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二人のバレンタインー同棲編ー ※
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〈加賀編〉
「これ、本命チョコだから」
そう言って高らかに笑い、紙袋を手渡してくる女性の左手薬指にはリングが輝いている。
着物姿の料亭の女将だ。一見上品そうだが、喋るとがさつさが全面に出て台無しになる。とはいえ、さばさばしていて嫌いじゃない。
「ありがとうございます、いただきます」
「名刺一箱でわざわざ悪いね」
「いえいえ、いつでもどうぞ。受領書にサインいただけますか?」
疲弊した素振りを見せずに、にこやかに笑ってみせた。
「ああもう、毎日呼んじゃおうかな。目の保養になるわ」
「え」
けたたましい笑い声を上げながら、俺の肩をバシバシと叩いてくる。
「冗談よ、冗談。凍りつかないでよ」
実際に毎日呼ばれたとしても断ることはできない。一瞬、めまいがした。
女将から解放されて社用車に戻ると、助手席で待っていた高橋が両手を差し出した。
受領書と、チョコの紙袋を押しつけてシートベルトを締める。
「これでやっと帰れますね」
紙袋の中を覗きながら高橋が言った。
「すっ……げえ疲れた。直帰してえ」
早く帰って倉知の顔を見て、癒されたい。
「主任が弱音吐くなんて珍しいですね」
「もう歳なんだよ」
エンジンをかけて、車を発進させる。
「僕がガツンと言ってやりましょうか」
「何、誰に何をだよ」
「お客さんに、どいつもこいつも、ちまちま発注するなーって」
「お前本気で言いそうで怖いわ」
「本気ですよ?」
「……うん、だろうな」
それが言えたらどんなに楽だろうか。でもお客様は神様だ。無茶な提案を飲まなければいけないときもあるし、努力を惜しんでいたら取引を切られることもある。ということを高橋に教えてやらなければならないのだが、その気力も残っていない。
頭にあるのは、早く帰りたい、という情けない欲求だけ。この行事も年々きつく感じてくるのは、チョコを渡したがる得意先が増えているのもあるが、本当に歳のせいかもしれない。いろんなことへの耐久性が落ちている。
「おかえりなさい」
帰社して営業のフロアに戻ると、俺のデスクに千葉がいた。机の上のチョコを、サイズごとに積み重ね、丁寧に整理整頓している。
「遅かったですね。お疲れ様です」
椅子を回転させ、体ごとこっちを見た。
「ただいま。何してんの?」
「数えてたんです」
なるほど、と察知した。こいつは俺と、チョコの数を競いたいのだ。
「俺は社内だけで二十一個貰いました。今から外で女の子たちと会うんで、あと二十個は軽く増える予定です」
「へえ、すげえじゃん」
得意げに報告する千葉を、椅子ごとどかしてデスクの下から鞄を取った。
「やっぱりモテキングは俺ですね」
ふふん、と鼻を鳴らして俺のデスクに人差し指を向ける。
「数えたんですけど、二十個でした。俺の勝ちです」
「マジか、あーあ、負けた、残念無念。じゃあお疲れ、負け犬はおうちに帰ります」
腕時計で時間を確認する。もう七時近い。今日届く予定の荷物があるし、早く帰りたい。
「あ、また増えてる。主任、これも貰っていっていいですか?」
遅れてフロアに戻った高橋が、俺のデスクに駆け寄ってきた。
「一気に食うなよ」
「はぁーい」
紙袋にいそいそとデスクのチョコを詰め込む高橋を見て、千葉がぎょっとした。
「ちょっと、それどうするつもりですか」
「もちろん、食べるんです」
「そんな、女の子が加賀さんに渡したものですよ?」
信じられない、という顔で高橋に詰め寄ってから、責める目で俺を見る。
「いいんですか、他人が食べても。そんなことが許されると思ってるんですか?」
何も知らない奴から見れば、俺がやっていることは下衆な行為に映るだろう。頭を掻いて弁解する。
「社内では一応、食べなくてもいいなら受け取るってシステムになってて」
「システム!?」
千葉が眉間にシワを寄せて叫んだ。
「千葉君、主任が毎年どれくらいチョコを貰うか知ってる?」
自分のことでもないのに、高橋が得意そうに言った。
「え? 二十個前後ですよね?」
「余裕で百個以上ありますよ。ねえ、主任」
「さあ」
数えたことがないからわからない。どうでもいいが、早く帰りたい。
「ひゃ、百個って。嘘だ、そんなにどこにあるっていうんですか」
「僕のデスクの下に確保してあるけど。見る?」
「見ます、見ますとも」
「じゃあ俺は帰るから。おつかれ」
二人を置いて、営業のフロアを出た。しばらくして背後から「嘘だあああ!」という断末魔の叫びが聞こえてきた。モテることに全力を注いでいる千葉にとって、バレンタインは一年でもっとも重要なイベントなのかもしれない。
くだらないと切り捨てるのも可哀想だし、千葉の価値観を否定するのも傲慢だが、俺に言えるのはただ一つ。
早く家に帰りたい。
〈倉知編〉
「よかったら食べてね」
講義が終わると、前に座っていた名前も知らない女性が振り向いて、ノートの上にチョコを置いた。一口サイズの小さなチョコで、ラッピングも何もしていないものだった。
「はあ、ありがとうございます」
お礼を言うと、ウフフ、と意味ありげに笑いながら去っていった。
今日は朝からやけに物を貰うな、と思っていたが、途中で気づいた。バレンタインだ。
加賀さんが朝から憂鬱そうだったのはこのせいだ。
「倉知はモテるね。何個目?」
隣に座っていた橋場が机の上を片付けながら言った。
「五個目だけど、みんな明らかに義理だし」
「恋人がいる人にチョコを渡す女性の心理がわからないよ」
橋場が真面目な顔で言った。
「うーん、なんだろうね」
「加賀さんには渡すの?」
「あの人毎年めちゃくちゃ貰うから、迷ってるんだ」
付き合って初めてのバレンタインは、特別で、感動した。
でも去年は、俺から「何もしないでおこう」と提案した。加賀さんはイベントごとに関心が薄い。クリスマスが何日なのかもわからなくなるくらいだ。いつもわあわあ騒ぐ俺に、笑って付き合ってくれてはいる。でも、もしかしたら息苦しく感じているかもしれない。
それに、加賀さんはバレンタインが嫌いだ。この時期は特に、チョコレート恐怖症気味にもなる。だから、バレンタインくらいは静かにしていようと思ったのだ。でも、多くの女性が加賀さんにチョコを渡していると思うと複雑だった。
今年のバレンタインはどうするか、二人で示し合わせてはいないが、何かしたい。チョコをあげても多分、喜んでくれる。でも傷口に塩を塗るような行為に思えてためらってしまう。
「チョコじゃないものを渡せばどうだろう」
橋場が言った。確かに、チョコである必要はない。加賀さんがくれたバラの花束の威力は相当なものだった。
「バレンタインに女性が男性にチョコを渡して愛を告白するなんて馬鹿げたことは、日本の企業が始めた陰謀だから気にすることなんてないよ。バレンタインの起源には諸説あるけど、ローマ帝国の時代、皇帝クラウディウス二世が」
とうとうと語り始めた橋場の話をぼんやりと聞き流しながら、何をしようか考え続けていた。
バレンタインだから、と特別に騒ぐのは駄目だ。多分、疲れ切って帰ってくる。家ではそっとしておいてあげたい。それとなく加賀さんが喜ぶことをしよう。
単純というか、ワンパターンだな、とは思うが、カレーを作って待っていた。
帰ってきた加賀さんは、予想通りの疲弊ぶりだった
「ただいま」
声に、明らかに覇気がない。
「お、金曜じゃないのにカレー? ラッキー」
「はい、バレンタインだし……、チョコの代わりです」
加賀さんが「はは」と脱力したような声を出す。
「大丈夫ですか?」
「めっちゃ疲れた」
呟くようにそう言うと、肩を揉みながら寝室に向かう。心配でついていく俺を、加賀さんが少し振り返って訊いた。
「俺に荷物届いてなかった?」
「ああ、リビングに置いてあります」
「ちょっと持ってきて」
クローゼットを開けながら、加賀さんが言った。加賀さん宛ての荷物が届いたとき、女の人からのチョコだろうか、と身構えたが、送り主はどこかの業者のようだった。
小さな段ボールを抱えて寝室に戻ると、加賀さんがフッ、と儚げな笑みを浮かべた。
「それ、倉知君へのプレゼント」
「えっ、バレンタインのですか? でも俺、何も用意してませんよ」
「いいよ。カレー作ってくれたじゃん」
「そんなの、毎週作ってるし……」
やっぱり、何かプレゼントを買っておくべきだった、と頭を抱えたくなった。
「開けてみて」
言われるまま、ベッドに腰掛けて開封する。梱包材をどけると、小さな容器が出てきた。「なんですか? チョコレート?」
容器に茶色っぽいラベルが貼ってあり、「chocolate」の文字が読み取れた。でもチョコレートには見えない。軽く振ると、中で液体が揺れた。無色透明だ。
「飲み物? なんですか? これ」
「ローションだよ」
「ろー……、え?」
容器を振る手が止まった。顔を上げると、パンツ一丁の加賀さんが、今まさに全裸になろうとしているところだった。
「ラブローション」
目のやり場に困る暇もなく、足首まで下した下着をさっさと脱ぎ捨てて、真っ裸で俺に飛びついてきた。
「チョコ味のローションだって。面白いだろ」
俺の手からボトルを奪って蓋を開けると、匂いを嗅ぐ。
「お、ちゃんとチョコっぽい」
「え、チョコ味って、食べ物じゃないですよね? ローションってことは、その……」
裸の背中を撫でさすりながら訊くと、肩に体重を乗せて押し倒してきた。
「舐めても大丈夫なやつな。ていうか舐める用」
「な、なめ、舐める用?」
「体に塗って、舐めまくるんだよ」
やっと理解できた。舐めまくる。ごくり、と唾を飲み込んだ。
「倉知君、脱いで」
加賀さんが俺の服を強引にめくり上げてくる。胸をさらけ出すと、躊躇なくローションを垂らしてくる。
「じゃあいただきます」
「え、わ、うわ、加賀さん、ちょっと待って」
舌の感触に、思わず目を閉じる。
「うーん、まあ、チョコか? 言われればチョコかな? わかんねえな」
首を傾げながらボトルをぶちまけ、あっという間に上半身をローションまみれにすると、上にまたがって、舌を這わせた。甘いチョコレートの香りと、しびれるような舌の感触。身震いが起きた。気持ちよくて、息が乱れる。
「あれ、もう勃った?」
硬くなった俺の下半身に気づき、にやりとした。もじもじしていると、恐ろしい手際のよさでズボンと下着を剥ぎ取られる。
「なんか楽しくなってきた。動くなよ」
そう言って、俺の股間にローションを垂らしてくる。顔を寄せて匂いを嗅がれ、恥ずかしくなって目を逸らす。
「うん、チョコだな」
言いながら、咥えてくる。根元まで丁寧に、ゆっくりと、ローションを舐め取られる感覚が、くすぐったい。
「あ、チョコバナナ」
口を離して、思いついたように加賀さんが言った。
「やめてください」
楽しそうに破顔する加賀さんを見て、ホッとした。
「あの、加賀さん」
「ん?」
「俺にもやらせてください」
手を差し出して言った。加賀さんは、俺の手にボトルを握らせると、キスをしてから笑った。
「そのために裸になってんだよ。召し上がれ」
甘い、チョコの香り。その匂いに、チョコの味に、加賀さんの体に酔いながら、にわかに感動していた。俺のために、ちゃんとバレンタインを考えてくれていた。
とても人には話せないが、二人だけの、大切な思い出だ。
〈おわり〉
「これ、本命チョコだから」
そう言って高らかに笑い、紙袋を手渡してくる女性の左手薬指にはリングが輝いている。
着物姿の料亭の女将だ。一見上品そうだが、喋るとがさつさが全面に出て台無しになる。とはいえ、さばさばしていて嫌いじゃない。
「ありがとうございます、いただきます」
「名刺一箱でわざわざ悪いね」
「いえいえ、いつでもどうぞ。受領書にサインいただけますか?」
疲弊した素振りを見せずに、にこやかに笑ってみせた。
「ああもう、毎日呼んじゃおうかな。目の保養になるわ」
「え」
けたたましい笑い声を上げながら、俺の肩をバシバシと叩いてくる。
「冗談よ、冗談。凍りつかないでよ」
実際に毎日呼ばれたとしても断ることはできない。一瞬、めまいがした。
女将から解放されて社用車に戻ると、助手席で待っていた高橋が両手を差し出した。
受領書と、チョコの紙袋を押しつけてシートベルトを締める。
「これでやっと帰れますね」
紙袋の中を覗きながら高橋が言った。
「すっ……げえ疲れた。直帰してえ」
早く帰って倉知の顔を見て、癒されたい。
「主任が弱音吐くなんて珍しいですね」
「もう歳なんだよ」
エンジンをかけて、車を発進させる。
「僕がガツンと言ってやりましょうか」
「何、誰に何をだよ」
「お客さんに、どいつもこいつも、ちまちま発注するなーって」
「お前本気で言いそうで怖いわ」
「本気ですよ?」
「……うん、だろうな」
それが言えたらどんなに楽だろうか。でもお客様は神様だ。無茶な提案を飲まなければいけないときもあるし、努力を惜しんでいたら取引を切られることもある。ということを高橋に教えてやらなければならないのだが、その気力も残っていない。
頭にあるのは、早く帰りたい、という情けない欲求だけ。この行事も年々きつく感じてくるのは、チョコを渡したがる得意先が増えているのもあるが、本当に歳のせいかもしれない。いろんなことへの耐久性が落ちている。
「おかえりなさい」
帰社して営業のフロアに戻ると、俺のデスクに千葉がいた。机の上のチョコを、サイズごとに積み重ね、丁寧に整理整頓している。
「遅かったですね。お疲れ様です」
椅子を回転させ、体ごとこっちを見た。
「ただいま。何してんの?」
「数えてたんです」
なるほど、と察知した。こいつは俺と、チョコの数を競いたいのだ。
「俺は社内だけで二十一個貰いました。今から外で女の子たちと会うんで、あと二十個は軽く増える予定です」
「へえ、すげえじゃん」
得意げに報告する千葉を、椅子ごとどかしてデスクの下から鞄を取った。
「やっぱりモテキングは俺ですね」
ふふん、と鼻を鳴らして俺のデスクに人差し指を向ける。
「数えたんですけど、二十個でした。俺の勝ちです」
「マジか、あーあ、負けた、残念無念。じゃあお疲れ、負け犬はおうちに帰ります」
腕時計で時間を確認する。もう七時近い。今日届く予定の荷物があるし、早く帰りたい。
「あ、また増えてる。主任、これも貰っていっていいですか?」
遅れてフロアに戻った高橋が、俺のデスクに駆け寄ってきた。
「一気に食うなよ」
「はぁーい」
紙袋にいそいそとデスクのチョコを詰め込む高橋を見て、千葉がぎょっとした。
「ちょっと、それどうするつもりですか」
「もちろん、食べるんです」
「そんな、女の子が加賀さんに渡したものですよ?」
信じられない、という顔で高橋に詰め寄ってから、責める目で俺を見る。
「いいんですか、他人が食べても。そんなことが許されると思ってるんですか?」
何も知らない奴から見れば、俺がやっていることは下衆な行為に映るだろう。頭を掻いて弁解する。
「社内では一応、食べなくてもいいなら受け取るってシステムになってて」
「システム!?」
千葉が眉間にシワを寄せて叫んだ。
「千葉君、主任が毎年どれくらいチョコを貰うか知ってる?」
自分のことでもないのに、高橋が得意そうに言った。
「え? 二十個前後ですよね?」
「余裕で百個以上ありますよ。ねえ、主任」
「さあ」
数えたことがないからわからない。どうでもいいが、早く帰りたい。
「ひゃ、百個って。嘘だ、そんなにどこにあるっていうんですか」
「僕のデスクの下に確保してあるけど。見る?」
「見ます、見ますとも」
「じゃあ俺は帰るから。おつかれ」
二人を置いて、営業のフロアを出た。しばらくして背後から「嘘だあああ!」という断末魔の叫びが聞こえてきた。モテることに全力を注いでいる千葉にとって、バレンタインは一年でもっとも重要なイベントなのかもしれない。
くだらないと切り捨てるのも可哀想だし、千葉の価値観を否定するのも傲慢だが、俺に言えるのはただ一つ。
早く家に帰りたい。
〈倉知編〉
「よかったら食べてね」
講義が終わると、前に座っていた名前も知らない女性が振り向いて、ノートの上にチョコを置いた。一口サイズの小さなチョコで、ラッピングも何もしていないものだった。
「はあ、ありがとうございます」
お礼を言うと、ウフフ、と意味ありげに笑いながら去っていった。
今日は朝からやけに物を貰うな、と思っていたが、途中で気づいた。バレンタインだ。
加賀さんが朝から憂鬱そうだったのはこのせいだ。
「倉知はモテるね。何個目?」
隣に座っていた橋場が机の上を片付けながら言った。
「五個目だけど、みんな明らかに義理だし」
「恋人がいる人にチョコを渡す女性の心理がわからないよ」
橋場が真面目な顔で言った。
「うーん、なんだろうね」
「加賀さんには渡すの?」
「あの人毎年めちゃくちゃ貰うから、迷ってるんだ」
付き合って初めてのバレンタインは、特別で、感動した。
でも去年は、俺から「何もしないでおこう」と提案した。加賀さんはイベントごとに関心が薄い。クリスマスが何日なのかもわからなくなるくらいだ。いつもわあわあ騒ぐ俺に、笑って付き合ってくれてはいる。でも、もしかしたら息苦しく感じているかもしれない。
それに、加賀さんはバレンタインが嫌いだ。この時期は特に、チョコレート恐怖症気味にもなる。だから、バレンタインくらいは静かにしていようと思ったのだ。でも、多くの女性が加賀さんにチョコを渡していると思うと複雑だった。
今年のバレンタインはどうするか、二人で示し合わせてはいないが、何かしたい。チョコをあげても多分、喜んでくれる。でも傷口に塩を塗るような行為に思えてためらってしまう。
「チョコじゃないものを渡せばどうだろう」
橋場が言った。確かに、チョコである必要はない。加賀さんがくれたバラの花束の威力は相当なものだった。
「バレンタインに女性が男性にチョコを渡して愛を告白するなんて馬鹿げたことは、日本の企業が始めた陰謀だから気にすることなんてないよ。バレンタインの起源には諸説あるけど、ローマ帝国の時代、皇帝クラウディウス二世が」
とうとうと語り始めた橋場の話をぼんやりと聞き流しながら、何をしようか考え続けていた。
バレンタインだから、と特別に騒ぐのは駄目だ。多分、疲れ切って帰ってくる。家ではそっとしておいてあげたい。それとなく加賀さんが喜ぶことをしよう。
単純というか、ワンパターンだな、とは思うが、カレーを作って待っていた。
帰ってきた加賀さんは、予想通りの疲弊ぶりだった
「ただいま」
声に、明らかに覇気がない。
「お、金曜じゃないのにカレー? ラッキー」
「はい、バレンタインだし……、チョコの代わりです」
加賀さんが「はは」と脱力したような声を出す。
「大丈夫ですか?」
「めっちゃ疲れた」
呟くようにそう言うと、肩を揉みながら寝室に向かう。心配でついていく俺を、加賀さんが少し振り返って訊いた。
「俺に荷物届いてなかった?」
「ああ、リビングに置いてあります」
「ちょっと持ってきて」
クローゼットを開けながら、加賀さんが言った。加賀さん宛ての荷物が届いたとき、女の人からのチョコだろうか、と身構えたが、送り主はどこかの業者のようだった。
小さな段ボールを抱えて寝室に戻ると、加賀さんがフッ、と儚げな笑みを浮かべた。
「それ、倉知君へのプレゼント」
「えっ、バレンタインのですか? でも俺、何も用意してませんよ」
「いいよ。カレー作ってくれたじゃん」
「そんなの、毎週作ってるし……」
やっぱり、何かプレゼントを買っておくべきだった、と頭を抱えたくなった。
「開けてみて」
言われるまま、ベッドに腰掛けて開封する。梱包材をどけると、小さな容器が出てきた。「なんですか? チョコレート?」
容器に茶色っぽいラベルが貼ってあり、「chocolate」の文字が読み取れた。でもチョコレートには見えない。軽く振ると、中で液体が揺れた。無色透明だ。
「飲み物? なんですか? これ」
「ローションだよ」
「ろー……、え?」
容器を振る手が止まった。顔を上げると、パンツ一丁の加賀さんが、今まさに全裸になろうとしているところだった。
「ラブローション」
目のやり場に困る暇もなく、足首まで下した下着をさっさと脱ぎ捨てて、真っ裸で俺に飛びついてきた。
「チョコ味のローションだって。面白いだろ」
俺の手からボトルを奪って蓋を開けると、匂いを嗅ぐ。
「お、ちゃんとチョコっぽい」
「え、チョコ味って、食べ物じゃないですよね? ローションってことは、その……」
裸の背中を撫でさすりながら訊くと、肩に体重を乗せて押し倒してきた。
「舐めても大丈夫なやつな。ていうか舐める用」
「な、なめ、舐める用?」
「体に塗って、舐めまくるんだよ」
やっと理解できた。舐めまくる。ごくり、と唾を飲み込んだ。
「倉知君、脱いで」
加賀さんが俺の服を強引にめくり上げてくる。胸をさらけ出すと、躊躇なくローションを垂らしてくる。
「じゃあいただきます」
「え、わ、うわ、加賀さん、ちょっと待って」
舌の感触に、思わず目を閉じる。
「うーん、まあ、チョコか? 言われればチョコかな? わかんねえな」
首を傾げながらボトルをぶちまけ、あっという間に上半身をローションまみれにすると、上にまたがって、舌を這わせた。甘いチョコレートの香りと、しびれるような舌の感触。身震いが起きた。気持ちよくて、息が乱れる。
「あれ、もう勃った?」
硬くなった俺の下半身に気づき、にやりとした。もじもじしていると、恐ろしい手際のよさでズボンと下着を剥ぎ取られる。
「なんか楽しくなってきた。動くなよ」
そう言って、俺の股間にローションを垂らしてくる。顔を寄せて匂いを嗅がれ、恥ずかしくなって目を逸らす。
「うん、チョコだな」
言いながら、咥えてくる。根元まで丁寧に、ゆっくりと、ローションを舐め取られる感覚が、くすぐったい。
「あ、チョコバナナ」
口を離して、思いついたように加賀さんが言った。
「やめてください」
楽しそうに破顔する加賀さんを見て、ホッとした。
「あの、加賀さん」
「ん?」
「俺にもやらせてください」
手を差し出して言った。加賀さんは、俺の手にボトルを握らせると、キスをしてから笑った。
「そのために裸になってんだよ。召し上がれ」
甘い、チョコの香り。その匂いに、チョコの味に、加賀さんの体に酔いながら、にわかに感動していた。俺のために、ちゃんとバレンタインを考えてくれていた。
とても人には話せないが、二人だけの、大切な思い出だ。
〈おわり〉
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