死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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一章 死の王

第6話 存在理由

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「おかえり、ご苦労さん。私の忘れ物は見つかったか?」

 フードを被った子供が、カイムのデスクチェアに深く腰掛け、背もたれに身を預けていた。その姿はまるで部屋の主人であるかのように堂々としていて、カイム等の方が客人のように出迎えられた。二度目の邂逅であるカイムですら反応が一拍遅れるほどの衝撃を味わっていたので、ジェイドとチェスカルは言わずもがなな茫然自失の状態を露呈させている。

 ジェイドが首根っこを掴んでいる生き物が、その手からもがいて逃れると、ヘルレアの頭へ甘えるように乗った。

 カイムは二人に目配せをすると、今まで自失していたジェイドとチェスカルは、直ぐに部屋を辞去して扉を閉ざした。

 思いがけない再会である。もう、二度と会うこともないはずの相手だ。

「その生物は、あなたの所有物であるようですね。以前、あなたを捜索していた時に、生物を連れているという報告が上がってきたことがあるのです。浮遊する動物らしきものについての騒ぎが起きて、もしやと思い、僕自身が確認しに行きましたが……こうも早々に、再会が叶うと思いませんでした」

「これは生き物じゃない。私が幼い頃に作った自律人形だ」

 ヘルレアは、その自律人形とやらの首を鷲掴みにして、手元に寄せると、頭と胴の付け根に指をめり込ませて、胴体の皮毛を胸付近まで安々と剥いだ。人形は無反応のままで、血が吹き出すどころか、体液一滴すら滲み出ることなく、内部が露出する。鋼色の物質で出来ており、髪の毛ほどの細い亀裂が無数に入っていて、複雑な文様を描いている。その亀裂は、何が象《かたど》られているのか判然とせず、鈍く青い光が、常に強弱を付けながら、内奥から漏れ出すように走っている。どこかその様は、カイムに神経伝達を思い起こさせた。

 ――綺紋きもん官能。

 双生児が扱う“女達”から受け継いだ能力。綺述きじゅつによって力を持続的に行使し、半永久的に存在させることができる。

「拙い出来だけど、初めて作ったものだから、手放せずに今も持ち歩いている」

「僕には、その自律人形というものの、どこを指して拙いと仰っているのか分かりかねますが。お返し出来てよかったです」

 ヘルレアは何故かとても楽しそうに、くすくすと小さく笑いを漏らした。だが、フードでその顔は隠れていて覗えない。ヘルレアは内部が剥き出しになった人形の胸へと、剥いだ皮毛を引き上げると、王がその上を軽く撫でただけでたわみと膨らみが消え元の姿に戻った。ヘルレアが人形を手放すと、それは何ごともなかったように、体重を感じさせない動きで浮遊を始めた。

「思っていたより丁寧に扱ってくれたようで感心した。銃弾の数発くらいは受けていると思っていたから。その程度の衝撃で壊れることはないだろうが、おもしろくはないからな」

 ヘルレアは薄く微笑むと、勝手気ままに浮かんでいた人形を手振りで呼び寄せて、腕に抱くと毛並みの感触を確かめるように撫でる。

「――もう一度、僕の話を聞いていただけますか?」

「精々、私がなびくような面白い話ができるといいな」

「僕が嫌ならば、あなたはここに留まって希望の伴侶を見つけて下さい。その者を、我が組織の代表として据えましょう。
 たとえ他の重役達が反対したとしても、僕には意思を通せるだけの権限があります。組織の代表ではなく、ノヴェクの人間として持つ力です」

「ノヴェクの力か。他人の為に、ゴリ押しするつもりとは驚いた。
 ならば、もう一度聞こう。それ程にも、営巣を望むのは何故なのか。それとも、私の延命を望むのは何故と、問うべきか――。
 人が虐げられるから、紛争が起こるから……規模の大きな話ではなく、ごく個人的な理由を知りたいものだ。自己の立場を危うくしてまで戦わなければならない理由は何だと言うの。実際のところ、紛争で死んでいくのは、お前のような立場にいる人間ではない。
 どのような恐慌が訪れても、ノヴェクには傍観していられるくらいの力があるはず。
 それとも、おめでたい博愛主義というやつなのか」

「個人的な理由を話さなければ、承諾して下さらないと?」

 ヘルレアは沈黙する。

 カイムは、ヘルレアが本当に聞きたかったのはなのだと思った。感情を動かすもの、執着させるもの、全ては個人的な理由に帰結する。他人がどれほど失われ、損なわれようとも、自身が被る事柄でなければ無関心に等しい……はず。

 それは、規模が大きくなればなるほど、剥離していくものだ。カイムが伴侶として立とうと提案した時、あれほど話を早く切り上げたのは、彼自身の私的な思惑について、一つとして口に上らせなかったからではないか。常に、“我々”として語ることしかしなかった。

 ヘルレアは確かに、望みを叶えると言った。その言葉からどれ程も時を置かずにしての、一方的な、ある種滑稽に感じられる拒絶を示して、立ち去った。

 ――自己犠牲など信用しない。

 ヘルレアは、カイムにもう一度だけ機会を与えてくれたのではないか。

 今度は、直接的な問いかけによって。

 度し難い生き物だ。まだ、年齢的には子供でしかないヘルレアの、見ているものが分からない。

 ヘルレアは不意にデスクチェアを回転させた。椅子の高い背もたれでヘルレアの姿は見えない。

「承諾するかどうか、とは関係ない。ただの好奇心にしか過ぎないのだから。渋るところを見ると、相当に因縁も深いのだろう。当たり前か、でなければこんな面倒なことに関わるわけがないな」

「――もし、僕が自身の戦う理由を、あなたに話す機会が訪れるというのなら、それは多分……」

 ヘルレアが手を軽く払うと、カイムは次ぐ言葉を呑み込んだ。

「分かった。馬鹿げた質問だった。散々振り回して悪かったと思う」

 何かが変わった。張り詰めた糸が緩むような、そんな空気が満ちていた。ヘルレアはカイムへ向き直ると、人形を手放した。

「北方で大きな動きを感じた。お前達も何らかの話は耳にしているのでは」

「西アルケニアと東占領区での大規模な戦闘再開の報が入りました。やはりヘルレア、あなたは王の気配を感じて……」

「奴等が動けば動くほど気配は明確になる。今まで行動を制限していたようだが、今回は派手にやってくれた為に奴等の居所が絞れた。こちらも身動きが取り易くなる」

「居所が絞れた? それは、片王かたわれを捜しているということですか。何故そのようなことを」

「私がただ単に人間の社会をうろついていただけだと、本気で思っていたのか。私は片王あいつを捜し続けて来た」

「何の為に?」

「何の為にだと? わらわせるな、親犬。働き過ぎて脳味噌が腐ったのか。私はヨルムンガンドだ――片王を殺す。それが私の役割であり存在理由だ」

「でも、あなたは未だにつがいも綺士も持たないのではないですか」

「私は独りで戦う。お前は言っただろう。今まで得た全てを捨てられるのか、と……面倒だからではない、だから捨てたんだ。
 そして、私は捨てたからこそ、ここでお前と向き合っている」

「あなたは……」

 初めてヘルレアに会ったあの日、確かに王は死を待つだけの存在でしかなかった。カイムの出方を確かめていたのだ。この王は自棄になっているどころか、身を削ぐようにして今を生きている。番も綺士も持たない。それは即ち身近な犠牲を払わずにして、戦うということだった。

 ――これでは、もう、ヘルレアの心は双生児ヨルムンガンドではない。

 ただの、人だ。

 ならば――。

「ヘルレア、あなたは片王を殺すと仰いました。だとすれば、利害関係は一致します。番の件は保留して、我々と戦ってくれませんか。おそらく我が組織の隊員が、王がもたらす危機に曝されている。あなたにとっては頼りない協力者かもしれませんが」

「……それなら構わない。私にとっても悪い話ではないからな。綺士や使徒が邪魔だ。そいつ等の掃討くらいはしてほしいものだ。些末な事は任せる」

「先ほど部屋にいた、ジェイドとチェスカルを呼びます。彼等があなたに従う部隊の隊員です」

 ヘルレアは小さく笑む。

「カイム、私は見極めなければならないものが多いと言った――ここへは番を求めて来たわけではない。私が独りで立ち続ける為に、お前の元へ来たんだ。共に戦える者を探し、そして猟犬を見出した。それは間違ってはいなかったみたいだな」

「そう仰っていただければ本望です」

「……だから、後悔させてくれるな」

 その声はぽつりと溢れたのに、底冷えがするほど鋭かった。

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