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フラムの兄
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今まで数多くの貴族の邸宅に忍び込んできた……もとい、出入りしたアブニールだが、やはり一国の王がおわす宮殿は敷地面積からして規模が違う。
広大な敷地内に王の居城をはじめ正妃の宮。先王が造らせ未だ愛人とその子供が住む離宮が数棟。議場や政務のための建物と、有事の際に市民が避難するための建物など、数えきれないほどの建築物がぽつぽつと点在している。その間を、緑豊かな森や庭園、湖などが彩り、別世界に迷い込んでしまったかのようだ。
一歩足を踏み入れるなりその壮観さに圧倒されたアブニールは、隣でまったく動じていないフラムを見上げて、二度驚いた。この圧巻の光景に平然としているとは、ここで生まれたので当然といえば当然だが、急に遠い存在になってしまった気がする。
「お待ちしておりました。フラム様。アブニール様」
正門から四方八方に曲がりくねる白い大路に、一台の馬車と燕尾服の男性が待っていた。
王宮内は広いので、徒歩で移動していては日が暮れてしまうらしい。
そもそも嗅覚が発達しているアブニールは乗合馬車にだってやむを得ない事情がある場合しか乗らない。長距離の移動ですら徒歩が基本だから、乗り物に乗るだけで身構えてしまう。
アブニールが緊張していることが分かると、フラムは迎えに来た侍従の手助けを断り、手ずからアブニールをエスコートして馬車の座席に座らせた。
余裕綽々な態度が憎たらしく、無駄にでかい身体が影になっていうるちに思いきり睨みつけてやった。アブニールの負け惜しみを物ともせずフラムも乗り込み、向かい合う形で腰掛けた。
侍従が扉を閉め、御者が馬を繰って馬車が緩やかに動き出す。馬車の座面は過剰なくらい弾力があってむしろ落ち着かない。座り心地に慣れずそわそわしながら、アブニールは車窓から景色を眺めて気を紛らわせた。
「あんたはここで育ったんだよな」
「ああ。そうは言ってもこうして自由に歩き回れるようになったのは兄上が王位に就いてからだけどな。幼年期は存在そのものが醜聞扱いでめったに部屋から出られなかったし」
「……そうか」
庭師によって整えられた庭園は隅々まで手入れが行き届き、葉の一枚一枚が陽光を反射するほど輝いているというのに、フラムがこの美しい光景を知ったのはごく最近なのかと思うと、物悲しい気持ちになる。
「ま。今はその分自由にさせてもらってるけどな。それに俺も、屋敷内の全員が敵だったわけじゃないさ。たとえばさっきの侍従なんかは、子供のころたまに構ってもらったよ。父の目を盗んでな」
「確かにあの人からは嫌悪感は感じ取れなかったな」
ほとんど会話はなかったが、フラムに向ける微笑からは慈愛のような愛情を感じた。それに何よりフラムには兄という一番の味方もいる。完全に孤立していたわけではなかったことにアブニールは喜びを覚えた。
半刻ほど経ったころ、緩やかに馬車が停止した。
アブニールはフラムとともに馬車を降り、目の前に聳える白亜の宮を見上げる。王の居城というくらいだから敷地内で最も豪奢な外観を想像していたが、意外にも質素な見た目だ。
「お疲れ様でございました」
二段のステップを下りた位置で待っていたのは、先ほど正門で出迎えた侍従だった。どういう手を使ったのかは分からないが先回りして待っていたようだ。多分使用人用の近道があるのだろう。
それにしてもさすがプロ。髪の一本も乱れていなければ汗一つかいていない。
「それでは陛下のもとにご案内いたします」
侍従に案内され、いよいよ王の私室へ向かう。広めにとった廊下の突き当り、蔓のレリーフが精緻な模様を刻む両開きの扉が開かれれば、いよいよ当代の王。フラムの兄とのご対面である。アブニールは息を呑んで、手汗のにじむ拳を握った。
「おお。そなたが」
放たれた低音にすら威厳がにじむようで、アブニールは自然と首を垂れていた。
「お初にお目にかかります、陛下。私はアブニール・グルダンと申します。御目通りが叶いましたこと、恐悦至極に存じます」
お決まりのような挨拶を述べると、王は声を立てて笑った。笑い方が兄弟でよく似ていると知ると、ほんのわずかに肩の力が抜けた。
「そう畏まらなくともよい。何のために私室に招いたと思おておる。ひとまず面を上げて、顔を見せてもらえぬか?」
「はい」
逆らう理由もないので素直に顔を上げる。ここではじめて王の尊顔を目の当たりにした。
その顔貌が想像よりも年上だったことに戸惑う。フラムが兄と呼ぶから、勝手に同年代を想像していたのだ。そういえば、フラムは年の離れた兄と言っていたことを今頃思い出す。
中年に差し掛かろうかという王は肉体的にも精神的にも成熟し、落ち着いた風情と為政者の風格を兼ね備えていた。口元には柔和な微笑を浮かべているが、眼差しは心まで見透かすほどに鋭い。
だがやはり、フラムに似ている。フラムの数年後を目の当たりにするようで、アブニールは急に未来を垣間見た様な不思議な心持ちになった。
「ほお、なるほど美しい。我が弟が虜になるのも道理よな。だがたおやかなだけでなく、磨き上げられた名剣のような鋭さを秘めている」
王はアブニールをしげしげと見つめる。それから、ふいに表情を引き締めた。
「貴殿の協力無くして解決には至らなかったと弟から聞いている。此度の尽力、心より感謝申し上げる」
「も、勿体ないお言葉でございます」
まさか王直々に礼を言われるとは思わず、仰天して恐縮した。露骨に慌てるアブニールの背後で、フラムが堪えきれないという風に吹きだすのが分かった。ばれないように背後の男を睨む。
「そなたさえよければ、今後も弟の力となってくれぬか。これはひねくれもの故、可愛げのないところも多々あるだろうが、愛想をつかさないでもらえると、兄としても国を治めるものとしても安心できる」
「兄上」
今度はフラムが照れた様子で兄を窘めた。今度はアブニールが笑いをかみ殺す番だった。
ひそかに振り向き、居心地が悪そうなフラムに勝ち誇った笑みを向けてやった。後から王の御前で何を下らない争いをと悔いることになるとも知らず。
広大な敷地内に王の居城をはじめ正妃の宮。先王が造らせ未だ愛人とその子供が住む離宮が数棟。議場や政務のための建物と、有事の際に市民が避難するための建物など、数えきれないほどの建築物がぽつぽつと点在している。その間を、緑豊かな森や庭園、湖などが彩り、別世界に迷い込んでしまったかのようだ。
一歩足を踏み入れるなりその壮観さに圧倒されたアブニールは、隣でまったく動じていないフラムを見上げて、二度驚いた。この圧巻の光景に平然としているとは、ここで生まれたので当然といえば当然だが、急に遠い存在になってしまった気がする。
「お待ちしておりました。フラム様。アブニール様」
正門から四方八方に曲がりくねる白い大路に、一台の馬車と燕尾服の男性が待っていた。
王宮内は広いので、徒歩で移動していては日が暮れてしまうらしい。
そもそも嗅覚が発達しているアブニールは乗合馬車にだってやむを得ない事情がある場合しか乗らない。長距離の移動ですら徒歩が基本だから、乗り物に乗るだけで身構えてしまう。
アブニールが緊張していることが分かると、フラムは迎えに来た侍従の手助けを断り、手ずからアブニールをエスコートして馬車の座席に座らせた。
余裕綽々な態度が憎たらしく、無駄にでかい身体が影になっていうるちに思いきり睨みつけてやった。アブニールの負け惜しみを物ともせずフラムも乗り込み、向かい合う形で腰掛けた。
侍従が扉を閉め、御者が馬を繰って馬車が緩やかに動き出す。馬車の座面は過剰なくらい弾力があってむしろ落ち着かない。座り心地に慣れずそわそわしながら、アブニールは車窓から景色を眺めて気を紛らわせた。
「あんたはここで育ったんだよな」
「ああ。そうは言ってもこうして自由に歩き回れるようになったのは兄上が王位に就いてからだけどな。幼年期は存在そのものが醜聞扱いでめったに部屋から出られなかったし」
「……そうか」
庭師によって整えられた庭園は隅々まで手入れが行き届き、葉の一枚一枚が陽光を反射するほど輝いているというのに、フラムがこの美しい光景を知ったのはごく最近なのかと思うと、物悲しい気持ちになる。
「ま。今はその分自由にさせてもらってるけどな。それに俺も、屋敷内の全員が敵だったわけじゃないさ。たとえばさっきの侍従なんかは、子供のころたまに構ってもらったよ。父の目を盗んでな」
「確かにあの人からは嫌悪感は感じ取れなかったな」
ほとんど会話はなかったが、フラムに向ける微笑からは慈愛のような愛情を感じた。それに何よりフラムには兄という一番の味方もいる。完全に孤立していたわけではなかったことにアブニールは喜びを覚えた。
半刻ほど経ったころ、緩やかに馬車が停止した。
アブニールはフラムとともに馬車を降り、目の前に聳える白亜の宮を見上げる。王の居城というくらいだから敷地内で最も豪奢な外観を想像していたが、意外にも質素な見た目だ。
「お疲れ様でございました」
二段のステップを下りた位置で待っていたのは、先ほど正門で出迎えた侍従だった。どういう手を使ったのかは分からないが先回りして待っていたようだ。多分使用人用の近道があるのだろう。
それにしてもさすがプロ。髪の一本も乱れていなければ汗一つかいていない。
「それでは陛下のもとにご案内いたします」
侍従に案内され、いよいよ王の私室へ向かう。広めにとった廊下の突き当り、蔓のレリーフが精緻な模様を刻む両開きの扉が開かれれば、いよいよ当代の王。フラムの兄とのご対面である。アブニールは息を呑んで、手汗のにじむ拳を握った。
「おお。そなたが」
放たれた低音にすら威厳がにじむようで、アブニールは自然と首を垂れていた。
「お初にお目にかかります、陛下。私はアブニール・グルダンと申します。御目通りが叶いましたこと、恐悦至極に存じます」
お決まりのような挨拶を述べると、王は声を立てて笑った。笑い方が兄弟でよく似ていると知ると、ほんのわずかに肩の力が抜けた。
「そう畏まらなくともよい。何のために私室に招いたと思おておる。ひとまず面を上げて、顔を見せてもらえぬか?」
「はい」
逆らう理由もないので素直に顔を上げる。ここではじめて王の尊顔を目の当たりにした。
その顔貌が想像よりも年上だったことに戸惑う。フラムが兄と呼ぶから、勝手に同年代を想像していたのだ。そういえば、フラムは年の離れた兄と言っていたことを今頃思い出す。
中年に差し掛かろうかという王は肉体的にも精神的にも成熟し、落ち着いた風情と為政者の風格を兼ね備えていた。口元には柔和な微笑を浮かべているが、眼差しは心まで見透かすほどに鋭い。
だがやはり、フラムに似ている。フラムの数年後を目の当たりにするようで、アブニールは急に未来を垣間見た様な不思議な心持ちになった。
「ほお、なるほど美しい。我が弟が虜になるのも道理よな。だがたおやかなだけでなく、磨き上げられた名剣のような鋭さを秘めている」
王はアブニールをしげしげと見つめる。それから、ふいに表情を引き締めた。
「貴殿の協力無くして解決には至らなかったと弟から聞いている。此度の尽力、心より感謝申し上げる」
「も、勿体ないお言葉でございます」
まさか王直々に礼を言われるとは思わず、仰天して恐縮した。露骨に慌てるアブニールの背後で、フラムが堪えきれないという風に吹きだすのが分かった。ばれないように背後の男を睨む。
「そなたさえよければ、今後も弟の力となってくれぬか。これはひねくれもの故、可愛げのないところも多々あるだろうが、愛想をつかさないでもらえると、兄としても国を治めるものとしても安心できる」
「兄上」
今度はフラムが照れた様子で兄を窘めた。今度はアブニールが笑いをかみ殺す番だった。
ひそかに振り向き、居心地が悪そうなフラムに勝ち誇った笑みを向けてやった。後から王の御前で何を下らない争いをと悔いることになるとも知らず。
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