引きこもりの受難

小桃沢ももみ

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51 俺がアメリカへ、ですか?

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 十一月になって、富士子が言い出した。背後に立って「ねえ」と肩に手を置かれた時、洋介は朝食後、食器を洗っている最中だったからビクッとしてしまった。

 「あたしがお金出してあげるから、洋ちゃん、真一君に会いにアメリカに行って来れば?」
 「は?」

 何を言い出すのだ、急に。英語も話せない洋介が一人でアメリカに行ける訳がないだろう。そもそも行ってどうするんだ? 付き合ってる訳でもないのに。それに帰って来るのと行き違いになったら?

 「お袋、何言って」
 「洋介はアメリカに入国出来ないぞ」
 「は? 親父、俺は犯罪者じゃないぞ」

 隣の居間から口を挟んで来た平介は得意げに「だって洋介は無職だからな」と続けた。

 「アメリカは不法入国が多いから、無職は入国出来ないんだぞ、新聞で読んだ」
 「じゃあ、学生はどうするんだよ」
 「学生は無職じゃないぞ、『学生』っていう職業だ」

 偉そうにお前だって学生の時は職業欄に『学生』って書いただろうと指摘されてみれば、それはそうだったかもと思い出す。

 「じゃあ俺は無理だな」

 これでアメリカに行かずに済む。
 とは言ったものの、洋介は嫌な気持ちだ。別にアメリカに行けなくてがっかりした訳じゃない。だってそもそもアメリカに行ってみたいと思った事もない。けれども、無職だから入国出来ないって酷くないか? 自分はそのままアメリカに居座るつもりはないのに。大体日本の方が暮らしやすいし。俺だって、アメリカで不法入国が問題になってるのは知ってるけどさ。
 ……、いや、その前に行くつもりもないんだが。

 「無職でも嘘でアルバイトって書いておけばいいんじゃないの? 別に嘘書いても分からないでしょ? アメリカの人が、日本に来て調べる訳じゃないだろうし」

 と富士子が良い事思い付いた!みたいな顔をするが、

 「いやその辺も厳しかった筈だぞ」

 と平介に否定され、「ん」と富士子は洋介に自分のスマホを差し出して来た。これはあれだ、平介の言ってる事が本当かどうか富士子のスマホで調べろ、という意味だ。因みに洋介のスマホは普段は二階の自室に置きっぱなしである。そして富士子のスマホのあれこれは洋介が設定したので、なんならロックキーの番号も知っている。リンちゃんの誕生日だ。

 「えー、なんで俺が調べるんだよ。お袋が自分で調べればいいだろう?」
 「何言ってんの、アメリカに行くのは洋ちゃんでしょう?」

 さも当然といった顔をされ洋介は憤然としたが、「今、皿洗ってる途中だから無理」と言い返すと「分かってますよ」と富士子は洋介が履いていたスウェットのポケットにスマホを突っ込で来たので「濡れるだろ!」と慌てたのだった。

 
 こういう話をした後、しばらく保留にしておけばなかった事に出来る人と出来ない人が居る。富士子は断然出来ない人だ。しかもしつこい。
 
 「ねえ、洋ちゃんアメリカの事調べたの?」
 「(テレビのニュースを見て)あら、アメリカの大統領選。どうなるのかしらね? あたしはオバマさんが好きだったわ。もう出ないのかしら? ところで洋ちゃん、アメリカの旅行の件は?」
 「(新聞を見て)ああ、オリンピックって来年なのね。東京よね。そう言えば東京の次ってどこなのかしら? 東京に招致してたニュースしか見た覚えないんだけど。(カルフォルニアだと平介) そうなの? カルフォルニアってアメリカよね? そうだ、洋ちゃんアメリカの件は?」
 「(テレビの旅番組を見て)ハワイか。昔、お祖母ちゃんがハワイに行った時にムームー買って来てくれたのよね、お土産に。あれ、どこにしまったかしら? 康子ちゃん、着ないわよね。リンちゃんが大きくなった時とか着ないかな? ……そう言えばハワイってアメリカよね? 洋ちゃん、ちゃんと調べたの?」

 なんだって日本にはこんなにアメリカの情報が溢れてるのだろう、他所の国の事なのに自国の事並みに取り上げてないか? そのせいでテレビと新聞を見ては富士子はアメリカの事を言い出す。しかも最近の富士子と平介の楽しみはテレビだけだから、毎日のようにテレビでアメリカの事を見聞きして思い出す訳で、いや、思い出してる訳じゃなくてずっと頭の中にあって、口に出す切っ掛けにしてるだけなんだろうが……いい迷惑だ。
 星からの返事はない。メールも手紙もだ。それで、アメリカに行って会って貰えるのか? 押し掛けて行くとか、まるでストーカーみたいじゃないか。
 洋介は富士子の思い付きに付き合うつもりはない。ないんだけど……、同じ家に住んでる人間に毎日のように言われ続けると、いつの間にかその気になってしまうものである。元々割と親の言う事に逆らわず生きてきた洋介であるからして、富士子に毎日言われ続けていると……、星に会えなくても富士子がお金を出してくれるならアメリカに行くのもいいかな、という気持ちになっていった。ただまだ口に出して認めはしないが。

 ところで、読書は洋介の趣味というか生きがいであり、働いていない洋介が新しい本を読むには図書館で本を借りるの唯一の手段だ。最近は貸し出しの予約はネットでして、取り寄せ完了するとメールが来るので、カウンターに受け取りに行く。便利な世の中になった。
 その時に前回借りた本を序でに返す。館内で時間を掛けて本棚を探すのも好きなのだが、車で出掛けると必ず富士子と平介がくっついて来る。何せ田舎なので、車でないと行けない距離なのだ。
 「ガソリン代が勿体無いから、出掛ける時は纏めて」と二人は最もらしい事を言うが、要は暇だからだ。楽しいお出掛け、と張り切ってついて来る。二人は図書館に用が無いので、車の中で待たせる事になってしまう。だからゆっくりしていられない。
 それに引きこもりとしては、知っている顔に会いたくないので、出来るだけ図書館での滞在時間を短縮したい。ネット予約というシステムはとてもありがたい。
 そんな二人が今日は図書館で車を降りるという。平介はたまにトイレに行きたいとついて来る事はあるが、富士子は珍しい。

 「お袋、何か読みたい本あるのか?」

 富士子はベストセラーしか読まないタイプだ。ただ図書館で借りようとしたらベストセラーは予約の長い行列待ちになる。順番が回って来るのはもう誰も話題にしなくなった何ヶ月も先になってしまうので、直ぐ読みたいなら買った方がいい。働いていない洋介と違ってつい最近まで手話通訳として働いていた富士子は、欲しい本があれば自分で買う。だから洋介もベストセラーは富士子に買うかどうかを確認してから予約している。
 
 「うんちょっと」

 ニヤニヤっとして富士子ははっきり答えない。嫌な感じだ。
 だがこういう時、洋介はしつこく尋ねたりはしないタイプである。言いたくないなら言いたくなるまで放っておく性格だ。だからいつものように、「ふうん」とだけ言って、まっすぐカウンターへ向かった。
 洋介の本は待たずに手に入ったが書架の奥へと消えて行った富士子は直ぐには戻って来ないだろう。待っている時間を潰そうと雑誌コーナーへ行くと、平介が座っていた。

 「親父何見てるの?」

 小声で尋ねると、表紙を捲って見せてくれた。シニア向けのスマートフォンの使い方を特集している雑誌だった。アプリの使い方とか、ネット通販のやり方が分かるらしい。パソコンの情報誌らしいが、初めて見る雑誌名だった。ちょっと(いや大分か)引きこもっている間に、また新しい雑誌が出たんだなあと洋介は感慨深い。何せ人に会いたくないもんで、昔のように本屋の雑誌コーナーで長々と立ち読みしたりなんてしなくなったから、雑誌の名前にとんと疎くなった。だから、待たされるのは嫌だけど、久しぶりに雑誌読み放題なのにはウキウキと心が躍る。夢中になっている平介をそのままに、洋介は暇つぶしを見繕う事にした。

 富士子は中々戻って来なくて、痺れを切らした平介がメールで催促したらやっと戻ってきた。

 「ごめんごめん。ずっと借りて無かったから、カードが使えなかったのよ。再発行して貰ってたら時間が掛かっちゃって」

 悪びれない様子の富士子は大判の本を何冊か抱えており、「洋ちゃん一緒に入れて」と借りた本を入れる為に大きめのトートバックを持って来た洋介に手渡してきた。
 
 「え、これ」

 全部アメリカのガイド本だった。
 
 
 

 
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