引きこもりの受難

小桃沢ももみ

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41 犬吠えましたか?

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 「犬、吠えた?」
 「? そう言えば、チャップス吠えなかったわね」

 洋介の呟きに答えながら、富士子は「は~い!」と声を張り上げた。
 何だか嫌な予感がする逃げよう、と洋介は背中を向けたが、「ふうちゃん置いたらすぐ戻って来てね」と富士子に命じられてしまった。


 俺はどうして素直に親の言う事をきいてしまうんだろうと自分の性格を恨みながら、洋介は女性ばかりの和室で肩身を狭くしている。
 冬場は炬燵になる長方形のローテーブルに5人。入り口側のお誕生日席に一人だけ椅子に座った富士子、その対面掃き出し窓を背負って見覚えのある女性、その女性から見て左隣の長辺に床の間を背負って洋介、洋介の正面に見知らぬ小柄な女性二人。尚、岬家に上座下座という概念はない。

 「膝が悪いので、あたしだけ椅子でごめんなさいね。おばあちゃんなんで正座出来なくて」
 「いえいえ」

 来客三人が揃って富士子に応える。富士子以外は座布団に正座だ。

 「足、遠慮なく崩して下さいね」
 「はい」

 富士子の勧めに洋介の向かいの二人がモゾモゾと動き出す。洋介の右側はピクともしない。前回と同じく黒いスーツに、髪型は後ろ一つ結びで、無表情。この人なら何時間でも余裕で正座出来そう。今気が付いたが、前もチャップスは吠えなかった気がする。チャップスはシェットランドシープドッグと何かが混じった雑種で、一見可愛いのだが、卑屈な性格のせいでいつもなんだか惨めったらしい印象が拭えない残念な犬である。とても小心なので人が来たら煩い位に吠える。それが前にこの人が来た時も吠えなかった。やっぱ人間じゃないのかな……、等と洋介は不謹慎な妄想をしてみる。生活感がないというか、実は人間じゃなくてアンドロイドでしたと言われても納得出来る。
 反対に向かいの二人は如何にも今時の中年女性というか、小綺麗で小洒落ている。多分千葉の人ではない。もうちょっと都会、東京か横浜辺りの人じゃないか? 一人は俺より上で、もう一人は同じ位か、……下手したら二人とも下かも? 最近街に出ていないから自分の見立てが信用出来ない、そもそもこの位の女性の歳は若い子より分かりにくい。マメな努力を続けられる人や金を掛けている人は一見若く見える。よくよく見たら結構歳いってるなと分かるのだが、この女性ばかりの空間で初対面の人をジロジロ見る勇気は無い。
 年上っぽい方はオカッパ頭に落ち着いた印象を与える紺色のワンピース。なんとなくだけどオーガニックとか天然素材が好きそう、ハンカチの代わりに手に持っているのは日本手拭いだし。同年代っぽい方はふわふわした薄茶色のショートカットに眼鏡、何となくイギリスの少年を思わせるような顔立ちと雰囲気。顔にそばかすが無いか探したくなる。小説『にんじん』を思い出した。格好もトラッドスタイル。ベージュ色したツーピースの薄手ニットに、黄色いタータンチェックの八部丈パンツ。

 何の関係だ? 洋介の頭の中が一気に加速する。
 この人と一緒に来たなら、あの碌でもない婚活の関係なんだろうが。まさか新たな相手とかじゃないよな。星となかなかくっつかないから、今度は女性。でもお袋のあの条件だと若い子は無理だから同年代を、とかなのか? いやでもこの二人の歳で、今から子供産めるのか? それは失礼か。えっ? この二人も引きこもり? 見えないけど。いや、引きこもりだったらお袋の年収の条件に合わないか。
 ……そもそも、今更星以外の相手なんて紹介されて、お袋と親父が受け入れるのか?

 洋介の頭の中がパンパンになった所で、ノックの音がした。
 富士子が返事をすると、平介がお盆に茶やお菓子をのせてよろよろ入って来る。
 何だ親父は不参加じゃなかったんだ、そうかお客さんにお茶出さなきゃだったと、洋介が立ち上がり慌てて受け取ると、平介は「ごゆっくり」と客に頭を下げて引っ込んでしまった。

 「え」
 「洋ちゃん、早く、皆さんにお配りして」
 「あ、うん」

 くそう、親父め。前回は参加してたのに、何で今回は。
 男は俺一人かよ。心の中で毒付き乍ら、一人一人にお茶とおしぼりを配る。
 向かいの二人が手伝おうと腰を浮かせるのを富士子が止めた。
 最後に菓子鉢を真ん中に置く。山盛りの落花生パイ。いつ買って来たんだか。千葉は落花生が名産だ。そしてこの店のは洋介の好物でもあった。
 美味しそう。この訳の分からない空間で、山盛りの落花生パイだけが輝いて見える。
 
 「では、お二人の紹介から始めます」

 洋介がお盆を床の上、自分の隣に置くと、婚活アドバイザーが仕切り出した。
 いよいよ始まるのか。
 向かいの二人は同時に名刺入れを取り出した。

 「星さんの会社の小畑さんです」
 「へ?」
 「KOKO KARAカンパニーの小畑と申します」
 
 年上っぽいオカッパ頭から真っ直ぐ洋介だけに差し出された名刺を、条件反射で受け取る。会社を辞めて10年以上経つが名刺交換のマナーは忘れていないのでさっと手を伸ばす。

 「ありがとうございます。私は名刺は持っていないので」
 「存じております」

 うっかり自分の口から出た言葉が恨めしい。そりゃそうだ。婚活アドバイザーと一緒に来て、星の会社の人なら恐らく洋介の境遇は知っているだろう。未だに忘れていなかった社会人としてのやり取り。交換する名刺が無い時の断り文句。
 そりゃそうだ。洋介が働いていない引きこもりだから名刺なんて持ってないって存じていただろうさ。
 富士子が吹き出さなかったのだけが救いだ。
 受け取って自分の左手前に置く。多分この後にもう一人のを貰うから、座っている位置と名刺が連動するように置いておくと、一発で名前を覚えられなくても都度名刺で確認出来る。情けなくなる位社会人としての常識をちゃんと覚えている。気持ちが悪い。震えそうだ。

 「星さんの会社の鈴木さんです」
 「同じく、KOKO KARAカンパニーの鈴木と申します!」

 眼鏡のイギリス少年風の方はハキハキとした喋り方で早口だ。同年代どころか結構若いのかもしれない。
 新しい婚活相手というのは大間違いだった。そんな事考えてしまった自分が馬鹿みたいだ。俺みたいのに、そんな事ある訳無いのに。恥ずかしい。顔に出ていなかっただろうか。星の会社の人に、自惚が強いと思われたくない。
 二人とも何故か洋介にしか名刺を渡さない。仕事相手なら一人に一枚ずつ配るが、仕事でもなし。家族だから一家に一枚で十分なのだが、その迷いの無さに違和感を感じる。

 「本日はお二人から、どうしても岬洋介さんとお会いして話したいと要望を頂きまして、お父様とお母様にご許可を得てこの場を設けました」

 洋介は驚いて富士子を見た。富士子は訳知り顔で頷く。
 洋介の頭の中は益々パニックだ。え、お袋と親父知ってたの!? 俺の、俺の意思確認はないの?
 二人が洋介にしか名刺を渡さないのは何か意味がありそうだと感じたのは、間違いじゃなかった。

 「はあ、お話とはどのような?」

 それでも何とか言葉を絞り出す。一方的に会話の主導権を握られて、星の会社の人にダメな奴と思われたくない。
 目の前に並べた名刺には二人の役職が書かれている。年上っぽいオカッパ頭の小畑さんが専務取締役で、眼鏡のイギリス少年風が鈴木さんが常務取締役だ。星の会社のツートップって事か。あれか?吊し上げか? この前、富士子にいい気になってるって言われたみたいに、早くうちの社長を貰ってくれって事か? いや、そんな事わざわざ言いに千葉くんだり迄来るか? 思わず膝の上の手に力が入る。
 こほん、と小畑さんが咳をした。

 「お茶どうぞ」と富士子が勧める。
 「ありがとうございます」と言いながら小畑さんが日本手拭いで額の汗を拭った。
 「暑いですか? 窓閉めてクーラー入れた方がいいかしら?」

 富士子は気にしたが、窓は網戸になっていて、気持ちいい初夏の風が入ってくる。到底暑いとは思えない。

 「いえ」と小畑さんは気まずげに俯いてから、意を決した様に「更年期障害で」と続けた。
 「あら、のぼせ?」
 「はい」
 「大変よね、あたしは元々太ってたから、それで暑いのか更年期なのか分からなくて、分からないまま終わっちゃったんだけど……、痩せてらっしゃるもんね」

 うふふと富士子が笑うと釣られて、小畑さんと鈴木さんも笑った。途端に少し場の雰囲気が軽くなる。

 「洋ちゃん、扇風機持って来てかけてあげて」
 「いえ」

 と小畑さんは遠慮したが、洋介は立ち上がると窓の近くから使われていなかった扇風機を持って来て少し離れたところから小畑さんに向けて動かした。

 「ありがとうございます」

 小畑さんが恥ずかしそうにお礼を言う隣で鈴木さんが「あの!」と声を張り上げた。

 「はい?」
 「身長高いですね」
 「あ、私も思った!」

 急に関係ない事を言い出した鈴木さんに、少女に戻ったみたいなキャピキャピしたノリで小畑さんが返す。専務取締役なら小畑さんの方が上司だと思うのだが、友達同士みたいだ。

 「何センチですか?」
 「えっ? 183ですが」
 「素敵!」
 「星社長より高身長」
 「いや、あんま変わんないですよ。並ぶと星さんの方が気持ち小さいくらい」
 
 わー、と向かい合って喜ぶ二人。ノリが、急に女子高生みたいなんだが。

 「あの」
 「あ」
 「失礼しました」

 婚活アドバイザーのツッコミに我に返って取り繕う二人。だがお陰で洋介の手から力が抜けた。

 「お茶、どうぞ。お菓子もよかったら」

 富士子の勧めに小畑さんがお茶に口を付けた。どうやら話す係は二人のうち鈴木さんの方らしい。お茶を飲み飲み息をつく小畑さんの横で鈴木さんが口を開いた。

 「すみません。私達にとって、星社長は推しみたいなものでして」
 「推しって?」
 「ファン、って事だよ」

 洋介が教えると富士子は頷き「そう。じゃあ、あたしとお父さんにとっても真一君は“推し”って事ね!」と喜んだ。
 
 「そうなんです! なので、本日は聖地巡礼というか、推しの為にひと肌脱ごうというか……、星社長には内緒で二人で伺わせていただきました!」
 「はあ」

 鈴木さんの早口と熱量に洋介は押され気味だ。
 こんな早口に、果たして高齢者の富士子は付いていけるだろうかと不安になったが、推しという言葉に思う所があったのか目をキラキラさせて集中している。婚活アドバイザーは相変わらずの無表情でピクともしない。小畑さんは鈴木さんの言葉に同意する様にうんうんと頷いている。
 どうやら話に付いていけていけてないのは洋介だけのようだ。

 「私と小畑は、会社の立ち上げメンバーでして。元は4人で始めたんです」
 「あら、あともう一人は?」

 話に付いていけていない洋介に変わって、富士子が指摘しながら身を乗り出す。

 「星社長の従姉妹です」
 「まあ、そうなのね」
 「NPO法人にしようかと思っていたのを敢えて会社にしなさいと資本金を出して下さったのは、星社長のお父様です。何を言いたいかと言いますと、つまり星社長と私達は古くから付き合いがあるという事です」
 「あの、付き合いってやましい意味ではないですよ。その、私は結婚していますし」

 小畑さんが、意味があるのかよくわからないフォローを入れてくるが、とりあえず小畑さんと鈴木さんのスタンスは理解した。
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