電車の男

月世

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Ⅷ.加賀編

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 後藤が至福の表情でアップルパイを食べるのを、コーヒーを飲みながら眺めた。
 出産してから太りやすくなったとかで、本当は甘い物が好きなのに、いつも我慢している。
 今日は特別だからと言い訳をしながら、一口ずつ慎重に口に運び、そのたびに嬉しそうに目を細めた。
「九條さんと何かあった?」
「え」
 後藤がアップルパイを半分食べたところで一度フォークを置いて、唐突に訊いた。
「疲れた顔してる」
「別に、九條のせいじゃないよ」
「ああ、まあ、そうだよね。女ってほんとめんどくさい」
 自分も女なのに、棚に上げて後藤が鼻で笑う。
「ぐいぐい来てる連中の他に、加賀君のことずっと見てる女子、わんさかいるよ。温泉じゃなくて加賀君目当て。気づいてないでしょ」
「気づきたくなかった。言わないでよ」
 コーヒーカップを置いて、目頭を押さえた。
「鈍感だよね」
 ぎくっとして顔を上げる。九條との会話を聞かれていたのかと思った。
「俺の何がそんなにいいんだろうな」
「顔じゃない?」
「身も蓋もねえ」
 後藤が片肘をついて俺を見る。
「綺麗な顔してるもんねえ。取り替えたいくらい」
「旦那と?」
「私とだよ」
「何それ」
「加賀君、もしかしてさ」
 片肘をついたまま、アップルパイにフォークを突き刺し、目を覗き込んでくる。
「今付き合ってるのって、男?」
 答えにくいことを、すんなりと訊いてくる。あまりにも自然に核心に触れられて、つい、笑ってしまった。
「彼女じゃないってそういう意味だよね?」
「うん、そう」
 コーヒーを口に含んで、真っ直ぐ見てくる後藤の目を見返した。
「そっか」
 後藤はにこりと笑うと残りのアップルパイを丁寧に切り分けて、ゆっくりと頬張った。
「偏見とかないの?」
「ないよ。で、相手どんな人?」
 身を乗り出して後藤が訊いた。
「あー、でもさすがにこれ言ったら引くかも」
「え、何、血縁者とかじゃない限り引かないよ」
「その、高校生なんだよ」
 後藤が目を見開いて、わかりやすく、ごくりと唾を飲み込んだ。
「何それ、どうやったら高校生と付き合えるの?」
 声を潜める後藤は、興奮した目つきだ。
「付き合いたいみたいに言うね」
「だって十歳くらい違うんでしょ? あ、なんかドキドキしてきた」
 後藤は男勝りでさばさばしてはいるが、こういうところはやっぱり女だな、と思う。
「写真ないの? 加賀君を射止めた子、見たいな」
「あることはあるけど、ちょっと見せられない」
「それエロいやつ? 何撮ってんの?」
「そういうんじゃないけど」
「じゃあ今度会わせて。すごい、もう、見たい」
 これが前畑とか高橋なら、即座に断っている。俺にとって後藤は特別だった。入社時からいろいろと面倒を見てもらっているし、姉のような存在だ。
「可愛いの? カッコイイの?」
「可愛いよ。身長百八十七センチあるけど」
「でっか、え、それで可愛いの?」
「うん」
 迷うことなくうなずいた。
「顔とかじゃないけど。まあ顔も可愛いけど」
 後藤は両肘をついて、指を組み合わせた手の上に顎を置き、俺を見据えた。
「ていうか馴れ初めを白状しなさい」
 店を見渡したが、客は俺たちだけだ。もう閉店間際だからか、店員が奥で片付けをしているのが見えた。あまり時間はなさそうだ。
 電車で助けられ、連絡先を教え、ずっと見ていたと告白され、付き合うことにした。
 簡単に説明すると、後藤の目がキラキラと輝きだす。
「なんで付き合おうと思ったの? 客観的に見ると、ただのストーカーなんだけど。知らないうちにずっと見られてたなんて、怖くない?」
 残りわずかになったコーヒーを、カップの底で揺らしながら、笑いを堪える。倉知本人も、ストーカーと思われることをやたら恐れていた。
「俺のこと綺麗だとか言ってたけど、よっぽどあいつのが綺麗だったんだよ。まっさらって言うか一切濁りがなかったんだ。下心も見えなくて、俺とどうにかなりたいなんて想像もしてなかったと思うよ。付き合うかって言ったの俺だし」
「チャレンジャー」
 後藤がニヤニヤして言った。
「男に惚れられて気持ち悪くないのか、ってすげえ不思議そうだった。クソ真面目な奴でさ、それが少し話しただけでわかったんだけど、ほっとけないっていうか、うん、やっぱり……」
 コーヒーを飲み干して、カップを置いた。
「可愛いと思ったんだ」
 言ったあとで照れがきた。手で扇いで熱を冷ますと、後藤が目を閉じて胸を押さえる仕草をした。
「何これ、キュンキュンする。加賀君が乙女なんですけど」
「なんで俺のろけてんだ?」
「前の彼女よりよっぽどいい恋愛してるって感じするよ」
 後藤がニヤニヤ笑いをやめない。
「ちょっと、電話してみて」
「はあ? なんで」
「どんなふうなのか、声が聞きたい」
 後藤は残りのアップルパイを口に放り込み、フォークを置いて「早く」と言った。指でテーブルをトントンして、急かしてくる。
「めぐみさん、悪趣味」
「あと五分だね。お店閉まるまででいいから」
 携帯で時間を確かめて、後藤が言った。
「もう充電ないんだよ」
 後藤は肩をすくめて「じゃあ切れるまででいいから」と折れない。
 諦めて携帯を出し、倉知の番号を開く。携帯を耳に当てると、後藤が紅茶を勢いよく飲み干して人差し指を立てた。
「スピーカーにしてね」
「はいはい、待ってて」
『加賀さん』
 弾んだ倉知の声がすぐに聞こえてきた。
「こんばんは」
『こんばんは。あの、何も』
「なんにもないよ、大丈夫。ごめん、スピーカーにするわ」
『え?』
「俺、会社の人にお前とのこと話したんだよ」
 バッテリーが切れそうだから、細かいことは端折って淡々と告げると、倉知が黙った。
「社内で唯一信頼してる人だから大丈夫」
 そう言ってスピーカーにすると、携帯をテーブルに置いた。
『ほんとに大丈夫なんですか?』
 倉知の心配そうな声が響く。
「大丈夫だよー。こんばんは、後藤めぐみと申します」
 後藤が携帯に話しかけた。
『え、あ、女の人ですか?』
 意表を突かれた声だ。
「女だけど結婚して子どももいるし、夫とはラブラブなんで、変な心配しないで。加賀君は弟みたいなものなんだ」
 相思相愛だな、と笑みが漏れる。
『そう、そうですか』
「あ、ほんと心配しないで、誰にも言わないからね。女がみんなおしゃべりだと思わないように。私、おばさんだけど、口は堅いよ」
 後藤の弁明に、倉知が少し笑った声で「はい」と素直に答える。
『加賀さんが信頼してる人なら、俺も信じます』
 後藤が顔を上げて俺を見る。「可愛い」と目尻を下げた。
「だろ」
 小声で相づちを打つ。
『あの、後藤さん』
「めぐみでいいよ」
『めぐみさん、加賀さんがいつもお世話になってます。これからもよろしくお願いします』
 驚いた顔で目を見開いた後藤が、三秒くらい硬直して、たまらず笑い出した。
「何、すごいしっかりしてるね、いい子だね。あ、名前聞いてなかった。何君?」
『名乗らなくてすみません、倉知七世です』
「七世君、いい子、気に入った。うん、なるほど、可愛いわ」
 後藤が倉知の頭を撫でる代わりに、俺の頭を撫でた。
『加賀さん、います?』
「うん、聞いてるよ」
『会いたいです』
 う、と声を漏らしてから、後藤がゲホゲホとむせた。顔が赤い。
 素早く携帯を取り上げてスピーカーを解除し、「馬鹿」と叱る。
『すいません、我慢できなくて』
 バッテリーが切れる寸前の、警告音がピーピー鳴り始めた。
「ごめん、充電切れるわ。急にごめんな、変な電話して」
『いえ、声聞けてよかったです。加賀さん、好きです』
 好きです、は囁き声だった。後藤を見る。顔色を変えずに頬杖をついて俺を眺めている。
 息をつき、窓の外を見ながら「俺もだよ」と答えた。
「じゃあおやすみ」
『おやすみなさい』
 ピーと音が響いて、画面が暗転する。バッテリーが底をついた。
「最後、好きです、って言われた?」
「そこスルーしてよ」
「はー、すごい、感動した」
「何が?」
「今時の高校生ってもっとアホかと思ったけど、しっかりしてるんだね」
「こいつが特別なんだよ」
「ふーん」
 もうこの後藤のニヤニヤ顔も見慣れてきた。元々こんな顔だった気がしてくる。
「お客様、申し訳ありません」
 店員が脇に立って、「閉店のお時間ですので」と何度も頭を下げた。
「すいません、出ます」
 後藤が伝票を持って立ち上がった。
「俺が出すよ」
 後藤は伝票を胸に押しつけて隠すと、「いいからお姉さんに奢らせなさい」とさっさとレジに向かう。財布を開けて金を出そうとする後藤の手を押しのけて、レジのトレイに一万円札を置いた。
「加賀君」
「その金で子どもになんかお土産でも買ってやってよ」
「……そういうことするから、ほら」
 後藤がレジの店員を見た。彼女は口を開けて俺を見上げていた。
「今、この人カッコイイ、王子様? って思いませんでした?」
「めぐみさん、何言ってんの。一万円で」
 店員が顔を赤らめて一万円を受け取り、慌てておつりを渡してきた。
 レジの前に置いてある募金箱に小銭を入れると、紙幣を折って浴衣の帯にねじ込んだ。
「なんかどっかのおっさんがさ、今と同じことしてもへーで終わるんだけど、加賀君がやると一連の流れがスマートに見えるんだよね」
 店を出ると、後藤が身をすくめて言った。
「どういうこと」
「美形は何やっても美しいってこと」
「どの辺が美しかったんだろう。募金? 小銭処理しただけだよ」
 浴衣の袖に財布を入れる奴もいるが、重みですぐに着崩れるから俺はしない。何かのときのために一万円札だけ持ち歩いている。今小銭を貰っても困るから、募金箱に入れただけで、美しい慈善の心は皆無だ。
「さらっとお金出しちゃうしさ、モテたくないのにモテるようなことするから駄目なんだよ」
「ごめんなさい」
「うん、奢ってくれてありがとう」
「いえいえ」
 旅館への道を、並んで歩く。後藤が俺の顔を見ている気配がした。
「何?」
「さっき、社内で唯一信頼してるって、七世君に言ったじゃない?」
「ああ、うん」
「なんかすごい、嬉しかったんだ」
「信頼できるのが一人ってのも寂しい奴だけどね」
 営業職だから手放しで他人を信用しにくい。競争意識が高く、隙あらば出し抜こうとする性質がある。後藤は営業事務だから、その辺の心配がいらない。プライベートを明かすのは、彼女一人で充分だ。
「前畑が聞いたら怒りそう」
「まあ、信頼してないわけでもないけど」
「あの子、加賀君に傾倒してるしね」
「言っても大丈夫そうなら、様子見て話すわ」
「うん、ねえ、今度本当に七世君に会わせてよ。他人にのろけるのって気持ちいいよ」
 人前でのろけることが、気持ちいいとは思えない。そもそも男同士でどうやってのろけるのか。
「いいけど、あんまりあいつ煽らないでよ。なんでも真に受けるから人前でキスとか平然とするし」
「何それ。詳しく聞かせなさい」
 ホテルに戻る道中、倉知の家族に関係がばれていることを話した。五月に惚れられ、六花が腐女子でと説明していると、あっという間にホテルに着いた。
 鼻息を荒くした後藤に、面白いから全部吐け、と最上階のバーに連れて行かれた。
 最初からここに来ればよかった。客は数人いて、社員もいたが、俺の追っかけで血眼になっている女はいなかった。
 倉知とのことを後藤に語っている間、随分濃い二週間だったな、と思い返す。
 ここ数年、ずっと仕事しかなかった。仕事が好きだからそれで満足だったし、一人が寂しいとも思わなかった。
 でも今、あいつに会いたい。
 結局日付が変わるまでバーで話し、後藤と別れて部屋に戻ると全員眠っていた。誰かはわからないが何人かのいびきがうるさい。
 こういうときは先に寝たもの勝ちなのに、出遅れた。明日は箱根周辺の観光で、ロープウェーやら神社やらに行く日程になっている。寝不足だとまずい。
 はあ、と息をつく。
 どうでもいいから早く帰りたい。
 アパートに着くのは多分八時くらいになるだろうし、倉知には会えない。でも今の俺には癒しが必要だ。帰ったら会いに行こうか、と考えていた。
 二人分のスペースにまたがって眠っている高橋の体を転がして退かし、布団をかぶる。いびきは高橋が発信源だ。地響きのように轟いている。段々笑えてきた。
 そのうち意識が飛んで、気づいたら朝だった。
 二日酔いでぐだぐだの高橋の面倒を見ながら、女の猛攻に耐え、これは俺に科せられた使命だと自分に言い聞かせた。すべてが終わるのをひたすら待った。
 帰りのバスで俺の肩に頭をのせて眠る高橋を、前畑は黙って睨んでいたが、起こすとか殴るとかのアクションもなかった。確実に、今までと反応が違って面白い。
 この旅行でたった一つ収穫があったとすれば、これだな、とほくそ笑んだ。
「今から会いに行くの?」
 バスを降りて解散になると、後藤が耳打ちした。
「一旦うち帰って連絡入れてからだな」
 昨日、充電を忘れて携帯が一日死んでいた。俺から連絡がなくて凹んでいるかもしれない。
「連絡なしでいきなり会いに行ったら喜ぶんじゃない?」
 魅力的な提案ではあるが、喜びすぎてコントロール不能になる気がする。家族がいてもお構いなしに抱きついたり、キスしたり、それ以上のことをしかねない。家族が見ている前で、だ。
 身震いが起きる。
「主任、お疲れ様でした」
 高橋が寝ぼけ眼をこすりながら俺に頭を下げた。ふらふらだ。
「お前、そんなんで帰れるの?」
「親が迎えに来てるんで大丈夫です」
「ガキ!」
 前畑が罵ったが、高橋は「えへ」と嬉しそうだった。
「それじゃあみなさん、また明日」
 敬礼する俺に、三人が復唱してならう。
 そう、また明日から一週間、仕事が始まる。
 休みたい。なんて、何年ぶりに思っただろう。
 電車に揺られている間、頭の中にあるのは倉知のこと。
 金曜の朝に顔を見たのに、随分会っていない気がする。メールもしたし電話もした。それが逆効果になっているのかもしれない。
 顔が見たい。病的に、会いたい。
 なんだこの女々しさは。
 とりあえず充電して電話しよう。
 アパートの階段を上がる。部屋の前に黒い物体がうずくまっているのに気づき、悲鳴が出そうになった。
「びっくりした、倉知君?」
 黒い塊が顔を上げる。
「おかえりなさい」
 倉知が尻を叩きながら立ち上がって、ばつが悪そうにうつむいた。
「すいません、ストーカーみたいな真似して。連絡してから来ようと思ったんですけど、携帯が」
 喋っている途中で抱きついた。倉知の体は冷えていた。
「加賀さん、外ですけど」
 そう言いながら、抱きしめ返してくる。体を離して顔を上げた。すかさず唇を寄せてくる。両手で頬をつかんで触れる寸前で阻止すると、その冷たさに愕然とした。
「お前、いつからここにいるんだ?」
「六時です」
「体冷え切ってんじゃねえか。風邪引いたらどうすんだよ」
「俺、馬鹿だからか風邪引かないんです」
 街灯の明かりで倉知の顔がよく見えた。嬉しそうだ。頬を撫でてやる。気持ちよさそう細めた目が、すぐに大きく見開いて、俺の手首を引きはがした。
「じゃあ、帰ります」
「……は?」
「加賀さんの顔、見にきただけです。明日も仕事だし、今日は早く休んでください」
 おやすみなさい、と頭を下げて、踵を返し、本当に去っていく。唖然としてそれを見送った。階段を下りる足音で、我に返る。
 倉知の頭上から、「倉知君」と呼び止めた。階段の途中で「はい?」と俺を振り仰ぐ。
「何もしないで帰るの?」
「え」
「理性的だな」
 倉知が困った顔で俺を見る。
「だって、疲れてますよね」
「ものすんごい疲れてるよ」
「休んでください。本当に、顔見にきただけなんで」
「わかんねえ奴だな」
 ため息が出た。
「お前の顔見ただけで、疲れが半分吹っ飛んだ。残りの半分はもう少し一緒にいたら完全に消え去るよ。お前は俺の癒しだから」
 笑って手を差し伸べる。
「おいで」
 かたくなだった倉知の根っこが、ぐらりと揺れて、抜け落ちた。夢見る表情で俺の手を取る。
 倉知を部屋に入れると、ドアを閉めて鍵を掛ける。
 どちらからともなく、キスをした。明かりも点けずに、ひたすら相手を貪る。倉知の唇は、冷たかった。
 シャツの中に手を入れた。腹に指が触れると倉知の体が大きくびくついた。構わずに、素肌に手を這わす。冷たい。腹も、胸も、脇も、背中も、全部冷たかった。
 こんなになるまで、ずっと外で、俺を待っていた。
 なんて健気な生き物だ。
 氷の首に、唇を押し当てて強く吸う。倉知が押し殺した声で「加賀さん」と俺を呼ぶ。
 暗闇で目が合う。キスをしながら靴を脱ぎ、部屋に上がる。背中に手を回し、しがみつく。キスをしたままで後ろ向きに寝室に向かう。いろんなものにぶつかったが、どうでもよかった。
 倉知が寝室のドアを開けた。ぐいぐいと、ベッドのほうに押されている。押されながら、倉知の服を脱がせた。ベルトを外し、ズボンとパンツを下ろしたところでベッドに押し倒され、体が跳ねた。
 倉知が俺の上にまたがって、服を脱がしながらキスをしてくる。倉知の指がシャツのボタンを外す間、自分でベルトを外し、腰を浮かせて下を全部脱いだ。
 冷えきった倉知の体が肌に触れると、あまりの冷たさに心配になった。
 少しでも温めてやりたい。体を密着させたいのに、倉知はそれどころじゃない。すでに呼吸が荒く、下腹部も硬く育ちきっている。
 キスをしながら俺の体をまさぐっている。多分もう、限界だ。俺の指が鎖骨の辺りに触れると、体をびくつかせて反応し、声を上げて、軽く痙攣する。
 腹に、温かいものが降り注ぐ感覚。
「すいません」
「いいよ」
 倉知は恥ずかしそうに俺から目を背けた。肩を押す。体を反転させ、今度は俺が、上に乗る。
 カーテンの隙間から街灯が差し込んでいる。ほどよく薄暗い。
 倉知の視線が、俺の腹に注がれている。みぞおちからヘソに精液が垂れてきた。指ですくい、それを自分の尻に塗り込むと、倉知がうめいた。
「加賀さん」
「ゴムもローションも、なしでやるか」
「え」
 指を増やして広げると、腰が揺れた。
「ん……、あっ……」
 声が漏れる。腰の揺れは止まらない。倉知が唾を飲む音が、やけにはっきりと聞こえた。俺の痴態を凝視している。
「やべえ、ケツだけで勃った」
 どんな淫乱なんだよ、と自分を笑う。
「加賀さん」
 倉知が泣きそうになっている。射精したばかりのペニスはあっさり復活し、腹の上でビクビク動いている。
「挿れたい?」
 見下ろして訊いた。
「挿れなくても、イキそうです。加賀さんがエロすぎる」
 苦しそうな表情だ。必死に耐えているのがわかる。
「もう少し濡らしとくか」
 倉知のペニスを捕らえ、上から唾液を落とし、全体に塗り込んで、こすった。緩急をつけて、上下させる。寝室に、粘着質な音が響く。倉知は口を押さえたままで、身を固くして自分の股間を見ている。
 もう一度唾液を落としたところで、倉知が「出そう」とうめいた。
「マジでか。お前、どんどん早漏になってない?」
「違う、加賀さんがどんどんエロくなってるんです」
 早漏を人のせいにするとは。肩をすくめて倉知の体をまたぎ、ペニスを尻にあてがった。
 もういいから、早く挿れたい。
「加賀さん」
「中に出すなよ」
 腰を落とす。先端が埋まる。倉知が切なげな表情で俺の腰をつかんだ。
「加賀さん、駄目、出る」
「イクとき言えよ? できる?」
「無理、無理です」
 倉知の髪を撫でながら、腰を落とし続け、すべて咥えると、大きく息をついた。
 倉知は何かと戦っている。「う」とか「あ」とか声を漏らし、泣く寸前だ。
「しょうがねえな」
 倉知の腹に手をついて、腰を上下させる。体は冷たいのに、繋がっている部分だけ、熱い。しばらく夢中で、抜き差しをした。そのたびに、口から勝手に喘ぎがこぼれた。
「ん、あっ……、ん、気持ちいい、イキそう」
 俺の腰を捕獲している倉知の指が、食い込んでくる。耐えている顔が、エロい。それを見ながら、自分で股間をしごいた。しごきながら、腰を振る。
「加賀さん、加賀さん……!」
 倉知が下から激しく突き上げてきた。叫声を上げて、果てる。倉知の胸に墜落する。中に出される感覚。中でペニスが脈打って、たっぷりと注がれているのがわかる。
「倉知、くん」
「……ごめんなさい」
 俺の肩を撫でさすりながら、倉知が謝った。
「だって、死にそうなくらい気持ちよくて」
「このまま風呂場直行すんぞ」
 余韻に浸る暇もない。繋がったまま、倉知が俺を抱え上げ、風呂場に向かう。
「なんか……、振動で、あの、復活しそう」
 倉知が俺の耳に口をくっつけて、囁いた。しそう、じゃないだろう、と心底呆れた。俺の中で、硬度を取り戻している。
「もう、お前ほんとに厄介だな」
「すいません」
 風呂場に着くと、倉知から離脱した。シャワーを出す。浴槽に片足をかけて、中の物を掻き出した。その様子を見ていた倉知がか細い声で、もう一度謝った。
「すいません」
「もういいよ。気持ちよかった?」
「はい」
 ボディソープを泡立てて、二人の体に塗り込んだ。俺の尻をつついてくる倉知のペニスを捕まえて、しごく。
 倉知が小さく声を上げた。泡に紛れて精液が出たのがわかった。倉知の体から力が抜けて、くたくたになる。
「ずっと、このままでいたい」
 もたれてくる長身を受け止めて「うん」と答えた。
「でも、帰らないと」
「うん」
「加賀さん、好きです」
「うん」
 離れがたくて泣きそうになる。頭からシャワーを浴びて、ごまかした。
 風呂場から出ると、俺たちは無言で服を着て、二人一緒に時計を見た。
「帰ります」
「うん」
 倉知が俺を抱きしめて、頬を撫でてから、キスをくれる。
「本当に帰ります」
「うん」
 このやりとりを延々と続けて朝になりそうだ。倉知が「よし」と呟いて、俺を解放する。
「今度こそ本当に、帰ります」
「うん」
 倉知が眉毛を下げて笑う。
「帰りますね」
 トボトボと玄関に向かう背中を見送って、寝室に戻り、サイドテーブルの引き出しを開けた。中から文庫本を取り出して、倉知を追う。
「倉知君」
 靴を履きながら、倉知が振り返る。
「これ、覚えてる?」
 本をかざすと、一瞥してうなずいた。
「加賀さんが電車で読んでたやつ。司馬遼太郎ですね」
「俺、小説って読んだら売るんだけど、これだけ手放せなくて」
 倉知の表情が柔らかくなった。照れ臭そうに笑って、「思い出ですよね」と言った。
「本当は、お前が高校卒業するときに渡そうと思ってたんだけど」
 はい、と文庫本を手渡すと、不思議そうに受け取った。
「面白いから読めってことですか?」
「うん、まあ、オススメ。けど、渡したいものはそれ」
 文庫本から紐が出ている。
「しおり、ですか?」
 倉知がページをめくる。ゆっくりと、目が見開いた。
「これ……」
「この部屋の合い鍵。なくすなよ」
 倉知は黙って鍵を見下ろしている。
「外で待たれて凍死されると困るから」
「すいません」
 倉知の目に涙が盛り上がる。
「会いたいとき、勝手に上がって待ってて」
「でも俺、毎日です。毎日会いたい」
「じゃあ毎日、待ってて」
 倉知の目から、涙がこぼれ落ちた。
「ていうのは冗談な。毎日会いたいって言うに決まってるから、卒業してからにしようと思ってたのに」
「加賀さん、ごめんなさい。大好きでごめんなさい」
 泣きながら、抱きついてくる。笑って背中をさすった。
「まあ、それまでは適度に我慢して、家族が心配しない頻度でな」
「はい」
 鼻をすすって、倉知が思いついたように言った。
「卒業したら、毎日来ていいんですか?」
「はは、すげえ非効率」
 倉知がきょとんとする。
「お前、進学? 就職?」
「一応、県内の大学に進学の予定です」
 さすがにきちんと計画を立てていて、偉い。
「高校卒業したら一緒に暮らすってのは?」
 倉知が動かなくなった。俺の目を見たまま、固まっている。
「倉知君」
「あ、え? 夢?」
「起きてるよな」
 頬をつねって確認するのを手伝ってやった。
「痛い。夢じゃない」
「頑張って大学受かって、卒業しろよ。待ってるから」
 泣き顔の倉知が、俺を抱きしめる。肩が震えている。背中をさすってなだめてやった。
 しばらくすると体を離して涙を拭い、真剣な顔で倉知が言った。
「加賀さん、大好きです」
「うん、俺も、大好きだよ」
 笑って答えると、世にも可愛い笑顔になった。
 大切な、愛しい、俺の癒し。
 頭を撫でて、キスをした。

〈了〉 
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