死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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二章 猟犬の掟

第11話 惑いの森〈前編 家路への願い〉

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 病院のエレベーターを下りると、甲高い賑やかな声が押し寄せて来た。目の前のホールでは寝間着姿の子供たちが遊んでいる。チェスカル達三人がホールを見渡していると、子供達もちらちらとこちらを見ていた。今回、戦闘服着ておらず普段着を装っているが、体格が良過ぎる猟犬は目立つようだ。

 わざわざ見に来る好奇心の強い子もいる。

 些か賑やかに過ぎるが、それというのも病院に設けられた子供専用の病棟だからである。そしてその病棟は、長期入院をする子供が多いのだと案内を受けた。だからなのか、大人の病棟にあるようなデイルームにかわって、遊技場があるのだろう。珍しい施設を持つ病院ではあるが、その特殊性から考えれば、その方針も納得も出来る。ここに入院している子供の多くが、不自由無く走り回れるし、遊具で遊べる。この病院には、精神疾患を患っている子供の為に開設された特殊病棟があった。

「ここは比較的軽度の子供達が、遊んでいるんですよ。あまりこういう施設は無いので、大変喜ばれます」チェスカル達三人を案内する看護師が、子供達を愛おしそうに見ている。

「皆、元気に見えますね」ハルヒコが不思議そうに遊技場を見渡す。

「……そう見えますよね。でも、子供達は皆、それぞれ複雑な事情を抱えています」

「見た目と中身ってさ、絶対一緒じゃないよな」ルークが目を細めて感慨深そうにしている。

「お前は見た目も中身も一緒だろ」

「じゃあ、ハルヒコは中身もゴリラてことだな」

「お前達は何でも喧嘩の足掛かりにするんじゃない。話しを真面目に聞け」主人カイムがいなければ、チェスカルが叱らなければならない現実。

 もう成獣の猟犬になって久しいというのに、仔犬の頃とあまり変わりが無い。面倒は見て来たが、こうも変わらないと、チェスカル自身も、二人を仔犬へするように、叱り飛ばすのが日常になっている。

「今のはゴリラが悪いんですよ」

「ねえ、お兄さん。ゴリラってどこにいるの?」

「え?」ルークは思わぬところから、高い声で問いかけられて、一拍固まる。

 子供がチェスカル達を興味深そうに見詰めている。それで堰を切ったように、子供が一人、また一人と寄ってきた。

達、大きいね!」

「ウォルター先生って、背は高いけどひょろひょろなんだよ。会ったことある?」

  館で低身長と言われるチェスカルでさえ、本当を言えば、アメリア国の平均身長を十分に満たす程の身長がある。それを極限まで鍛えているのだから、彼でもかなりの威圧感があるだろう。しかも、更にハルヒコとルークという、猟犬として体格に恵まれた二人がいれば、それは目立つなというのが無理な話しだ。

「ほらほら、いけません。このお兄さん達はお仕事で来た、軍人さんです」

「え? 軍人さんなの。闘うの」

「戦争になっちゃうの」

 チェスカルは、看護師が軽率に余計な情報を子供達へ漏らしたことに、内心溜息をついたが、無反応を貫いた。

 ルークが子供達の目線に屈んで、子供の中心に埋もれている。

「戦争しないよ。見に行くだけ」

「そうなんだ、ビックリした」

 ルークは子供に良く馴染む。本人も中身が子供なのか、と口を滑らせたくなって、ハルヒコの気持ちが少し分かった。

 ホールで子供達から盛大に見送られると、看護師に連れられて、個室の前に来た。

「精神的にまだ不安定なので、面会は短時間でお願いします」

 チェスカルは頷くと看護師が扉を引く。

 骨格の発達から見るに、七才の女児が、ベッドに身を起こしていた。

 ボブにしている髪は、珍しい灰白色で、見ようによっては銀色にも見える。瞳は黒のようだが、光の加減で農高な葡萄色だという事が分かる。肌の色は東洋系とまではいかないが、オリーヴ色に近い。その配色は北の計画保護指定隔離民族によく似ている。仕事柄で世界中を動き回るが、滅多に見ない色合いを兼ね備えている。顔立ちはといえば子供らしい子供だ。可愛らしい子だと思う。

「ブドウちゃん、お兄さん達がお話ししたいそうよ」看護師が優しく笑う。

「ブドウちゃん?」ルークが首を傾げる。

「この子喋れないので、名前が分からないんです。それで、病棟の子供達がブドウちゃん、と呼び始めて。それで私達にも定着して」

 ルークが子供の目線に合わせて屈んだ。

「なる程、瞳が葡萄色だからか。なら、俺達もブドウちゃんって呼んでもいいかな?」

 女児が頷く。

 チェスカルが看護師を見る。

「いつ頃から喋れなくなったのですか」

「病院に来た頃には、既に喋れなくなっていました。保安官事務所にいる頃は、喋っていたみたいなんですけど」

「ブドウちゃん、お喋りできるかい?」

 ブドウちゃんは首を振っている。

 ハルヒコがメモ帳とボールペンを出す。

「もう、文字は習ったかな?」

 ブドウちゃんは下を向いてしまった。チェスカルはついて出そうなため息を飲み込む。

 ――もう、既に就学中のはず。学習が遅い子供か?

 コールデルタは複雑な象形文字を主体としており、表音文字を持たない民族だ。学習が遅れ勝ちな子供も少なからずいるという。

 こういう場合は共通語を使いたいものなのだが――。

 言語こそはかつて大国の植民地だった事もあり、チェスカル等の母国語と、ほぼ同じものも教える習慣があるという。なので、猟犬も特別に複数言語を駆使しなくても、コールデルタの人々とは会話ができる。しかし、それは親子間で続いているに過ぎないらしいので、教育の場というものがなく口語一辺倒らしい。チェスカル等が使う表音文字での読み書きというものが、大人ですらほとんど出来ないという。

 ――つまり現状、ブドウちゃんは文字が書けない。

「……いいんだよ、ありがとう――お前達、ローザ村へ急ぐぞ」

 チェスカルの裾をブドウちゃんが掴んだ。口をパクパクしている。

「どうしたの、落着いて」

 ブドウちゃんは急いでベッドから下りると、チェストから紙束を取り出し、チェスカルへ渡した。

 拙い人間の絵が描かれている。

 ブドウちゃんの眼には涙が滲んでいて、チェスカルの手を握った。あまりにも小さく柔らかな手を、チェスカルは握り潰してしまう気がして、不安になった。

 画用紙を挿げ替えると、人間の女性らしい絵が出てくる。次々に人の絵が出て来て、チェスカルは首を傾げそうになった。どれもがただの拙い人物画にしか見えなかった。

「ねえ、ブドウちゃん、これは何かな?」

 ルークが割り込むように絵へと指を差す。黒い線のようなようなものが、書き損じのように付いていた。チェスカルは急いで他の絵を見てみると、どの人物画にも付いている。

「下描き?」

 ルークは人差し指を立てて、と、子供へ向かってするようにしてチェスカルへ伝えた。

 ブドウちゃんは何か喋ろうとしたが出来ず、しばらく考えたかと思うとベッドの枕元に置いてあったテディベアを手にする。

 突然、ブドウちゃんはぬいぐるみにダンスを踊らせ始めた。

 懸命にぬいぐるみを動かしている。

 看護師が喜んで手拍子をし始めた。

「あら、素敵。テディベアのダンスね」

 猟犬は誰も笑っていなかった。ブドウちゃんは無表情でぬいぐるみを踊らせているようだが、猟犬にはブドウちゃんの狂気が見えていた。

 ルークはブドウちゃんを止めるように、ぬいぐるみを小さな手から離した。

「ありがとう、もう、いいよ」

「私達に任せてくれ、必ず村へ帰れるようにしてみせるから」

 ブドウちゃんの口から小さな音が漏れる。静かに待っていると、音が声に変わり、そして言葉になった。

「……おに、ちゃん……をたす、て」

「お兄ちゃん、か。分かった、必ず助ける。待っててくれ」

 ブドウちゃんの口から、それ以上言葉を聞ける事はなかった。


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