猫の夢

鈴木あみこ

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ハルコ

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 買い物袋をキッチンに届けて、唐突に切り出した。

「お母さん。私、成人式に出れるかな?」
 夕飯の支度を始めたお母さんは、手を止めて振り返る。
「そうね、もうそんな時期になるわね。おばあちゃんの着物があるのよ。出るならそれを着てもらおうと思ってたの」
「いいの?」
「あなたの部屋の天袋にしまってあったはずよ。見てみる?」
「私の部屋に? 知らなかった。見れるなら見たい」
「ちょっと待ってね」
 お母さんは包丁を簡単に片付けると、すぐにキッチンから出てきた。
 階段を上る時に、後ろで呟くように話し始めた。
「色々あったでしょう? 成人式の話題があなたから出ないから、行かないかと思ってたの。行くなら風邪には注意しないとね」
 成人式の事を話題にしたのは初めてかもしれない…確かに、さっきまで出席する気はさらさらなかった。
 心配かけてたかと思うと、なんだか申し訳ない。
「純子がね、咲江は子供が産まれるから成人式は出ないんじゃないかって言うから…」
「そうね、丁度出産とかぶる時期かもね」
 ちょっと前に純子から聞いた情報だ。でもその時は、咲江が出なくても取り巻きだった人達は出るだろうから「行きたくない」と、思ってた。
 でも、さっき会った誠人の言葉……「成人式行く?」で、気持ちは一気に傾いた。
 意外に現金な自分に少し笑える。

 ***

 お母さんが自室の天袋から、椅子を踏み台にして1段桐箪笥を引き出した。
 こんなのあったんだ、知らなかった。
「時々虫干ししてたのよ」
「知らなかったよ」
「あなたの入院中にお掃除する時ついでにね。おばあちゃんが大切にしていた着物よ。お母さんも着たのよ。あなたの成人式に来て欲しいから管理して欲しいって受け取ってたの。おばあちゃん、足を悪くしてから虫干しもできなくなったから…」
 蓋を開けながら、お母さんは独り言のように小さく話す。
 桐箪笥から出てきたのは紅梅色こうばいいろの着物。熨斗模様のしもよう雪輪ゆきわがあしらってあり、小さな桜が散らされている。
 決して今時ではないけれど、派手さのない落ち着いた柄で、引き付けられた。
「着付けは大野のおばさんに頼めるからね。小物は後で揃えましょう。髪型は…新しいウィッグ、買ってもいいわよ」
「え、いいよ。ウィッグ増やすとスタンドも必要だし、お手入れめんどくさい…」

 ふと、何かが視界の端に入った。
 蓋の内側に何か書いてある…古くなって掠れたような文字。なんだろう?

「大川春子?」
「おばあちゃんの名前よ。大川春子」

 ハルコ?
 春子…。

 どこかで聞いたと思った。
 おばあちゃんの名前だ…。
 私がずっと小さい時に死んだ、母方のおばあちゃん。
「どうしたの? 直?」
「お母さん、ごめん。写真…写真、見たい。おばあちゃんの写真。着物は後でちゃんとしまっておくから。お願い。写真見せて」
「どうしたの? おばちゃんの写真なら私の部屋にあるけど…」

 着物はラグの上に置いたままで、お母さんを急かして両親の部屋へ急ぐ
 心臓が煩いくらい高鳴る。

 母から渡されたアルバムをめくると、生前のおばあちゃんがそこにいて、柔らかい笑顔でこちらを見ている。
 旅行だろうか? 知らない人達と並んで微笑む。
 地域の祭りでおにぎりを握る。
 そこには生き生きとした笑顔のおばあちゃんがいた。

 ***

 車で1時間ほど離れた小さな田舎のF町。1年に何度か遊びに行った。
 おじいちゃんは早くに亡くなったので、私の記憶の中でおばあちゃんはずっと一人暮らしだった。
 おばあちゃんは、私がまだ小学校に入る前に他界した。
 黒猫を飼っていたはず。長毛ふわふわのブルーアイ。
 私はその猫のブルーアイが、日の光によって微かに紫に見える事が不思議でならなかった。

 びくっと手が止まる。

 いた。十色だ。
 ふわふわの毛。右耳に三日月型の模様。
 青空に溶けるようなブルーアイ。

 指先が小さく震えた…。

 小さな私が十色を抱き上げて、十色が体半分落ちそうになってる。
 十色とお昼寝していたり。
 十色と日向ぼっこしていたり…。

 私だけの写真。十色だけの写真。皆で並んで撮った写真。
 沢山の思い出が溢れ出した。
 十色…こんな所にいたんだね…。
 すっかり忘れてた、ごめんね…。

 画用紙と色鉛筆を持って十色の絵を描いている小さい私。
 目を紫にしたら、お婆ちゃんに「良く見てるね」って言われて嬉しかったんだ。
「懐かしいわ。黒猫…十色ね。すごく綺麗な猫だったわよ。おばあちゃんが死んだ後、いなくなったのよね。どこに行ったのかしらね…」
 私が無言で写真を見ている光景を訝しく思ったのか、お母さんが覗き込んできた。
「あなた達すごく仲が良かったのよ。覚えてる?」
「忘れてたの…。さっき、思い出した…」
「十色って面白い名前でしょう? どうして十色って名前にしたのかって聞いたら、黒猫のブルーアイは珍くて耳にも珍しい模様があるでしょう? それで、十人十色ってことわざから取って「十色」と、つけたって言っていたの。おばあちゃんらしくて素敵だなって思ったのよ。おばあちゃんにはね、亡くなる一年くらい前から「十色を連れて行って」頼まれてたの。でも、何度迎えに行っても逃げられちゃって。結局、連れて来れなかったのよ…」

 お母さんの話を、ぼんやり聞きながら記憶を探る。

 十色の時々見える紫の瞳が好きで、お母さんにねだって紫の色鉛筆を集めまくった事。
 100円ショップのセットの色鉛筆でも色は微妙に違って、何度もねだって買ってもらって、でも紫だけ取って後はほったらかしにして、お父さんに酷く怒られた事。
 お母さんが文具館へ連れて行ってくれて、色鉛筆が一本売りしていたことに感動した事。
 でもやっぱり紫の色鉛筆ばかり選んで、沢山買って貰って嬉しかったこと。
 その中で「鳩羽色」が気に入って絵を描く時は必ず目を鳩羽色にしてしまい、保育園で先生に笑われた事。
「たしか17歳のおじいちゃん猫だったはずよ。子猫の時に手術したから、性格は子猫のままで、争いを好まないんだよって、言ってたわ」

 発病する前の記憶はあやふやだ。
 家族もあまり話題にしないから、記憶は薄れたままだった。
 でも、今、堰を切ったように思い出した。

 大好きだったおばあちゃん。
 大好きだった十色。
 おばあちゃんは私が小学校に上がる前に旅立った。葬式は寂しくて悲しくて、小さな私には、なかなか理解出来なかった。
 独りぼっちになった十色を連れて帰ろうとしたけど、十色は逃げてしまい、何度か探しに行ったけど、それっきりだった。
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