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一章 死の王
第8話 凍て付いた足跡〈前編 天秤を掲げる手〉
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ジェイドが何気なくふっと、ヘルレアを見ると、猟犬共から一人離れて佇んでいた。
ヘルレアが暮れに差し掛かる北の空を、無言で一心に眺めている。ジェイドが傍へ行っても何の反応もせず、静止している。
青く澄んだ泉のような瞳が、あてどもない空の一点を注視していた。その空はどこまでも重い雲が垂れ込め、薄墨を刷いたような色合いをしている。この土地では快晴になることは稀で常に暗澹としている。
空を写し取ったかのような運河の水面も暗く、静かに揺れていた。
「王の気配が見えるのか?」
ジェイドは何も見えないと分かっていながら、眼を細めてヘルレアと同じ場所を見続ける。
「近づけば近づく程、王の気配は明確になっていくものだ。確かにあちらで力を行使した気配を感じる。でも、それは綺士かもしれない。あまりにも距離が遠すぎるので判断が難しい」
「綺士でも見つかれば王の力を削ぐことになる。それは、それで構わん」
オルスタッド達が訪れているはずの発展途上国エリストニア。ジェイド達はまずその地に降り立った。二班六人という最小限の人員が任務に当たり、ジェイドのいる班にヘルレアが組み込まれている。二班は国内を別々に探索することが最も効率的と考え、チェスカルを長とする班とは別行動となっている。
カイムはジェイドの目が届くところへと、ヘルレアを置いた。それは明確な意図を持って選択されたのだと判る。些細に説明されたのではないが、主人はジェイドにヘルレアを見張れと言っているのだ。
ジェイドの眼は主人の眼。
これは暗黙の了解――。
ジェイドの部下である班員のエルドが、電子端末の地図を手に、アパートを指差すと、端末を見ながら頷く。
「この場所が蛇が出没した場所で間違いないです」
三階建てのアパートは運河に向かい合い建っている。築年数がかなり経過しており、雨垂れの跡が幾つも下がっている。蛇を掃討したという協会員との待ち合わせ場所も、このアパートであった。
正面玄関には立ち入り禁止のテープが貼られてあるものの、周囲は掃き清められ、植木も剪定されており手入れはそれなりにしているようだ。
正面玄関には誰も居らず、アパート周辺は静まり返ってる。
ヘルレアはテープを切って、ジェイド達を横切り、構うことなくアパートへ入ってしまい、仕方なくジェイドはその背中を追った。
建物の中は外観よりも小綺麗にしているが、どこか暗さが残っており古さを隠し切れないでいる。
ヘルレアは目的の場所が分かっているのか、誰に問い掛けることなく廊下を進んで行く。アパートにはエレベーターがなく三階まで徒歩で上がって行った。三階の階段ホールまで上りきると、直ぐに異常の痕跡が見て取れた。壁の漆喰が抉られ、あちらこちらが崩れたり亀裂が入っている。床は穴が空き階下床が見えている所もある。
「随分と暴れ回ったようだ」ジェイドは壁の崩れた漆喰に触れる。
「けれど、よくこれで済んだとも言えるでしょう」班員であるユニス・カロルが穴から階下を覗いている。
ユニスは金髪碧眼で、その上柔い髪質の綺麗な巻毛だった。個々の特徴を言葉であげつらうと、王子様風なのだが、こちらもやはりエルドと同じで体格が良くゴリゴリ過ぎて、女子職員に残念がられている。
ヘルレアは先に進むと、部屋の前に止まった。その部屋は扉がひしゃげ特に破壊が酷かった。
「くだらないことをしていないで、早く出て来い」ヘルレアは声を張り上げた。
ジェイドは慌てて銃を構え周囲を警戒する。階段ホールから一人の男が顔を出した。気配を全く感じなかった。
「随分とキツいお嬢ちゃんだ。あんた等がステルスハウンド? 子供連れとは驚いた」
男は強いパーマを当てているようで、焦茶の髪は無造作過ぎてボサボサだ。その顔は皮肉げに笑っている。長身で細身のその男は壁に寄り掛かり、気取ったように足を組んだ。
「もう少し気配を上手く隠すことだな。ジェイド、お前も連れの人数が多いからと行って、状況把握をおざなりにし過ぎだ」
男は面食らっている。
「それはそのジェイドさんという人に酷でしょう。俺は気配を隠すのが商売みたいなものだ。お嬢ちゃんの方がどうかしている」
「なら、同業者にしては頼りないものだな。生業と言うには粗雑に過ぎる」
男は不機嫌そうに舌を鳴らした。
「同業者かよ。猟犬が普通の子供を連れているわけもないか」
王と言いかけたジェイドは協会の男がいる事で思い直し、一応ヘルレアと呼んだ。ヘルレアの名前が既に浸透してしまっていたら意味はないし、そもそも王の顔立ちが尋常ではないので、ヨルムンガンドと知られてしまいかねないが。
「同業者とはどういう意味だ」
意味はそのままのようだが改めて慎重に問い掛けてみる。
「私も天秤の協会員と言う事だ」
ジェイドは絶句した。王はかつて幼い頃に協会に捕らえられ、教化させられたのだと聞いている。自由になった現在は協会の一、人員として動く事があるというのだ。ここまで協会はヘルレアに変化をもたらしたのか。殺戮と破壊の権化という認識しかジェイドにはない。それは組織の一員として社会生活に溶け込んでいたという事に他ならない。
「名乗る意味はなさそうだが、一応ね。俺はアッシュ・エニロイだ。まあ、よろしく――空気も悪くなった所で、ひとまずちゃっちゃと説明しちゃいましょうかね」
数日前、突如異形が暴れていると民間から協会に連絡が入った。当初、魔獣や妖獣の類とされ、協会員である男が派遣されたのだという。実際急行してみればその性状から、最も質の悪い“蛇”で男も困惑したらしい。初めて立ち会うので倒せるかどうか分からなかったが、それと認識した時点で逃げるに逃げられない状況になっていたという。一体だったのでなんとか倒せたものの、自分の力倆ではそれが限界だったのだと。
「酷いものだった。俺は獣系専門で狩りをしているんだが、まるで比べ物にならない。使徒の知能は獣よりは高く、身体機能は妖獣を上回る。こちらに出て来るような魔獣の中で、最高位とは言わないが、それに類する能力はあった。幸い時節が俺の見方をしたからいいものの、一つ間違えば今頃骸になって転がっている所だ」
ヘルレアはこの男を頼りないと言ったものだが、力倆を図るならかなり上位に入る部類だ。初めて出会った蛇と戦い倒した上、無傷のように見て取れる。ヘルレアを基準としたらどんな猛者でも人間程度では叶うわけがない。能力を自身と比べられても対応に困る。王はそれを分かっているのかいないのか不明だ。
「残念だがオルスタッドとかいう、男は訪ねて来ていない」
「妙な事だな。オルスタッド達は久々に出て来た蛇を調べるために来たというのに、いったい何をしていたんだ」
「蛇一匹よりも重大な事柄に出会ったのかもしれない」ヘルレアはさっさと階段を下って行った。
「力になれなくて悪いな」
協会員の男と別れてジェイド達はアパートの正面玄関に来ていた。
「やはり西アルケニアか東占領区に入国するしかないか。王の判断に任せることになる。オルスタッド達の救出が最優先事項だが、場合によってそれは変更を余儀なくされることを留意してくれ」
「私は東占領区に行くべきだと思う。東占領区は自治区と名のつく独裁地域と言われ長年閉鎖的な状態にある。奴が隠れ蓑にするには最適な場所と言えるだろう」
「王、あなただったらそうするのか?」ユニスが眉を顰めて睨み付けた。
「止めるんだ。お前はカイムの何を見て来た」
ユニスはジェイドの叱責に俯いた。
班全体が苛ついている。ヘルレアの存在は戦闘員としては申し分ないどころではないが、班に同行する者としては最悪だ。長年仇敵として追い続けてきた相手なのだ。ジェイドは無理もないと思っている。ジェイド自身も到底受け入れ難い現実だからだ。ステルスハウンドに籍を置く者で、双生児に好意を抱く者など居はしない。ヘルレアの同行はカイムの提案だと念押しをされた。数多くの犠牲を払ってきたカイム自身が望むようにしたいとジェイドは思い続けている。それは、今回も変わりない。
エルドが、ユニスの肩を叩く。
「東占領区に行くとしても、あの区域は元々が侵入困難な上に、現在は戦争状態にあります。区域周辺の警戒はこれ以上ない程高まっているのは間違いないでしょう。侵入するのに最適だと思われるのは、区域南東にある大河を越えて行く道程です」
「私に異議はない。求めるところは片王だけ。他の雑事は任せる」
「明日、エルドの提案に則って行く。エリストニア捜索はチェスカル等に任せる。道程は厳しいものになるだろう。とにかく今日はもうベースに戻って立て直しだ」
ジェイドが何気なくふっと、ヘルレアを見ると、猟犬共から一人離れて佇んでいた。
ヘルレアが暮れに差し掛かる北の空を、無言で一心に眺めている。ジェイドが傍へ行っても何の反応もせず、静止している。
青く澄んだ泉のような瞳が、あてどもない空の一点を注視していた。その空はどこまでも重い雲が垂れ込め、薄墨を刷いたような色合いをしている。この土地では快晴になることは稀で常に暗澹としている。
空を写し取ったかのような運河の水面も暗く、静かに揺れていた。
「王の気配が見えるのか?」
ジェイドは何も見えないと分かっていながら、眼を細めてヘルレアと同じ場所を見続ける。
「近づけば近づく程、王の気配は明確になっていくものだ。確かにあちらで力を行使した気配を感じる。でも、それは綺士かもしれない。あまりにも距離が遠すぎるので判断が難しい」
「綺士でも見つかれば王の力を削ぐことになる。それは、それで構わん」
オルスタッド達が訪れているはずの発展途上国エリストニア。ジェイド達はまずその地に降り立った。二班六人という最小限の人員が任務に当たり、ジェイドのいる班にヘルレアが組み込まれている。二班は国内を別々に探索することが最も効率的と考え、チェスカルを長とする班とは別行動となっている。
カイムはジェイドの目が届くところへと、ヘルレアを置いた。それは明確な意図を持って選択されたのだと判る。些細に説明されたのではないが、主人はジェイドにヘルレアを見張れと言っているのだ。
ジェイドの眼は主人の眼。
これは暗黙の了解――。
ジェイドの部下である班員のエルドが、電子端末の地図を手に、アパートを指差すと、端末を見ながら頷く。
「この場所が蛇が出没した場所で間違いないです」
三階建てのアパートは運河に向かい合い建っている。築年数がかなり経過しており、雨垂れの跡が幾つも下がっている。蛇を掃討したという協会員との待ち合わせ場所も、このアパートであった。
正面玄関には立ち入り禁止のテープが貼られてあるものの、周囲は掃き清められ、植木も剪定されており手入れはそれなりにしているようだ。
正面玄関には誰も居らず、アパート周辺は静まり返ってる。
ヘルレアはテープを切って、ジェイド達を横切り、構うことなくアパートへ入ってしまい、仕方なくジェイドはその背中を追った。
建物の中は外観よりも小綺麗にしているが、どこか暗さが残っており古さを隠し切れないでいる。
ヘルレアは目的の場所が分かっているのか、誰に問い掛けることなく廊下を進んで行く。アパートにはエレベーターがなく三階まで徒歩で上がって行った。三階の階段ホールまで上りきると、直ぐに異常の痕跡が見て取れた。壁の漆喰が抉られ、あちらこちらが崩れたり亀裂が入っている。床は穴が空き階下床が見えている所もある。
「随分と暴れ回ったようだ」ジェイドは壁の崩れた漆喰に触れる。
「けれど、よくこれで済んだとも言えるでしょう」班員であるユニス・カロルが穴から階下を覗いている。
ユニスは金髪碧眼で、その上柔い髪質の綺麗な巻毛だった。個々の特徴を言葉であげつらうと、王子様風なのだが、こちらもやはりエルドと同じで体格が良くゴリゴリ過ぎて、女子職員に残念がられている。
ヘルレアは先に進むと、部屋の前に止まった。その部屋は扉がひしゃげ特に破壊が酷かった。
「くだらないことをしていないで、早く出て来い」ヘルレアは声を張り上げた。
ジェイドは慌てて銃を構え周囲を警戒する。階段ホールから一人の男が顔を出した。気配を全く感じなかった。
「随分とキツいお嬢ちゃんだ。あんた等がステルスハウンド? 子供連れとは驚いた」
男は強いパーマを当てているようで、焦茶の髪は無造作過ぎてボサボサだ。その顔は皮肉げに笑っている。長身で細身のその男は壁に寄り掛かり、気取ったように足を組んだ。
「もう少し気配を上手く隠すことだな。ジェイド、お前も連れの人数が多いからと行って、状況把握をおざなりにし過ぎだ」
男は面食らっている。
「それはそのジェイドさんという人に酷でしょう。俺は気配を隠すのが商売みたいなものだ。お嬢ちゃんの方がどうかしている」
「なら、同業者にしては頼りないものだな。生業と言うには粗雑に過ぎる」
男は不機嫌そうに舌を鳴らした。
「同業者かよ。猟犬が普通の子供を連れているわけもないか」
王と言いかけたジェイドは協会の男がいる事で思い直し、一応ヘルレアと呼んだ。ヘルレアの名前が既に浸透してしまっていたら意味はないし、そもそも王の顔立ちが尋常ではないので、ヨルムンガンドと知られてしまいかねないが。
「同業者とはどういう意味だ」
意味はそのままのようだが改めて慎重に問い掛けてみる。
「私も天秤の協会員と言う事だ」
ジェイドは絶句した。王はかつて幼い頃に協会に捕らえられ、教化させられたのだと聞いている。自由になった現在は協会の一、人員として動く事があるというのだ。ここまで協会はヘルレアに変化をもたらしたのか。殺戮と破壊の権化という認識しかジェイドにはない。それは組織の一員として社会生活に溶け込んでいたという事に他ならない。
「名乗る意味はなさそうだが、一応ね。俺はアッシュ・エニロイだ。まあ、よろしく――空気も悪くなった所で、ひとまずちゃっちゃと説明しちゃいましょうかね」
数日前、突如異形が暴れていると民間から協会に連絡が入った。当初、魔獣や妖獣の類とされ、協会員である男が派遣されたのだという。実際急行してみればその性状から、最も質の悪い“蛇”で男も困惑したらしい。初めて立ち会うので倒せるかどうか分からなかったが、それと認識した時点で逃げるに逃げられない状況になっていたという。一体だったのでなんとか倒せたものの、自分の力倆ではそれが限界だったのだと。
「酷いものだった。俺は獣系専門で狩りをしているんだが、まるで比べ物にならない。使徒の知能は獣よりは高く、身体機能は妖獣を上回る。こちらに出て来るような魔獣の中で、最高位とは言わないが、それに類する能力はあった。幸い時節が俺の見方をしたからいいものの、一つ間違えば今頃骸になって転がっている所だ」
ヘルレアはこの男を頼りないと言ったものだが、力倆を図るならかなり上位に入る部類だ。初めて出会った蛇と戦い倒した上、無傷のように見て取れる。ヘルレアを基準としたらどんな猛者でも人間程度では叶うわけがない。能力を自身と比べられても対応に困る。王はそれを分かっているのかいないのか不明だ。
「残念だがオルスタッドとかいう、男は訪ねて来ていない」
「妙な事だな。オルスタッド達は久々に出て来た蛇を調べるために来たというのに、いったい何をしていたんだ」
「蛇一匹よりも重大な事柄に出会ったのかもしれない」ヘルレアはさっさと階段を下って行った。
「力になれなくて悪いな」
協会員の男と別れてジェイド達はアパートの正面玄関に来ていた。
「やはり西アルケニアか東占領区に入国するしかないか。王の判断に任せることになる。オルスタッド達の救出が最優先事項だが、場合によってそれは変更を余儀なくされることを留意してくれ」
「私は東占領区に行くべきだと思う。東占領区は自治区と名のつく独裁地域と言われ長年閉鎖的な状態にある。奴が隠れ蓑にするには最適な場所と言えるだろう」
「王、あなただったらそうするのか?」ユニスが眉を顰めて睨み付けた。
「止めるんだ。お前はカイムの何を見て来た」
ユニスはジェイドの叱責に俯いた。
班全体が苛ついている。ヘルレアの存在は戦闘員としては申し分ないどころではないが、班に同行する者としては最悪だ。長年仇敵として追い続けてきた相手なのだ。ジェイドは無理もないと思っている。ジェイド自身も到底受け入れ難い現実だからだ。ステルスハウンドに籍を置く者で、双生児に好意を抱く者など居はしない。ヘルレアの同行はカイムの提案だと念押しをされた。数多くの犠牲を払ってきたカイム自身が望むようにしたいとジェイドは思い続けている。それは、今回も変わりない。
エルドが、ユニスの肩を叩く。
「東占領区に行くとしても、あの区域は元々が侵入困難な上に、現在は戦争状態にあります。区域周辺の警戒はこれ以上ない程高まっているのは間違いないでしょう。侵入するのに最適だと思われるのは、区域南東にある大河を越えて行く道程です」
「私に異議はない。求めるところは片王だけ。他の雑事は任せる」
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