愛屋及烏の褥

石田空

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皇太子の思惑

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 庭に出てアンジェリカが驚いたのは、この庭の木々がほとんど白狼王国のものと変わらなかったことである。

(まるで私のために手入れされた庭のよう……まさか)

 自分を蹂躙したユリウスのことを思う。首筋の噛み付き跡の痛みだって未だに引かない。だが獅子皇国の庭の本を読んだ際、もっと森に溶け込むような植生だったはずなのに、ここは花々がよく見えるように植えられ、花のラインナップの白狼王国のものなのだ。
 たしかにどちらの国も夏は短く冬がないし、互いの国の植生に近付けようと思えば近付けるのだが。
 アンジェリカは難しい顔をして歩いている中。

「おや、姫様。侍女を連れずに歩き回ってよろしいんですか?」

 いきなり男に声をかけられ、思わずアンジェリカはビクッと肩を跳ねさせた。
 自分たちを後宮まで送ってくれた騎士である。

「……ここは女人禁制の後宮だとお伺いしましたが。でもここ、メイドと私たち主従くらいしかいない空っぽなのですけれど」
「ああ、失礼しました。自分は本来は近衛騎士……ユリウス殿下に仕える騎士のカスパルと申します。まあ、乳母兄弟だから、やっていることはほぼ殿下の話し相手なんですけどね」

 要はユリウスの護衛だからこそ、こうやって後宮内も歩けたという訳だ。
 アンジェリカは「それは失礼しました」と踵を返して散策に戻ろうとしたが、空気を読まずにカスパルが話を続ける。赤毛でやけに人と距離を詰めたがるのがこの青年の性分らしかった。

「庭、お気に召しましたか? あなたの輿入れ前に急いで用意させたものでしたので、一部はなかなか花が咲いてないんですけどね」
「……は?」
「おや。殿下から聞いてらっしゃいませんでしたか? 戦争が終わってやっと停戦協定も結べたのだから、わざわざ嫁いでくる姫が戦禍で荒んだ心を癒やせるよう……ということだったんですけど。白狼王国側に詳しい学者に監修を頼んで庭師一同に頑張ってもらったんですが、足りませんでしたか?」

 さすがにそれにアンジェリカは悲鳴を上げた。

「そんな話、聞いてません!」
「あらまあ……殿下、これだから嫌われるんですよ。すみませんね、あれは言葉が足りなくって」
「意味がわかりません。我が国は敵国同士でした。そして獅子皇国に辱められました。更に荒んだ心を慰めよう? 馬鹿にするのもいい加減になさってください……!」

 それは上から目線の横暴な考えだ。
 カスパルは、さすがに自分の言葉が至らなかったことに気付いたのか「あちゃー」と悪意のない声を上げた。

「そりゃすみません。殿下のこと思いっきり嫌いましたよね? 自分のせいで」
「あなたに当たってもどうしようもないことくらいはわかっています。ただ私があの男に気を許すことはありません! ……花には罪がありませんから、庭を焼けなんてことは言いませんが。失礼します」
「あー……」

 この暢気者で口の軽い男は、頭をポリポリさせながら、アンジェリカが背中を向けるのを眺めている。

「多分姫様からすると、あいつのことかなり嫌いだし憎いかもしれませんけどね、あいつ、ほんとーうに、姫様のこと、大切にする気はありますからね! 番だからって理由だけじゃないです」

 もうその言葉に答える気にはなれなかった。
 アンジェリカはずんずんと歩き、やがて一番後宮の外が見渡せる丘に辿り着いた。後宮内にこんな傾斜をつくってどうするのだろうと思わなくもなかったが、そこから獅子皇国の城下町を眺めることができたのはちょうどよかった。
 白亜の街並みが広がっている。戦争が長いこと続いたとは思えないほど、人通りも多く、活気づいている。白夜の頃には、白夜の見える国は豊作祈願の祭りを行うことがある。おそらくは獅子皇国にも白狼王国のように祭りを行っているのだろう。なによりも、戦争がやっと停戦したのだから、お祝いだってしたくなるというものだ。
 一度アンジェリカも勉強のために自国の城下に降り立ち、街の中を散策して勉強して回ったことがある。あのときも、大きな市場で屋台飯を食べ、人々が戦禍の中でも懸命に生きる姿に胸を打たれたことがある。
 アンジェリカはそこに膝を抱えた。

(……戦争は、もうこれ以上長引いて欲しくない。でも……)

 そもそもアンジェリカの私怨はさておいて、本来彼女がここに輿入れしたのは、獅子皇国を乗っ取るための算段のひとつであった。それが、彼女がユリウスに強制的にオメガに堕とされたことでご破算となってしまった。
 そうなったら、父や魔術師団は次の一手を考えざるを得ないだろう。

(あの人たちを諦めさせるには……どうすればいいの……?)

 彼女がユリウスを殺したかったのは、完全に私怨である。だが、獅子皇国の民を苦しめる気は彼女には毛頭ない。こんな話はユールにすら言えずにいるが。
 アンジェリカは膝を抱えてしばらく城下の光景を眺めてから、やっとのことで元来た道を帰りはじめた。
 彼女の目尻の涙は拭った。今晩もやって来るであろうユリウスに、弱みを見せたくはなかった。

****

 その日の夕食は鮭のマリネ、新ジャガイモ、サラミをどっさりと出され、アンジェリカはそれをもりもりと食べる。
 ユールはおろおろしながらも、ご相伴をする。

「それで……魔術師団からの返事は?」
「そんな姫様。一日でカラスが帰ってくることはございませんよ」
「そうね、ごめんなさい。私がオメガになったことで、用済みになったんじゃないかと思って。計画がご破算になったんですもの」
「姫様、そこまで自暴自棄にならないでくださいまし。それから、薬の調合は致しましたから」

 そう言いながらユールは紙にくるまれた薬を差し出す。

「抑制剤です」
「……私がオメガになった以上、発情期は避けられないものね。これ、どう飲めばいいの?」
「酒で飲み下してください。本来、ちゃんとした番であったのなら、発情期はおのずとわかるのですが、姫様と皇太子殿下の場合は特別ですから……」
「……私がアルファからオメガに堕とされたせい?」
「……失礼ですがその通りです。性を無理矢理変えるということは、体中のマナ……魔術を行使する要素のひとつですね……をどれだけ消耗するかわかりませんし、最悪の場合は心身のバランスを崩して臥せることもありますから。まずはこれを毎日飲んでください。本当に発情期が来た場合は、これよりも強い薬を出しますが、すぐに強い薬を出すと体に負担がかかりますからできません」
「……わかったわ」

 仕方がなく、アンジェリカは抑制剤を含み、酒を呷って一気に流し込む。
 本来ならば甘いはずの酒が、抑制剤の苦みのせいか、異様に青臭く感じた。
 寝室に座り、今夜もおそらく来るだろうユリウスにどう対処すべきか考えていたときだった。彼女はムスクの匂いが異様に甘く感じることに気付いた。

(……無理矢理オメガに替えられるまでは、この匂いをいい匂いと思ったことなんてなかったのに……)

 番のフェロモンの匂いは番にしか認識できない。アルファのフェロモンは番のオメガにしか認識できない。その甘く感じる匂いに、アンジェリカは恐怖した。

(嫌だ……あの男が私の番だと認識するのは……嫌だ……)

 その匂いを嗅ぎたくない一身で、アンジェリカは寝室の布団を丸めると、その中に隠れてなんとか匂いを遠ざけようと試みた。それでも迫ってくる匂いに、彼女は身を震えて恐怖するのだった。
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