愛屋及烏の褥

石田空

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束の間の平穏そして

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 春になり、窓の外から眺めれば、森の若葉の美しさも、森の奥で咲く花も綺麗に見られるようになってきた。
 幽閉生活中だが、比較的穏やかに生活できているのは、衣食住にはなにも困ることがなかったせいだろう。
 食料は定期的にカスパルが持ってくるのを、ハンナが見つけてきた台所で料理し、それを三人でいただく。食事を楽しんだあと、三人で家事をこなす。さすがに洗濯をハンナひとりで任せるには、三人分は多いのではと思ったアンジェリカの思い付きだったが、それが存外に上手くいった。
 アンジェリカはユールほど修行歴が長い訳ではないが、魔術師団に連行されたときにきちんと魔術の手ほどきを受けている。それを使って彼女は魔術できちんと洗濯をはじめたのだ。もらった石鹸を泡立て、それで汚れを落として水で流していく。

「姫様は水魔術が一番得意ですが、輿入れからこっち、使う暇がありませんでしたしねえ……」
「す、すごいです、皇太子妃様……!」
「ええ。これで少しはハンナの手伝いになっていたらいいのだけど……」
「充分です! ありがとうございます!」

 屋根裏はさすがに一番陽が近いせいか暑くてやっていられず、そこを物干し台の代わりに使って、三人分の洗濯物を干していた。
 唯一の心配はアンジェリカの発情期だったが、まだ三ヶ月に一度の季節に入ってないため、ユールがつくったややきつめの抑制剤で様子見をしていた。

「……なんだか、いつもよりも濃くないかしら?」
「いいえ。ここではすぐに医師を呼ぶこともできませんし、ましてや前線で指揮を執ってらっしゃる殿下を呼び戻すなんて真似できる訳ないでしょう? その間、少しでも発情期をずらさないことには、体にどれだけ負荷がかかるかわかったものじゃありませんから」
「……それもそうね」

 いつもは酒と一緒にさらりと飲めるが、さすがに塔の中であまり酒を飲み続ける訳にもいかず、煎じた抑制剤をそのまま飲むしかなかった。喉に貼り付くような苦みで、アンジェリカは顔をしかめる。
 それなりに細々とやることはあれども、それでもアンジェリカたちにはいろんなものが足りない。
 季節の移ろいはかろうじて窓の景色でわかるが、彼女たちは窓から外に出ることもできない。窓が小さ過ぎて、そこからは小柄なハンナすら出られるものではない。
 運動不足は螺旋階段を上り下りするしかなかった。なによりも服は洗濯しやすい素材のものを着るしかなかったのだから、あまり枚数を持っている訳もなく、その中でどうにかするしかなかった。
 元々魔術師団所属で比較的黒ずくめな服が基調のユールや、そもそも服を毎度替える趣味を持っていないハンナはともかく、アンジェリカはいかに自分が甘やかされていたかを、幽閉されて初めて思い知っていた。

(ユリウスは今頃どこでなにをしているのかしら……)

 彼に最後に組み敷かれてからも、彼は本当に口を割ることなく去ってしまった。本来ならば彼の護衛騎士であるカスパルを塔の見張り兼食材調達係として置いていったことからして、アンジェリカの身を心配しているのはかろうじて理解できるものの、どうしてこうもなにも話せないのかがわからなかった。
 今の平和を思えば、なにも文句がないはずなのに、アンジェリカの気持ちは疼いた。
 ひとりになれるのは、階で区切った寝室で、灯りを消して眠るときだけ。アンジェリカはユリウスが自分をどう触っていたのかを寝間着をなぞりながら思い返す。

(……駄目ね。あの人が私のことをどう思っていたのかわかっていないのに、こんなことばかり考えて。現状を考えれば、今の戦争が原因でいつ私が白狼王国側にどうこうされるかわからないから、監視を付けられた上で幽閉されているんだから……でも)

 なにも教えてくれないし、なにを考えているかもわからないユリウスを思い返した。
 そんなひどい人でも、彼女は自分の気持ちに気付いていた。彼を愛してしまった。それが番の本能からなのか、本当にわずかな人数しかいない後宮での生活の寂しさのせいなのか、なにもわからなかったが。

****

 悶々と生活を送っている中、塔を訪れた人物にしばしアンジェリカは驚いた。
 カスパルが「姫様、面会だそうですよ」と食料をハンナに引き渡しながら連れてきた人を見て、アンジェリカは目を瞬かせる。

「皇太子妃様、お久しぶりです」
「ベアトリス……」

 後宮の図書館に出向していた、獅子皇国の神官のベアトリスだった。神官は戦争になったら祈願のために、どこに出向していても一旦は神殿に帰還するのが慣わしなため、アンジェリカはかなり驚いた。
 一方ユールはかなり警戒した顔でベアトリスを睨んでいた。

「いったいなんの用ですか? まさかと思いますが、姫様を戦場に連れて行って、人質として利用するとかおっしゃるおつもりでは……」
「いいえ。そんなことはしません。ただ、私は殿下に伝えていいか許可をいただいた上で、神殿に降りた神託を伝えに来ただけです」
「……神託ですか」

 獅子皇国は戦と神殿の国だ。この国で神託が降りたことにはかなりの意味を持つ。
 アンジェリカは食料を片付け終えたハンナに「ベアトリスになにか飲み物を出していただける?」と頼むと、彼女はおずおずと木イチゴ水を持ってきた。

「いえ、この塔では貴重な食材を私がいただく訳には」
「神託が降りた以上、話を伺わなければなりませんから。わざわざユリウス……殿下から許可をいただいたということは、大変なことなのでしょう?」
「……はい。それではどうぞお聞きくださいませ」

 ベアトリスは一瞬目を閉じてから、朗々と神託を詠み上げた。

「【狼の国、災いの実が実る。災いの実、獅子の国に降りる。
 森の奥の塔、狼の国の者が貫かれたとき、獅子の国に新たな繁栄が降りる。
 狼の国、獅子の国、共に手を取って歩くには、災いの実を取り除くべし】」
「……これは」
「【狼の国】はそのまま白狼王国で、【獅子の国】は獅子皇国のことでしょうが。他の部分は不明瞭な部分が多いのです」

 生まれから考えて、どう考えても獅子皇国の人間であるハンナを除けば、白狼王国出身者はアンジェリカとユール。どちらかが貫かれると描かれている。
 なによりも気になったのは、災いの実の存在だ。

「ユール、災いの実ってなにかわかる?」
「存じませんが……ただ二国が戦争を続けている現状で、この神託は成り立つのですか?」
「神殿も今、降りた神託の解析でてんやわんやになっております。ただ、問題の出来事はこの塔で起こることだけはほぼ確定しておりますから、この塔に護衛騎士だけでなく、神官が加わることだけは、どうぞお許しいただきたく思います」
「私にはそれを許さない権限はありませんが……わかりました」

 最後にベアトリスはハンナの出した木イチゴ水を飲み、「ありがとうございます」と伝えてから、彼女は去って行った。
 最後に扉を閉める予定のカスパルは「あー……」と言いながら、三人のほうに振り返った。

「こういうことなんで、今までよりも監視役が増えます。すみません。殿下としては、形の上の幽閉のため、これ以上大事にする気はなかったんですけど……」
「形の上であろうとなかろうと幽閉には替わりないじゃありませんか! しかも、何故かわたくしか姫様、いずれかが貫かれるとか言う神託、どう取ればいいのかわかりませんよ!」
「こればっかりは……ところで、姫様にしろユールにしろ、魔術には詳しいはずですけど、なにか心当たりはないんですか?」
「知りません! 食料はありがとうございます、もう帰ってください!」
「あー……また食料届けに伺いますから」

 カスパルに外から扉の鍵を閉められる音を聞きつつ、ハンナはおろおろとアンジェリカとユールの間に視線を向ける。

「あ、あのう……本当におふたりはどちらも先程の神託の意味、わからないんですか……?」
「……予測はしてますが、確証はありません」
「ええっと?」
「ああ、ごめんなさいねハンナ。ユールは意地悪で言っている訳じゃないの。魔術師は基本的に予測はしても裏付けが取れないことは言ってはいけないっていうのを徹底しているから、今の時点では私たちも予想をすることはできても、裏付けを取ることはどうあってもできないから。だから言えないと言っているの」
「……だとしたら、おふたりとも、もう神託の意味を」
「……本当にうすらぼんやりとだけ」

 そう言って今はハンナの疑問をうやむやにすることしかできなかった。
 白狼王国にとって、実というものは特別な意味を持つ。実を結ぶというのは、魔術の結晶のことを意味する。
 そして災いの実は魔術の結晶だと仮定した場合……呪いを獅子皇国に送ったということになる。その呪いを解かないことには、白狼王国と獅子皇国の歪な現状を解きほぐすことはできない。

(白狼王国はなにを考えているの。ずっと防戦一方だったはずなのに、私を使って後宮乗っ取りを企んだり、呪いを獅子皇国にばら撒こうとしたり……でも、確証がないし、呪いとも限らない。でも……これはいったいなんのこと?)

 そもそもの疑問として、獅子皇国の人間は神殿から加護を賜っているはずだから、ユリウスには呪いは効かないし、皇族やそれに近しいものだって、その手のものが効きにくくなる加護を賜っているはずだ。
 こんなゴチャゴチャとしたことをしでかしてくる白狼王国の魔術師団の思わずがわからず、アンジェリカは肌が粟立つのを感じた。

(ベアトリスは私たちが神託の意味に気付いたことを察してユリウスに伝えたのかしら。そういえば……ユリウスは私たちを塔に閉じ込めることでなにかを確認したがっていたような……それって、このこと?)

 考えても考えても拉致が明かず、その日のアンジェリカはいつもよりも早くに食事を終わらせると、そのまま終審してしまった。眠っているとき以外は塔に幽閉された生活を送らなければいけないのだから、自由になれるのは夢の中だけだった。
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