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憧れ以上恋未満
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〈風香編〉
昨日、私は部活を引退した。
高校生活最後の引退試合は、残念ながら負けてしまった。勝って終わっていれば、流した涙の意味も、違っていただろう。
小中高と、ずっとバスケを続けてきた。でももう部活に出ることもない。
周りの友人がオシャレに気を遣い、彼氏を作り、いろんな場所に遊びに出かけている間も、私はコートを駆け回り、汗を流していた。
喪失感に襲われていた。私には部活だけだったのかもしれない。
今日は日曜日で、天気がいい。だから特に目的もなく外に出たのだが、急に思い立ち、自転車に飛び乗った。
向かう先は市の体育館。今日は、男子バスケ部三年生の引退試合。女子は負けたから、せめて男子は勝って欲しい。
体育館に入ると、まだ試合は始まっていなかった。コートを半分に分けて、シュート練習をしている。
普段遊び半分であまり真剣に取り組まない男バスも、今日だけは別の顔をしていた。笑みがなく、張り詰めた空気が漂っている。
倉知君の姿を見つけた。ゴールを見上げながら、何か考え事をしているようだった。表情が硬い。
丸井君ですら口元を引き締めて、険しい顔でシュートを放っている。声をかけてもいい雰囲気ではなさそうだった。
観覧席に上がり、手すりに体を預けてコートを見下ろしていると、後ろから声をかけられた。
「風香ちゃん?」
振り向くと、見知った男性が立っていた。「あっ」と声が出た。倉知君の恋人の、加賀さんだ。
「こんにちは」
慌てて頭を下げた。去年の学園祭で、一度顔を合わせただけなのに、私だと気づいてくれたのは奇跡に近い。名前を覚えてくれていたことも、素直に嬉しかった。舞い上がりそうになるのを必死で堪えて、「倉知君の応援ですか?」と当たり前な質問をした。
「うん、最後らしいから。倉知君の家族も来てるよ」
後ろを振り返って加賀さんが言った。つられてそっちを見ると、上のほうの席にご両親とお姉さんの姿があった。倉知君には二人お姉さんがいるはずだが、二番目のお姉さんしか来ていないようだ。私に気づいて手を振ってくる。頭を下げてそれに応えた。
倉知君と加賀さんはお互いの家族に、付き合っていることを認められているらしい。
男同士だから反対されてもおかしくない。反対されることのほうが多いと思う。お互いの相手を認めて、応援までしてくれる家族の理解力の高さに驚いてしまった。
加賀さんは私の隣に並んで立った。さっきまで全力で自転車を漕いでいたから、汗を掻いている。汗臭くないかな、とそれが心配で、気が気じゃない。この人が来ていると知っていれば、もっとちゃんとした服を着てきたのに。
友達の彼氏なのに、そんなことを気にしても仕方がない。でもやっぱりこの人は、かっこよすぎてまともに見ることすら恥ずかしい。私なんかが隣にいて、いいのだろうか、と気後れしてしまう。
観客は少なくて、席はガラガラだけど、だからこそ視線が集まってくる。
相手校の生徒らしき女子たちが、席を移動してこっちに近づいてくるのが見えた。スマホを向けてきているのに気づいてギョッとした。
さり気なく背伸びをして、なんとか隠そうと試みていると、加賀さんがぽつりと呟いた。
「あの子、マネージャーかな」
「え?」
視線の先を追った。倉知君が一年の女の子と話している。今年は一年女子のマネージャーが二人も入部して、片方の子は奇妙なことに、丸井君の彼女になった。
倉知君が話しているのは、もう一人の女の子だ。丸井君目当てでマネージャーになった友人とは違い、バスケに詳しく、テキパキとよく動いてくれる子だ、と倉知君が言っていた。
「はい、一年生のマネージャーです」
「仲良さそう」
バスケが好きな真面目な子だから、倉知君とは気が合うようで、部活でも話しているところをよく見る。他の部員より、仲がいいのは確かだ。
「あの子NBAファンらしくて、特に倉知君とはよく話してるみたいです」
馬鹿正直に答えてから、しまった、とすぐに後悔した。加賀さんが「ふうん」と言って、組んだ両腕を手すりにのせて黙り込んだ。
拗ねた、というか、これはヤキモチを妬いているのだろうか。ただのマネージャーですよ、とフォローするのも変だし、これ以上下手なことを言わないでおこう、と口をつぐんだ。
「倉知君って」
しばらく後で、口を開いた加賀さんが頭を掻きながら言った。
「学校でモテるよね?」
「えっと……」
本当のことを言うべきなのだろうか。私が喋ったことによって、二人の仲がこじれたり、喧嘩の原因になったりするのは嫌だ。
「真面目だし、優しいし、可愛いし、モテなかったら変だよな」
可愛い、というのは多分加賀さん独自の意見だと思う。同級生や下級生が倉知君をカッコイイと評しても、可愛いなんて意見は聞いたことがない。なんせ身長が百八十センチを超えている。私も彼を可愛いとは思えない。
「あの、やっぱり、モテたら嫌ですか? 不安になりますか?」
遠慮がちに訊くと、加賀さんがこっちを向いた。綺麗な目に見つめられて、思わずたじろいだ。加賀さんの周りに、チカチカと小さな星が光って飛んでいる、という妙な錯覚を覚えた。
「いや? モテなきゃおかしいって思うだけ。見る目なさすぎだろって」
これはのろけだろうか。自然と顔が熱くなる。
「なんであいつ、わざわざ俺と付き合ってんだろ」
「えっ」
驚いて声が出た。
「だって女の子に不自由しないのに、普通十歳上のくたびれたサラリーマン選ばないって」
突然の自虐的な発言に、戸惑った。何か思い詰めているというよりも、ただの疑問だったようで、特に落ち込んでいる様子じゃない。
どうしてこんな人が、自分を「くたびれたサラリーマン」と位置づけるのかがわからない。電車で初めて見たとき、息が詰まるほど驚いた。こんなに綺麗な人は、見たことがない、と思った。
「モテないならわかるけど、倉知君は絶対モテる」
自信満々に断言した加賀さんが、なんだか可愛らしく感じて、笑い声が漏れてしまった。目が合うと、慌てて謝って、弁解する。
「あの、倉知君はモテるけど、真面目だから今まで誰とも付き合わなかったんです」
中学も同じだったから、彼のことは大体理解しているつもりだった。
「告白されたからって、好きでもない子と付き合えない、好きじゃないのに付き合うなんて、失礼だろって言ってました」
私が言うと、加賀さんは優しくて柔らかい笑顔になっていった。
「はは、それ倉知君らしいな」
目を細めて嬉しそうに笑う加賀さんを見ていると、胸が苦しくなった。
羨ましい、と思った。
この人に、こんな顔をさせている倉知君が羨ましい。
「好きなんです」
綺麗な人を、じっと見て、はっきりと告げた。
「加賀さんが好きなんです」
「え」
きょとんとした加賀さんが、「ん?」と首を傾げる。
ハッとした。私は今、何を言った?
「ちっ、違います!」
あたふたと顔の前で両手を振った。
「倉知君が! 加賀さんのこと、好きなんです、大好きなんです!」
「お、おう、びっくりした。告白されたかと思った」
加賀さんが、あはは、と笑った声と、ホイッスルの音が重なった。コートの中で動きがある。そろそろ試合開始だ。
「座って観ようか」
わたわたと一人で汗だくになり、赤面する私の頭を、加賀さんが優しくポン、と叩いた。たったそれだけのことが嬉しくて、心が弾む。
加賀さんが数段上の、倉知家一行の元に戻っていく。観ようか、と誘われたことになるのだろうか、と迷いつつも、あとを追いかけた。
加賀さんの隣に座って、試合を観る。フリをする。隣が気になって、試合が目に入らない。
こっそりため息をついた。別に、違う。私は、この人に恋をしているというわけじゃない。でもなぜか、火照った体の熱が、一向に冷めない。緊張で、息苦しい。
ワッ、と体育館が沸いて、我に返る。コートに目をやると、リングにぶら下がる人影が。倉知君だ。高校の試合でダンクは珍しい。できる選手が限られているし、できたとしてもよほど余裕がないと無理だ。
「お父さん、七世がすごいよ!」
倉知君のお母さんが興奮してペットボトルを振り回している。
「あいつ今日、トリプルダブルでもする気か?」
倉知君のお父さんが言った。個人スタッツを記録しているらしく、ノートに目を落としていた。
確かに今日は気迫が違う。気がする。加賀さんが観に来ているから? でも倉知君は、会場内を見回すことも、誰かを探す素振りも見せない。集中したいから観ないようにしているのか、加賀さんが内緒で見に来ているのか、どっちだろう。
ちら、と隣をうかがうと、加賀さんが両手で顔を覆ってうなだれていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あー、うん、なんでもない」
うなだれたままうめいて、口元を隠した。
「やべえ、すげえカッコイイ」
小さな声で、囁くように言った科白が、確かに聞こえた。加賀さんの向こう側にいるお姉さんが、スケッチブックを片手にニヤニヤと口元を歪めている。
しばらくうめいていた加賀さんが、やがて体を起こして姿勢を正す。真っ直ぐな視線を、コートを走るただ一人に向ける美しい人は、完全に心を奪われている。
倉知君がどれだけこの人を好きか、知っている。ちょっとしたことで取り乱して、落ち込んで、うろたえる倉知君を見ていると、もしかしたら相手にされてなくて、一方的に想いを寄せているだけなのだろうか、と思ったこともあった。
なんのことはない、立派な両思いじゃないか。
面白いくらい、体の熱が引いていく。
冷静さを取り戻した私は、コートに目をやり、それからは純粋に、応援に徹した。友人の、高校最後の試合。見届けたい、と思った。普段ろくに勝てないチームだから、誰もがうちの高校の負けを確信していたと思う。私も、勝てるとは思っていなかった。
試合終了のブザーが鳴り響いた瞬間、相手チームは呆然とコートに立ち尽くし、勝った本人たちもスコアを見上げてポカンとしている。一点差で、うちの高校の勝ちだ。
勝った? 勝った? と確認し合っている姿を見て、笑ってしまった。椅子から立ち上がり、前に飛び出した。手すりから身を乗り出すようにして、「勝ったよ、おめでとう!」と拍手をした。
こっちを見上げた選手たちが、夢から覚めたように一斉に歓喜の声を上げ、腕を突き上げて、抱き合って喜んでいる。
「さすが、有言実行だわ」
いつの間にか私の隣で同じように手を叩いていた加賀さんが、感慨深げに言った。
「絶対勝つから、観に来てくださいって言われてさ」
なるほど、と激しく納得した。引退試合だから、というだけであれほどの闘志はみなぎらない。
会場に、じわじわと、お祝いムードが広がっていく。気づくと、観覧席の人たちも、みんな席を立ち、手を叩いて祝福し始めていた。倉知君の家族も三人が抱き合って、大騒ぎしている。
「なんかちょっと感動した」
「ちょっとですか?」
ツッコミを入れる私を見る加賀さんの目は潤んでいた。
「いや、だいぶ」
目尻を拭って、照れ臭そうに笑う顔が、可愛い、と思った。
顔を見合わせて笑っていると、下から「加賀さん!」と叫び声が聞こえた。腰に号泣する丸井君をぶら下げた倉知君が、こっちを見上げていた。
「そっち行きます、待ってて」
倉知君は、私が目に入っていない。というか、加賀さん以外、見えていない。多分もうほとんど体力は残っていないと思う。荒い息を吐いて、肩で息をして、疲れ切っている。立っているのもやっとのはずだ。でもその疲労を上回る感情が、彼の中で沸き起こっているようだった。
「いやいい、来なくていい」
身の危険を感じたのか、加賀さんが早口で止めた。
「でも、俺、今すごい抱きし」
「わかった! わかったから落ち着け、な?」
抱きしめたい、という叫びを、加賀さんが大声で掻き消した。唇に人差し指を当てて、「しー」とやっている。
「加賀さん……」
切なそうに見上げている倉知君の足下が、ふらついている。
「ちょっと待ってろ、今下りる」
加賀さんが言って、身を翻す。倉知君は腰にぶら下がって泣き続ける丸井君を引っぺがして、体を引きずるようにして体育館を出て行った。
会場は予想外の勝利の余韻に包まれていた。
自分の学校が勝って、嬉しい。ものすごく、嬉しい。今すぐここから飛び降りて、やったね、よかったね、と労ってあげたい。
でもそれ以上に、私の中でもやもやしている感情がある。
「いいなあ……」
知らずに口に出していた。
もう少し、話していたかった。だってもう、二度と会えないかもしれない。
あの人の作り出す空気はとても居心地がよくて、優しくて、穏やかだった。
私のこれは、なんだろう。一体、なんなのだろう。
恋、というには弱々しく、憧れ、というには苦しすぎる。
正体がわからないまま、始まっているかどうかもわからないまま、終わる。
わかりたくない。わからないままでいい。
大きく深呼吸をして、さようなら、と呟いた。
正体不明の感情とは、今日でお別れだ。
〈おわり〉
昨日、私は部活を引退した。
高校生活最後の引退試合は、残念ながら負けてしまった。勝って終わっていれば、流した涙の意味も、違っていただろう。
小中高と、ずっとバスケを続けてきた。でももう部活に出ることもない。
周りの友人がオシャレに気を遣い、彼氏を作り、いろんな場所に遊びに出かけている間も、私はコートを駆け回り、汗を流していた。
喪失感に襲われていた。私には部活だけだったのかもしれない。
今日は日曜日で、天気がいい。だから特に目的もなく外に出たのだが、急に思い立ち、自転車に飛び乗った。
向かう先は市の体育館。今日は、男子バスケ部三年生の引退試合。女子は負けたから、せめて男子は勝って欲しい。
体育館に入ると、まだ試合は始まっていなかった。コートを半分に分けて、シュート練習をしている。
普段遊び半分であまり真剣に取り組まない男バスも、今日だけは別の顔をしていた。笑みがなく、張り詰めた空気が漂っている。
倉知君の姿を見つけた。ゴールを見上げながら、何か考え事をしているようだった。表情が硬い。
丸井君ですら口元を引き締めて、険しい顔でシュートを放っている。声をかけてもいい雰囲気ではなさそうだった。
観覧席に上がり、手すりに体を預けてコートを見下ろしていると、後ろから声をかけられた。
「風香ちゃん?」
振り向くと、見知った男性が立っていた。「あっ」と声が出た。倉知君の恋人の、加賀さんだ。
「こんにちは」
慌てて頭を下げた。去年の学園祭で、一度顔を合わせただけなのに、私だと気づいてくれたのは奇跡に近い。名前を覚えてくれていたことも、素直に嬉しかった。舞い上がりそうになるのを必死で堪えて、「倉知君の応援ですか?」と当たり前な質問をした。
「うん、最後らしいから。倉知君の家族も来てるよ」
後ろを振り返って加賀さんが言った。つられてそっちを見ると、上のほうの席にご両親とお姉さんの姿があった。倉知君には二人お姉さんがいるはずだが、二番目のお姉さんしか来ていないようだ。私に気づいて手を振ってくる。頭を下げてそれに応えた。
倉知君と加賀さんはお互いの家族に、付き合っていることを認められているらしい。
男同士だから反対されてもおかしくない。反対されることのほうが多いと思う。お互いの相手を認めて、応援までしてくれる家族の理解力の高さに驚いてしまった。
加賀さんは私の隣に並んで立った。さっきまで全力で自転車を漕いでいたから、汗を掻いている。汗臭くないかな、とそれが心配で、気が気じゃない。この人が来ていると知っていれば、もっとちゃんとした服を着てきたのに。
友達の彼氏なのに、そんなことを気にしても仕方がない。でもやっぱりこの人は、かっこよすぎてまともに見ることすら恥ずかしい。私なんかが隣にいて、いいのだろうか、と気後れしてしまう。
観客は少なくて、席はガラガラだけど、だからこそ視線が集まってくる。
相手校の生徒らしき女子たちが、席を移動してこっちに近づいてくるのが見えた。スマホを向けてきているのに気づいてギョッとした。
さり気なく背伸びをして、なんとか隠そうと試みていると、加賀さんがぽつりと呟いた。
「あの子、マネージャーかな」
「え?」
視線の先を追った。倉知君が一年の女の子と話している。今年は一年女子のマネージャーが二人も入部して、片方の子は奇妙なことに、丸井君の彼女になった。
倉知君が話しているのは、もう一人の女の子だ。丸井君目当てでマネージャーになった友人とは違い、バスケに詳しく、テキパキとよく動いてくれる子だ、と倉知君が言っていた。
「はい、一年生のマネージャーです」
「仲良さそう」
バスケが好きな真面目な子だから、倉知君とは気が合うようで、部活でも話しているところをよく見る。他の部員より、仲がいいのは確かだ。
「あの子NBAファンらしくて、特に倉知君とはよく話してるみたいです」
馬鹿正直に答えてから、しまった、とすぐに後悔した。加賀さんが「ふうん」と言って、組んだ両腕を手すりにのせて黙り込んだ。
拗ねた、というか、これはヤキモチを妬いているのだろうか。ただのマネージャーですよ、とフォローするのも変だし、これ以上下手なことを言わないでおこう、と口をつぐんだ。
「倉知君って」
しばらく後で、口を開いた加賀さんが頭を掻きながら言った。
「学校でモテるよね?」
「えっと……」
本当のことを言うべきなのだろうか。私が喋ったことによって、二人の仲がこじれたり、喧嘩の原因になったりするのは嫌だ。
「真面目だし、優しいし、可愛いし、モテなかったら変だよな」
可愛い、というのは多分加賀さん独自の意見だと思う。同級生や下級生が倉知君をカッコイイと評しても、可愛いなんて意見は聞いたことがない。なんせ身長が百八十センチを超えている。私も彼を可愛いとは思えない。
「あの、やっぱり、モテたら嫌ですか? 不安になりますか?」
遠慮がちに訊くと、加賀さんがこっちを向いた。綺麗な目に見つめられて、思わずたじろいだ。加賀さんの周りに、チカチカと小さな星が光って飛んでいる、という妙な錯覚を覚えた。
「いや? モテなきゃおかしいって思うだけ。見る目なさすぎだろって」
これはのろけだろうか。自然と顔が熱くなる。
「なんであいつ、わざわざ俺と付き合ってんだろ」
「えっ」
驚いて声が出た。
「だって女の子に不自由しないのに、普通十歳上のくたびれたサラリーマン選ばないって」
突然の自虐的な発言に、戸惑った。何か思い詰めているというよりも、ただの疑問だったようで、特に落ち込んでいる様子じゃない。
どうしてこんな人が、自分を「くたびれたサラリーマン」と位置づけるのかがわからない。電車で初めて見たとき、息が詰まるほど驚いた。こんなに綺麗な人は、見たことがない、と思った。
「モテないならわかるけど、倉知君は絶対モテる」
自信満々に断言した加賀さんが、なんだか可愛らしく感じて、笑い声が漏れてしまった。目が合うと、慌てて謝って、弁解する。
「あの、倉知君はモテるけど、真面目だから今まで誰とも付き合わなかったんです」
中学も同じだったから、彼のことは大体理解しているつもりだった。
「告白されたからって、好きでもない子と付き合えない、好きじゃないのに付き合うなんて、失礼だろって言ってました」
私が言うと、加賀さんは優しくて柔らかい笑顔になっていった。
「はは、それ倉知君らしいな」
目を細めて嬉しそうに笑う加賀さんを見ていると、胸が苦しくなった。
羨ましい、と思った。
この人に、こんな顔をさせている倉知君が羨ましい。
「好きなんです」
綺麗な人を、じっと見て、はっきりと告げた。
「加賀さんが好きなんです」
「え」
きょとんとした加賀さんが、「ん?」と首を傾げる。
ハッとした。私は今、何を言った?
「ちっ、違います!」
あたふたと顔の前で両手を振った。
「倉知君が! 加賀さんのこと、好きなんです、大好きなんです!」
「お、おう、びっくりした。告白されたかと思った」
加賀さんが、あはは、と笑った声と、ホイッスルの音が重なった。コートの中で動きがある。そろそろ試合開始だ。
「座って観ようか」
わたわたと一人で汗だくになり、赤面する私の頭を、加賀さんが優しくポン、と叩いた。たったそれだけのことが嬉しくて、心が弾む。
加賀さんが数段上の、倉知家一行の元に戻っていく。観ようか、と誘われたことになるのだろうか、と迷いつつも、あとを追いかけた。
加賀さんの隣に座って、試合を観る。フリをする。隣が気になって、試合が目に入らない。
こっそりため息をついた。別に、違う。私は、この人に恋をしているというわけじゃない。でもなぜか、火照った体の熱が、一向に冷めない。緊張で、息苦しい。
ワッ、と体育館が沸いて、我に返る。コートに目をやると、リングにぶら下がる人影が。倉知君だ。高校の試合でダンクは珍しい。できる選手が限られているし、できたとしてもよほど余裕がないと無理だ。
「お父さん、七世がすごいよ!」
倉知君のお母さんが興奮してペットボトルを振り回している。
「あいつ今日、トリプルダブルでもする気か?」
倉知君のお父さんが言った。個人スタッツを記録しているらしく、ノートに目を落としていた。
確かに今日は気迫が違う。気がする。加賀さんが観に来ているから? でも倉知君は、会場内を見回すことも、誰かを探す素振りも見せない。集中したいから観ないようにしているのか、加賀さんが内緒で見に来ているのか、どっちだろう。
ちら、と隣をうかがうと、加賀さんが両手で顔を覆ってうなだれていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あー、うん、なんでもない」
うなだれたままうめいて、口元を隠した。
「やべえ、すげえカッコイイ」
小さな声で、囁くように言った科白が、確かに聞こえた。加賀さんの向こう側にいるお姉さんが、スケッチブックを片手にニヤニヤと口元を歪めている。
しばらくうめいていた加賀さんが、やがて体を起こして姿勢を正す。真っ直ぐな視線を、コートを走るただ一人に向ける美しい人は、完全に心を奪われている。
倉知君がどれだけこの人を好きか、知っている。ちょっとしたことで取り乱して、落ち込んで、うろたえる倉知君を見ていると、もしかしたら相手にされてなくて、一方的に想いを寄せているだけなのだろうか、と思ったこともあった。
なんのことはない、立派な両思いじゃないか。
面白いくらい、体の熱が引いていく。
冷静さを取り戻した私は、コートに目をやり、それからは純粋に、応援に徹した。友人の、高校最後の試合。見届けたい、と思った。普段ろくに勝てないチームだから、誰もがうちの高校の負けを確信していたと思う。私も、勝てるとは思っていなかった。
試合終了のブザーが鳴り響いた瞬間、相手チームは呆然とコートに立ち尽くし、勝った本人たちもスコアを見上げてポカンとしている。一点差で、うちの高校の勝ちだ。
勝った? 勝った? と確認し合っている姿を見て、笑ってしまった。椅子から立ち上がり、前に飛び出した。手すりから身を乗り出すようにして、「勝ったよ、おめでとう!」と拍手をした。
こっちを見上げた選手たちが、夢から覚めたように一斉に歓喜の声を上げ、腕を突き上げて、抱き合って喜んでいる。
「さすが、有言実行だわ」
いつの間にか私の隣で同じように手を叩いていた加賀さんが、感慨深げに言った。
「絶対勝つから、観に来てくださいって言われてさ」
なるほど、と激しく納得した。引退試合だから、というだけであれほどの闘志はみなぎらない。
会場に、じわじわと、お祝いムードが広がっていく。気づくと、観覧席の人たちも、みんな席を立ち、手を叩いて祝福し始めていた。倉知君の家族も三人が抱き合って、大騒ぎしている。
「なんかちょっと感動した」
「ちょっとですか?」
ツッコミを入れる私を見る加賀さんの目は潤んでいた。
「いや、だいぶ」
目尻を拭って、照れ臭そうに笑う顔が、可愛い、と思った。
顔を見合わせて笑っていると、下から「加賀さん!」と叫び声が聞こえた。腰に号泣する丸井君をぶら下げた倉知君が、こっちを見上げていた。
「そっち行きます、待ってて」
倉知君は、私が目に入っていない。というか、加賀さん以外、見えていない。多分もうほとんど体力は残っていないと思う。荒い息を吐いて、肩で息をして、疲れ切っている。立っているのもやっとのはずだ。でもその疲労を上回る感情が、彼の中で沸き起こっているようだった。
「いやいい、来なくていい」
身の危険を感じたのか、加賀さんが早口で止めた。
「でも、俺、今すごい抱きし」
「わかった! わかったから落ち着け、な?」
抱きしめたい、という叫びを、加賀さんが大声で掻き消した。唇に人差し指を当てて、「しー」とやっている。
「加賀さん……」
切なそうに見上げている倉知君の足下が、ふらついている。
「ちょっと待ってろ、今下りる」
加賀さんが言って、身を翻す。倉知君は腰にぶら下がって泣き続ける丸井君を引っぺがして、体を引きずるようにして体育館を出て行った。
会場は予想外の勝利の余韻に包まれていた。
自分の学校が勝って、嬉しい。ものすごく、嬉しい。今すぐここから飛び降りて、やったね、よかったね、と労ってあげたい。
でもそれ以上に、私の中でもやもやしている感情がある。
「いいなあ……」
知らずに口に出していた。
もう少し、話していたかった。だってもう、二度と会えないかもしれない。
あの人の作り出す空気はとても居心地がよくて、優しくて、穏やかだった。
私のこれは、なんだろう。一体、なんなのだろう。
恋、というには弱々しく、憧れ、というには苦しすぎる。
正体がわからないまま、始まっているかどうかもわからないまま、終わる。
わかりたくない。わからないままでいい。
大きく深呼吸をして、さようなら、と呟いた。
正体不明の感情とは、今日でお別れだ。
〈おわり〉
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