、小十郎にピリピリと小さな雷を放つこともなくなった。
 今は大坂目指して歩いている最中だが、この辺りはとにかく坂が多い。一時期は小坂とか尾坂とか呼ばれていた時代もあったが、今は通りがいい、縁起がいいからということで、大坂で統一されている。
 京にも奈良にも近く、淀川を舟で通れば大坂と京を直通できる。昨今の権力者たちがこの地を大層気に入り、熱を入れて整備をした。
 おかげで坂道が多い場所ではあるが、不思議と蹴躓くほどの悪路でもなく、百合も荷車を心地よく引くことができた。もっとも、絡繰りで蹴躓くことなど、滅多にないのだが。

「それにしても。どうせだったら師匠。大坂に行く前に京に寄らないかい? どうせ舟に乗ったらすぐに大坂に到着するんだろう?」
「そりゃそうですけれど。でもどうしてですか?」

 京は京で、都として整備されているのはごく一部だ。残りは全て山に囲まれている。こちらも帝がおわす上に、有事の際は公家や武家がこぞって京に入るため、比較的整備はされている。もっとも。小十郎を連れ帰ることにした開拓農民の村に逃げ込んでいた技師がいるように、京の治安が必ずしもいいとは限らないのだが。
 百合は小十郎の提案に首を傾げていたら、小十郎がえへんと胸を張った。

「だってさ、帝がいるんだろう? どうせだったら御所を遠巻きにでも見たいと思ってさ!」
「まあ……御所の近くは警備が厳重ですから、私たちみたいなのはそう簡単に近付くことはできませんよ。せいぜい遠くの遠くから覗くことくらいです。でもそうですね……」

 大坂に入る前に、舟に乗るための路銀も稼ぎたい。幸いにも猪を捌いて野菜と物々交換できたのだから、野菜を売れば路銀になるやもしれない。

「どこかで路銀を手に入れられれば、そのお金で舟に乗れますし、大坂行きも早まるやもしれません。行きましょうか」
「わあい、さすが師匠! 太っ腹!」
「太っ腹ではありませんが、見てみたくはありますね」

 百合も荷車を引きつつ、しみじみと思う。
 人魚の肝探しなんて旅をしなければ、大坂はおろか京だって足を運ぼうなんて思いつきもせず、実際に足を運ぶことになるなんて思いもしなかった。
 なにがどう左右するかは、誰にもわからない話だ。ふたりでゆるゆると、大坂の手前の京にまで、足を伸ばすことになった次第だ。

****

 今まで、どの国にも農民がいて、土にまみれて生活しているのを通っていくのが普通だった。しかし、京の都に入ってみて驚いたのは、どこもかしこも建物だらけだということであった。
 大きな邸宅は、おそらくは大店の商人のものだろう。あとは武家屋敷。各国の大名が京に馳せ参じるときの別邸があるのが普通であった。その大きな家が並ぶ先々に、細々とした庶民の家が並んでいるのが見える。
 秩序と無秩序。帝が住まうとされている場所は、たいそう金を持っている人々とそうじゃない庶民とが並んで暮らしている不可思議な場所であった。

「はあ……すげえなあ。こんなにあちこちに建物がならんでいるのははじめて見た」
「でも道はちゃんとしていますね」

 それでも道はやはりここに入るまでと同じく整備されているため、荷車が引きにくくなることはない。ただ、さすがに狭い路地では人ひとり分しか幅がないため狭く、できる限り大通りを通らなければならなかった。

「御所はどこかなあ。帝はどこかなあ」
「私たちが会える立場の方ではありませんよ」
「でもこれだけ建物があるんだったらさ、どこかで見れたりしないかな」
「できませんってば」

 そうこう言っていたら、「泥棒!」と叫んでいるのが耳に入った。
 振り返ると、薄い直垂を着た男が必死に走っているのが見える。百合は「小十郎、荷車お願いします。ぽん、いらっしゃい」とぽんを肩に乗せ、足を大きく踏み出した。
 百合に足を引っ掛けられ、男はすっ転んだ。

「いだだだだ……なにしやがるんだテメェは!?」
「泥棒なのでしょう? 盗んだものを返しなさい」
「あんっ!? どこに証拠があるんだ! それに……」

 男はちらりと百合の残してきた荷車を見て、にやりと笑う。小十郎に預けてきた荷車には、尼僧が寝て、野菜が積まれていた。

「あんた、行商じゃないだろう? 許可がねえ商人は、京から叩き出されるんだよぉ!!」
「まあ!」

 それに思わず百合は声を上げた。
 路銀がないとさすがに困る。舟がなくても大坂には辿り着けるが、時間がかかる上に小十郎の体が心配だった。

(どうしましょう……でも野菜もこれ以上放っておいても傷んでしまうし……)

 百合が少し考えたところで。

「なあ、あんた。少々育ちがよすぎて、おひとがよすぎるんじゃあないかい?」
「……えっ?」

 百合が言い淀んだ先。小十郎が「こらー!」と声を上げて槍を突きつけるが、それを無視して、交換した大根をガリガリ囓っていた。
 そしてやけに傾いた格好の男であった。派手な色の布地を接いた着物であり、普通これだけつぎはぎだらけだとみすぼらしく見えるのに、派手なものばかりで接いでいるからそういう着物に見えてしまう。笠で顔は見えなかった。

「勝手に野菜食うなよ!? これ売らねえと路銀が!」
「んー……泥棒から盗まれたものを取り戻してやろうとした親切心。それに付け込んで混ぜっ返してくる奴の言うこと鵜呑みにしてどうするんでぇ?」
「ええっと……」

 百合は思わず泥棒から野菜泥棒のほうに視線が逸れたところで、泥棒はさっさとずらかりはじめた。ただでさえ人が多いのだから、荷車を引いている分だけどうしても足は遅くなり、最悪見失ってしまう。
 しかしそれに臆することなく、野菜泥棒は半分食べた大根の根っこをひょいと摘まみ、それを大きくぶん投げた。それは泥棒に命中し、つんのめる。

「うっぐ!」
「こらこらこら。三十六計逃げるが勝ちとは言うが、本当に逃げる奴があるか。それで、なにを盗んだんだい?」
「か、関係ないだろ!?」

 泥棒はなおも誤魔化そうとしたが、人がぜいぜいと息を切らして走ってきた。

「待ちなさい! うちの茶碗、返してください!」

 先程の声の人であった。どうもどこかの茶屋の店子らしく、店子たちでわらわら追いかけてきて、とうとう泥棒を取り囲んだ。
 それに男は「ちっ」と舌打ちすると、緩んだ直垂の中から茶碗を取り出すと、よりによってそれを投げつけた。茶碗はパリンッと音を立てて割れる。

「ああ…………!!」
「へーん、ばーかばーか!!」

 そのまま泥棒は人波に紛れて逃げてしまったのに、百合は必死で謝る。

「申し訳ございません、私がせっかく捕まえたのに、もっと早く茶碗を差し出すよう迫っていたら……」
「い、いえ……! しかし旦那様にはなんと説明していいか。由緒ある茶碗なのですが……」

 店子は涙を目尻に浮かべながら、なんとか割れた茶碗を摘まみ上げる。そこで、派手な野菜泥棒がひょいと膝を突くと、割れた茶碗を一緒に集めはじめた。

「ふーむ。形はいい上に色も申し分ない。その上割れ目も綺麗なのだから、完全に元に戻すというのは不可能だが、接ぐことくらいならばできるよ?」
「えっ?」

 それは百合にも意外に思った。ただ傾いただけの男で訳のわからない野菜泥棒だと思っていたのだから、意外と多才なのだった。
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