死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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三章 棘の迷宮

第17話 降臨

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17


 オリヴァンが廊下の床で好き勝手に転がっている。まるで自宅のベッドにでも寝転がっているようだ。

 ジェイドはもう隠す気もなくため息をつく。正直、人間のオリヴァンと居るより、ヨルムンガンドのヘルレアと二人切りになる方が、まだ気が楽だった。東占領区での経験が、ジェイドへ与えた影響は大きかった。ヨルムンガンドの存在を赦したのではない、ただ、ヘルレイアという個へ馴染んだという感触。

 ヘルレアが堂々と侮蔑の表情を表している。

「こんな野郎、初めて見た」

「それは良かった。珍しいものが見られて運がいいね。ラッキー!」

「人外の私でも、さすがに引くわ」

 ジェイドがヘルレアへひっそりと囁く。

「……ヘルレア、あの方をあまり気に掛けるな。無駄に消耗するぞ」

「了解」

 オリヴァンが黙れば、本当に物音一つとしてしないくらい、全てが静止している。生物が死に絶えたと表現してもいいくらい、無機質な直線の集合体だった。

「ジェイドは、カイムが幼い時の話を、知っていたのか?」

「俺が直接的に知っているのは、先程言ったように、カイムが館へ帰って来た十二才頃だが……初めて会った時は確かに、物静かな子供だった。いや、違うな。あいつはもう大人だった」

「殆ど人間とは言えなくても、十二才だぞ? 世界蛇ではあるまいし」

「カイムは館へ帰ったからには、もう大人である事が求められていた。主人とはそういう存在なんだ」

「無茶な話だな」

「確かにそうだな、普通はそうなのだろう。だが、カイムが既に背負っていたものを思えば、子供でいられないというのも納得出来るはずだ」

「万単位? の猟犬を戒めている、か」

「それと、ノヴェクの当主であること。これを思えば子供でいる事など、許されないというのは分かるだろう」

「顔に似合わず、あいつも相当にハードな人生だな」

 ――そう思うのならば、カイムの傍に居てやってくれ。

 突いて出そうになる言葉を呑み込んで、自分の心が移ろう様を噛み締める。それは、カイムに開放された今だから良く分かる。以前抱いていた本心というのが、実のところヨルムンガンドなど自身の尊い主に近寄らせる事すらおぞましかったのだと、今更になってようやく正しく理解していた。

 しかし、今では反対にヘルレアへは、主人の望むよう傍に居て、共に戦って欲しいと感じ始めていた。

 一緒に居るのは本当に短い時間だというのに、やはり、かなりの変化が様々な要因で、ジェイドの内面に起こっていたのだ。

 だが、それでヘルレアにカイムと番になって欲しいのかと考えると、また別の感情が未だ僅かながらに生まれる。

 ――本当にそれでいいのか、と。

 ヨルムンガンドの番になるのはカイムの仕事だ。これだけは今揺るぎの無い事実だった。それが最も重要で正しい選択だ。ジェイド自身も、勿論、カイムも理解して道を選んで来た。

 しかし、正しいからといって、やはりそれが果たして幸福な選択と言えるのだろうか。

 ジェイドは猟犬だ。を主人が許せば許すほど、どうしても、主にとって最良の道を選んで欲しいと、強く思ってしまう。色々口にしても、考えても、結局は所詮猟犬であり、抗いようもない本心を常に抱えて、思考は同じところへ帰結してしまう。その根っ子が〈捨身しゃしん供物くもつ〉でしかない存在に、主を蔑ろにするような行為へ走らせるのは、どうしても抵抗が生じるものだった。

 ――だから結局は番では無く、ただ寄り添って欲しいと願う。

 でも、それは狡い答えだ。

「……厳しい道を来たのなら、これからは手を取ってくれる者が現われるよう祈るだけだ」

「だったら、そんな酔狂なが現れるように、私もついでに祈ってやるよ」ヘルレアは伏し目がちに微笑む。

「人間でなくても構わん」

 ヘルレアは穏やかに首を振る。それは否定というより、諦めに似た色をしていて、ジェイドに落胆を淡く呼び起こした。

「言っただろう、人間は人間同士の方が良いと。お前も殆ど人間でないのなら分かるはずだ。種族差というものの困難は計り知れない……そもそも新たに求めずとも、立派な人間のエマが、カイムの傍に居るだろう。何の不満があるという」

「それが本当に分からない、お前なのか?」

 ヘルレアが黙してしまう。王が、ジェイドから視線を外して僅かに俯いて見た先には、何も見出す事が出来なかった。

「……それでも、同じ時を生きられる者と道を歩むべきだ、違うか。幸せってなんなのか、本当に考えた事があるか。見るに猟犬は主人を慕っているよう。それが反対に猟犬共おまえたちを盲目にしてはいないか。戒められたお前に、主人の本当を見抜く力はあるか」

 ジェイドは何も言えなかった。ヘルレアの問い掛けに自信を持って、返せる言葉など端から備えてなどいなかった。

「……猟犬である事で、一番の後悔がこれなのかもしれない。主を思えば思うほど、カイムの真なる幸福というものが分からなくなる」

「それは、猟犬だけではないよ――ないはずだ」

 ヘルレアが経て来た経験が、その凍て付いた相貌へ僅かに色を添えていた。過酷な生を歩んで来たであろう、その顔はあくまでも穏やかに感じられる。

 ジェイドはけして他人へは伝えられない、主人の苦難に満ちた生を思う。そして、それを誰にも悟らせないようにと、選んだ孤独を痛む。ヘルレアならば、カイムの生き方を理解できるのではないかと思った。 

 それにしても、先程からオリヴァンがやけに静かだ。ジェイドが気になってオリヴァンを注視すると、彼はうつ伏せになって雑誌でも見ているような体勢になっている。ジェイドが嫌な予感がして立ち上がろうとすると、その前にオリヴァンがジェイド達の方へと身を起こす。

「あ、ジェイド、なんだろこれ……あはは」

 オリヴァンが白く薄い紙切れをひらひらさせている。ジェイドが紙へ目を凝らすと、オリヴァンの持つ紙には、明らかに術式が書き込まれていた。

「ば……お手をお放し下さい!」

「馬鹿野郎が――、」

 ジェイドの代わりにヘルレアが言いたい事を言ってくれる。

 その刹那、

 ヘルレアが一瞬で気配を消した。

 ジェイドが急いで、それでも静かにオリヴァンの元へ行くと、その好き勝手に動き始めかねない口を塞ぐ。

 ――天使だ。

 廊下にいつの間にかヒトが居た。人間の女に近い柔らかな顔立ちで、眼を僅かに伏せている。長い白金の髪がゆっくりと波打って、水中を漂うように背後へ流れている。

 衣服は身に纏っていないその身体は、男でも女でも無く性的特徴が無かった。その者には霜が下りて全身を白く凍て付かせている。髪や睫毛までが凍り付き、白い氷の粒が溜まっているので、金の髪が白金へ色褪せて見えていたのだ。良く観察すればその者は硝子のように、ほんのり透き通っているのが分かった。

 歩いているのではない、僅かに浮いて身を前のめりにして、ゆったりと静かに中空を滑る。あるいは静止したまま泳いでいるようにすら見え、空気の抵抗がまるで水中に居るかのように強く身体を押し流して見えた。

 何か理解出来ない言語を延々と呟き続けている。

 あのヘルレアが一瞬で気配を消すという事実。

 天使は恐ろしく厄介な召喚類だった。

 まるで止まっているかのような速度で、廊下をジェイド達へ向かって進んで来る。

 ジェイドは天使の全身に視線を這わせる。

 顔、首筋から胸を観察し、そして腹から、太腿――その内側にジェイドは目的のものを見付ける。星の入墨が一つ。この天使は下級の召喚体だった。

 ヘルレアが指を立てて口元へ添える。ジェイドは頷くと、改めてオリヴァンの口を強く抑えた。

 廊下を滑るように、三人の元へ進んで来る天使は、三人に気付いている様子が無く、一定の速度で進んで来る。

 ヘルレアがジェイド達の元へひっそりと近付いて来ると、ジェイドの腕を掴んで後退を促した。

 ヘルレアが首を振ってからじりじりと、ジェイドを誘導して天使から遠ざかるように後退る。ジェイドは素直にその引く力へ従うと、廊下をゆっくりと下がっていった。

 高鳴った心音を聞かれてしまうのではないかと思う程、周囲は静かで、ジェイドは自分を落ち着かせるのにかなりの精神力を要した。


【――天使】


 やはりカイムが気付いた。カイムは静かだった。それでも、ジェイドには僅かな主人の動揺が察せられた。だが直ぐに、カイムはいつも通りの穏やかさを取り戻して、ジェイドとの繋がりを保ち続けた。


【――ヘルレアの指示に従いなさい】


 ジェイドは言葉無く主人の指示に従うと、ヘルレアへ従属する精神へと切り替えた。

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