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三章 棘の迷宮
第39話 苦しみの門
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動き出そうとするエネラドへ、ジェイドは付いて歩みだすが、ヘルレアは身動きさえせず立ち止まったままだった。
「どうした、ヘルレア?」ジェイドはヘルレアの様子が気になった。まるで硬直しているかのように、指先一つとして動かさない。
瞳はいつも通りで、ほんのり青く灯る程度なので感情も特には昂ぶっていないよう。でも、瞬きもしない。
「なあ、都合が良過ぎないか。もしかして施しってやつは、お前のことなのか? エネラド」
「それは……一、娼婦でしかない私では、はっきりとは言えません。けれど、出会えたことは、けして悪い方向へは進んでないとだけは言えます。
あのまま降りても、あなた方ならば、底まで行けたでしょうが、時間が掛かり過ぎますし危険です」エネラドはジェイドの手を見る。
「確かに、あのままでは埒が明かなかった。手も痺れ始めている」
エネラドは部屋の扉の前で立ち止まる。
「棘実落果の大関門は、別名〈苦しみの門〉といいます……あそこは人間には開けられません。〈蜂の巣〉へと沈殿した苦痛に、心身が耐えられないのです――それでもいいですか?」彼女は頭だけで振り返り、見せた横顔は曇っていた。
「ここまで来たら仕方がない、何でもいいさ」
「すまない……ヘルレア」
ヘルレアは急にケラケラと声をあげて笑い飛ばした。笑うことを我慢すれば、苦しくてどうしようもないから笑う、そんな感じを受ける。
「しんみりするなワン公、ヨルムンガンドに謝ってどうする。昔の意気が埃を被っているぞ。情けない」空元気にも見えない、いつも通りのヘルレアだ。
「情けない……そうだな」
「大関門、か――あいつなら、行けるものか?」あいつと呟くそのヘルレアの声が、いったい誰を指しているのかジェイドには分かったが、口を閉ざしたままでいた。
「では、行きましょう」エネラドは扉に手を掛ける。
目の前は廊下ではなかった。娼婦が居た部屋から次ぐ場所、その最奥に大関門と思しき、飾り彫りがされてある門があった。
棘実落果の大関門――。
そう言いながら、その門はけして大きくはなかった。館でも見られるような――むしろ館の正面玄関と、差はそれほど無いような大きさだった。
部屋全体は石造りのようなのだが、白い壁は微発光しているように見える。やはり部屋も広くは無く、娼婦らが居る部屋とあまり変わりがない。
ジェイドは、エネラドに付いて大関門の部屋へ入ると、門に何が掘られてあるのか分かった。人間がうず高く積み重なって、腕を伸ばし上を目指している。互いに足蹴にして、懸命に登り続ける。頂点にあるのは巨大な樹木だ。果実が幾つも実っているのも判る。
「棘実? 何なんだこれは」
ジェイドは気付く、視野を全体に広げると、丁度人間が太った根のように見える。そして、またそれが、大樹が人間を肥やしにして育っている姿にも解釈出来た。
「う~ん、醜いね」オリヴァンが珍しく、まともな一言を漏らした。
ヘルレアは何の迷いも無く、独り門の前へ歩みだし、立ち止まる。ヘルレアが門前に立つと、大きさの感覚が少し変わる。王はやはり小さく、成人女性に身長が、届くか届かないかくらいだ。身体も細いので華奢な印象が、余計に強まる。
「引くのか、押すのか、どちらだ女」
「どちらでも……ご覚悟をなされたならば、どうぞ開門なさってください」
ヘルレアは躊躇無く両手で門扉を押した。一息に大門は全開となって、門扉の向こうには濃霧が立ち込めていた。ヘルレアは、そのまま門の向こうを見上げるように立ち尽くす。
ジェイドには何かが起こったようには見えなかった。だが、それは僅かな合間だけだった。開いた大門から、青白く透ける手が幾千も湧き出る。
その手はヘルレアへ向かって殺到した。向かって来る手は大関門に彫られた、図柄そのもののように見えた。ヘルレアを果実のように毟り取っていきそうな、暴力的な強い力をまとっていた。
「ヘルレア!」ジェイドは走り出しそうになる。
「駄目! 駄目よ。あなたでは行けない」
ジェイドが、もう、ヘルレアを奪い取られると感じた直前。その沢山の手は王へ近付く手前で、ゆっくりと速度を落とした。
たった一つの手が伸びて、ヘルレアの片頬へ優しく触れる。
……人に寄り添ってくれてありがとう。
「ア、イシャ……? いや、違う。こいつは違う!」ヘルレアの声が僅かに震えている。
ジェイドは大門から聞こえた女の声と、ヘルレアの反応に、衝撃で動けなくなった。あのヘルレアから感情が溢れて、彼にすら伝わって来る。
「何故なの、これは……」少女は目を見張っている。
手は滲むように消えていき、大門の中を満たしていた濃霧も晴れていった。
大門の先は凪いだ水面のようだった。門の先は何も見えず、水が垂直に僅かに揺蕩っている。
「これでいいんだろう。女王蜂に会えるんだよな……カイムの元へ急ぐぞ」
ヘルレアは何も変わらない。動揺も感情の動きすら、消えていた。
――アイシャ。
女性の名前だろう。
ジェイドはエネラドの反応で、本来の〈苦しみの門〉という意味とは違うのかもしれないと、感じずにはいられなかった。けれども彼には、確かに苦しみが見えた。
動き出そうとするエネラドへ、ジェイドは付いて歩みだすが、ヘルレアは身動きさえせず立ち止まったままだった。
「どうした、ヘルレア?」ジェイドはヘルレアの様子が気になった。まるで硬直しているかのように、指先一つとして動かさない。
瞳はいつも通りで、ほんのり青く灯る程度なので感情も特には昂ぶっていないよう。でも、瞬きもしない。
「なあ、都合が良過ぎないか。もしかして施しってやつは、お前のことなのか? エネラド」
「それは……一、娼婦でしかない私では、はっきりとは言えません。けれど、出会えたことは、けして悪い方向へは進んでないとだけは言えます。
あのまま降りても、あなた方ならば、底まで行けたでしょうが、時間が掛かり過ぎますし危険です」エネラドはジェイドの手を見る。
「確かに、あのままでは埒が明かなかった。手も痺れ始めている」
エネラドは部屋の扉の前で立ち止まる。
「棘実落果の大関門は、別名〈苦しみの門〉といいます……あそこは人間には開けられません。〈蜂の巣〉へと沈殿した苦痛に、心身が耐えられないのです――それでもいいですか?」彼女は頭だけで振り返り、見せた横顔は曇っていた。
「ここまで来たら仕方がない、何でもいいさ」
「すまない……ヘルレア」
ヘルレアは急にケラケラと声をあげて笑い飛ばした。笑うことを我慢すれば、苦しくてどうしようもないから笑う、そんな感じを受ける。
「しんみりするなワン公、ヨルムンガンドに謝ってどうする。昔の意気が埃を被っているぞ。情けない」空元気にも見えない、いつも通りのヘルレアだ。
「情けない……そうだな」
「大関門、か――あいつなら、行けるものか?」あいつと呟くそのヘルレアの声が、いったい誰を指しているのかジェイドには分かったが、口を閉ざしたままでいた。
「では、行きましょう」エネラドは扉に手を掛ける。
目の前は廊下ではなかった。娼婦が居た部屋から次ぐ場所、その最奥に大関門と思しき、飾り彫りがされてある門があった。
棘実落果の大関門――。
そう言いながら、その門はけして大きくはなかった。館でも見られるような――むしろ館の正面玄関と、差はそれほど無いような大きさだった。
部屋全体は石造りのようなのだが、白い壁は微発光しているように見える。やはり部屋も広くは無く、娼婦らが居る部屋とあまり変わりがない。
ジェイドは、エネラドに付いて大関門の部屋へ入ると、門に何が掘られてあるのか分かった。人間がうず高く積み重なって、腕を伸ばし上を目指している。互いに足蹴にして、懸命に登り続ける。頂点にあるのは巨大な樹木だ。果実が幾つも実っているのも判る。
「棘実? 何なんだこれは」
ジェイドは気付く、視野を全体に広げると、丁度人間が太った根のように見える。そして、またそれが、大樹が人間を肥やしにして育っている姿にも解釈出来た。
「う~ん、醜いね」オリヴァンが珍しく、まともな一言を漏らした。
ヘルレアは何の迷いも無く、独り門の前へ歩みだし、立ち止まる。ヘルレアが門前に立つと、大きさの感覚が少し変わる。王はやはり小さく、成人女性に身長が、届くか届かないかくらいだ。身体も細いので華奢な印象が、余計に強まる。
「引くのか、押すのか、どちらだ女」
「どちらでも……ご覚悟をなされたならば、どうぞ開門なさってください」
ヘルレアは躊躇無く両手で門扉を押した。一息に大門は全開となって、門扉の向こうには濃霧が立ち込めていた。ヘルレアは、そのまま門の向こうを見上げるように立ち尽くす。
ジェイドには何かが起こったようには見えなかった。だが、それは僅かな合間だけだった。開いた大門から、青白く透ける手が幾千も湧き出る。
その手はヘルレアへ向かって殺到した。向かって来る手は大関門に彫られた、図柄そのもののように見えた。ヘルレアを果実のように毟り取っていきそうな、暴力的な強い力をまとっていた。
「ヘルレア!」ジェイドは走り出しそうになる。
「駄目! 駄目よ。あなたでは行けない」
ジェイドが、もう、ヘルレアを奪い取られると感じた直前。その沢山の手は王へ近付く手前で、ゆっくりと速度を落とした。
たった一つの手が伸びて、ヘルレアの片頬へ優しく触れる。
……人に寄り添ってくれてありがとう。
「ア、イシャ……? いや、違う。こいつは違う!」ヘルレアの声が僅かに震えている。
ジェイドは大門から聞こえた女の声と、ヘルレアの反応に、衝撃で動けなくなった。あのヘルレアから感情が溢れて、彼にすら伝わって来る。
「何故なの、これは……」少女は目を見張っている。
手は滲むように消えていき、大門の中を満たしていた濃霧も晴れていった。
大門の先は凪いだ水面のようだった。門の先は何も見えず、水が垂直に僅かに揺蕩っている。
「これでいいんだろう。女王蜂に会えるんだよな……カイムの元へ急ぐぞ」
ヘルレアは何も変わらない。動揺も感情の動きすら、消えていた。
――アイシャ。
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