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第一章
白木蓮の女怪 《五》
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玄奘が駆けつけた白木蓮の前には、すでに沙麼蘿と大神がいた。沙麼蘿は白木蓮から小道一本離れた場所にある木に背中を預け、何食わぬ顔で花びらが舞い散る様子を見ている。その足元で大神は素知らぬ顔をしておとなしくしていた。そんな中で、大神の頭の上に乗った玉龍だけが玄奘に気づいて、“よっ”とその短い片手を上げた。
楼門の方からも、此方にやって来る人達の足音が聞こえる。おそらく、緑松やその弟子達も異変に気がついたのだろ。
「間に合ったか」
「こんな真夜中に花見とはね」
「その花は、美しいとは言いがたい」
玄奘より少し遅れてその場にたどり着いた悟空、悟浄、八戒は、高みの見物とばかりに、それぞれ白木蓮と玄奘がよく見える場所に陣取った。
「玄奘」
緑松が、弟子達を連れ側にやって来た。連れてこられたそのほとんどが、十二年前あの娘がこの白木蓮に逃げ込んだのを見ていた人達だ。
「出るぞ」
真夜中の中庭で響く沙麼蘿の声に、そこに集まった全員の睛眸が白木蓮へと向けられた。
ふわりと、何かが白木蓮から浮き出てくるのがわかった。幹から白い乳白色のような、霧にも似た何かが溢れ出してくる。一種の、凄まじい氣の渦。十二年もの間、ただこの日を待ち続けた、玄奘を待ち続けた、哀れな女怪の成れの果て。
うっすらと溢れ出た氣が蠢き、それが人形をとりはじめ、次の瞬間にははっきりとした女の顔が浮かび上がった。そして間を置かず激しい渦が巻きおこり、その女は姿を現した。女の白い顔が前を見据えた時、人々はざわめき身を震わせる。
「まさか!」
「成長していたというのか!」
「十二年も白木蓮の中にいたんだぞ!」
十二年も前に白木蓮に逃げ込んだ時、その女怪はまだ十二歳の少女だった。口角を上げ、ニヤリと笑う女怪の胸元には、あの時緑松が貼った霊符がそのまま残されていた。だが、その文字はかすれ、すでに霊符の効力は尽きてしまったようだ。
「紅流児……」
小さく呟かれたその言葉は何処までも悲しげで、風に乗って消えて行った。妖怪にしては美しい容姿が悲しげにゆがみ、その声と同じく悲しげな双眸が揺れる。
「十二年よ……、紅流児。たった一人、この白木蓮の中で、十二年待ったわ。だから……」
女怪の睛眸と、玄奘の睛眸がかさなりあった。次の瞬間、女怪の顔が狂気を見せ、ゆっくりと口角が上がる。
「だからね、紅流児……。貴方のその命を、私にちょうだい……!」
白木蓮から、女怪の身体がすべて出きった時、玄奘は改めてその女怪と向き合った。
『私ね、お父さんとお母さんに親孝行したいの。大人になったらもっともっと働いて、お父さんとお母さんに楽をさせてあげるの!』
十二年前、彼女はそう言った。捨て子でただ泣くことしかできなかった赤ん坊の自分を引き取って育ててくれたのは、人間だった。
『お父さんとお母さんね、私を引き取ってから色々言われたの。私が……、妖怪だから……。でもね、本当に大切に育ててもらったのよ。私、お父さんとお母さんが大好きなの!』
両親の仕事を手伝いながら、川に水汲みにきていた彼女の手は荒れていたが、その顔は希望に満ち、何時だって両親との明るい未来を夢見ていた。まだ少年だった玄奘にとって、彼女はいつも輝いてみえた。御師匠様と兄弟子達を失って荒んでいた玄奘の心を、いつの間にか前向きに変えてくれるほどに。同年代の彼女が人間の村で負けずに頑張っている、その姿を見るだけで自分も頑張らなければと思えたのだ。
『紅流児、一緒に頑張ろうね!』
その言って、ニッコリと笑ったあの時の女怪の笑顔を思い出して、玄奘は自らの手を強く握りしめた。
その時、小道一本離れた場所にいた沙麼蘿が前に進み出る。同時に沙麼蘿の首から下げられた瓔珞が輝きを見せ、彼女の姿が変わっていく。紫黒色の長い髪と黒檀色の双眸は、道教神と同じ美しい輝きを放つ灰簾石色に。だが、真っ赤な衣は愛染明王の色でる愛染朱に。そして左腕上腕の臂釧と右手首の腕釧は阿修羅王のお印である宝相華の柄に変わったのだ。
神仏混合、“これが丁香の言っていた神なのか”と、緑松は思った。現身として現世に姿を現した沙麼蘿は、自らの力では前世である仏神に戻ることはできない。玄奘に経を読ませることで意思を天界へと繋ぎ、愛染明王の力を借りて神としての姿を現していたのだ。
だが数日前、阿修羅の眷属である鬼が戦いの中加勢に姿を現した時、この瓔珞を沙麼蘿に手渡した。“此があれば、何時でも望む時に元の姿に戻ることができます”と。
その瓔珞は、沙麼蘿が右耳につけている耳飾と同じ宝石で飾られていた。右耳の耳飾は耳の半分を覆う形をしており、紅玉・真珠・金剛石で作られている。見た目はまるで揃いのようだ。此があれば、何時でも阿修羅の力を借りて姿を変えることができる。
沙麼蘿が音もなく女怪の正面に出て、その手を掴んだ。すると、女怪の身体からただならぬ氣が流れこむ。沙麼蘿は顔を僅かに歪め氣の流れを追うと、ハッとして女怪の胸元に手をあてた。その時
『お助け下さい……。あぁ……神様……!』
沙麼蘿には、女怪の前にうっすらと佇む少女の姿が見えた。
“チッ”と舌打ちした沙麼蘿が、“雪魂か”、と呟く。華魂と言われる、生きながらにして植え付けられた者の魂を吸いとると言う、邪神や鬼神が好んで使う物、それが女怪の胸元に植え付けられていたのだ。
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楼門の方からも、此方にやって来る人達の足音が聞こえる。おそらく、緑松やその弟子達も異変に気がついたのだろ。
「間に合ったか」
「こんな真夜中に花見とはね」
「その花は、美しいとは言いがたい」
玄奘より少し遅れてその場にたどり着いた悟空、悟浄、八戒は、高みの見物とばかりに、それぞれ白木蓮と玄奘がよく見える場所に陣取った。
「玄奘」
緑松が、弟子達を連れ側にやって来た。連れてこられたそのほとんどが、十二年前あの娘がこの白木蓮に逃げ込んだのを見ていた人達だ。
「出るぞ」
真夜中の中庭で響く沙麼蘿の声に、そこに集まった全員の睛眸が白木蓮へと向けられた。
ふわりと、何かが白木蓮から浮き出てくるのがわかった。幹から白い乳白色のような、霧にも似た何かが溢れ出してくる。一種の、凄まじい氣の渦。十二年もの間、ただこの日を待ち続けた、玄奘を待ち続けた、哀れな女怪の成れの果て。
うっすらと溢れ出た氣が蠢き、それが人形をとりはじめ、次の瞬間にははっきりとした女の顔が浮かび上がった。そして間を置かず激しい渦が巻きおこり、その女は姿を現した。女の白い顔が前を見据えた時、人々はざわめき身を震わせる。
「まさか!」
「成長していたというのか!」
「十二年も白木蓮の中にいたんだぞ!」
十二年も前に白木蓮に逃げ込んだ時、その女怪はまだ十二歳の少女だった。口角を上げ、ニヤリと笑う女怪の胸元には、あの時緑松が貼った霊符がそのまま残されていた。だが、その文字はかすれ、すでに霊符の効力は尽きてしまったようだ。
「紅流児……」
小さく呟かれたその言葉は何処までも悲しげで、風に乗って消えて行った。妖怪にしては美しい容姿が悲しげにゆがみ、その声と同じく悲しげな双眸が揺れる。
「十二年よ……、紅流児。たった一人、この白木蓮の中で、十二年待ったわ。だから……」
女怪の睛眸と、玄奘の睛眸がかさなりあった。次の瞬間、女怪の顔が狂気を見せ、ゆっくりと口角が上がる。
「だからね、紅流児……。貴方のその命を、私にちょうだい……!」
白木蓮から、女怪の身体がすべて出きった時、玄奘は改めてその女怪と向き合った。
『私ね、お父さんとお母さんに親孝行したいの。大人になったらもっともっと働いて、お父さんとお母さんに楽をさせてあげるの!』
十二年前、彼女はそう言った。捨て子でただ泣くことしかできなかった赤ん坊の自分を引き取って育ててくれたのは、人間だった。
『お父さんとお母さんね、私を引き取ってから色々言われたの。私が……、妖怪だから……。でもね、本当に大切に育ててもらったのよ。私、お父さんとお母さんが大好きなの!』
両親の仕事を手伝いながら、川に水汲みにきていた彼女の手は荒れていたが、その顔は希望に満ち、何時だって両親との明るい未来を夢見ていた。まだ少年だった玄奘にとって、彼女はいつも輝いてみえた。御師匠様と兄弟子達を失って荒んでいた玄奘の心を、いつの間にか前向きに変えてくれるほどに。同年代の彼女が人間の村で負けずに頑張っている、その姿を見るだけで自分も頑張らなければと思えたのだ。
『紅流児、一緒に頑張ろうね!』
その言って、ニッコリと笑ったあの時の女怪の笑顔を思い出して、玄奘は自らの手を強く握りしめた。
その時、小道一本離れた場所にいた沙麼蘿が前に進み出る。同時に沙麼蘿の首から下げられた瓔珞が輝きを見せ、彼女の姿が変わっていく。紫黒色の長い髪と黒檀色の双眸は、道教神と同じ美しい輝きを放つ灰簾石色に。だが、真っ赤な衣は愛染明王の色でる愛染朱に。そして左腕上腕の臂釧と右手首の腕釧は阿修羅王のお印である宝相華の柄に変わったのだ。
神仏混合、“これが丁香の言っていた神なのか”と、緑松は思った。現身として現世に姿を現した沙麼蘿は、自らの力では前世である仏神に戻ることはできない。玄奘に経を読ませることで意思を天界へと繋ぎ、愛染明王の力を借りて神としての姿を現していたのだ。
だが数日前、阿修羅の眷属である鬼が戦いの中加勢に姿を現した時、この瓔珞を沙麼蘿に手渡した。“此があれば、何時でも望む時に元の姿に戻ることができます”と。
その瓔珞は、沙麼蘿が右耳につけている耳飾と同じ宝石で飾られていた。右耳の耳飾は耳の半分を覆う形をしており、紅玉・真珠・金剛石で作られている。見た目はまるで揃いのようだ。此があれば、何時でも阿修羅の力を借りて姿を変えることができる。
沙麼蘿が音もなく女怪の正面に出て、その手を掴んだ。すると、女怪の身体からただならぬ氣が流れこむ。沙麼蘿は顔を僅かに歪め氣の流れを追うと、ハッとして女怪の胸元に手をあてた。その時
『お助け下さい……。あぁ……神様……!』
沙麼蘿には、女怪の前にうっすらと佇む少女の姿が見えた。
“チッ”と舌打ちした沙麼蘿が、“雪魂か”、と呟く。華魂と言われる、生きながらにして植え付けられた者の魂を吸いとると言う、邪神や鬼神が好んで使う物、それが女怪の胸元に植え付けられていたのだ。
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