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一章 死の王
第8話 凍てついた足跡〈後編 言葉の真意〉
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「王と行動するのはこれ以上無理だ」ユニスは苦々しく呟く。
夜半、今後の計画を立てるために、ジェイド、ユニス、エルドの三人が宿屋の一室に集まっている。ヘルレアは別室で休んでいた。
「王と伴にいるのが辛いのはお前だけじゃない」エルドが小さく息を溢した。だが、どこか諦めのようなものを含んでいて、倹のある声ではなかった。
二人のやり取りをジェイドは黙って見ている。
王といるのが苦しいのは確かだ。だが、二人は分かっているはずだ。だからこそ、受け入れ難い現実――王と伴にオルスタッド捜索へ動いている。ステルスハウンドには他に道がない。猟犬の心情とは相容れないが、これは間違いなく幸運な事なのだろうとジェイドは思う。
「ユニス、ここまで長い間耐えて来たんだ。ここで自ら足を踏み外してどうする。俺達にとって今は正念場だ。そうは思わないか」
「……そうなのかしれません。けれど、あれほど求めた王が、このような形で傍近くに来たことが、内心受け入れられない。それは、誤魔化しようもない事実なのです。
これ以上の機会が、今後、訪れることは無いのは確かでしょう……しかし、それでも悔しくてたまらない。
未熟な自分には、王の存在が苦痛でならないのです」
ジェイドは一つ頷く。そうしてやるしかなかった。
「ユニスの想いは、猟犬であれば誰でも分かる。だが――いや、だからこそ、もし組織の意向に相容れないならば、この場で去ることだ。この先どうなろうとも、覚悟があるのなら」
「隊長、お赦しください、ユニスの一時的な気の迷いでしょう。けれど、隊長が仰る通り、所詮、猟犬である私も同じ気持ちを抱いています。隊長、あなただって同じなのではないですか。猟犬ならば誰でも分かる想い、それは……世界蛇を殺してしまいたいという考えが、頭から離れない」
「俺は組織の意向、即ちカイムの意志を絶対にして動く。王を害すると言うなら、俺は仲間であろうと排除しなければならない」
ユニスは押し黙ってしまう。何かを呑み下すように、強く瞼を閉じてから肩を落とした。
「……感情的になり過ぎました。影失格です」
「これではもう、今後の話にならないだろう。一旦頭を冷やすべきだ――俺、自身も」ジェイドは有無を言わせず部屋を出た。部下二人の顔を見ることが出来なかった。ジェイド自身こそ、隊を率いる者として、相応しい振る舞いを放棄してしまったのではないかと感じた。
気持ちが分からないわけではないのだ。出来るならその想いを汲んでやりたい。だから、これ以上何も言えなかった。猟犬として言ってはならない事を、隊長であるジェイドが口にしてしまいそうだった。それは部下達が言う苦言とは、まるで質が違うものになる。
ジェイドが頭を冷やそうと外への廊下を歩いていると、ヘルレアが独り歩いて行く背中が見えた。ジェイドはその背後をかなりの間隔を持って追い掛けた。――追うべきだと、本能で動いていた。
距離を取ってそろそろと慎重に追跡する。街灯はあるが光は朧げで、遠くまで見渡せない。空は相変わらず雲が厚く、その曇天は重たげで、星は隠れて見えない。ジェイドは自分がどこへ行こうとしているものか判らないが、とにかく王を見失ってはならないと思った。
道の突き当たり、その丁字路に沿って運河がある。王は欄干まで近付くと立ち止まり、独りで暗い河を見つめていた。何か物思いにでも耽っているようで、微動だにもしない。ヘルレアの青い外套は闇に良く馴染むので、注視しなければ忽ち煙に巻かれるように、消えそうだった。
こうして見ると本当に単なる十代の子供だ。その背中は小さく、守ってやらねば直ぐに折れてしまう野の花そのものだった。それなのに自分達猟犬は、こうも翻弄されている現実。
金属音が震えを引いて、数度鳴らされた。それは、欄干を叩く音だった。
「……私に何か用でもあるのか」
かなりの距離を置いたのに、ジェイドの行動を王はお見通しだ。分かっていたが、実際、指摘されると恐れを覚える。
「逃げたのかと思った」嘘をついた。
「どこにも逃げ場所などない……それが分かってここに居るというのに、今から遁走してどうする。私は一日程度、行動しただけでは体力の消耗はないし、眠ることも今の私には差して意味はない。用がない時は私の自由にさせてもらう」
「それは構わない。騒ぎを起こさない限りは――お前は眠らないのか?」
「そうだな、人間の平均的な成人は二十四時間の内で七、八時間眠っているようだから、まあ、それ自体が風説かどうかは知らないが……そういったことを考えれば、私が年単位で眠らないと言えば、眠っていないも同然、と言っていいものか? 前提条件として、私の年齢はおそらく十四、五だ。その中で、数年のスパンといえば片手で数える睡眠回数しかないだろう――こんな事を訊いて、面白いのか人間は」
「そうだな、ただの興味本位だとしか」
「人間は同じようなことを訊くな」
「同じ事を聞いた人間が?」
「それが訊きたいのなら、しばらく私の話し相手になってくれるか」
「暇潰しの相手? 俺はカイムのように王の相手ができる程、人間が出来てはいないぞ」
「殺したくなる?」ヘルレアは気軽な感じで、静かに笑む。
沈黙が降り、ジェイドは息を吐いた。
「問わずとも分かるはずだ。カイムの意向がなければ、直ぐにでも撃ち殺してしまいたいくらいだ」握った拳が震えている。
「お前のひ弱な銃で私は殺せない。分かっているはずなのにそれを言うか?」
「現実に持ち得る力と、心情は違う」
ヘルレアは欄干へ背中を無防備に任せ、ジェイドと向き合った。
「そこまで正直に言って、身の危険を感じないのか。私も舐められたものだな」
「舐めてはいない、嘘をつけないのは俺の性分だ」
「戯言も大概にしろ、嘘つき野郎が……意向、か。お前の主人はどんな男だ? 私にはお坊ちゃんの優男にしか見えなかった」
「カイムに興味があるのか。あの、お人形さんと言い放ったカイムに」
ヘルレアは小さく吹き出した。意外なほど声高く笑うと、目尻の涙を拭う。
「確かにそう言ったな――ジェイド、お前と比べたらお人形さんだろうカイムは。そう思ったことはないか? あの細い面と、一片の隙もなく整えた見目は、女の子の手ずから小さな家の食卓に座らせられる、極小の陶器人形だろう……直ぐに砕ける頭に価値は無い」
「ふざけるな、一度も思ったことはない。これ以上、主を侮辱するな」
「随分と心酔しているみたいだな」
「妙な言い方は止せ。ただ長く共に戦って来た、それだけだ!」
「そうか、なら……王の番になりたくないか」王は悪戯っぽく笑う。
ジェイドは王をじっくりと見つめた。その口から放たれるのは物騒で、人を侮辱する言葉ばかりだが、それでもその美しさに、心を動かされそうになる。本当に恐ろしい子供だ。そう、子供だが――人間の子供ではなく、幼蛇なのである。
陶器人形はヘルレアの方だ。誰もが魅了される容姿を持ちながら、白い陶器のような手は血まみれだ。
「試しているのか……カイムはどう言うか知らないが、俺は御免だ。俺はカイムのようになれない――いや、誰もあいつのようにはなれないだろう」
「番になる事を切望する人間は少なくはない。お前達もその一つなのだから、今の言葉は歓迎されると思ったのだが」
「今度は俺が言わせてもらうぞ。戯言は止せ。俺が拒否すると分かっていて言ったのだろう」
「どうだろうな、お前はカイムによく似ている」氷がひび割れていくように笑んだ顔は、どこまでも熱がなくて静かだった。
「どこが似ていると言うんだ。俺はあいつほど気も長くない。先程の言葉を忘れたか、撃ち殺せなくても、死ぬ前に破壊くらいさせてもらうぞ」
ヘルレアが軽く手を払う。莫迦な事は止せ、というような態度だった。
「お前が思うほど、私は猟犬を侮ってはいないよ。カイムは愚かではなかった――と、だけ言っておいてやろう……愛する主人なんだろう、満足か?」
ヘルレアが薄く笑んだのが分かった。同時に青く灯る瞳が光の尾を引くと、そのまま路地へ消えて行った。
「王と行動するのはこれ以上無理だ」ユニスは苦々しく呟く。
夜半、今後の計画を立てるために、ジェイド、ユニス、エルドの三人が宿屋の一室に集まっている。ヘルレアは別室で休んでいた。
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「……そうなのかしれません。けれど、あれほど求めた王が、このような形で傍近くに来たことが、内心受け入れられない。それは、誤魔化しようもない事実なのです。
これ以上の機会が、今後、訪れることは無いのは確かでしょう……しかし、それでも悔しくてたまらない。
未熟な自分には、王の存在が苦痛でならないのです」
ジェイドは一つ頷く。そうしてやるしかなかった。
「ユニスの想いは、猟犬であれば誰でも分かる。だが――いや、だからこそ、もし組織の意向に相容れないならば、この場で去ることだ。この先どうなろうとも、覚悟があるのなら」
「隊長、お赦しください、ユニスの一時的な気の迷いでしょう。けれど、隊長が仰る通り、所詮、猟犬である私も同じ気持ちを抱いています。隊長、あなただって同じなのではないですか。猟犬ならば誰でも分かる想い、それは……世界蛇を殺してしまいたいという考えが、頭から離れない」
「俺は組織の意向、即ちカイムの意志を絶対にして動く。王を害すると言うなら、俺は仲間であろうと排除しなければならない」
ユニスは押し黙ってしまう。何かを呑み下すように、強く瞼を閉じてから肩を落とした。
「……感情的になり過ぎました。影失格です」
「これではもう、今後の話にならないだろう。一旦頭を冷やすべきだ――俺、自身も」ジェイドは有無を言わせず部屋を出た。部下二人の顔を見ることが出来なかった。ジェイド自身こそ、隊を率いる者として、相応しい振る舞いを放棄してしまったのではないかと感じた。
気持ちが分からないわけではないのだ。出来るならその想いを汲んでやりたい。だから、これ以上何も言えなかった。猟犬として言ってはならない事を、隊長であるジェイドが口にしてしまいそうだった。それは部下達が言う苦言とは、まるで質が違うものになる。
ジェイドが頭を冷やそうと外への廊下を歩いていると、ヘルレアが独り歩いて行く背中が見えた。ジェイドはその背後をかなりの間隔を持って追い掛けた。――追うべきだと、本能で動いていた。
距離を取ってそろそろと慎重に追跡する。街灯はあるが光は朧げで、遠くまで見渡せない。空は相変わらず雲が厚く、その曇天は重たげで、星は隠れて見えない。ジェイドは自分がどこへ行こうとしているものか判らないが、とにかく王を見失ってはならないと思った。
道の突き当たり、その丁字路に沿って運河がある。王は欄干まで近付くと立ち止まり、独りで暗い河を見つめていた。何か物思いにでも耽っているようで、微動だにもしない。ヘルレアの青い外套は闇に良く馴染むので、注視しなければ忽ち煙に巻かれるように、消えそうだった。
こうして見ると本当に単なる十代の子供だ。その背中は小さく、守ってやらねば直ぐに折れてしまう野の花そのものだった。それなのに自分達猟犬は、こうも翻弄されている現実。
金属音が震えを引いて、数度鳴らされた。それは、欄干を叩く音だった。
「……私に何か用でもあるのか」
かなりの距離を置いたのに、ジェイドの行動を王はお見通しだ。分かっていたが、実際、指摘されると恐れを覚える。
「逃げたのかと思った」嘘をついた。
「どこにも逃げ場所などない……それが分かってここに居るというのに、今から遁走してどうする。私は一日程度、行動しただけでは体力の消耗はないし、眠ることも今の私には差して意味はない。用がない時は私の自由にさせてもらう」
「それは構わない。騒ぎを起こさない限りは――お前は眠らないのか?」
「そうだな、人間の平均的な成人は二十四時間の内で七、八時間眠っているようだから、まあ、それ自体が風説かどうかは知らないが……そういったことを考えれば、私が年単位で眠らないと言えば、眠っていないも同然、と言っていいものか? 前提条件として、私の年齢はおそらく十四、五だ。その中で、数年のスパンといえば片手で数える睡眠回数しかないだろう――こんな事を訊いて、面白いのか人間は」
「そうだな、ただの興味本位だとしか」
「人間は同じようなことを訊くな」
「同じ事を聞いた人間が?」
「それが訊きたいのなら、しばらく私の話し相手になってくれるか」
「暇潰しの相手? 俺はカイムのように王の相手ができる程、人間が出来てはいないぞ」
「殺したくなる?」ヘルレアは気軽な感じで、静かに笑む。
沈黙が降り、ジェイドは息を吐いた。
「問わずとも分かるはずだ。カイムの意向がなければ、直ぐにでも撃ち殺してしまいたいくらいだ」握った拳が震えている。
「お前のひ弱な銃で私は殺せない。分かっているはずなのにそれを言うか?」
「現実に持ち得る力と、心情は違う」
ヘルレアは欄干へ背中を無防備に任せ、ジェイドと向き合った。
「そこまで正直に言って、身の危険を感じないのか。私も舐められたものだな」
「舐めてはいない、嘘をつけないのは俺の性分だ」
「戯言も大概にしろ、嘘つき野郎が……意向、か。お前の主人はどんな男だ? 私にはお坊ちゃんの優男にしか見えなかった」
「カイムに興味があるのか。あの、お人形さんと言い放ったカイムに」
ヘルレアは小さく吹き出した。意外なほど声高く笑うと、目尻の涙を拭う。
「確かにそう言ったな――ジェイド、お前と比べたらお人形さんだろうカイムは。そう思ったことはないか? あの細い面と、一片の隙もなく整えた見目は、女の子の手ずから小さな家の食卓に座らせられる、極小の陶器人形だろう……直ぐに砕ける頭に価値は無い」
「ふざけるな、一度も思ったことはない。これ以上、主を侮辱するな」
「随分と心酔しているみたいだな」
「妙な言い方は止せ。ただ長く共に戦って来た、それだけだ!」
「そうか、なら……王の番になりたくないか」王は悪戯っぽく笑う。
ジェイドは王をじっくりと見つめた。その口から放たれるのは物騒で、人を侮辱する言葉ばかりだが、それでもその美しさに、心を動かされそうになる。本当に恐ろしい子供だ。そう、子供だが――人間の子供ではなく、幼蛇なのである。
陶器人形はヘルレアの方だ。誰もが魅了される容姿を持ちながら、白い陶器のような手は血まみれだ。
「試しているのか……カイムはどう言うか知らないが、俺は御免だ。俺はカイムのようになれない――いや、誰もあいつのようにはなれないだろう」
「番になる事を切望する人間は少なくはない。お前達もその一つなのだから、今の言葉は歓迎されると思ったのだが」
「今度は俺が言わせてもらうぞ。戯言は止せ。俺が拒否すると分かっていて言ったのだろう」
「どうだろうな、お前はカイムによく似ている」氷がひび割れていくように笑んだ顔は、どこまでも熱がなくて静かだった。
「どこが似ていると言うんだ。俺はあいつほど気も長くない。先程の言葉を忘れたか、撃ち殺せなくても、死ぬ前に破壊くらいさせてもらうぞ」
ヘルレアが軽く手を払う。莫迦な事は止せ、というような態度だった。
「お前が思うほど、私は猟犬を侮ってはいないよ。カイムは愚かではなかった――と、だけ言っておいてやろう……愛する主人なんだろう、満足か?」
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