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三章 棘の迷宮
第44話 猛虎伏草
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45
目を思わず閉じたカイムの耳に、金属が打つかり合う甲高い音が、幾度も繰り返された。秒速の連撃に、カイムは自然、瞼を上げる。
カイムはふいに、強い力で腕を引かれた――そう感じた瞬間、黒装束の死体から既に離れていた。それから間もおかず、途轍もない力で引き揚げられて浮遊した。そこでようやく、小さな手を感じて、ヘルレアに救われたのだと気付き、同時にそれが間違いだとも気付いた。
鱗と棘が密集した巨大な背中。その先にも何か強大な者が居る。相対して、互いに前肢を振り被り、切り裂こうとするのだが、どちらとも等しい硬度の外殻故か、攻撃が阻まれている。
カイムを背にして護ったのは、間違いなく綺士だった。
「ヘルレア! これは、」
「黙れ、舌噛むぞ」
カイムは思いっ切り振り回されると、一瞬だけ空を舞い、自分の猟犬にがっしりと捕らえられた。
「ジェイド、何が起こっている……なに、エネラド?」僅かな間も無く、ジェイドが見たものが流れ込んで来た。
「クシエルの綺士、のはずだ……何故、カイムを救った」
カイムは、ジェイドの腕から降りると、直ぐに猟犬二頭が、彼の盾となるように立ちはだかる。
ヘルレアが女王蜂を抱えて、走って来ると、乱暴に彼女をジェイドへ投げ出した。ジェイドは咄嗟に女王蜂を抱いて支える。
「お前等邪魔だ、端へ行け」ヘルレアが巨躯の異形共の元へ、躊躇いなく突っ込んで行く。
カイムはついオリヴァンを――と、ヘルレアに言い掛けたが、オリヴァンはちゃっかりカイムの後ろ、一番安全そうな場所でふんぞり返っている。
「お前……いつの間に」カイムは後退しながら、オリヴァンも部屋の隅へ追い遣る。
「こういう時は、カイムの後ろに隠れるに限る。ワンちゃんがついでに護ってくれるからね」
「事実だが、口にされると弾き出したくなるな」
「ジェイドちゃんを護ったんだから、当然の権利でしょうが」
「ああ、あれか――天使。下手を打ったな、クソッ!」
「カイム様、品の無いお言葉はお控えください――ヘルレアは口が悪いので、カイム様に悪影響があって、困ったものです」チェスカルは平気なように見えるが、主人を喪いそうになって、内心はパニックになりかけている。これはチェスカル自身を落ち着けるための、主人への諫言という名の接触だ。でも、どちらかといえば、ただ子供を叱っているだけのようでもある。
とにかく猟犬は、恐れ、また安心したがっているのだ。
今のカイムでは恐怖の希釈はするべきではなかった。カイムは傍に居る、ジェイドとチェスカルの肩を叩いてやる。
「お前達、僕を護ってくれ。恐れるな」些か情けない言いようであるが、カイムは敢えてそう縋る。
途端、二頭の猟犬の闘争心が爆発的に熱を帯びた。恐れよりも、怒りや殺意に意識が半分喰われて、カイムはその激しさに主人ながら驚いた。
猟犬は本心から怒っている。
敵は、カイムを脅かし過ぎたのだ。
ヘルレアは、カイムを護った綺士の振る舞いから、綺士の相手方へ攻撃することを選んだようだ。綺士へは一切攻撃を加えていない。これは、取り敢えず今は、順当な判断だろう。
カイムはようやく敵方を、落ち着いて観察出来る余裕が生まれた。敵は黒い小山のようだった。それは輪郭がはっきりとしない。身体の表面には煤のようなものをまとい、薄く立ち昇らせているからだろう。眼や耳、口といった器官が無く、吸い込まれそうな黒色をしていて、空間が裂けたように感じられる。
大きさは綺士と同じくらいの体長があり――三メートル前後だろう――それが暴れて地団駄を踏むと、床が細かく砕けていく。
ヘルレアが拳を叩き込むと、亀裂が稲光のようにして枝分かれしながら走る。綺士との交戦では、互いに弾き返していたというのに、ヘルレアの拳による攻撃は効果覿面だった。
さすがに、ヨルムンガンドは別格だ。王者と言うに恥じない力を持っていると、再認識させられる。本当に強い。
既に数カ所亀裂が走っていた。細い亀裂が淡く明滅している。だが、まったく物体の暴力性は衰えることなく、自らの身体というものが存在しているのさえ、理解していないように、全身で乱れ狂っている。それは、癇癪を起こして暴れる赤子の振る舞いに映った。観察していると、無駄な動きが多すぎるのだ。気に入らないから暴れる、そういった感じだ。
「ヘルレアが戦っているのは何だ?」カイムは眉根を寄せる。見たこともない存在だった。あまりにも実態がなくぼやけている。外界術の悪魔にしては実体が薄いし、また、天使として見るには、物質性が強過ぎて存在感があり過ぎる。
けれど素人の単純な印象でいうならば、悪魔などの闇に潜む者のように見えてしまう。
しかし、あの者達――悪魔にははっきりと名前があり、階級があるのだとエルドは言っていた。貴族社会と見なしていいほど、整然と構成され、高貴な精神すら持ち得るのが悪魔だった。だから、人間にとって悪、魔、なのだという。汎ゆる知識や技術を、または暴力そのものを、対価によって公平に際限なく人間へ与える。人類の歴史を紐解けば、それを悪だと論ずるに否定し切れないだろうと、カイムも思う。
人間に、悪魔という不名誉な分類をされるが、その悪魔自身もそれを否定しない。また、それを自ら名乗るという、徹底した客観性は理知的で、無垢で残酷な天使とはまた違う種類の、恐れを催すものである。
ある程度外界術を知っていれば、目の前にいる化物が悪魔だとは思えない。
だから、カイムのように外界術に対する、知識が浅くても、捻れて暴れる闇が異物と分かる。〈蜂の巣〉入口で見た悪魔が、人間の目に最も触れる、正常な外道の悪魔だ。
必ずしも人形とは限らないが、名前を持ちうるならば、路傍の石ではなく、意志あるものとして人界へ浮上出来る――らしい。
だから、あれは異常なのだ。
意思が見えない――。
吐瀉物を巻き込んだような、弱々しい咳に似た音に、カイムは自然、床へ視線を落とす。
倒れ伏した男の頭が動いている。死んだ直後にガスの影響を受けるはずもなく、そもそも頭だけ動くというのが異常だ。
「……おい、足元に、」ジェイドがカイムへ囁く。
カイムは、ジェイドから次いで示された声なき誘導で、黒装束の投げ出された足首に、鋭い鉤爪を生やした異形の手がしがみいているのを目にする。翳のように暗くて、光をまったく反射しない。ただ、その大きさが人間の手まで小さくなっている。あとは同じだ、暴れる者とまったく同じ。闇、そのものが床から生えている。
黒装束は血に泡立つ口を、死にかけの魚のように動かしているのが分かった。すると、その動きは幾度もせずに滑らかなものとなる。
「……な、ん度、死、んでもなれないな」ごぼごぼと声が濁っているが、正確に聞き取れた。
「何故、あの攻撃で永らえる」ジェイドが一層カイムを隠すように、盾となる。
「ああああ――、随分と派手にやられたものだ。ここまで殺しをわ、あああああ修練しているとは、悍ましきいい」男はうつ伏せから、腰を反らして上体だけ起こた。首の傷口から今だに血を垂れ流している。
普通なら喋るどころか死んでいるはずだ。カイムが、闘争の最前線にいたのが十年以上前だとしても、身体が憶えた殺しの感触は消えるものではないし、殺し損ねて気が付かないなど、それこそ以ての外だ。
ジェイドは一切躊躇いなく、黒装束の頭蓋へ銃弾を浴びせる。弾丸は間違いなく頭蓋を砕いているが、衝撃にも動じず、奇妙な体勢のまま微動だにしない。
またチェスカルは、弾薬が限られている状況で、攻撃よりもカイムの防御に重点をおいているのが判る。
二頭は瞬時に役割分担を決めて動く。言葉など――猟犬の繋がりなど必要とせずに、最も効率的に主人を護る手を一番に取る。
ヘルレアが異形の脚を払うと、豪快にその異形は倒れて、床に叩き付けられる。綺士は躍りかかって、異形へのしかかり腕を叩き付け始めた。ヘルレアの猛攻で異形は弱っているようで、綺士の攻撃も通るようになり、幾つもの細かい亀裂が卵のからのように響きだす。
綺士は何故か苦しそうに雄叫びをあげる。目が溢れそうなほどに剥き出す。
濁りの無い金の瞳が、エネラドの面影を唯一残している。全身鱗に覆われて黒いのだが、油膜を張ったように色味が複雑に変わる。瞳以外に、人間だった頃の面影を一切失っている。
綺士、エネラドの叫びに、黒装束は意識を引かれていた。
「ああ、お、前は、そうか太陽の……ひ、邪魔をする……な、オウリーン。母さんを、救いたいと思わないのか。この牢獄から、出して差し上げたいと思わないのか」
カイムは思わず猟犬から身を乗り出しそうになった。
「オウリーン……だって? まさか、オウリーン・ライフナー総統なのか! そんなこと、が……でも今、太陽と奴は言った。〈太陽の瞳〉といえば、総統を讃美する言葉だ。けれど、彼女はもう四十代半ばを過ぎているはず。いや、ヨルムンガンドの綺士を、常識で考えても仕方がない」
「ライフナー公家の一人娘、猛虎とも言うな……母さんだと? この二人は兄妹なのか。もし、公になっている立場なら、オウリーンの同腹の兄といえば――、」
「そうであれば、ヴィシス・ライフナー殿下です。ダイセン・ライフナー公の第二子に当たる男で、同国内でかなりの力を振るっています。しかし……私は彼の顔を知っている――はず」チェスカルが、口にしてはいけないことを、口頭へのぼらせたように顔を曇らせた。
カイムはもう、それ以上聞かなくとも分かった。ヘルレアとジェイドを救うために、東占領区へ救援を出した時、秘密裏にチェスカルとこのヴィシスは接触していたのだ――また、オウリーンとも。
ヴィシスの計らいで、兄妹のオウリーンとも接触が取れた。外聞故に、条件を出さねばならないと、彼女は心苦しそうにチェスカルへ救助を了承した。
「慈悲深くありたかった、か……総統もまた、猛虎と呼ばれながら、同時に〈太陽〉と愛された過去が、たしかにある」チェスカルが声を落として溢す。
「チェスカル?」
「ヴィシス殿下は確かに慈悲深くいらした、あの時――噂だけではなかったのです。そしてまた、総統も惨状に酷く心を痛めておられた……そう、感じました。――だが、この男は」
黒装束は血を吹きながら、声をあげて笑う。「顔など、どうとでもなる。久し振りだね、チェスカル・マルクル君。ご主人にもお会い出来て光栄だよ」
「やはり、お前は何かを隠していたのか」
「ヨルムンガンドの血統がようやく二つ……それに、ヨルムンガンド本人すら現れるとは……気高き我が母よ。神はいずれ名を忘れ、獣へ帰り、世界蛇もまた、獣へ帰すこと忘れるべからず。断崖の聖母よ、我らに祝福を!」
「あ、このおっさん信者だわ――聖母の祝福があらんことを」オリヴァンは珍しく教主らしい振る舞いをしたが、終わりには親指を立ててサムズアップ。
「主犯も……〈聖母の盾〉だって?」
「オリヴァン様、どうか我が母のため巣の底で、心臓を捧げ給え……そして、カイム・ノヴェク、その血塗れの手で、魂という名の果実をもぎ取ってきてくれ」
「解放ではなく、肉体無き反魂術が、真の目的か! 全てが偽りだったとは――身近な者にさえ嘘を重ねて犠牲にするなど、なんと、汚らわしい! そうか、そなたも擬物か、だから」
「皆、何を言っても疑わずに、働いてくれたものだ。仲間も化物も売女共も、いい子に死んだ――早くお会いしたい、母さん」
目を思わず閉じたカイムの耳に、金属が打つかり合う甲高い音が、幾度も繰り返された。秒速の連撃に、カイムは自然、瞼を上げる。
カイムはふいに、強い力で腕を引かれた――そう感じた瞬間、黒装束の死体から既に離れていた。それから間もおかず、途轍もない力で引き揚げられて浮遊した。そこでようやく、小さな手を感じて、ヘルレアに救われたのだと気付き、同時にそれが間違いだとも気付いた。
鱗と棘が密集した巨大な背中。その先にも何か強大な者が居る。相対して、互いに前肢を振り被り、切り裂こうとするのだが、どちらとも等しい硬度の外殻故か、攻撃が阻まれている。
カイムを背にして護ったのは、間違いなく綺士だった。
「ヘルレア! これは、」
「黙れ、舌噛むぞ」
カイムは思いっ切り振り回されると、一瞬だけ空を舞い、自分の猟犬にがっしりと捕らえられた。
「ジェイド、何が起こっている……なに、エネラド?」僅かな間も無く、ジェイドが見たものが流れ込んで来た。
「クシエルの綺士、のはずだ……何故、カイムを救った」
カイムは、ジェイドの腕から降りると、直ぐに猟犬二頭が、彼の盾となるように立ちはだかる。
ヘルレアが女王蜂を抱えて、走って来ると、乱暴に彼女をジェイドへ投げ出した。ジェイドは咄嗟に女王蜂を抱いて支える。
「お前等邪魔だ、端へ行け」ヘルレアが巨躯の異形共の元へ、躊躇いなく突っ込んで行く。
カイムはついオリヴァンを――と、ヘルレアに言い掛けたが、オリヴァンはちゃっかりカイムの後ろ、一番安全そうな場所でふんぞり返っている。
「お前……いつの間に」カイムは後退しながら、オリヴァンも部屋の隅へ追い遣る。
「こういう時は、カイムの後ろに隠れるに限る。ワンちゃんがついでに護ってくれるからね」
「事実だが、口にされると弾き出したくなるな」
「ジェイドちゃんを護ったんだから、当然の権利でしょうが」
「ああ、あれか――天使。下手を打ったな、クソッ!」
「カイム様、品の無いお言葉はお控えください――ヘルレアは口が悪いので、カイム様に悪影響があって、困ったものです」チェスカルは平気なように見えるが、主人を喪いそうになって、内心はパニックになりかけている。これはチェスカル自身を落ち着けるための、主人への諫言という名の接触だ。でも、どちらかといえば、ただ子供を叱っているだけのようでもある。
とにかく猟犬は、恐れ、また安心したがっているのだ。
今のカイムでは恐怖の希釈はするべきではなかった。カイムは傍に居る、ジェイドとチェスカルの肩を叩いてやる。
「お前達、僕を護ってくれ。恐れるな」些か情けない言いようであるが、カイムは敢えてそう縋る。
途端、二頭の猟犬の闘争心が爆発的に熱を帯びた。恐れよりも、怒りや殺意に意識が半分喰われて、カイムはその激しさに主人ながら驚いた。
猟犬は本心から怒っている。
敵は、カイムを脅かし過ぎたのだ。
ヘルレアは、カイムを護った綺士の振る舞いから、綺士の相手方へ攻撃することを選んだようだ。綺士へは一切攻撃を加えていない。これは、取り敢えず今は、順当な判断だろう。
カイムはようやく敵方を、落ち着いて観察出来る余裕が生まれた。敵は黒い小山のようだった。それは輪郭がはっきりとしない。身体の表面には煤のようなものをまとい、薄く立ち昇らせているからだろう。眼や耳、口といった器官が無く、吸い込まれそうな黒色をしていて、空間が裂けたように感じられる。
大きさは綺士と同じくらいの体長があり――三メートル前後だろう――それが暴れて地団駄を踏むと、床が細かく砕けていく。
ヘルレアが拳を叩き込むと、亀裂が稲光のようにして枝分かれしながら走る。綺士との交戦では、互いに弾き返していたというのに、ヘルレアの拳による攻撃は効果覿面だった。
さすがに、ヨルムンガンドは別格だ。王者と言うに恥じない力を持っていると、再認識させられる。本当に強い。
既に数カ所亀裂が走っていた。細い亀裂が淡く明滅している。だが、まったく物体の暴力性は衰えることなく、自らの身体というものが存在しているのさえ、理解していないように、全身で乱れ狂っている。それは、癇癪を起こして暴れる赤子の振る舞いに映った。観察していると、無駄な動きが多すぎるのだ。気に入らないから暴れる、そういった感じだ。
「ヘルレアが戦っているのは何だ?」カイムは眉根を寄せる。見たこともない存在だった。あまりにも実態がなくぼやけている。外界術の悪魔にしては実体が薄いし、また、天使として見るには、物質性が強過ぎて存在感があり過ぎる。
けれど素人の単純な印象でいうならば、悪魔などの闇に潜む者のように見えてしまう。
しかし、あの者達――悪魔にははっきりと名前があり、階級があるのだとエルドは言っていた。貴族社会と見なしていいほど、整然と構成され、高貴な精神すら持ち得るのが悪魔だった。だから、人間にとって悪、魔、なのだという。汎ゆる知識や技術を、または暴力そのものを、対価によって公平に際限なく人間へ与える。人類の歴史を紐解けば、それを悪だと論ずるに否定し切れないだろうと、カイムも思う。
人間に、悪魔という不名誉な分類をされるが、その悪魔自身もそれを否定しない。また、それを自ら名乗るという、徹底した客観性は理知的で、無垢で残酷な天使とはまた違う種類の、恐れを催すものである。
ある程度外界術を知っていれば、目の前にいる化物が悪魔だとは思えない。
だから、カイムのように外界術に対する、知識が浅くても、捻れて暴れる闇が異物と分かる。〈蜂の巣〉入口で見た悪魔が、人間の目に最も触れる、正常な外道の悪魔だ。
必ずしも人形とは限らないが、名前を持ちうるならば、路傍の石ではなく、意志あるものとして人界へ浮上出来る――らしい。
だから、あれは異常なのだ。
意思が見えない――。
吐瀉物を巻き込んだような、弱々しい咳に似た音に、カイムは自然、床へ視線を落とす。
倒れ伏した男の頭が動いている。死んだ直後にガスの影響を受けるはずもなく、そもそも頭だけ動くというのが異常だ。
「……おい、足元に、」ジェイドがカイムへ囁く。
カイムは、ジェイドから次いで示された声なき誘導で、黒装束の投げ出された足首に、鋭い鉤爪を生やした異形の手がしがみいているのを目にする。翳のように暗くて、光をまったく反射しない。ただ、その大きさが人間の手まで小さくなっている。あとは同じだ、暴れる者とまったく同じ。闇、そのものが床から生えている。
黒装束は血に泡立つ口を、死にかけの魚のように動かしているのが分かった。すると、その動きは幾度もせずに滑らかなものとなる。
「……な、ん度、死、んでもなれないな」ごぼごぼと声が濁っているが、正確に聞き取れた。
「何故、あの攻撃で永らえる」ジェイドが一層カイムを隠すように、盾となる。
「ああああ――、随分と派手にやられたものだ。ここまで殺しをわ、あああああ修練しているとは、悍ましきいい」男はうつ伏せから、腰を反らして上体だけ起こた。首の傷口から今だに血を垂れ流している。
普通なら喋るどころか死んでいるはずだ。カイムが、闘争の最前線にいたのが十年以上前だとしても、身体が憶えた殺しの感触は消えるものではないし、殺し損ねて気が付かないなど、それこそ以ての外だ。
ジェイドは一切躊躇いなく、黒装束の頭蓋へ銃弾を浴びせる。弾丸は間違いなく頭蓋を砕いているが、衝撃にも動じず、奇妙な体勢のまま微動だにしない。
またチェスカルは、弾薬が限られている状況で、攻撃よりもカイムの防御に重点をおいているのが判る。
二頭は瞬時に役割分担を決めて動く。言葉など――猟犬の繋がりなど必要とせずに、最も効率的に主人を護る手を一番に取る。
ヘルレアが異形の脚を払うと、豪快にその異形は倒れて、床に叩き付けられる。綺士は躍りかかって、異形へのしかかり腕を叩き付け始めた。ヘルレアの猛攻で異形は弱っているようで、綺士の攻撃も通るようになり、幾つもの細かい亀裂が卵のからのように響きだす。
綺士は何故か苦しそうに雄叫びをあげる。目が溢れそうなほどに剥き出す。
濁りの無い金の瞳が、エネラドの面影を唯一残している。全身鱗に覆われて黒いのだが、油膜を張ったように色味が複雑に変わる。瞳以外に、人間だった頃の面影を一切失っている。
綺士、エネラドの叫びに、黒装束は意識を引かれていた。
「ああ、お、前は、そうか太陽の……ひ、邪魔をする……な、オウリーン。母さんを、救いたいと思わないのか。この牢獄から、出して差し上げたいと思わないのか」
カイムは思わず猟犬から身を乗り出しそうになった。
「オウリーン……だって? まさか、オウリーン・ライフナー総統なのか! そんなこと、が……でも今、太陽と奴は言った。〈太陽の瞳〉といえば、総統を讃美する言葉だ。けれど、彼女はもう四十代半ばを過ぎているはず。いや、ヨルムンガンドの綺士を、常識で考えても仕方がない」
「ライフナー公家の一人娘、猛虎とも言うな……母さんだと? この二人は兄妹なのか。もし、公になっている立場なら、オウリーンの同腹の兄といえば――、」
「そうであれば、ヴィシス・ライフナー殿下です。ダイセン・ライフナー公の第二子に当たる男で、同国内でかなりの力を振るっています。しかし……私は彼の顔を知っている――はず」チェスカルが、口にしてはいけないことを、口頭へのぼらせたように顔を曇らせた。
カイムはもう、それ以上聞かなくとも分かった。ヘルレアとジェイドを救うために、東占領区へ救援を出した時、秘密裏にチェスカルとこのヴィシスは接触していたのだ――また、オウリーンとも。
ヴィシスの計らいで、兄妹のオウリーンとも接触が取れた。外聞故に、条件を出さねばならないと、彼女は心苦しそうにチェスカルへ救助を了承した。
「慈悲深くありたかった、か……総統もまた、猛虎と呼ばれながら、同時に〈太陽〉と愛された過去が、たしかにある」チェスカルが声を落として溢す。
「チェスカル?」
「ヴィシス殿下は確かに慈悲深くいらした、あの時――噂だけではなかったのです。そしてまた、総統も惨状に酷く心を痛めておられた……そう、感じました。――だが、この男は」
黒装束は血を吹きながら、声をあげて笑う。「顔など、どうとでもなる。久し振りだね、チェスカル・マルクル君。ご主人にもお会い出来て光栄だよ」
「やはり、お前は何かを隠していたのか」
「ヨルムンガンドの血統がようやく二つ……それに、ヨルムンガンド本人すら現れるとは……気高き我が母よ。神はいずれ名を忘れ、獣へ帰り、世界蛇もまた、獣へ帰すこと忘れるべからず。断崖の聖母よ、我らに祝福を!」
「あ、このおっさん信者だわ――聖母の祝福があらんことを」オリヴァンは珍しく教主らしい振る舞いをしたが、終わりには親指を立ててサムズアップ。
「主犯も……〈聖母の盾〉だって?」
「オリヴァン様、どうか我が母のため巣の底で、心臓を捧げ給え……そして、カイム・ノヴェク、その血塗れの手で、魂という名の果実をもぎ取ってきてくれ」
「解放ではなく、肉体無き反魂術が、真の目的か! 全てが偽りだったとは――身近な者にさえ嘘を重ねて犠牲にするなど、なんと、汚らわしい! そうか、そなたも擬物か、だから」
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