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四章 表の無い硬貨
第1話 芽吹く瞳
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カイムはランシズに扉を開かれ、部屋の様子が一目で見渡せた。ベッドにはシルクのパジャマを着た金髪の子供が居て、床に脚を下ろして座っている。使用人達にかなり気を使われているのが、着衣から察せられる。完全にカイムの客人としてもてなされていた。
翠の瞳が、既にカイムへ寄せられている。
ジェイドとチェスカルが、主人に続いて部屋へ入って来る。そうして、カイムは更にもう二頭の猟犬を連れて来ていた。エルドと雑用のシド・ペテルだ。序列の低いシドが最後に入室して、扉を静かに閉める。
ジゼルは目を見張って、猟犬全員へ視線を彷徨わせていた。
カイムはまず、椅子に座るヘルレアの傍へ行く。「状況はお聞きしました。ジゼル……に、異常は無いようですね」
「ああ、普通に意思の疎通もできるし、妙な力も感じない。問題無く子供だ」
「それはよかったです――では、ジゼル自身が置かれた状況は、本人には伝えましたか?」
「……それは、お前がやれ。私はそこまで面倒を見ない。お前の方が、こういう話しは慣れているだろう」
「承知しました。こちらで対処するので問題はありません」
カイムがベッドの傍へ行くと、背後に控えていたジェイドが、主人が座れるように、手早く椅子を用意した。カイムは一切振り返らずに、そのまま腰を下ろす。
少女は緊張し、またカイムを怖れているのも判る。彼の所作や猟犬を連れ立っている姿は、仰々しいのだろうと察しは付く。だが、かといって、フランクにはいかない理由があるので、こればかりは仕方がない。
「さて――今までも会っているのだけど、はじめましてと言うべきみたいだね。僕はカイム・ノヴェクという。この家の主人なんだ。改めて、君の名前を教えてくれるかい?」
少女はカイムに視線を合わせないよう、少し下を向いていたが、小さく肯いた。
「ジゼル……です」
「姓はなんというのかな?」
「姓はまだも貰っていません」
カイムは予め分かっていたが、あまり無い返答に、一拍、口を噤みそうになった。しかし、日頃からの慣れで、その素振りは素早く抑えた。「気にしなくてもいいよ、ごめんね」
ジゼルは曖昧に首を振った。分かった、構わない、という意思表示に取れる。
「では、これから僕達は、君をジゼルと呼ぶけれど問題はないかい?」
少女はこくこくと頷く。可愛らしい姿にカイムは、自然、目を細める。
「あの、どうしてここにいるんですか? 〈光の家〉へ帰らないと、叱られてしまいます」
「知り合いが、君を僕に託してくれたんだ。僕には子供がいなくてね。養子縁組……里親になりたかったんだ。唐突なことで、ジゼルの意志を尊重できなくて、すまないとは思っているけれど。ジゼルとの出会いは幸運なものだったからね」
「え? ……私も特別な〈光の家族〉に選ばれたんですか。他の子みたいにお家へお呼ばれしたのね!」
カイムはにこにこと笑って肯定を示した。
その異常な形の養子縁組制度を彼女は信じている。ジゼルを捕らえていた〈レグザの光〉は、子供達を〈光の家〉と名付けた施設で集団養育している。だが、彼女の言うような〈光の家族〉という養子縁組制度など存在せず、いらなくなった子供は処分していた。
光に照らされた子が、光の家族の元へ帰れる――。
これだけで、異常な状況下で子供達が育てられていたのが容易に想像できる。
そうした情報は以前からあるものの、ステルスハウンドが深く介入するような状況ではなかった。だが、今回の件で〈レグザの光〉を野放しにできなくなった。
ステルスハウンドの代表を銃撃戦に巻き込んだのだから、相応の報復をしなければならない。
「ジゼルは僕の家族になってくれるかい?」
「お家のご主人だから……お父様ですよね」
「そういうことになるね」
「……あの、お母様は」
「妻は……お母さんは、亡くなってしまったんだ。だから、僕も家族が欲しかった」
「私とお父様は家族になれたのね」少しづつ高揚し始めたようで、声が高くなる。おそらく今の状態の方が、ジゼルの普段からの振る舞いに近いのだろう。
「僕も嬉しいよ」
「その、だとすると……私は、ジゼル・ノヴェクなのかしら」
猟犬共が、耳を立てるように反応した。
「ごめんね、ジゼル。僕の姓はあげられないんだ」
「家族なのに姓がもらえない……?」
「その代わりね、このジェイド・マーロンの姓になってもらうことになる。君はジゼル・マーロンだ」
カイムが大男のジェイドへ手を差し向けると、ジゼルは不思議そうに長身のジェイドを見上げる。
ジェイドはチェスカルほど無愛想では無いが、それでも子供好きするとは言えない強面だ。直に接すれば、そのおおらかさは分かるものだが、ただ今は、外見だけで判断するしかないのだから、どうしようもない。
また、カイムの後ろにジェイドとチェスカル、そしてエルドにシドが控えていること自体が、尚更に威圧感を増幅させると考えるに難くない。しかも四頭とも揃いも揃って、尋常では無く鍛え上げられている。チェスカルの身長差など、霞むほどの強靭さだ。そうした彼らが、明らかにカイムの取り巻きとして、佇んでいるのが子供でも分かるだろう。
それでも慣れてもらわなければならない。少々、強引なやり方かもしれないが、ジゼル自身の置かれた状況を、早く理解させるには、最適な混乱状態といえた。
本当に優しくはない――。
カイムの都合で、強行に現状を把握してもらわなくてはならない。カイムには安穏と子供に付き合う時間はないのだ。残酷だが、利用価値が見出だせない――寧ろ、邪魔になりかねない存在に、手を煩わされる暇など無い。
「ジゼル・マーロン……でも、お父様はカイム様でノヴェク? どうか、理由を教えてください」
カイムは無言でシドの背中を押した。
「ノヴェクの姓は、カイム様の血族のみが名乗れます。たとえあなたが、カイム様の養子になろうとも、血の繋がりがなければ、ノヴェク姓を名乗れません。因みに婚姻……、正式に結婚するお相手も、同血族のみとされています。これでお分かりですね」
シドは幼い子供にさえ堅い敬語を崩さなかった。カイムが形だけでも養子にしようとしている相手だからだろう、その敬意の払い方も過剰に感じるほどだ。シドらしい振る舞いと言えよう。
「それで……あの、ジェイド・マーロンさんは?」
「ジェイドは僕の会社で働いている兵士なんだ。彼は僕の家族も同然だから、特別にこのジェイドから、ジゼルへ姓を贈ろうと思う――我が家でジェイド以上の者は居ない」
「偉い兵士さん」ジゼルは今一呑み込めていないようだ。
「分かり辛いかな。そうだね、もう少し説明すると、僕に何かあったら、ジェイドが全ての兵隊を動かす大将になるんだよ。だから僕は、君へ贈れる姓で、一番誇らしい姓だと考えたんだ」かなり誇張しているが、今は分かり易いことが、何より大事だ。
ジゼルの顔は少し明るくなった。
「ジゼル・マーロンと名乗ってくれるかな?」ジェイドの声はゆったり穏やかであり、その笑顔も普段より柔和さを湛えていた。
「……、喜んで」ジゼルはようやく緊張の解れたような笑みを見せた。
ジゼルが見せた安堵の表情は、家族として迎え入れられることが、〈レグザの光〉の子にとって、全てだという証であることが分かる。ジゼルに染み込んだ教義の強烈さが、浮き彫りになった笑顔に、カイムは眉を顰めそうになった。
カイムはランシズに扉を開かれ、部屋の様子が一目で見渡せた。ベッドにはシルクのパジャマを着た金髪の子供が居て、床に脚を下ろして座っている。使用人達にかなり気を使われているのが、着衣から察せられる。完全にカイムの客人としてもてなされていた。
翠の瞳が、既にカイムへ寄せられている。
ジェイドとチェスカルが、主人に続いて部屋へ入って来る。そうして、カイムは更にもう二頭の猟犬を連れて来ていた。エルドと雑用のシド・ペテルだ。序列の低いシドが最後に入室して、扉を静かに閉める。
ジゼルは目を見張って、猟犬全員へ視線を彷徨わせていた。
カイムはまず、椅子に座るヘルレアの傍へ行く。「状況はお聞きしました。ジゼル……に、異常は無いようですね」
「ああ、普通に意思の疎通もできるし、妙な力も感じない。問題無く子供だ」
「それはよかったです――では、ジゼル自身が置かれた状況は、本人には伝えましたか?」
「……それは、お前がやれ。私はそこまで面倒を見ない。お前の方が、こういう話しは慣れているだろう」
「承知しました。こちらで対処するので問題はありません」
カイムがベッドの傍へ行くと、背後に控えていたジェイドが、主人が座れるように、手早く椅子を用意した。カイムは一切振り返らずに、そのまま腰を下ろす。
少女は緊張し、またカイムを怖れているのも判る。彼の所作や猟犬を連れ立っている姿は、仰々しいのだろうと察しは付く。だが、かといって、フランクにはいかない理由があるので、こればかりは仕方がない。
「さて――今までも会っているのだけど、はじめましてと言うべきみたいだね。僕はカイム・ノヴェクという。この家の主人なんだ。改めて、君の名前を教えてくれるかい?」
少女はカイムに視線を合わせないよう、少し下を向いていたが、小さく肯いた。
「ジゼル……です」
「姓はなんというのかな?」
「姓はまだも貰っていません」
カイムは予め分かっていたが、あまり無い返答に、一拍、口を噤みそうになった。しかし、日頃からの慣れで、その素振りは素早く抑えた。「気にしなくてもいいよ、ごめんね」
ジゼルは曖昧に首を振った。分かった、構わない、という意思表示に取れる。
「では、これから僕達は、君をジゼルと呼ぶけれど問題はないかい?」
少女はこくこくと頷く。可愛らしい姿にカイムは、自然、目を細める。
「あの、どうしてここにいるんですか? 〈光の家〉へ帰らないと、叱られてしまいます」
「知り合いが、君を僕に託してくれたんだ。僕には子供がいなくてね。養子縁組……里親になりたかったんだ。唐突なことで、ジゼルの意志を尊重できなくて、すまないとは思っているけれど。ジゼルとの出会いは幸運なものだったからね」
「え? ……私も特別な〈光の家族〉に選ばれたんですか。他の子みたいにお家へお呼ばれしたのね!」
カイムはにこにこと笑って肯定を示した。
その異常な形の養子縁組制度を彼女は信じている。ジゼルを捕らえていた〈レグザの光〉は、子供達を〈光の家〉と名付けた施設で集団養育している。だが、彼女の言うような〈光の家族〉という養子縁組制度など存在せず、いらなくなった子供は処分していた。
光に照らされた子が、光の家族の元へ帰れる――。
これだけで、異常な状況下で子供達が育てられていたのが容易に想像できる。
そうした情報は以前からあるものの、ステルスハウンドが深く介入するような状況ではなかった。だが、今回の件で〈レグザの光〉を野放しにできなくなった。
ステルスハウンドの代表を銃撃戦に巻き込んだのだから、相応の報復をしなければならない。
「ジゼルは僕の家族になってくれるかい?」
「お家のご主人だから……お父様ですよね」
「そういうことになるね」
「……あの、お母様は」
「妻は……お母さんは、亡くなってしまったんだ。だから、僕も家族が欲しかった」
「私とお父様は家族になれたのね」少しづつ高揚し始めたようで、声が高くなる。おそらく今の状態の方が、ジゼルの普段からの振る舞いに近いのだろう。
「僕も嬉しいよ」
「その、だとすると……私は、ジゼル・ノヴェクなのかしら」
猟犬共が、耳を立てるように反応した。
「ごめんね、ジゼル。僕の姓はあげられないんだ」
「家族なのに姓がもらえない……?」
「その代わりね、このジェイド・マーロンの姓になってもらうことになる。君はジゼル・マーロンだ」
カイムが大男のジェイドへ手を差し向けると、ジゼルは不思議そうに長身のジェイドを見上げる。
ジェイドはチェスカルほど無愛想では無いが、それでも子供好きするとは言えない強面だ。直に接すれば、そのおおらかさは分かるものだが、ただ今は、外見だけで判断するしかないのだから、どうしようもない。
また、カイムの後ろにジェイドとチェスカル、そしてエルドにシドが控えていること自体が、尚更に威圧感を増幅させると考えるに難くない。しかも四頭とも揃いも揃って、尋常では無く鍛え上げられている。チェスカルの身長差など、霞むほどの強靭さだ。そうした彼らが、明らかにカイムの取り巻きとして、佇んでいるのが子供でも分かるだろう。
それでも慣れてもらわなければならない。少々、強引なやり方かもしれないが、ジゼル自身の置かれた状況を、早く理解させるには、最適な混乱状態といえた。
本当に優しくはない――。
カイムの都合で、強行に現状を把握してもらわなくてはならない。カイムには安穏と子供に付き合う時間はないのだ。残酷だが、利用価値が見出だせない――寧ろ、邪魔になりかねない存在に、手を煩わされる暇など無い。
「ジゼル・マーロン……でも、お父様はカイム様でノヴェク? どうか、理由を教えてください」
カイムは無言でシドの背中を押した。
「ノヴェクの姓は、カイム様の血族のみが名乗れます。たとえあなたが、カイム様の養子になろうとも、血の繋がりがなければ、ノヴェク姓を名乗れません。因みに婚姻……、正式に結婚するお相手も、同血族のみとされています。これでお分かりですね」
シドは幼い子供にさえ堅い敬語を崩さなかった。カイムが形だけでも養子にしようとしている相手だからだろう、その敬意の払い方も過剰に感じるほどだ。シドらしい振る舞いと言えよう。
「それで……あの、ジェイド・マーロンさんは?」
「ジェイドは僕の会社で働いている兵士なんだ。彼は僕の家族も同然だから、特別にこのジェイドから、ジゼルへ姓を贈ろうと思う――我が家でジェイド以上の者は居ない」
「偉い兵士さん」ジゼルは今一呑み込めていないようだ。
「分かり辛いかな。そうだね、もう少し説明すると、僕に何かあったら、ジェイドが全ての兵隊を動かす大将になるんだよ。だから僕は、君へ贈れる姓で、一番誇らしい姓だと考えたんだ」かなり誇張しているが、今は分かり易いことが、何より大事だ。
ジゼルの顔は少し明るくなった。
「ジゼル・マーロンと名乗ってくれるかな?」ジェイドの声はゆったり穏やかであり、その笑顔も普段より柔和さを湛えていた。
「……、喜んで」ジゼルはようやく緊張の解れたような笑みを見せた。
ジゼルが見せた安堵の表情は、家族として迎え入れられることが、〈レグザの光〉の子にとって、全てだという証であることが分かる。ジゼルに染み込んだ教義の強烈さが、浮き彫りになった笑顔に、カイムは眉を顰めそうになった。
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