死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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一章 死の王

第7話 残照の館

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 本棚の幾段目、身長より少し高い位置にある本を、エマ・カイエンは爪先立ちで取り出した。踏台は側にあるのだが、少し横着をした。

 エマはそれほど小柄な女ではなかったが、飛び抜けて身体が大きいわけでもなかった。

 彼女は年齢の割には高価なスカートスーツを着用していて、仕立ての良いジャケットは、彼女の女らしい身体の曲線を隠すことなく露わにしている。

 肩まで長さのある髪は、赤みの強い茶色をしていて、今は高い位置で一つに括っていた。

 彼女の丸っこい顔と、くりっとした焦茶の目、ツンと反り気味の小ぶりな鼻が小動物を思い起こさせる。

 また、彼女はあまり化粧っ気がなく、それも相まってか成人を既に迎えたというのに、少女のようなあどけなさがまだ残っていた。

 エマは渡されたメモと、手にしている革張りの厚い本の題を照らし合わせる。本の字体が古い上に、彼女の母国語ではないので、読むのに苦労する。確認してみるとわずかに違いがあり、エマは辟易した気分で元の棚にもどした。

 これで幾度目になるのかも分からない行為。

 目的の本であるようだと遠目に思っても、いざ取り出してよくよく確認してみれば、微妙に題が異なっている。

 エマは何か罠でも仕掛けられているのではないかと、疑いたくなるほど、本に振り回されている。

 ジャケットを脱ぐと、わずかに汗ばんだ額を拭った。踏台を移動させつつ昇降運動をしているので、身体が火照る。

 秋口に入ってから汗を掻くという事が全く無くなっていたので、久し振りに汗を掻いてしまい、シャワーを直ぐにでも浴びたくなった。

 季節的に気候は少しづつ冷え始めて、乾燥して来たものだが、空調機を作動させる程、冷え込むと言うわけでもない。だから、むしろ今のエマとしては、冷房を入れたくなっている。

 エマは律儀にスーツ姿で来たことを後悔した。役を言い渡された時、本探しなどそれほど重労働ではないと高をくくって、仕事着で来てしまったという理由も多分にあるのだが、もう一つの方が問題であった。

 ……個人的な用で。

 変に意識してしまったのは、その言葉の所為だ。カイム・ノヴェクは個人的に秘書を、彼の実家へ用向きに向かわせた。

 どこか意地を張っていたのかもしれないとエマは思う。エマは十分に私情でカイムに雇われているというのを、彼女は自覚している。でなければ、エマのように何の実績も実力もない若い女が、巨大組織であるステルスハウンドの代表秘書になれるはずもなかった。

 そこにある理由は、何も色っぽい話ではない、カイムの哀れみでしかないのだとエマは知っている。けれど、内実を知らない人間にとっては、好奇を向けられるだけの材料が揃い過ぎていた。耳に痛い噂もちょくちょく耳に入ってくる。そこへ個人的な用事という言葉を掲げられての出張では、普段着なのは抵抗感がある。たとえ誰が見ているわけではなくても、仕事という体裁を整えなければ示しがつかない気がしたのだ。

 エマ自身の心境を思えばなおさらだった。

 カイムが子供の頃に、過ごした家へ来られたことが嬉しかったのだ。

 エマはカイムから鍵を預かっていて、屋敷玄関、カイムの私室、食堂及びキッチンという限られた場所しか入れなかったが、それでも充分過ぎるほど信頼されていると思えた。

 カイムが私室は清掃済みなので寝泊まりしてもよいと、エマに言付けたが、彼女はさすがにそれは断った。車で半時ほど掛かる場所にある、宿泊施設に現在泊まっている。

 カイムの私室は、一人暮らし用の賃貸物件ほどの間取りをしている。それは勿論、学生が借りるようなこじんまりした部屋ではなく、部屋数が単身用なだけで、一部屋自体の面積がおそろしく広い。屋敷の一区画に、個人用の居間、寝室、書斎と、浴室にトイレが完備しており、生活がこの一角で完結させられるほどだ。〈猟犬の棲家〉と同じといえば同じなのだが、それを個人宅としての館と、会社運営している館で比べてしまえば、富裕層を間近で見ているエマでも、さすがに規模の大きさに驚く。一戸建ての平屋を歩き回っているようだ。

 そうして、広すぎるカイムの私室で、エマは指定された本を書斎で探し続けている。

 書斎は壁面のほとんどが建具の本棚で埋まっており、棚の高さが天井まであるものだから、威圧感がある。梯子も併設されているが、古いためかエマには重く、動かしづらいので、明確に頭上付近に本があると分かるまで動かすことはなかった。エマは専ら、部屋の隅に置かれていた踏台を用いて、書斎を行き来している。

 現在、ノヴェクの――カイムの屋敷には誰も住んでいないが、電気も水道も通したままにしてあり、書斎の電灯も問題なく点く。部屋は掃除も行き届いていて、埃っぽさはなかった。人の出入りがあるのは明らかだが、部屋の隅々まで整えられていて、生活感はなく森閑としている。

 エマはようやく本棚から、求める本を一冊見つけて、ダンボール箱へ入れた。それでどうにか一箱目が埋まり、机を拝借して持参したメモ用紙に梱包内容を記した。書斎の机は、会社の執務室に置かれている机によく似ていて、同様の蛇を象った飾り彫りが施されているが、机の大きさは一回りくらい小さい。

 エマは、書き終わったメモ用紙を箱へ添えようと、部屋を歩いていたが、何か小さなものに躓いたように足を止めた。そっと、耳元で囁かれたくらいの兆しで、部屋が薄暗くなっている気がしたのだ。天井に設えられた照明は、相変わらず部屋を照らしているというのに、微かに差した影の色が深い。入り組んだ本棚が作る細やかな迷宮が、見渡すことを拒んでいる。エマはどこか自分が取り残された気分がした。

 気分を変えようと、エマは手洗いへ行くことにした。

 書斎を出て居間へ出ると、時刻は既に夕方になり、厚い遮光カーテンのわずかな隙間から、淡い日差しが差し込んでいた。エマはひとまず本探しを止めて、翌日へ繰り越すことにした。カイムは予め、膨大な蔵書の中から目的の本を探すのは骨が折れるとエマに伝えており、余裕を持って時間を設けていた。なので、彼女は時間配分をそれほど気にかける必要はなかった。

 エマはカイムの私室に鍵をかけてから、長い廊下を渡る。絨毯敷きの廊下は足音をよく吸収するので、無人の屋敷はなおさら静である。部屋は二階にあるので、廊下を通ると大きく設えた窓から庭の緑がよく見渡せる。庭も屋内と同じくらいよく手入れされており、芝生が均一に敷き詰められて青々としていた。屋敷の庭は常緑樹が多く、一年中肉厚の葉を茂らせていた。

 これほど手入れを怠らずにいるというのに、なぜ誰も住まないのだろうと、エマは訪れた初日に思ったものだ。執拗なほどに清潔に保たれていると、言っても過言ではない。しかし、カイムは屋敷に全くと言っていいほど帰っていないようだった。

 幅の広い大階段を下りてから、更に廊下を進むと、ガラスの折戸が一対造り付けられている場所がある。折戸は大きく開放可能になっていて、半屋外の温室へと続いていた。全面ガラス張りの温室は面積が広く、乗用車が数台入っても余裕がありそうなほどだ。高さのある天井から、幾筋も黄金色をした光の帯が降り注ぎ、天使の梯子を模しているようだった。

 エマは掛金を外して折戸を引くと、少しだけ身を乗り出して温室を窺った。辺りは光に包まれて薄ぼんやりとしており、ガーデンテーブルと椅子がぽつねんと置かれ、隅のほうではかつての名残りか、空の鉢植えが幾つか放置されている。誰からも忘れ去られてしまったかのようだ。

 どこからか、くぐもった鳥のさえずりが聞こえる。なんとなく感じていた違和感の正体が、この時エマには分かった気がした。ここは、綺麗な廃墟なのだ。どれだけ手を掛けていようとも、真実、拭い去りようもないほどに荒廃している。持ち主の手で時間の流れから追いやられ、どこへ向かうこともなく凍りついたまま動かない。

 エマは温室へ出ると、テーブルに添えられた椅子に座ってみる。カイムもこうして座っていたことがあるのだろうか。

 心地の良い眠気がしっとりと揺蕩たゆたって来た。テーブルに突っ伏して呼吸がゆっくりと深くなっていき、いよいよ眠りに身を任せる。すると、テーブルの天板が外れてひっくり返ってしまった。エマは床に転がり落ちてお尻をしたたかに打ってしまう。

「もう、何なの……って、壊しちゃった! どうしよう」

 エマが慌てて天板を持ち上げようとすると、その近くに一枚の紙切れが落ちていた。拾って良く良く見てみれば、日に焼けて色褪せた古い写真のようだった。手にして見るとエマは顔をしかめた。裕福そうな家族が撮った写真のようで夫婦と、その子供が写っていたのだが、二人写っている子供のうち片側の子供だけが黒く塗り潰されている。

「どうして、こんなこと……」

 ノヴェクの屋敷にあったのだから、その親類縁者の写真であろう。写っている家族の顔を良く見てみる。夫婦に見覚えはなく、残りの顔が分かる方の子供――わずかな面影がある。

「カイム……、」

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